2009年11月01日11時00分掲載  無料記事
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【テレビ制作者シリーズ】(8) 反戦に意志を貫く個を描く、林雅行さん  村上良太

  昨年放送された「戦争は罪悪である〜ある仏教者の名誉回復〜」(NHK・ETV特集)は大きな反響を呼びました。日中戦争が始まった1937年、「戦争は罪悪である」と唱え陸軍刑法99条違反で逮捕された真宗大谷派の僧侶が70年後、宗派から名誉回復を得る物語です。 
 
  僧侶の名は竹中彰元、逮捕当時71歳でした。竹中氏は名誉回復を待つことなく1945年に亡くなっています。有罪判決に続き、宗派からも地位を最下位に降格されていました。戦後、真宗大谷派は戦争協力したことを反省していますが、岐阜県の寺でひっそり亡くなった竹中氏のことは長く忘却されていたのです。番組を制作したプロデューサーの林雅行さん(クリエイティブ21)は周囲に迎合せず、反戦の意志を貫く人々を描いてきました。戦中戦後を問わず林さんのドキュメンタリーでは主人公に孤独の影が漂います。 
 
「戦後の平和運動は労働組合の力によるところが大きかったため労働組合の力が弱くなると平和運動も衰えてしまいました。たとえば原水禁運動でも広島長崎への旅費は組合費から出ていたのです。」 
 
  林さんは組織頼みでなく、個から出発しなくてはダメだと考えているようです。しかし、個人がどれだけ頑張っても多くの人が力を合わせなければ動かないというジレンマもまたあります。 
 
  「戦争は殺生を禁じる仏教の教えに反する」と宗教上の信念から竹中氏は戦争に反対します。当時仏教団体は戦争に協力し、大陸では宣撫工作に従事していました。こうしたあり方に疑問を持った竹中氏は逆に周りの僧侶たちからつまはじきにされ、警察に告発されます。その結果、背後に組織がなく個人の信念に基づく言動だったため治安維持法違反でなく、陸軍刑法99条の「造言飛語」で逮捕されました。戦時中、700人以上の人々が陸軍刑法99条の「造言飛語」で逮捕されたそうです。 
 
  それにしてもなぜ仏教者が戦争に協力したのでしょうか。 
 
  番組によると当時、「一殺多生(いっせつたしょう)」という言葉が人口に膾炙していたそうです。多くを生かすためなら1人を殺すことは仕方がないという意味で、ひいては平和のための戦争は仕方がない、という意味に使われていきます。仏教の教えではなかったにも関わらず、この言葉が仏教者の戦争協力に対する免罪符となりました。番組では平和を願う若い僧侶たちが竹中氏をしのび、その名誉回復を求めます。関係者の多くが亡くなっているため資料撮影や再現に頼らざるをえませんでしたが、重いテーマに真摯に取り組んだ力強い番組でした。 
 
  林さんはテレビ東京「ドキュメンタリー人間劇場」でも反戦運動を続ける一人の女性を取り上げました。 
 
  「みすてられてなるものか〜ハイカラおばぁちゃんの熱い日々〜」(1999年、山本洋子演出)です。杉山千佐子さん(取材当時84歳)は名古屋大空襲で被弾し、片目を失います。九死に一生を得ましたが女性にとって一生を左右する大きな傷跡でした。自殺を何度も考えたそうです。しかし、この体験を生かす道を歩き始めます。全国戦災傷害者連絡会を立ち上げ、民間人の戦争被害者にも国は補償をせよ、と戦時災害援護法の制定を訴えたのです。杉山さんは毎年国会に法案を持ち込みましたが26年間、却下され続けました。 
 
「軍人には雇用関係があるから補償もする。民間人には雇用関係がないから補償できないという。それならどうして国民を死に追いやったのですか?」 
 
  杉山さんはそう問い続けます。戦争による傷害者はおよそ50万人に上ると見られていますが、国は民間人被害者の正確な調査すら行いませんでした。しかし、戦災傷害者は今日でも体からガラス片が出てくるなど生々しい傷が残ります。 
  杉山さんは取材当時84歳でしたが、東京や沖縄を始め全国各地の人々と平和の集いに参加し、マイクを手に訴え続けていました。こんな杉山さんの一徹な姿に視聴者もひきつけられてしまいます。 
 
  番組をプロデュースした林さんにはある記憶の風景があると言います。 
 
「夏休みに東京から帰省すると、名古屋駅前で眼帯をした女の人がマイクを握って訴えていました」 
 
  それが杉山さんでした。今から30年以上前のことです。元軍人・民間人を問わず、当時は腕や足のない戦災者が日本全国にいました。学校でも教師たちが戦争で受けた傷を教壇から見せてくれたものです。あの頃は戦争が体験者の肉体を伴って身近に見えていました。 
 
  林さんはテレビ取材の後に監督として杉山さんの人生を描いた劇とドキュメンタリー映画を作りました。さらに2010年春には新作ドキュメンタリー映画「おみすてになるのですか〜傷痕の民〜」を公開予定です。杉山さんほか、今も生きる戦災者たちの物語です。チラシのコピーは「国は私たちがいなくなるのを待っているのか?」そこには死ぬまで国と戦い続ける意志が現れています。杉山千佐子さんは現在、94歳です。 
 
  戦争体験者は年々少なくなります。この先は体験者の証言を基にした新作を作ることが年々難しくなります。しかし、この番組を含め、過去に放送された貴重な番組が多数あります。放送局は民放、NHKを問わず、これらの番組を再び多くの人が見ることができるようにライブラリーを作る必要があると思います。 
 
 
《プロフィール》 
 
  林さんは1953年、名古屋で生まれました。子供の頃から歴史本を読むのが好きだったそうです。制作した番組には歴史モノが多いですが、テレビ東京「ガイアの夜明け」など経済モノも多数手がけています。 
 
  また、ここ2〜3年は台湾を舞台に「風を聴く〜台湾・九ふん物語〜」と「雨が舞う〜金瓜石残照〜」の2本のドキュメンタリー映画を監督しています。かつて東洋一といわれた台湾北部の金鉱に集まってきた人々の物語です。今も町を愛し、町で暮らす古老たちが町を案内してくれ、昔のことを話し始めます。日本の植民地統治時代の出来事も含め、台湾の知られざる歴史が描かれます。林さんは台湾への思いをこう語ります。 
 
「初めて台湾を旅したとき、九ふんの町が好きになりました。ゆったりと時間が流れています。町の人が歴史を大切にしていることが街づくりに現れています。日本では再開発と称してビルを全部壊し更地にして新しいビルを建てる、ということをやっています。そんなことでは歴史ある町は生まれません」 


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