2010年10月31日10時55分掲載  無料記事
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やさしい仏教経済学

(20)利他は極楽へ、私利は地獄への道 安原和雄

  仏教経済学の八つのキーワード ― いのちの尊重、非暴力(=平和)、知足、共生、簡素、利他、多様性、持続性 ― のうち今回は「利他」を取り上げる。利他とは、「世のため、人のための行為」を指している。この利他が結局は自利、すなわち我が身にプラスとなって還ってくる。いいかえれば極楽の世界に通じている。 
 ここでの「利他は極楽、私利は地獄」は現世のありようを指している。仏教では来世での極楽、地獄に大きな関心を向けているが、仏教経済学としてはあの世にまで視野を広げることはない。ここが仏教経済学は仏教と同じでありながら、同じではないところである。だからこそ仏教経済学は社会・人文科学の一つとして位置づけることができる。 
 
▽ 地獄、極楽の食事時を探訪して 
 
 地獄、極楽を探訪した以下のようなルポ(現場報告)記の紹介から始めよう。 
 
 地獄を見に行ったときは昼飯時で、食堂に入ってみると、テーブルの上にどんぶりや鉢が並び、山海の珍味が山盛りになっている。地獄の亡者に沢山のご馳走が出るとはおどろきだと感心し、さてテーブルの両側にすわっている亡者たちをみると、みんな骨と皮ばかりにやせこけ、目はくぼみ、真っ青な顔をしてガツガツしている。 
 沢山のご馳走があるのに、何でこんなにガツガツしているのだろうと不思議に思ってよくみると、左手は椅子にくくりつけてある。ハハア、人間というのは自分の椅子を離れたがらないものだ。地獄の椅子でさえ離れたがらないのだから、すわり心地のよい代議士や大臣の椅子は手離したくないんだ、と思った。右手は? とみると、右手にはスプーンがしばってある。オヤ、食い気も離さんとみえる。 
 
 ところでこのスプーン、長さが1メートル以上もある。なるほどどんな遠くにあるご馳走もすくいあげる気だなと感心した。 
 やがて食事となった。するとどうだろう。長いスプーンで好きなモノをすくい上げるまではよかったが、いざそれを口に入れようとすると、スプーンが長くて口に入らない。いやはや、見るにたえない光景となった。沢山のご馳走を目の前にして、地獄の苦しみとなった。 
 
 気分直しに今度は極楽の食事風景をみに行った。食堂は地獄と同じようで、テーブルにはやはり山海の珍味が山と盛ってある。スプーンの長さも1メートルある。ただ違うのは両側にすわっている人たちがみんなプクプク、ニコニコしている。どういう食べ方をするのか、と不思議に思っていると、感心した。さすがは極楽の住人ですよ。ご馳走を自分の口に入れるには長すぎるスプーンだが、向かいの人の口に入れてやるにはちょうどいい長さである。 
 
 相手を生かすことによって自分も生かされる。まことにすばらしい共生きの世界である。社会の仕組みは全く同じであっても、そこに住む人の心構えや生活態度によって、地獄ともなれば、極楽ともなる。「オレが」、「オレでなくては」、「オレなればこそ」といって個我の執着にひきずりまわされ、取る、奪うを最高の生き方と考え、かえって自らの成長、繁栄を自ら阻害してもがき苦しんでいるのが地獄。一方、与える心、施す心、恵む心をもってお互いが生かされる無我を基調とする福祉社会こそが極楽。私はしみじみそう感じた。(佐藤俊明著『禅のはなし』現代教養文庫) 
 
 以上はもちろん現世での物語である。重要なことは地獄、極楽はあの世ではなく、この世に存在することを自覚することである。何を思い、どう行動するかで、同じ人が地獄に墜ちて苦しんだり、極楽で安心し、笑ったりしている。 
 
▽ 利他とは ― 「忘己利他」、「自利利他円満」、「利行」 
 
利他とは分かりやすく言えば、「世のため、人のため」の行為である。ただその説き方は多様である。日本仏教の開祖の説法に耳を傾けてみよう。 
 
日本・天台宗の開祖、最澄(さいちょう・767〜822年)は「忘己利他」(もうこりた)、すなわち「己を忘れ(捨て)、他を利するは慈悲の極みなり」と説いた。慈悲の慈は安楽をもたらすこと、いつくしみの心であり、悲は苦しみを除くこと、あわれみの心を意味している。自分のことは後にして、まず他に対する愛、思いやり、助け合いの精神を行動で示すことにほかならない。 
 一方、浄土真宗の開祖、親鸞(しんらん・1173〜1262年)の説法として「自利利他円満」が知られる。その意味するものは、まず他人様のお役に立つこと(利他)、そうすれば長い目でみて、それが結局自分へのプラス(自利・注1)として返ってくるという意である。 
 
 曹洞宗の開祖、道元(どうげん・1200〜1253年)は、「菩薩四摂法(ぼさつししょうぼう・菩薩が衆生を悟りに導く四つの方法)」(『正法眼蔵』四・岩波文庫)として布施、愛語、利行、同事の四つを挙げている。その一つ、利行(利他のこと)は何を意味するのか。道元は次のように説いている。 
 「愚人おもはくは、利他をさきとせば、自(みづから)が利、はぶかれぬべしと。しかにはあらざるなり。利行は一法なり、あまねく自他を利するなり」と。 
 この説法の意味するところは次のようである。「利他は身(しん)・口(く)・意(い)の三業(さんごう=体と口と心の三つの行為)で善行を施して他人のために利益(りやく)を与えることである。愚かな人は思うであろう。他人の利益を先にしたら、自分の利益が省かれるだろう、と。決してそんなことはない。利行は唯一の真実の法であって、自も他もあまねく利益する」と。(秋月龍γ『続・正法眼蔵を読むー道元に学ぶ禅の極意』・PHP文庫) 
 
 仏教経済学は経済を担う存在として、こういう利他主義の人間観を軸に据えている。しかし現代経済学ではそういう人間観は想定していない。自分や企業の利益を第一に考え、行動する利己的な人間観を前提にしている。仏教経済学と現代経済学とでは想定している人間観がまるで異質であることを強調したい。 
 最近、親の子殺し、子の親殺しなどのように無造作に人間の命が奪われるだけではなく、政府、企業レベルでもごまかし、偽装、隠ぺいが日常化し、日本列島上に広がっている。すべては利他を忘却した私利(注1)第一、利己主義の悪しき産物といえる。昨今の世の乱れについて、私利第一の人間観に立つ現代経済学を大学で教えている経済学者の責任も大きいといわねばならない。果たして現代経済学者にそういう自覚はあるのだろうか。 
 
 (注1)「自利」、「私利」という二つの文言は似て非なるものなので説明しておきたい。前者の自利は、利他のお返しとして自分にとってもプラスになる、あるいはご利益(りやく)がある、という意味で使っている。一方、私利は私利私欲とも言うように、利他に否定的で、自分だけの身勝手な私欲を優先させる発想、行為を指している。 
 
▽ お布施型企業経営のすすめ=利他主義の実践 
 
 さて以上のような私利、私欲の横行に歯止めをかけ、転換させる手をどこに求めるか。個人一人ひとりにとっては利他の真意を自覚して日常生活の中で実践していく以外に妙案はない。 
 では企業はどうか。その有力な手として、「お布施型」(注2)企業経営をすすめたい。現状では自然環境汚染・破壊、倫理軽視、従業員解雇・削減を辞さない私利優先型企業経営が多すぎる。これを自然環境、倫理、雇用の重視を基本理念とするお布施型企業経営へと再編成していくことが望ましい。 
 
 高度経済成長はもはや過去の物語であり、21世紀の今日、ゼロ成長を含む低迷経済下ではマクロの経済規模はほぼ横ばいに推移し、個別企業にとっては浮沈、興亡は避けられない。その明暗を分けるのは、経営のありようとして「お布施型」の新展開か、それとも「私利優先型」に執着するか、そのどちらを選択するかであるだろう。 
 前者は利他の実践そのものであり、広く社会の尊敬を得て、成長企業として評判になるが、後者は尊敬を受けられないし、転落の憂き目をかこつ以外に道はないだろう。いいかえれば低迷経済下でも個別企業は企業経営者の時代を見抜く眼力と器量によって成長企業になり得るのである。 
 
(注2)道元は上述のように「菩薩四摂法」として「布施」、「愛語」(慈愛の言葉を施すこと)、「利行」、「同事」(人を好き嫌いしないこと)を挙げて、その筆頭に布施を位置づけている。道元は多様な布施の一つとして「治生産業」に言及している。この治生産業(生産事業)は今日では広く企業経営と理解することもできるのではないか。 
 さて仏教の布施の原意は「与えること」「施すこと」であり、利他(利行)の実践と重なり合っているだけではない。愛語も同事も広い意味の布施に含むことができると考えられる。 
 その布施は大別して、法施(「法=真理」の施しをすること)、財施(モノ、カネを施すこと)、無畏施(笑顔、やさしさを与えるなどして、不安感や恐怖心を取り除き、安心感を与えること)の三つがある。分かりやすくいえば、日常の実践として世のため人のために尽くし、そこに自らの喜びを噛みしめていくことである。例えば電車で座席を譲るようなささやかな行為も、立派な布施(無畏施)、すなわち利他の実践といえる。 
 
 一つ付記すれば、布施、特に財施は人に強制するものではない。昨今、多くの僧侶が葬式仏教に名を借りて高額のお布施を請求する事例が目立つ。これは邪道であり、本来の布施の精神に反している。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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