2010年10月24日10時49分掲載  無料記事
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やさしい仏教経済学

(18)貪欲から知足へ、孤立から共生へ 安原和雄

  私(安原)が構想する仏教経済学の八つのキーワード ― いのちの尊重、非暴力(=平和)、知足、共生、簡素、利他、多様性、持続性 ― のうち今回は知足と共生を取り上げる。 
 知足とは、「足(た)るを知る」という意で、欲望に執着せず、「これでもう十分」とする。一方、現代経済学は、欲望に執着し、もっともっと欲しい、とその貪欲ぶりには際限がない。共生とは人間や動植物などいのちあるものの相互依存関係を指しており、これを軽視すれば、いのちそのものが危機にさらされる。しかしこの共生感覚も現代経済学には無縁で、そこにはいのちの分断と孤立があるだけであり、世界も地球も混乱と破壊が広がっていくほかない。貪欲を捨てて知足へ、孤立を克服して共生へ、が21世紀の合い言葉でありたい。 
 
▽ 釈尊の説法 ― 知足の人は富めり 
 
 仏教の開祖、釈尊は知足についてどう説法しているのか。仏教思想の根幹の一つが知足である。釈尊の最期の説法とされる遺教経(ゆいきょうぎょう)の中で知足について次のように説いている。(山田無文著『遺教経講話』春秋社) 
 
もし諸(もろもろ)の苦悩を脱せんと欲せば、まさに知足を観ずべし。知足の法は、すなわちこれ富楽安穏のところなり。(中略)不知足の者は富めりといえどもしかも貧し。知足の人は貧しといえどもしかも富めり。不知足の者は、常に五欲のために牽(ひ)かれて、知足の者の憐憫(れんみん)するところとなる。 
 
<意味>さまざまな生活の苦しみから逃れようと思うならば、足ることを知らなければならない。どんなにモノがなくても、結構ですと感謝することが人生の大事なことである。足ることを知り、感謝して喜んで暮らすことができる人が一番富める人である。(中略)足ることを知らない人は、どんなにお金があっても満足できないので貧しい人である。足ることを知る人は、お金が十分なくても富める人である。足ることを知らない人は、五欲(食欲、財欲、性欲、名誉欲、睡眠欲)という欲望の奴隷で、その欲望にひきずられて、「まだ足りない」と不満をこぼすので、足ることを知っている者から気の毒な人、憐(あわ)れな人だと思われる。 
 
▽ 貧富の格差の下での知足のありようは ? 
 
 上述の釈尊の説法は傾聴に値するとしても、言及しておく必要があるのは、今日的な知足とは何を意味するのかである。21世紀の地球環境時代に知足を説くことはどういう意味をもっているのか。果たして富裕国としての先進国も貧しい発展途上国も一様に知足のこころが求められるのかというテーマである。ワールドウオッチ研究所編『地球白書2004-05』(家の光協会)の次の指摘が参考になる。 
 
 発展途上国のすべての人々が平均的なアメリカ人、ヨーロッパ人、日本人と同様に自動車、冷蔵庫など消費財を所有することは、地球の負荷を考えれば不可能である、としばしば言われる。しかし世界の公正(global justice)と公平(equality)を期するならば、西側世界の大量消費を維持し、一方貧しい人々の生活水準の向上を阻む「消費のアパルトヘイト(差別・隔離政策)」による解決はありえない。 
 豊かな人々こそ、肥大化した物欲を抑制しなくてはならない。環境保護と社会的公正という二つの命題を満たすためには、今後数十年間で豊かな国々の物質消費を90%削減することが必要という概算もある、と。 
 
 要するに先進国の富裕な人々にこそ時代の要求として、「もっともっと」という貪欲を抑えて知足のこころが要求されているのである。 
 一方、発展途上国で食料、住まい、健康など生存のための基本条件を欠いている場合、それへの配慮はいかにあるのが望ましいだろうか。同『地球白書』の以下の指摘は一考に値する。 
 
 「よい生活」の象徴とされる「あふれるモノに囲まれた生活」に憧れる途上国の人々への配慮を忘れてはならない。消費による環境負荷を軽減する方法を見出すことは非常に重要であるが、その際には特に貧しい国々における「消費水準の向上」と「持続可能性」との完全な両立をめざすべきである、と。 
 
 以上のような先進国と途上国との間にみる「貧富の格差」は、実は同じ先進国内でも特に日米では厳然として存在していることを見逃すわけにはいかない。。 
 大事な点は、「よい生活」への心情には配慮するとしても、際限のない物的欲望の拡大ではなく、「消費水準の向上」を「(自然環境などの)持続可能性」の範囲内にとどめることであろう。 
 
▽ 少欲知足は、毅然とした清々しい生き方 
 
作家、立松和平(たてまつ・わへい、1947〜2010年。仏教に関心が深く、作品に『道元禅師』新潮文庫)は、「少欲知足」について「むさぼらず、へつらわない。最小限をもって満足する。・・・もっと欲しいと、いくら物があっても満足しない今の世の中だからこそ、この言葉が私たちのキーワードになる。少欲知足で生きられれば、環境問題も起こらないし、戦争もなくなる」と指摘している。(毎日新聞07年10月16日夕刊「特集」ー道元禅師の教え) 
 
 つまり「むさぼらず、へつらわない」と捉えることが重要で、貪欲に走らないのはもちろんだが、同時に権力などに諂(へつら)わず、自分を曲げないで毅然とした清々しい生き方をも目指している。知足といえば、とかく「我慢」と狭く受け取られるが、それは真意ではない。 
 
▽ すべてのものが共生=相互依存関係にある 
 
 仏教経済学の唱える共生とは何を意味しているのか。大乗経典の一つ、大般涅槃経(だいほつねはんぎょう)は、「一切衆生、悉有仏性」(いっさいしゅじょう、しつうぶっしょう=生きとし生けるものすべてに仏性がある、という意)を説いた。また中国や日本の仏教は、これに加えて「山川草木、悉皆成仏」(さんせんそうもく、しっかいじょうぶつ=山川草木ことごとくみな成仏する、という意)と説いている。 
 
 仏教にみる、この人間観、自然観は仏性、すなわちいのちを軸として人間と自然界の動植物の間のつながり、相互依存関係をとらえようとするものであり、これは人間と動植物をそれぞれが平等、対等の関係にある共生のシステムとして認識することにほかならない。いいかえれば動植物を含む自然は人間が支配し、利用する対象として存在するのではなく、相互に同価値として存在しているのであり、従って人間中心主義よりも生命中心主義に立っているのが仏教の共生の思想である。 
 つまりすべてのものが相互依存関係にある。それぞれの人生を考えてみても、自分ひとりで生きているのではない。宇宙、地球、自然、社会、地域、家庭そして他人様(ひとさま)のお陰で生かされ、生きているのである。いいかえれば他存在、他者との共生以外にそもそも生もいのちも、そのありようがない。 
 
 ここで見逃せないのは、知足と共生とは相補う関係にあることである。 
 知足という智慧は共生の摂理を認識することから生まれてくる。人間は自力のみで生きていると思うのは錯覚である。客観的事実として地球・自然の恵みを受けて、しかも他人様のお陰で生き、生かされているのである。つまり人間は共生の中でのみ生きているのである。この理(ことわり)を認識できれば、「お陰様で」という他者への感謝の心につながっていく。この感謝の心は「もっともっと欲しい」という独りよがりな貪欲に対する自己抑制として働く。つまり「もうこれで十分」、「もったいない」という知足の智慧へと赴(おもむ)く。 
 
 一方、共生は知足を促すと同時に知足の助けを借りて成り立っている。いいかえれば貪欲が蔓延しているところには共生は不可能である。なぜなら貪欲に地球・自然を汚染・破壊し、さらに貪欲に身勝手な私利私欲を追い求め、他者をないがしろにするところに共生が成り立つはずもないからである。そこに見出すのは共生・いのちの破壊である。逆にいえば、共生・いのちは知足とともにのみ存続することができる。 
 
<安原の感想> ― 大欲・少欲、貪欲・小欲と中道について 
 
 仏教のキーワードに「中道」がある。どういう含意なのか。中道とは「道に中(あた)る」という意であり、道理に合った道である。俗に二つの考え方、立場を足して二で割るとか、左右の中間を中道ととらえる見方があるが、これは俗説である。あくまでも「道理に合った大道」を指していることを忘れてはならない。 
 
 この中道と欲望とはどういう関係にあるのか。 
 欲望も一方に大欲・少欲、他方に貪欲・小欲があり、多様である。どう異なるのか。大欲は「大望を抱く」と同様に大きな志しとして肯定される。仏道に励むことなどを指している。少欲は少欲知足と同じことばで、これも奨励される。 
 これに反し、貪欲は貪(むさぼ)りであり、小欲はつまらない身勝手な欲という意味である。欲望の内実をこのように理解すると、「中道=道理に合う大道」の実践といえるのは、大欲と少欲である。これは極楽への道である。一方、貪欲と小欲は、本人がそれにハッと気づくのが遅くて、生き方を変えなければ、地獄への道にもつながっている。 
 
<参考資料> 
・安原和雄「知足とシンプルライフすすめ ― 消費主義病を克服する道」(足利工業大学研究誌『東洋文化』第26号、平成十九年) 
・安原和雄「二十一世紀と仏教経済学と(上)― いのち・非暴力・知足を軸に」(駒澤大学仏教経済研究所編『仏教経済研究』第三十七号、平成二十年) 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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