2009年12月19日22時37分掲載  無料記事
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「変革の21世紀を生きる」には いのち・知足・利他を大切にしよう 安原和雄

  自民党政権に代わる民主党政権の発足によって、わが国は近現代史上、第三の変革期を迎えたともいえる。第一は明治維新、第二は敗戦をそれぞれ境として始まった。第三の変革期は、いいかえれば「変革の21世紀」をどう生きるかというテーマを投げかけている。多様な模索が試みられつつあるが、この際、仏教経済学(思想)の出番であることを強調したい。ひとくちに仏教経済学と言っても、提唱者によって色合いは異なるが、私が構想する仏教経済学は八つのキーワードからなっており、なかでも「いのち」、「知足」、「利他」を大切にしたい。それを手がかりにして「変革の21世紀」をつくっていく時だと考える。 
 
 私(安原)は09年12月9日、5年前まで経済学を講じていた足利工業大学(=岡平悟朗理事長、牛山泉学長。所在地:栃木県足利市、地元のお坊さんたちが創設した仏教系の工業大学)で「変革の21世紀を生きる ― いのち・知足・利他を大切に」というテーマで講話する機会があった。就職への助言を兼ねた講話で、同大学3年生と教職員ら、合わせて約300名が参加した。 
 
講話の内容(大要)は以下の通り。 
 
 仏教経済学の視点から話したい。仏教経済学といっても、馴染みが薄いかもしれないが、インターネット上ではかなり知られている。グーグルで「仏教経済」を検索すると、検索件数は150万から220万件もある。(参考までに首相の「鳩山由紀夫」を検索すると、約160万件) 
 講話はつぎの4本柱からなっている。 
(1)生きている今はどういう時代か ― 日本近現代史上、第三の変革期 
(2)仏教経済学と八つのキーワードと21世紀の変革 
(3)中米のコスタリカ人に学ぶこと 
(4)若者たちが担う変革の時代 
 変革の時代を担うのは君たち若者だ、ということを自覚してほしいということ。 
 
(1)生きている今はどういう時代か ― 日本近現代史上、第三の変革期 
 
 第一の変革期 明治維新=富国強兵 
 第二の変革期 敗戦=平和憲法・人間尊重 
 第三の変革期 変革の21世紀=いのち・知足・利他を大切に 
         「無血の平成維新」(鳩山首相初の所信表明演説:09年10月末) 
 
 第一の変革期は幕末の動乱と明治維新であり、富国強兵路線を目指した。日清、日露、さらにアジア諸国やアメリカと戦うアジア・太平洋戦争などいくつもの戦争の時代であった。アジア諸国に2000万人とも言われる犠牲者を強いたうえに、広島、長崎の原爆犠牲者を含め日本人約310万人が犠牲となり、命を失った。 
 1945年8月敗戦となり、そこから平和憲法(戦争放棄、生存権・自由・人権・民主主義の重視、主権在民)制定による人間尊重を目指す第二の変革期が始まった。しかし日米安保条約改定(1960年)を背景に対外的にはアメリカ主導の戦争に加担し、一方国内では人間・生存権軽視の政治・経済が続き、平和憲法の理念は事実上骨抜きとなった。2009年総選挙(8月30日)の結果、民主党が圧勝し、従来の自民党政権から民主党連立政権へと本格的な政権交代が実現した。ここから第三の変革期が始まる。 
第三の変革期はどうあるべきか。われわれの意志によって新しい変革期をつくっていく必要がある。その思想的武器となるのが「仏教経済学」であり、仏教経済学の出番となってきたと考える。 
 
(2)仏教経済学と八つのキーワードと21世紀の変革 
 
 仏教経済学(思想)は新しい経済学であるだけに、「仏教と経済」がなぜ結びつくのかという疑問が寄せられる。この疑問は仏教や経済に対する理解が浅いために生じる誤解である。 
 仏教、特に大乗仏教に「衆生済度」(しゅじょうさいど)という考え方がある。これは「いのちある存在を救う」の意である。一方、経済は英語economyの日本語訳として使われているが、この経済という用語は、中国の「経世済民」(けいせいさいみん・世を整え、民衆を救う)の「経」と「済」を組み合わせて新たに作られた。このように仏教と経済は、「いのちや民を救う」という点で本来、相互に密接な関係にあることを理解したい。 
 
 私が構想する仏教経済学の特質は、次の八つのキーワードからなっている。なぜ八つに多少こだわるかといえば、漢数字「八」は、末広がりで未来への発展力を秘めているからである。 
 いのち尊重、知足、利他、非暴力、簡素、共生、持続性、多様性 ― の八つ。 
 
 これは仏教経済学のキーワードであるだけでなく、同時に21世紀のキーワードでもあることを強調したい。21世紀はこのキーワードを軸に変革が求められている時代であるといえよう。 
 
 以下、八つのキーワードについて簡潔に説明する。 
 ケインズ(=イギリスの経済学者)経済学や新自由主義(=市場原理主義)経済思想 ― など一般の大学経済学部で教えられている現代経済学では、八つのキーワードとは無縁であるだけでなく、むしろ逆の考え方が支配的である。 
 それぞれの項目の末尾のカッコ内は現代経済学の特質を示している。 
 
*いのち尊重=人間は、いのちある自然の一員であるにすぎない。動植物も含め、生きとし生けるものすべてのいのちを大切にすること。 
 【いただきます】という日常語は、「動植物のいのちをいただいて自分のいのちをつないでいる、ことへの感謝の気持ち」を表す言葉である。だから食事前に唱えたい。言葉にしなくても、心で唱えるのも立派だ。いのちあるものだから、ともかく食べ残しを止めよう! 
 無造作に食べ残しをする人は「いのち」を粗末にする人で、一人前とはいえない。私が企業社長なら、入社希望者を食事に連れて行って、食べ残しをするかどうかを観察する。食べ残しをする人は使い物にならないという判断で、不採用にする。 
(現代経済学:いのち無視=自然を征服・支配・破壊) 
 
*知足=欲望の自制、「これで十分」。足ることを知って、モノを大切にすること。 
 【もったいない】を日常語にしよう! 
「もったいない」運動があちこちで始まっている。「もったいない」感覚は、食べ残しをしないことにもつながる。 
・ケニアの植林運動家で環境副大臣を務めたワンガリ・マータイ女史(ノーベル平和賞受賞)は、数年前来日したとき、日本語の「もったいない」に出会って感激し、それ以来国連をはじめ世界中に「MOTTAINAI」を広める運動に取り組んでいる。 
・今ではアメリカ人でも「足ること」を知ってこそ、充実した生活を送ることができると考える人が増えている。 
(現代経済学:貪欲、強欲=欲望に執着、「まだ足りない」) 
 
*利他=利他的人間観 
利他=「世のため、人のため」を考え、実践することは、結局は自分のためになるし、楽しい。「自分さえよければいい」という自分勝手、自分本位は楽しくない。バスや電車で席を譲るのも利他のささやかな実践といえる。 
 【お陰様で】という感覚の日常化をすすめよう! 
 「自分一人で生きる。誰のお世話にもならない」という人がいるが、それは勘違いだ。独りで生きている人は誰もいない。他人様(ひとさま)のお陰で生きている。今朝の食事は何を食べたか? 仮に食パンとすれば、その材料の小麦粉は他人様が作ったものだ、自分で作ったモノではない。だから「お互い様」「お陰様」で生かされているという感覚を大切にしたい。 
(現代経済学:私利優先=利己的人間観) 
 
 以上の3つのキーワードのほかは、ごく簡略な説明にとどめる。 
*非暴力=平和とは、多様な「構造的暴力」(戦争、自殺、交通事故、貧困、環境汚染・破壊など)がない状態。だから非暴力すなわち平和は、守るものではなく、むしろ積極的に作っていくものである。(現代経済学:暴力=戦争などの容認) 
*簡素=質素の美しさを尊ぶ 。(現代経済学:浪費・無駄=虚飾のすすめ) 
*共生=いのちの相互依存。(現代経済学:孤立=いのちの分断、孤独) 
*持続性=持続可能な質の「発展」を重視する。地球環境保全時代のキーワード。(現代経済学:非持続性=持続不可能な量の「成長」にこだわる) 
*多様性=自然・人間・文化・国のあり方の多様性、個性の尊重。(現代経済学:個性の無視、画一性) 
 
(3)中米のコスタリカ人に学ぶこと 
 
 ここでは変革の時代に日本人として中米の小国コスタリカ(人口約450万人、国土面積は日本の九州と四国の合計程度)の人々の生き方に何を学ぶかという視点から話したい。 
 
(イ)首都・サンホセの公園で巡回中のコスタリカ警官と対話 
03年1月、私はコスタリカ訪問団の一人としてコスタリカを訪れた。アメリカが03年3月イラク攻撃を始めるその直前であった。以下は、公園を数人で散策中、たまたま巡回中の警官2人と出会って行った一問一答のほんの一部である。 
 
 問い:コスタリカは、警備と治安のための警察力はあるが、他国との紛争に軍事力を行使する軍隊を持っていない。そのことについて警察のメンバーの一員としてどう考えるか。 
 警官:軍隊を持たないことは大変素晴らしいことだと思っている。軍隊を持つと必ずその軍事力を行使し、暴力をふるいたくなるものだ。それを避けるためにも、軍隊を持たないことはいいことだ。 
 問い:もし他国から攻められたらどうするのか。 
 警官:まずわれわれ警察隊が対応する。しかし、最終的には政治家が話合いによって、平和的に解決してくれると信じている。 
 
〈感想〉軍隊のない国(コスタリカは1949年の憲法改正で軍隊を廃止した国として知られる)の警官が平和についてなにを考えているのか、聴いてみるいいチャンスだと考えたことから始めた対話である。 
 普通の警官(日本の警官でいえば、巡査部長クラス)が初めて出会う外国人の観光客に向かって自国の「平和哲学」を堂々と語るのに驚いた。しかも態度が友好的で正直、率直である。我々日本人にはなかなかできないことだ。日本人は、堂々と胸を張って生きるコスタリカ人にどうやら人間力の点で負けているのではないかと感じた。 
 
 私(安原)は「コスタリカに学ぶ会」(=略称:正式名称は「軍隊を捨てた国コスタリカに学び平和をつくる会」)の世話人で、「平和をつくる会」という名前に注目してもらいたい。平和は守るという受け身ではなく、自分たちの手で努力して積極的に「平和=非暴力」を作っていくという感覚を大切にしたい。 
 
 もう一つ、コスタリカ人の平和をつくっていく実践的姿勢に触れておきたい。 
 アメリカがイラク攻撃を始めてから間もなく、当時のコスタリカ大統領がイラク攻撃を支持する姿勢に出た。それに対してコスタリカ大学法学部の学生、ロベルト・サモラ君が「大統領の戦争支持は憲法違反。戦争は人間を破壊し、消し去る」と最高裁判所に訴えて、裁判に勝った。大統領は直ちにイラク攻撃支持を止めた。 
 このように大統領を相手に裁判で戦って学生が勝利するのがコスタリカという国柄だ。その学生が日本へ来たとき、私は彼と会う機会があり、激励した。「君は将来のコスタリカ大統領候補だな」と。 
 
●日常感覚で心掛けること(その一) 
 チャンス(機会)は、積極的に作っていくもので、与えられるのを待たないこと。 
 警官との一問一答を試みること、学生が大統領と戦争問題で最高裁で争うこと、などはいずれもチャンスを自分で作っていったもので、こういう発想、行動が大切だ。その結果、新しい成果を挙げることができた。「誰かがやってくれないかなあ」という昨今の若者に多い他人まかせの依存症ともいえる姿勢は返上したい。 
 
(ロ)「森と人間社会」に関するエコ(自然)ツアーのガイドさんの説明 
 森には土・木・草・菌類がある、鳥・動物がいる。土壌・日光は基本的な公共財のようなもので、動植物は私たち人間と同じだ、と。互いに競争することもあるが、結局は相互依存している。収奪しすぎると、結局共倒れになってしまう。森は私たちに、私たちの社会がどうあるべきかを教えてくれる最も身近な教材である。自然界の多様性、バランスは私たちの社会と相似関係にある。環境破壊が進むと、水や食料など、私たちの生活に必要なものも得られなくなる。豊かな自然と暮らすことで、そこから平和な社会を形成するためのインスピレーション(直感的なひらめき)を得て、次の世代へとつないでいく ― と。 
(足立力也著『丸腰国家〜軍隊を放棄したコスタリカ 60年の平和戦略〜』=扶桑社新書から) 
 
〈安原の感想〉この説明の仕方は仏教的ともいえる。コスタリカは80%がカトリック、15%がプロテスタントで、キリスト教徒の国。しかし考え方は仏教に共通しているところがある。人間と自然との共生、相互依存関係の重視、多様性の尊重、豊かな自然と平和な社会 ― などにそれがうかがえる。 
 
(4)若者たちが担う変革の時代 
 
(イ)有難いことに「いのち」をいただいてこの世に生まれた。奇跡に近い。折角のいの ちを大切に生かしていくこと。 
 
 我々人間は自分の意思でこの世に生まれた者は誰一人いない。ミミズに生まれていたかもしれない。人間として生まれたのは奇跡に近いともいえるだろう。だからいのちを生かしていくことが大切なこと。そのためには一人ひとりが誇り(叩けば出てくる「埃=ほこり」ではない、堂々と生きる誇りだ)をもって生きること。コスタリカ人に負けないように堂々と生きようではないか。 
そのためにも仏教経済学の八つのキーワードのどれか一つでもいいから心にとどめて考え、行動してほしい。 
 
(ロ)企業の社会的責任(CSR=Corporate Social Responsibility)について 
 利益第一にこだわる時代は終わった。「世のため、人のため」の社会貢献をどう果たすか。 
 〈有名な衣料品メーカーの新聞広告〉:「わたしたちの感謝を、還元させていただきます。《服を変え、常識を変え、世界を変えていく》という目標のもと、これからも《服の力で世界中の人の生活や人生を豊かに》していきたい」 
 
 企業の社会的責任を重視すること。ごまかしながら利益を稼げばいいと考える企業は倒産する時代だ。企業に就職する人は、その企業の中で存在感のある人間になることだ。そのためには目先の利益よりも企業の社会的貢献とは何かを考えてほしい。 
 上記の衣料品メーカーの新聞広告が好例だ。この気概、心意気がすごい。こういうセリフを日常感覚で言ってみたい。 
 
●日常感覚で心掛けること(その二) 
「世のため、人のため」におもしろく、楽しく生きてみよう! 
自分の受信力と発信力を身につけ、高めよう! 
 
 「世のため、人のため」を思って生きれば、おもしろく、楽しく生きることができる。自分さえよければいいという感覚ではロクな人生は歩めない。そのためには受信力と発信力を高めなければならない。 
 ある企業幹部の話を紹介する。 
 部下が80人いるが、若い人は視野が狭く、思い込みが激しい。人の話を聴く訓練がされていない ― など。 受信力が劣っている、というこの指摘に君たちは反論できるか? 
 
 ではどうしたらよいか? ケータイの活用だ。君たちはケータイの奴隷(注)になっていないか。自由に使うというよりもケータイに振り回されてはいないか。 
(注)日本国憲法18条=「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」。憲法に「奴隷」という表現が盛り込まれていることをしっかり認識している人は少ない。この条文の意味を噛みしめてほしい。 
 
 私が足利工業大学で経済学の講義を担当していたとき、聴講生(出席者約200人)を対象に独自の「ケータイに関する意識調査」を行った。「言われてみると、なるほど俺たちはケータイの奴隷だ」と答えた学生が9割にものぼった。その詳しい内容は私のブログ「安原和雄の仏教経済塾」(05年12月29日付)に掲載されているから、興味があれば見てほしい。 
君たちにケータイを捨てろ、とは言わない。しかしケータイの奴隷や僕(しもべ)にはならないようにしてほしい。ケータイを受信力と発信力を高めるための有益な手段として使いこなすことだ。 
 思い込みや固定観念を捨てて、受信力を高め、一方、変革のための自分の考えを提案していく姿勢になって発信力を向上させてほしい。 
 
 最後にブログ「安原和雄の仏教経済塾」に触れておきたい。私自身の氏名を明記しているのは、自分の責任で、変革のための提案をしていきたいと考えているからだ。無署名で無責任なことをおしゃべりして、満足する時代ではない。変革の時代を生きる君たち若者は、そういう感覚を身につけてほしい。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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