2010年11月12日14時10分掲載  無料記事
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文化

【演歌シリーズ】(10) 三木たかしの寂寥音  出会い なかにし礼   佐藤禀一

  『恋はハートで』(昭和42年)三木たかし作曲家デビュー曲、歌は、泉アキ、なかにし礼が詩を供した。なかにし礼ラスト作詩曲『風の盆恋歌』(平成元年)歌は、石川さゆり、曲は、三木たかしが供した。礼の詩がたかしのスタートを飾り、たかしの曲が礼の作詩家アデューを飾った。 
 
  二人が、どこでどう初めに感性を通じ合わせたか定かではない。でも、もうひとりの自分の葬送詩(『さくらの唄』歌・美空ひばり)と最後の作詩の作曲を依頼し、デビュー曲に詩を供するなど、なかにし礼の三木たかし旋律への想いは、深い。この二人でつくった歌に耳を傾ける前に、なかにし礼作詩家の来し方を振り返る。『兄弟』『赤い月』と並ぶ礼の“自伝的三部作”『黄昏(たそがれ)に歌え』(朝日新聞社)を参考に昭和34年シャンソンの訳詩を宝塚歌劇団出身のシャンソン歌手深緑夏代の依頼ではじめる。 
 
ジプシーは娘に言う お前のためなら 
牢屋で死んでも かまわない 
 
が3コーラスルフランされ、そのツーコーラス詩に 
 
お前を好きになる 男は誰でも 
相手かまわず 殺すだろう 
血にぬれた手を お前にさしのべ 
愛しておくれと 叫ぶだろう 
 
  ジョルジュ・ムスタキ作詩・作曲『ジプシーの恋歌』であった。訳詩するにあたってなかにし礼は、「細心の注意をはらって楽譜を見」たと言う。そして、「音の長さ、音と音のつながり、音の色合い、音の温度、和音の意味、音の数、メロディの甘さ、苦さ、品と陰影、音の持つお国柄、音の持つ時代色、深緑夏代の発声法、カスタネットを鳴らしながら歌う彼女の身振り手振り、顔の表情、アレンジの予想などなどなど、考えられることをすべて考えつくし」しかも、「どこまでも原詩に忠実」にムスタキの詩を訳した。曲先詩作のお手本とも言うべきアプローチである。歌手の表情にも想いを巡らしている。 
  “音の温度”までに心を寄せる詩人は、少ない。確かに、ぬくもりとか冷えびえとした音の温度はあるが、なかにし礼は、もっと奥深いところでとらえているようだ。この「細心の注意をはらった」シャンソン初訳詩は、依頼者深緑夏代の心に染み、礼にたてつづけに訳詩をさせた。ときに、なかにし礼22歳、礼訳詩の評判が、じわじわと広がる。ついにシャンソンの殿堂「銀巴里」(銀座)で歌っていた仲マサコの頼みで、レオ・フェレ作詩・作曲、ジュリエット・グレコが歌った『ジョリ・モーム』を訳詩。詩の一部を切り取るのは、心苦しいが、あえて引用する。 
 
「やがて涸れる 泉の水 ジョリ・モーム/鍵のとれた 部屋の扉 ジョリ・モーム/風に吹かれ 足で踏まれ/見捨てられる 秋の枯葉 ジョリ・モーム/今にみんな よけて通る/老いた犬に なりさがるさ ジョリ・モーム」 
「コートを脱げば 下は裸 ジョリ・モーム/コートを脱げば 下は裸 ジョリ・モーム」 
 
  からだをひさぐ女の荒寥とした心の風が吹き荒ぶ……凄い情感だ。礼は、訳詩する喜びをつぎのように言っている。 
「生々しいほどに官能的な、なにかこう、自分以外の永遠なるものと交信し、愛しあっているような喜び。そんな時になって初めて、天から、かすかな閃きが降りてくる」それは、訳詩だからであり「他人の閃きの生んだ歌を訳詩するものにはそれくらいの謙虚さがあってしかるべき」とも言っている。この謙虚な閃きによる訳詩を昭和39年に閉じる。最後の訳詩は、シャンソンではなくカントリー・ウエスタンであった。 
 
あなたの過去など 
知りたくないの 
 
  過去? 世過ぎ身過ぎのことであるわけがない。当然、女体遍歴。 
 
済んでしまったことは 
仕方ないじゃないの 
 
  男へ迫る女のセリフ……。これが菅原洋一のソフトで優しい歌声で語られるとドキドキしてしまう。そう『知りたくないの』は、大ヒット。その2年後、新人歌手加藤登紀子に、『今日でお別れ』(曲・宇井あきら)の詩を提供したが、ほとんど話題にもならなかった。それが、昭和45年菅原洋一の歌として発売されるやいなやミリオン・セラーに。この年のレコード大賞に輝いた。 
 
  なかにし礼のシャンソン訳詩から『今日でお別れ』までにこだわったのは、ここに、なかにし礼作詩のエッセンスが詰まっていると思ったからである。これに加えエロスの悶えがある。そのあたりを、礼最終作詩『風の盆恋歌』で、三木たかし、石川さゆりとの溶けかたに耳を傾けてみることにする。 
 
なかにし礼、石川さゆり、そして三木たかし 
 
私あなたの 腕の中 
跳ねてはじけて 鮎になる 
 
  あられもない性描写だ。「鮎になる」で詩が美しくなっている。この女は、決してピチピチ跳ねるような若い肉体を持っていない。歌詩一番で「若い日の 美しい/私を抱いて ほしかった」と詩っているからだ。二人は、年を経て出会った「遅すぎた 恋だから」でも、激しく求め合い鮎となってはじける。 
  メロデイに激するところがない。サビの部分もしっとりと悲しみが揺れる。 
 
    <風の盆>二百十日から三日間、風の神を鎮めるため越中小原節(おわらぶし)を唄い、夜を徹して踊る。胡弓の音が風となり、太鼓の音が大地の鼓動となり、何故か三味線が泣く。ゆっくりどこまでもゆっくり寂しく奏でられ、女は、二つ折の編笠で顔を隠し静やかに舞い歩く。富山県八尾(やつお)町で行われる年中行事。なかにし礼は、作家の高橋治にすすめられ、見に行って心を動かされこの詩を書いたと何かの本で読んだことがある。 
  この男と女は、夫婦(めおと)でもなければ同棲でもない。つかの間のはかない、それでいて激しい恋だ。「この命 ほしいなら/いつでも死んで みせますわ」「生きて添えない 二人なら/旅に出ましょう 幻の」女は、声に出して男に迫ったりはしない。風の盆の夜、男の腕の中で、心の中でつぶやく。 
 
  石川さゆりは、悲しげ気な胡弓の前奏に浸ったあと「夜に泣いてる 三味の音」を心で聴きながら、まるで子守歌でも歌うように「しのび逢う恋」を紡ぐ。若草恵の編曲もいい。三木たかしの寂寥音が、なかにし礼の詩魂(ポエジア)と石川さゆりのうらさびしい声にまとわり哀切きわまりない歌を生んだ。私は、『風の盆恋歌』は、最良のなかにし礼の歌詩、石川さゆりの歌、そして三木たかしの旋律だと思っている。 
 
(敬称略) 


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