2009年09月12日00時19分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200909120019116

《インターナショナルヘラルドトリビューンの論客たち》(4) リークを逆手に取ったロバート・ノバク  村上良太

  8月18日、アメリカのコラムニスト、ロバート・ノバク(Robert Novak、78)が脳腫瘍で亡くなりました。ノバクは2003年7月、CIAエージェントの実名をコラムで暴露し、大問題を起こした論客です。時計の針をイラク戦争開戦前夜に戻します。 
 
◆情報操作されるメディア 
 
  2002年初頭、イタリア情報部による「サダム・フセインがニジェールでイエロー・ケーキ(ウラン精鉱)を買おうと試みた」との報告がCIAに届きます。これが本当かどうか調査するため、ニジェールに派遣されたのが元駐ガボン大使ジョセフ・ウイルソンでした。2002年2月のことです。8日間現地で調査して帰国したウイルソンは「到底ありえない」と可能性を否定する報告をラングレーのCIA本部で行います。 
 
  後にウイルソンの妻バレリー・プレイムがCIAエージェントだという情報が政府高官からノバクにリークされたのはイラク戦争への疑念を呈し、さらにマスメディアで語り始めようとしたウイルソンへの報復と考えられています。 
 
  このリーク事件が2003年に大問題となった時、僕は「またか」と思いました。 
 
  2001年9月の同時多発テロの後、インターナショナルヘラルドトリビューン(以後ヘラトリ)にはアル・カイダの背後にサダム・フセインがいるとのコラムが出ました。書き手の名は記憶していませんが、バグダッド郊外でアル・カイダが航空機を使ったテロ訓練をしていたとか、プラハでアル・カイダ幹部とイラクの情報部員が接触していた、というような話がコラムになっていたのです。これらは「ある情報筋によると・・・」という風な伝聞情報でした。イラクが同時多発テロ事件の裏にいる、というリードがこうした謎めいた伝聞情報によって作られていたのです。 
  その後、イラクとアル・カイダの関係は事実によって否定されますが、2001年秋にはまだ信憑性を持って受け取られていました。政府筋からのリークによって、メディアが情報操作されていたのです。その背景にはアメリカの新聞業界全体の地盤沈下がありました。 
 
  80年代以後、短期利益を優先する株主によってアメリカの新聞業界では大幅なコストカットが断行され、その結果経費の嵩む調査報道部門が縮小されます。かつては調査報道で優れた業績を上げたアメリカの新聞の取材力と検証能力が劇的に落ちていたのです。政府筋のリークに安易に乗ってしまうのもその現われです。しかし経費削減はその後皮肉にも戦費という巨額の負債となって国民に降り注ぎます。損失は今回の金融恐慌にまで結びついています。報道の費用対効果を考える上で最もわかりやすいのがこのイラク戦争です。余談になりましたが、ノバクの話を読んだ時も「またか」と思ったのみで、堕落した論客といった印象しかありませんでした。 
 
  しかし、ノバクの死亡記事の中に気になる1行がありました。ノバクがイラク戦争に反対していた、という記述です。「嘘だろ?」と僕は思いました。そこには情報の断層があるように思えたのです。事実を確かめようとネットで検索しているうちに、ノバクについて僕が当初抱いていた印象は随分変わってきました。 
 
◆ノバク(1931−2009)のプロフィール 
 
  日本ではほとんど知られていませんが、ノバクはアメリカではかなり有名で重鎮と言える論客だったようです。専門は政治コラムです。 
 
  APの追悼記事によれば、イリノイ州に生まれたノバクは高校・大学時代からスポーツ記者として早くも新聞業界で働いています。1963年にはローランド・エバンスと組み、政治コラムを書き始めます。この二人組はニール・サイモンの戯曲にちなんで「政界のおかしな二人」と呼ばれました。 
  エバンスが上流家庭出身でセンス抜群だった対し、ノバクは渋い面構えの心配性で、しばしば悲観的な見方をしたと言われます。このチームは2001年に相棒のエバンスが亡くなるまで続きます。 
 
  一方、1980年からノバクはCNNのコメンテーターになります。「クロスファイアー」では2005年までホストをつとめました。共和党支持者でレーガン大統領がベスト1だったというノバクには、しかし、他の保守派論客と違った面がありました。 
 
  2005年4月の「ヴァニティフェア」(David Margolick)によると、ノバクはユダヤ系でありながら、反イスラエルの立場でした。9・11同時多発テロの二日後、ノバクは「アメリカのイスラエルへの関与こそ、今回のテロの原因である」と書いています。さらに、その2ヵ月後に起きたイスラエルによるハマスのマフムード・アブ・ハヌード(Mahmoud Abu Hanoud)暗殺を批難し、「ハヌードは自由の闘志だった」と書きました。 
  そしてブッシュ政権のイスラエル寄り政策を批判し、イラク戦争を「シャロンの戦争」とまで呼んだのです。シカゴ郊外で、ロシアから渡ってきたユダヤ人の家庭に生まれたノバクでしたが、ノバクはユダヤ教からカトリックに改宗し、長い間その事実を秘めていました。 
 
  ノバクはアフガニスタン侵攻にも懐疑的で、「CIAにはビン・ラディンを捕まえることはできないだろう」と警告していました。 
 
  こう見るとノバクが単なるブッシュ政権お抱えの御用論客でなかったことがわかります。ではノバクはなぜ、政府高官のリークに乗り、晩節を汚してしまったのでしょうか。 
 
  理由の1つはノバクがコラムでしばしば政界裏情報を書くスクープを売りにしてきたことが挙げられます。ノバクは毎日のようにワシントンで政府高官らと朝食や昼食をともにしながらネタを聞き込んでいました。たとえば、ブッシュ大統領と不和を起こしていたオニール財務長官の辞職もノバクが最初にスクープとして書きました。2003年のリーク事件でもノバクはCIAエージェントの経験もないウイルソンの派遣には何か裏があると確信していたのでしょう。政府高官からCIAエージェントであるウイルソンの妻が推薦したと聞き、そこにnepotism=身びいきを見、報告内容のいかんに関せず、怒りを覚えたのではないでしょうか。 
 
◆リーク事件の意外な真相 
 
  イラク戦争の始まる2ヶ月前の2003年1月、ブッシュ大統領は年頭教書演説で、サダム・フセインが大量破壊兵器を作ろうとしている、とその危険を訴えます。1年前のウイルソン報告は握りつぶされたのです。イラクが大量破壊兵器を作っているというブッシュ大統領の根拠は英国の情報とされていましたが、元の出所はウイルソンが否定したあのイタリアの怪しい情報でした。 
  CIAは最初からこのイタリア情報を「詐欺師」が書いたと信用していませんでした。しかし、ウイルソンの報告も、「決定的とはいえない」という評価を下します。 
 
  2003年春、イラク戦争が一段落した後、懸案の大量破壊兵器は見つかりませんでした。次第に開戦への疑念が膨らんでいきます。そんな中、6月12日、ワシントンポスト紙のウォルター・ピンカス記者が「ある元大使がサダム・フセインの大量破壊兵器作りの可能性を否定する報告をCIAで行っていた」とすっぱ抜き、反響を呼びます。そして7月6日、ウイルソンがマスメディアに登場します。ニューヨークタイムズでウイルソンはニジェール派遣の経緯を述べました。 
 
  ノバクのコラム「アーミテージのリーク」(2006年9月14日)によると、ノバクが国務省からの呼び出しを受け、副長官だったアーミテージを訪ねたのは2003年7月8日。話の中でノバクはアーミテージに「何故CIAはウイルソンを派遣したのですか?」と尋ねます。「ウイルソンには諜報の経験もなければ核兵器の専門家でもなく、当時はニジェールとのコンタクトもなかったでしょう?」とその時感じていた疑問をぶつけました。 
  すると、アーミテージはウイルソンの妻バレリー・プレイムがCIAの大量破壊兵器対策課で働いており、その妻がウイルソンのニジェール行きを推薦したとはっきり答えたそうです。この会見には二人の他に同席者はなく、メモも取っていませんでした。アーミテージは別の新聞インタビューで「ノバクには<よく知らないが、妻がCIAで働いていたかな>と答えた」と語っており、両者の話はデテールが食い違っています。 
 
  それはともかく、ノバクはアーミテージのリークの裏を取るため、ブッシュ政権顧問のカール・ローブからも話を聞き、さらにCIAでプレイムの身分の確認もしました。この時CIA担当官は「それは書かないで欲しい」と言ったそうですが、ノバクは「書かないで欲しい、というCIA担当者の願いはそれほど強くなかった」と書いています。ウイルソンの妻バレリー・プレイムの名を暴露したことで、「エージェントの命を危険にさらした」とノバクは批難を浴びます。さらに検察から誰がリークしたかその証言を求められ、ローブの名前を答えます。 
  一方、同様にリークを受けていたものの、そのソースについては証言しなかったニューヨークタイムズのジュディス・ミラーとタイムのマシュー・クーパーは収監されます。 
 
  ノバクはすでにパトリック・フィッツジェラルド検事が名前を知っていたカール・ローブについて証言したものの、当時まだ名前の出ていなかったアーミテージについては終始黙っていました。 
  ノバクが「アーミテージのリーク」と題するコラムを出すのは2006年9月14日ですが、これはアーミテージがその前週、自らノバクにリークしたことを話したことがきっかけになっています。 
  そして「アーミテージの証言は彼が本当にしたことをぼかしている。私が直接知っていることを話そう」と言うのがノバクのこのコラムの書き出しです。 
 
  皮肉なのはノバクと敵対してしまったアーミテージも、ウイルソンとその妻バレリー・プレイムも全員イラク戦争に反対の立場だったことです。ノバクは先述のコラムでこう書いています。 
 
「(イラク戦争開戦派の)カール・ローブでなく、アーミテージがリークした張本人だったという情報は左翼に打撃を与えた」 
 
  このリーク事件は政治の複雑さを浮き彫りにします。 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。