2010年01月28日23時53分掲載  無料記事
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中東

英イラク独立調査委員会報告 −英元法務長官が「心変わり」をした理由とは

 2003年3月開戦のイラク戦争は、はたして合法だったのか、違法だったのかー?英国民のこうした問いかけに答えを見つけるのが、昨年夏発足した、イラク独立調査委員会(通称「チルコット委員会」)の目的の1つだ。昨秋から開催の公聴会に、27日、ゴールドスミス元法務長官が証人として出席した。同氏は、当初は既に採択された国連決議だけではイラク攻撃を正当化するには「不十分」と考えていたが、開戦直前に、新たな決議がなくても合法と司法判断を変えていたことを認めた。「心変わり」の理由は、明確な判断を必要としていた軍部や官僚への配慮だった。元法務長官は、委員会の場で、初めて司法判断の変更理由を詳細に語った。(ロンドン28日=小林恭子) 
 
 法務長官は英政府の最高法律顧問の役目を持つ。ピーター・ゴールドスミス氏は2001年から07年まで、この職に就いていた。 
 
 2003年2月ごろまで、元法務長官は「新たな決議があった方が安全だ」と考えていた。3月13日、開戦直前になって、既存の国連決議のままでも、武力行使は「合法だ」とする判断を出した。 
 
 委員会になぜ判断を変えたのかと聞かれ、ゴールドスミス氏は「軍隊がイエスかノーのどちらかの判断を求めていたからだ」と答えた。 
 
 「戦場に派遣されるのに、もしかしたら合法、もしかしたら合法ではないかもしれない、という判断では十分ではない」「合法・違法の点に関して、最終的な司法判断を下せるのは自分しかいない」「合法であるというのがより良い判断であるという結論に達した」。 
 
 開戦を志向していた英政府や他からの圧力に屈してこの判断に達したのではないかと聞かれ、元長官はこれを否定した。 
 
 6時間にわたる公聴会のセッションで中心となったのは、英米側が開戦の理由の1つとした国連安保理決議1414の言葉遣いの解釈だった。 
 
 1441は2002年11月、イラクの武装解除を求めて採択された。イラクが先の決議で定められた武装解除義務の重大な不履行を続けていると判断し、さらなる情報開示と査察の全面受入れ求めた。直ちに無条件で国連の査察に協力することを要求し、順守の最後の機会を与えたと警告する、強い決議だった。違反が続いた場合、イラクに対して「重大な帰結」をもたらしうるものだと再三警告していた。 
 
 イラクは同年11月13日にこれを受託し、11月27日には1998年以来退去していた国連の武器査察団が査察を再開することになった。 
 
 ゴールドスミス氏は、合法性に関する検討を始めた当初の段階では、イラクへの武力行使を認めるような「新たな国連決議が必要」と考えていた。しかし、ストロー外相(当時)やグリーンストック英国連大使(当時)との会話や、訪米中に米国の司法関係者やライス国務長官(当時)と話す中で、新たな国連決議なしに武力行使が正当化できると考えるようになったという。 
 
 委員の一人に「本当に1441だけで十分だと思ったのか」と聞かれ、ゴールドスミス氏は決議は「いかに解釈するかによって意味があいまい」な部分があると答えた。2002年2月までは、新たな決議があった方が「より安全だ」と思ったという。 
 
 しかし、米英の外交官や司法関係者と話すことによって、決議1441の「真の意味」を理解したという。 
 
 この決議が不履行である場合、つまり、イラクが武装解除義務の重大な不履行を続けていると判断された場合、国際社会が、「国際的な平和と安全保障を回復するためにすべての必要な手段を使う」とする決議678が「再起動される」と考えたという。決議違反の場合にイラクに対してもたらされる「重大な帰結」の実質的意味は、「武力行使」だった、と委員からの質問に答えた。 
 
 ゴールドスミス元法務長官によれば、司法判断の解釈変更の背後には、戦争に巻き込まれる人々への配慮があった。官僚を代表して財務省の女性官僚と軍部要人から、「合法性をはっきりさせてほしい」と告げられ、明確な合法司法判断に至ったという。 
 
―第2の国連決議とは 
 
 2003年初頭の状況をここで振り返ってみたい。 
 
 米英の主導により、武力行使を実施するための「第2の国連決議」の採択までの交渉が続く中、国際社会は大きく2つに割れていた。 
 
 同年1月、イラクの兵器の保有状況や製造設備などを調査していた国連監視検証査察委員会(UNMOVIC,ハンス・ブリックス委員長)が中間報告を出した。大量破壊兵器の決定的な証拠は見つからなかったが、米英はイラク側が十分に査察に協力していないとして、安保理決議1441に違反したとみなし、攻撃の準備を始めた。 
 
 3月上旬、UNMOVICが2度目の中間報告を出す。米英側は査察が不十分であるとして、イラクへの攻撃を正当化する新たな決議(これがいわゆる「第2の決議」)の採択を行うとしたが、フランスやロシアからの反対にあい、難航する。 
 
 国連内は、イラク問題を巡り、イラクでの査察調査の継続を支持し、戦争は避けたいフランスを代表とするグループと、武力攻撃の方向に傾倒する米英両国やこれを支持する国のグループにほぼ分かれることになった。 
 
 話を現在に戻せば、今年1月27日のチルコット委員会の公聴会で、ゴールドスミス元英法務長官は、「フランス側が第2の決議を否決することが分かった」点も、既存の決議だけで合法とする司法判断に傾いた大きな要素であることを明らかにしている。同氏は、訪米の際に、米国の司法および政府関係者らが「第2の決議は採択できなければできなくても構わない」「どうせ戦争に突入する」という点で一致していたことに驚いたという。 
 
 実戦に参加する軍部を見殺しにはできない、苦渋の選択だったーそんな印象を、ゴールドスミス氏は公聴会の証言で国民に与えた。 
 
 また一方では、米側やストロー外相、グリーンストック英国連大使の説得の後に、心を変えたと認め、交戦を主眼とする政治勢力の論法に「揺さぶられて」司法判断を出したことも分かった。 
 
 つまるところ、法務長官の役目は時の政府に最終司法判断を示すこと。その司法判断をどのように使うかは、政治家が決める。 
 
 イラクの政権交代を目指していたブッシュ米大統領(当時)と一心同体で攻撃に進んだブレア元英首相の意をくみ取った司法判断を示したゴールドスミス氏は、「クライアント」(と同氏が呼ぶところの)である、時の政府に最高のサービスを行ったともいえるだろう。 
 
―論理の「嘘」 
 
 ところが、良心的な法律家ゴールドスミス氏が「やむにやまれて」戦争勃発に加担した・・とする同氏の印象をそのまま受け止めるのは、必ずしも正しくない、と警告する人物がいる。 
 
 元外務省官僚カルネン・ロス氏である。同氏は国連で英国の代表役を1997年から2002年まで務めた。イラク問題の専門家でもある。 
 
 BBCのニュース番組「ニューズナイト」(27日放送)に出演したロス氏は、決議1441がイラクへの武力行使を合法にした、というのは「完全におかしい」という。 
 
 「第一に、これを米英側が提案した時、この決議は、もし不履行になった時にイラクへの武力行使を可能にするものではない」と再三くりかえし、他国に「売った」経緯があったと指摘する。 
 
 さらに、「第2の決議がなくても、戦争は合法だ」とする解釈はつじつまがあわない、という。「第2の決議を提案し、採択への交渉を行っていたこと自体が、武力行使のためには既存の決議のみでは十分ではなかったと英政府が認識していた証拠だ。後になって合法だと言うのは、いかにもおかしい」 
 
 「各国は国連決議採択のために真剣に準備する。採択されてもされなくても良い、という気持ちでは決議を提案したりはしない」。少なくとも英国は第2の決議を「真剣に必要としていた」という。 
 
 ゴールドスミス氏は公聴会で、「フランスが第2の決議を否決することが分かった」ので、新決議がなくても武力行使は合法とする考えに改めたと、フランスに責任の一端があるかのように話した。 
 
 これに対し、ロス氏は「なぜ否決しようとしたのか、考えてみてほしい」という。 
 
 フランスは査察が続くことを望んでいた。もし第2の決議を採択すれば戦争が始まってしまう。「それで決議の否決の意思を固めていた」のだった。 
 
 「米英側がこの決議を提案した時、目的は何かとほかの国から聞かれ、最終的には武力攻撃であることが分かったーそれだからこそ、これを支持する国が増えず、採択までの十分な同意を他国から集めるのに苦心していたのだ」―。 
 
 交渉決裂の原因をフランスの「頑固さ」に押し付けることによって、米英は自分たちの行動を正当化していたのではなかったか、とロス氏は問う。 
 
 これは私自身、疑問に感じていたことだった。 
 
 というのも、長い交渉が続いていた国連のビル内で、グリーンストック英国連大使が、突然、「フランスが決議採択をブロックした」と報道陣に語りだした様子を、私はテレビで見て、覚えていた。「フランスが全部だめにした」「だから決議なしで武力攻撃をせざるを得ない」というグリーンストック氏の論理がどうにもつじつまが合わず、非常に驚いた。 
 
 米英はその後まもなくして、決議なしでの攻撃に踏み切る。 
 
 この段階での武力攻撃の開始には同意しなかったフランス側は、第2決議採決への同意を渋った。採決されれば、実質的に武力行使の開始となると見た。しかし、否決への動きが、結局は戦争開始の引き金を引いてしまった。 
 
 同年3月19日、米英側の「ごり押し」によるイラク戦争が始まった。 
 
 直前まで「ノン」を言い続けたフランスのシラク大統領(当時)の様子が記憶によみがえる。英米側は採決まで行こうが行くまいが、すでに開戦しようとしていたのだなと、当時、私は思わざるを得なかった。 
 
 当時も、今も、決議1441が678を自動「復活」させる、という論理は、多くの人にとって、なかなか呑み込みにくい。ゴールドスミス氏が数時間にわたって説明したものの、私自身にも、違和感が最後まで消えなかった。 
 
 違和感、ごり押し感、存在していなかった大量破壊兵器が「ある」と説かれたことー裏切られたという思いが消えない。何人もの米英兵(ともちろんイラクの人も)が亡くなった。兵士の親や家族、友人らは一生忘れないだろう。 
 
 29日は、ブレア元首相が証人として委員会にやってくる。 
 
 
 
 
 
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