2010年11月13日09時57分掲載  無料記事
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やさしい仏教経済学

(22)持続性と発展と地球環境時代と 安原和雄

  仏教経済学の八つのキーワード ― いのちの尊重、非暴力(=平和)、知足、共生、簡素、利他、多様性、持続性 ― のうち今回は「持続性」を取り上げる。 
持続性とは、第1回地球サミットが提言した「持続可能な発展」を指している。これは20世紀末に人類の智慧が到達した新しい概念・思想で、「環境と経済の両立」という程度の狭い理解は正しくない。地球環境の保全を優先させなければ、人類生存そのものが危ういという時代、つまり地球環境時代に人類は生きているという認識に立って、望ましい多様な「発展」のありようを打ち出している。着目すべきは、発展は生活の質的向上に重点が置かれていることで、一方、量的拡大を意味する経済成長は重視されていない。 
 
▽ 持続性は地球環境時代のキーワード 
 
  持続性は「持続可能な発展」(=持続的発展=Sustainable Development)の別名である。この持続可能な発展という概念、思想は、第一回地球サミット(国連環境開発会議=1992年6月、ブラジルのリオデジャネイロで開催)が採択した「環境と発展のためのリオ宣言」が打ち出して以来、世界で広く知られるようになった。 
 意味するところは、二つある。一つは、今後何世代にもわたって、永続的に地球環境の保全を果たさなければ、人類は滅びるだろうということ。もう一つは、地球環境の保全とともに豊かな国も、貧しい国も共に生活の質を向上させていく必要があるということ。このことは従来の経済成長路線、つまりプラスの経済成長によって量の豊かさを追求していくという路線が行き詰まり、それを根本から転換させなければならないことを示唆している。 
 
第二次世界大戦以降の約半世紀は、経済成長の追求を最優先課題とする経済成長時代であった。その時代が招いたものがほかならぬ地球環境の汚染・破壊さらに貧困、飢餓、人権抑圧など不公正、不平等の拡大であり、その結果、経済成長路線は挫折、破綻そして根本的転換を余儀なくされた。そして今、地球環境の保全と生活の質的向上を最優先課題とする地球環境時代に入っている。 
 このことは持続性(=持続的発展)が地球環境時代のキーワードとして重要な役割を担わざるを得ないことを意味する。一方、もう一つのキーワードとして宗教を挙げなければならない。なかでも仏教思想である。しかも着目すべきは、持続的発展という概念、思想は仏教思想の具現化として捉えられることである。この「持続的発展」と「仏教」の思想をどう融合し、発展させ、実践していくか、その挑戦的試みこそ21世紀における地球環境時代が問いかけている最大の課題である。 
 
▽ 「持続可能な発展」(=持続性)の多様な柱 
 
 「持続可能な発展」の概念を豊かに発展させたのが、世界自然保護基金(WWF)、国際自然保護連合(IUCN)、国連環境計画(UNEP)が1991年、発表した提言『新・世界環境保全戦略―かけがえのない地球を大切に』(原題は「Caring for the Earth―A Strategy for Sustainable Living」)である。 
 
 持続可能な発展(=持続的発展)を構成する柱を列挙すれば、以下のように多様である。 
・生命維持システムー大気、水、土、生物ーの尊重 
・人類に限らず、地球上の生きとし生けるもののいのちの尊重 
・長寿と健康な生活(食糧、住居、健康の基本的水準)の確保 
・基礎教育(すべての子どもに初等教育を施し、非識字率を減らすこと)の達成 
・生活必需品の充足 
・政治的自由、人権の保障、暴力からの解放 
・雇用の確保、さらに失業・不完全就業による人的資源の浪費の解消 
・特に発展途上国の貧困の根絶 
・不公平な税制度、政治的腐敗、資本の国外逃避、非効率で恣意的な投資などへの対処 
・核兵器の廃絶、軍事支出の大幅な削減、軍事同盟の解消 
・環境保全を中心とする新しい安全保障観の確立 
・公平な所得分配と所得格差の是正 
・景観や文化遺産、生物学的多様性、生態系の保全 
・持続不可能な生産・消費・廃棄構造の改革と廃止 
・エネルギーの節約と効率改善、再生可能もしくは汚染を引き起こさないエネルギー資源 への転換 
・生産における原料の再利用促進と廃棄物量の削減 
・環境の質の確保と文化的、精神的充足感の達成 
 
 以上のように発展(Development)という概念は、政治、軍事、経済、社会、文化、環境など多様な側面から捉えられている。このことは同時に生活の質的向上の多面的な内容を示していることに着目したい。さらに経済成長が一つの柱として掲げられていないことにも注意したい。これはGDP(国内総生産)や所得が増えることは、発展や生活の質のごく一面を示すにすぎない。それどころか自然や環境を破壊しながらGDPや所得が増えることは、発展や生活の質的充実にとってむしろマイナスと理解されているのである。 
 
▽ 持続的発展と仏教思想(1) ― 共生と生命中心主義 
 
持続的発展の思想と宗教とは実は深い関係にある。この点があまり気づかれていない。もちろん仏教に限らない。キリスト教、イスラム教、ヒンズー教(注)などとも深くかかわっている。 
(注)キリスト教の最大の教えは、「汝の敵を愛せ」である。一方、イスラム教には五つの行(信徒義務)がある。具体的には信仰告白(「唯一絶対神アッラーのほかに神なし」と告白すること)、礼拝(一日五回の礼拝が義務)、喜捨(施しの意で、救貧税や自発的な布施など)、断食(一カ月間、日の出から日没まで一切の飲食を断つ。欲望抑制と清浄な境地を目指す)、巡礼(聖地メッカへの巡礼)の五つ。ヒンズー教では欲望を投げ捨て、「私」、「私のもの」という思いも捨てて、他者へ奉仕する無私の行為を尊重する思想が流れている。 
 
ここでは持続的発展に仏教思想がどのように具現化しているのかを考えたい。以下は持続的発展と仏教思想とのかかわり方についての私(安原)なりの読み方である。 
 
 第一に持続的発展は、人類に限らず、生きとし生けるものすべての共生・平等の思想であり、そのいのちの尊重であり、仏教思想の共生と生命中心主義の具現化であること。 
 これは持続的発展を軸とする「持続可能な社会」(Sustainable Society)の中で「地球上のすべての生命は、一つの大きな相互依存システムの一部」、「すべての生物種と生態系は、人間にとって利用価値のあるなしにかかわらず、尊重しなければならない」(世界自然保護基金ほか編『新・世界環境保全戦略』)などと認識されていることからも明らかである。 
 この認識は、生きとし生けるものすべての相互依存関係がそのまま共生であり、自然、人、動植物それぞれがお互いに同価値で平等だと捉える仏教思想の生命中心主義とまさしく重なり合っている。 
 
▽ 持続的発展と仏教思想(2) ― 質の充実と不殺生、不偸盗、知足、中道 
 
 第二に持続的発展は、量の拡大ではなく、質の充実を意味しており、これは貪欲の否定と知足のすすめ、さらに中道という仏教思想の反映であること。 
 先進諸国が一層の量の拡大、つまり基本的ニーズを超える物質的欲望と経済成長を追求し、地球環境を汚染・破壊するのは貪欲であり、持続的発展に反する。これに対し、精神的、道徳的な分野も含めて生活の質の充実を追求することは、足るを知ることの智慧の実践であり、少欲にして簡素、節約をも意味する。使い捨て商品を大量生産して無造作に使い捨てる時代ではもはやない。長期使用に耐えるモノづくり、つまり節約こそ大切であり、これは「もったいない」という足るを知る精神の実践である。 
 一方、持続的発展は発展途上国における貧困の追放、すなわち途上国の基本的ニーズ(必要最少限の水、食料、住居、教育、医療など)の達成を目指している。従ってその基本的ニーズの達成のための経済成長は知足の範囲内であり、貪欲を意味しない。 
 簡素、節約とは無駄、浪費を惜しむことであって、必要なことまで惜しむ吝嗇(りんしょく)、すなわちケチとは異なる。いいかえれば、持続的発展は貪欲とケチの両極端を排するのだから、これは仏教思想の中道、すなわち正しい道の実践にもつながるといえる。 
 
 第三に持続的発展は、戦争、軍備の増強などの暴力を拒否しており、これは仏教の不殺生や少欲知足、中道の思想とつながっていること。 
仏教の不殺生戒(ふせっしょうかい)は、殺生を戒めている。国家レベルの殺生の典型例が戦争であり、それを促す軍備の増強も資源、環境に浪費と破壊をもたらすのだから殺生といえる。米国における同時多発テロも、それに対する報復戦争も持続的発展に反する。第一回地球サミットが採択した「リオ宣言」が「戦争は、持続可能な発展を破壊する」と述べていることを忘れてはならない。 
 非道な殺生は貪欲から生じるのであり、少欲知足の智慧があれば、殺生を避けて、中道の正しい道を選択することができる。 
 
 第四に持続的発展は、浪費、廃棄、破壊を拒否し、節約、循環、保全をすすめており、これは仏教の不偸盗戒(ふちゅうとうかい=盗みをしないこと)、少欲知足、共生、中道の思想につながっていること。 
 リオ宣言は「持続的発展と質の高い生活を達成するために、持続不可能な生産・消費を削減すること」と述べて、持続不可能な生産、消費につきものの浪費、廃棄、破壊を否定している。一方、仏教が説く不偸盗戒についてここでは、その盗むという行為を広い意味に理解したい。 
 例えば大量生産ー大量消費ー大量廃棄という現代の経済構造の中での資源、エネルギーの浪費、廃棄は地球や自然からの必要以上の無用な強奪、つまり盗みである。失業と不完全就業による人的資源の浪費も、人から仕事の機会を奪うのだから、盗みといえる。 
 一方、持続的発展は節約、循環、保全のすすめであり、これは少欲知足の実践であり、自然との共生を目指す実践でもある。同時に持続的発展は浪費、廃棄、破壊という悪しき振る舞いやその社会システム・構造を拒否するのだから、ここでもまた中道のまっとうな道理に合った経済、社会、生活を目指すことを意味する。 
 
 以上のように持続性(=持続的発展、持続可能な発展)は通常理解されているような「経済と環境の両立」という程度の狭い概念ではない。多様で、幅も深みもある歴史的な概念、思想と理解したい。 
 
<参考資料> 
・IUCN(国際自然保護連合)、UNEP(国連環境計画)、WWF(世界自然保護基金)編/(財)世界自然保護基金日本委員会訳『新・世界環境保全戦略ーかけがえのない地球を大切に』(小学館、一九九二年) 
・安原和雄「持続可能な発展と仏教思想 ― 日本型モデルをどう創るか」(駒澤大学仏教経済研究所編『仏教経済研究』第三十一号、平成十四年) 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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