2010年07月31日09時54分掲載  無料記事
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やさしい仏教経済学

(9)仏教理解者・ナッシュの『自然の権利』 安原和雄

  仏教に深い理解を示す海外の思想家はシューマッハーに限らない。米国の環境思想史家として知られるロデリック・F・ナッシュもその一人として挙げることができる。ナッシュの著作『自然の権利―環境倫理の文明史』を手がかりに人間中心主義から生命中心主義への転換の今日的意義を考える。 
 「人間の自然権」の重視、すなわち人間が自然を支配するのが当然、とみる人間中心主義を克服して、「自然の自然権」の重視、すなわち人間と<自然=地球>との共生を目指す生命中心主義への新しい流れを追ってみる。この生命中心主義こそは仏教経済思想の根幹の一つとなっているが、いまでは欧米文明の中で無視できない新潮流となってきた。 
 
 ロデリック・F・ナッシュ(注1)著/松野 弘 訳『自然の権利―環境倫理の文明史』(ちくま学芸文庫、1999年刊)は「人間の自然権」を軸に据える人間中心主義から「自然の自然権」を重視する生命中心主義への転換を詳細な文献、データを駆使して描いた労作である。その要点を以下に紹介し、<安原の感想>を付記する。 
 
 (注1)ナッシュは1939年生まれ。米国の最も優れた環境思想史研究者といわれ、環境運動、環境教育の実践的指導者。カリフォルニア大学歴史学部教授を経て同大学名誉教授。著作の文庫版への序文で「禅は日本において長く豊かな伝統をもっている。これは自然界をも包摂するような、拡大された倫理に向けた豊潤な知的土壌となっている。仏教徒は十分に発達した倫理が自然のありとあらゆるものを含んでいることを理解している」と環境倫理との関連で日本仏教への深い親近感を示している。 
 
▽ 解放されたイルカは、ついに自由を得た 
 
 「イルカ解放事件」をご存じだろうか。1977年ハワイのオアフ島で、ハワイ大学の心理学教授が8年間訓練していたイルカのカップルを2人の大学生が逃がした。他人の私有物に対する重窃盗罪で懲役6か月、執行猶予5年の刑を受けた。しかし2人は堂々と「解放されたイルカはたしかに旅立ち、ついに自由を得た」と語り、ハワイで一躍名士となった。 
 この解放事件には次のような背景がある。 
 一つはイルカは「海の人間」という認識である。 
 神経生理学者のジョン・C・リリー(イルカ研究所長)は、イルカの脳はいくつかの点で人間の脳より勝っていること、また研究のために飼っていたイルカの何匹かが「自殺」(彼の言葉)したことを発見して、イルカを「海の人間」と表現し、「地球上の海水で完全な自由」を持つべきだと主張し、動物の解放者となった。 
 
 もう一つは、グリーンピース(注2)の直接行動である。 
 海の哺乳動物、とりわけクジラとアザラシの権利は、1970年代中ごろから、グリンピースの主要な関心事となり、捕鯨、アザラシ狩りの抗議運動に参加するようになった。 
 1974年に活動の対象を「人間の生命に対する尊厳から、すべての生命に対する尊厳」に拡大した。「グリーンピース哲学」は次のように宣言した。「人類は地球上の生命体の中心ではない。われわれは地球を自分自身と同様に尊重することを学ばなければならない」と。 
 (注2)グリーンピース(greenpeace)は1971年結成。本部はオランダのアムステルダム、2008年現在、支援者は290万人、有給専従職員は約1000人。支部は日本(1989年設立)を含め、世界で41か国。環境保全、自然保護、原子力、エネルギーなどの分野で世界的に知られる団体。時折、過激な行動がニュースになる。(ウィキペディア参照) 
 
<安原の感想> 「人間の自然権」から「自然の自然権」へ 
 地球のあちこちで「自然の解放」のための直接行動が繰り広げられることになった。ここへたどり着くに至った、人間と自然との関係に関する思想はどのように変化・発展してきたのか。これをを図式化(弁証法的発展)すると、次のようになる。 
<正>人間の自然権(人間中心主義、人間の自然支配) 
<反>自然の権利 (生命中心主義、生命体としての自然の尊重、生命の権利の容認) 
<合>自然の自然権(人間と<自然=地球>との共生) 
 「自然の自然権」とは、人間と同様に自然にも天賦人権と同じ自然権がある、という意。 
 
▽ 生命中心主義と人間中心主義はどう違うのか 
 
 「自然は固有の価値をもつ。その結果、自然は存在する権利を保有している」という立場は「生命中心主義」(biocentralism)、「生態学的平等主義」(ecological egalitarianism)あるいは「ディープ・エコロジー」(deep ecology=生命中心主義的で深遠な生態学)などと呼ばれている。これと正反対の立場が「人間こそがすべての価値の尺度である」という考え方にもとづく「人間中心主義」(anthropocentrism)であり、「シャロー・エコロジー」(shallow ecology=人間中心的で皮相な生態学)とも言われる。 
 
*鹿とアインシュタインは平等である 
 人間以外の存在と自然の両方に対する「生命の権利」という考え方は1970年代になると急速に関心を増した。これは具体的に何を意味しているのか。「鹿とアインシュタイン(注3)は果たして違うのか?」という興味深い問題がある。以下がその答えである。 
 
 平等の原理によって人間の利益と動物の利益は平等に評価されなければならない。人間と同じようにネコや鹿も生命と知覚作用を大切にしている。鹿が人間と同じように考えないことが、権利の分配に何ら関連性がないということは、アインシュタインが平均的人間と比べて進んだ思考をするからといって、権利を多く与えられないのと同じである。倫理的配慮の際の重要な要素は、意識(必ずしも自意識とは限らない)と感覚である。知能によって人間同士の権利に差が生じないのと同様、知能を根拠として人間と他の存在の権利を差別することはできない ― と。要するに「平等」が正解ということになる。 
(注3)アインシュタイン(1879〜1955年)はアメリカの理論物理学者。ドイツ生まれのユダヤ人。相対性理論や光量子説などで知られる。1921年ノーベル物理学賞受賞。 
 
*「山の身になって考える」 ― 人間中心主義を超えて 
 環境倫理学の父、アルド・レオポルド(1887〜1947年)は生命中心主義の重要な創始者で、「山の身になって考える」(thinkinng like a mountain)という論文(1944年)で人間中心主義を超えた。 
 彼のもっとも急進的な思想は、人間以外の生命体、および「生命共同体」(life-community)、すなわち生態系の固有の権利にかかわるものである。動植物だけでなく、水、土壌などのような「自然の状態で存続するものの権利」を主張している。すなわち地球を人間と共有している生命体は「われわれ人間に経済上の利益をもたらすか否かにかかわらず、生命の権利(biotic right)」として生きることを許されるべきである ― と。 
 
▽ <ガイア=地球生命体>仮説と「地球の権利」 
 
*「ガイア仮説」が登場 
 イギリスの化学者、ジェームズ・ラヴロックが1970年代半ばに「ガイア仮説」(注4)を提案した。 
 彼によれば、「地球という惑星は自動制御できる環境をつくりつつ、現在でもその環境を維持している。その環境は部分的要素である生命体を支えるのみならず、自らも生きている」。 
 適正な環境倫理は、全体である地球に価値を与えるよう求める。人類は地球という共同体のなかで、唯一道徳的な意識をもつ成員、つまり<ガイア>の脳細胞であるから、自分の属する地球の幸福を維持するために、自制という独自の能力を持っている。(中略)要するに地球は権利をもつ最高の存在とみなされ、その権利は下位の存在の権利よりも優先される。 
 
 (注4)ガイアとはギリシア神話に登場する地母神(ちぼしん)で、諸々の存在の母であり、慈しみ深い地の女神である。語源的にはギリシア語のGaiaは英語のEarthにあたり、地球、大地という意味。ガイア仮説は「地球全体が一つの有機体であり、地球は巨大な一つの生き物である」という考え方である。 
 
*地球外へ放出される有害な人類 
 「動物の権利」専門家、スティーブン・R・L・クラーク教授は1983年、「重要なのは<ガイア>の維持と生態系の存続であり、一つの種(人間を含む)を死守することではない」と言った。単純な有機体が有毒な液体や固形の廃棄物を取り除き、癌や伝染病を破壊しようとするように、有機体である地球には破壊的な因子を排除する能力がある。 
 ガイア仮説の要点は、この惑星で現在もっとも恐るべき有害な存在である人類も、その技術文明を一掃しない限り、放出されるかもしれないことを示唆している。 
 
<安原の感想> 地球外へ放出される巨悪はだれか? 
 「重要なのは<ガイア>の維持と生態系の存続であり、人間を死守することではない」との指摘は深い示唆を投げかけている。これは人類が地球にとって有害であり続ければ、やがて巨大な廃棄物として地球外へ放出されることを意味している。その放出の候補に挙げられるのはだれか。 
 人類の中でも巨悪な存在の一つ、米日軍産複合体(注5)の一派が、日米安保体制という「暴力装置」を足場に地球規模で軍事力を行使し、地球(=いのち・自然の生命共同体)を破壊し続ければ、地球という有機体内の毒物として、やがて地球外へ放り出される運命を辿ることになるといえるかもしれない。 
 それを受け容れることができないのであれば、自然の権利、生命の権利の尊重はもちろんのこと、さらに「地球に対しても尊敬の念」を抱く以外には自らを救う方策は考えられない。 
 
 (注5)昨今の米国軍産複合体は、「政軍産官学情報複合体」とでも呼ぶべき存在に肥大化している。その構成メンバーは、ホワイトハウスのほか、保守系議員、ペンタゴン(国防総省)と軍部、国務省、CIA(中央情報局)、兵器・エレクトロニクス・エネルギー・化学産業などの軍事産業群、さらに保守的な科学者・研究者・メディアからなっている。 
ブッシュ前米大統領の「イラン、イラク、北朝鮮は悪の枢軸」という有名な言を借用すれば、「悪の枢軸・軍産複合体」と名づけることもできよう。 
 米国版軍産複合体と一体化しているのが日本版軍産複合体で、構成メンバーは、首相官邸のほか、米国と同類の面々で、日米安保体制=軍事同盟推進派のグループである。最近では特に大手新聞論調の安保体制への追随ぶりは目に余る。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
http://kyasuhara.blog14.fc2.com/ 


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