2010年02月18日11時20分掲載  無料記事
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文化

【パリの散歩道】(1) ヴァンサン・サルドン(版画家)  「芸術家」嫌いの風刺画家  村上良太

パリで旅行者がまず訪ねるのはセーヌ河畔のルーブル美術館やオルセー美術館です。筆者もそうした一人でした。ここには10代の頃、美術の教科書で見た名画がずらりと並んでいます。そうした美術を全身に浴びるのもよし。でも、今回はちょっと違った散歩を試みました。今を生きる等身大の絵描きや作家、編集者らを訪ねてみたのです。アメリカ発の不況は欧州にも雨雲をもたらしています。そんな中、彼らはどんな日々を生きているのでしょうか。 
 
  2月2日、ルモンド紙にこんな見出しの記事が載っていました。 
 
  「人種問題は爆発寸前」 
 ( La question raciale, si explosive ). 
 
ハーバード大学で法律を教えているランドール・ケネディ教授のインタビュー記事です。オバマ大統領に対して高まっている保守派の敵意の底には人種差別意識があると教授は語っています。その記事には1枚の絵が添えられていました。オバマ大統領にアフリカの狩人を思い浮かべる肥満したアメリカの白人。大喜びで槍を投じようとしているオバマ大統領の腰には骸骨が1つぶらさがっています。 
 
この風刺画を描いたヴァンサン・サルドン(1970- )をパリ8区の工房に訪ねました。パリには20区あり中心から時計回りの渦巻状に番号が振り分けられています。8区は凱旋門にほど近い、パリ西部に位置します。サルドンは1995年からリベラシオン紙にシラク、ジョスパン、サルコジ、ラファランなどの政治家をモチーフとする風刺画を描いていました。現在はもっぱらルモンド紙に寄せており、描く対象も様々です。会う前は気難しい人かと思っていましたが会って見ると実に気さくな人です。 
 
工房に一歩入って驚いたのは骸骨がたくさんあることです。もちろんプラスチックの模型です。 
 
「イマジネーションの源にはメキシコの版画家ポサダの画集、人体と動物の骨格に関する本、東京のコスプレ写真集などがあります」 
 
ヌード写真集もあります。政治関係の本はありません。霊感の源は骨と肉、まさに人体そのものです。ポサダ(Posada 1852-1913)は日本であまり知られていませんが、「メキシコのドーミエ」と言われた風刺画家です。 
 
「ポサダが好きな理由は彼の世界に暴力性と単純さがあるからです」 
 
  ポサダは上流階級を風刺した版画を新聞向けに多数制作し、骸骨の版画でも知られています。 
 
「僕は政治家に対してまったくシンパシーを持っていませんが、選挙には必ず出かけます」 
 
 サルドンの祖父はスペイン人でした。金属業界で働いていた祖父はCNT(全国労働連合)というアナーキスト系の労働組合に属していました。CNTは1936年にスペイン市民戦争が始まると、人民戦線に加わり、フランコ軍と戦います。しかし、1939年にフランコ派が内戦に勝利した後、フランスに逃げ込みました。川成洋著「スペイン内戦」によると、およそ50万人の難民がフランスの収容施設に入れられました。 
 
  「祖父たちがその頃フランスで受けた待遇は犬並だったんですよ」 
 
  難民キャンプは15施設あったそうですが、雨風もしのげず、動物のように自分達の穴を掘ったと言われています。サルドンの祖父ら、アナーキスト達はボルドーやトゥールーズなどフランス南西の都市に集まり、反フランコ闘争をその後も続けます。しかし、サルドンの祖父がスペインの地を再び踏んだのはフランコが亡くなった後でした。すでにかつてのスペインではなくなったと思った祖父はついにフランスに永住する決意をしたのです。 
 
  「僕は祖父の故国スペインに背を向けて育ちました。国境からわずか40キロだったのですが」 
 
  サルドンが美術を学んだのもスペインに近い南西の都市ボルドーの大学です。新聞業界に関わる前はサルトルやアンドレ・ブルトン、ピカソなどをモチーフとしたアングラ風の短篇漫画’Neneref’を描いていました。彼の「芸術家」嫌いはこの頃から始まっていたでしょう。「才能がないのに芸術家を気取る輩が多すぎる」とはサルドンの言葉です。 
 
  サルドンは5年前から「タンポグラフ」を始めました。タンポグラフとはサルドンが自ら名づけた小さなゴム版画です。ドゴールやサルコジなどの政治家を彫ったものもありますが、エロチックなもの、ロシアンマフィア、原稿を送り返す際のうまい言葉が刻まれた編集者向け版画など様々なシリーズがあります。サルドンはこのシンプルな表現方法に取りつかれたそうです。 
 
  金属に手彫りした後、高熱の圧縮機でゴムにプレスし、ハンコそのものを売っているのです。価格は大体10ユーロから70ユーロぐらいまで。作品の手間に応じて設定されています。通販でも買えます。このゴム版画の人気が高まり、今年は日本でも展示が行われました。今年の年末にはパリで本を出版し、展覧会も行う予定と言います。まさに脂の乗った人です。 
 
  訪ねた時、サルドンはパリ8区に工房を構えていましたが、間もなく20区のペール・ラシェーズ墓地の脇に見つけた工房に移るそうです。「広さが倍増するんですよ」。ペール・ラシェーズには7万以上の墓がありサルドンの大好きな骨たちが眠っています。 


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