2011年03月09日12時53分掲載  無料記事
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文化

【演歌シリーズ】(13) 吉岡治 歌手再生の手練 供重圓呂襪漾石川さゆりの甦り―  佐藤禀一  

  元ヤクルト、楽天の野球監督・野村克也。チーム強化策は、優秀選手を補給するのではなく、与えられた人材の隠れた才能を発掘し、新たな力を工夫させて再生する、そして、考える野球を選手全員に徹底させることにある。そのための言葉を重視した。 
 
◆プロ野球「野村再生工場」と言葉 
 
  元阪神投手・遠山奬志。誰もが選手生命は、尽きたと思っていた。確かに、先発、リリーフ、抑え、どれも無理のようだ。しかし、野村は「もう一つ可能性の道がある。それは、左打者へのワン・ポイント・リリーフ、その気はあるか」と言葉をかけ、遠山を奮い立たせる。上手を横手投げにし、内側にくい込むシュート・ボールを覚えさせ、当時の巨人の強打者・松井秀喜(現大リーガー)を完璧に抑えた。プロ野球史上最も凄味のある左打者専用の投手を誕生させた。 
 
  元阪神、南海、広島投手・江夏豊。力、体力とも衰えは、明らかなのに先発完投こそ投手だとリリーフを拒みつづけた彼を日本初の本格的ストッパー(抑え投手)にしたのは、野村の「リリーフで革命を起こしてみんか」(野村克也著『野村のボヤキ語録』角川oneテーマ21)の一言であった。抑えは、今でこそ必要不可欠の存在であるが、その頃は、まだ評価が定まっていなかった。江夏は、まさにその“革命家”なのである。野村監督の言葉によって再生した選手は、少なくない。 
 
  歌手にとっても言葉(詩)は、だいじだ。かつて、美空ひばりは、編集工学という分野を切り開いた松岡正剛の歌の神髄は何か?という問いに「あたしは、詩ですねえ。まず詩。それから詩と一緒になった歌。だから詩がわからない歌は唄えないわね」(「美音天の妙音に 美空ひばり」『遊』1002号)と答えている。吉岡治の言葉(詩)によって、再生・飛翔した歌い手を考えてみる。 
 
◆都はるみ『大阪しぐれ』 
 
  1980年都はるみ32歳。歌謡曲界を代表する歌手で、ヒット曲も多い。恩師市川昭介の曲で『アンコ椿は恋の花』(詩・星野哲郎)を初め『さすらい小鳩』(詩・石本美由起)、『馬鹿っちょ出船』(詩・同)、『涙の連絡船』(詩・関沢新一)、『アラ見てたのね』(詩・同)、『好きになった人』(詩・白鳥朝詠)などなど。猪俣公章の曲で『おんなの海峡』(詩・石本美由起)、そして、76年日本レコード大賞、日本歌謡大賞、FNS音楽祭グランプリ、全日本有線放送大賞、全国有線放送大賞など音楽賞を総嘗めにした小林亜星の曲『北の宿から』(詩・阿久悠)がある。“唸り”からの訣別をほのめかした曲である。 
  これ以降の“唸り”は、曲想にはめこまれたものでなく、歌うときの想いで自然に発せられたものである。そして、この4年後、吉岡治の詩によって“はるみピアニッシモ”が「夢をぬらす」のである。 
 
  『大阪しぐれ』吉岡に言わせると言葉少なの「隙間だらけの詩」である。都はるみの最弱音(ピアニッシモ)が、少ない言葉のひとつひとつ、言葉と言葉の間を市川昭介の旋律に委ねられ、縫う。 
 「北の新地は おもいでばかり/雨もよう/夢もぬれます ああ大阪しぐれ」 
 
  都はるみの声の魅力は、力の溢れた晴ればれとした声にある。吉岡治は、その声を最大限に噴出させた詩をこの11年前に供している。「ホー 惚れちゃったんだヨー」と唸り声を爆発させたのである。「夜汽車でいますぐ 逢いにゆく/待って 待っておくれよ この俺を」思い切れない女を追う男の激情を歌った。これも市川昭介の曲で『惚れちゃったんだヨ』である。吉岡と市川は、都はるみの声の魅力を“激情音”とともに“哀情音”にあるととらえていた。『涙の連絡船』『北の宿から』で証明されている。 
  『大阪しぐれ』は、それを深化させた。この曲の吉岡治の詩により、都はるみの最弱音(ピアニッシモ)、“哀情音”は、“夢にぬれ”都はるみは、生まれ変わったと言っていいだろう。 
 
  その後、吉岡・市川コンビの曲『浮草ぐらし』『ふたりの大阪』(歌・宮崎雅と)『みちのく風の宿』、詩・たかたかし 曲・岡千秋コンビの曲『浪花恋しぐれ』(歌・岡千秋と)『川舟哀歌』、そして『アンコ椿は恋の花』で都はるみをスターに押し上げたコンビ詩・星野哲郎 曲・市川による『夫婦坂』を“はるみ哀情音”で揺らめかせ、一時歌の封印をするのである。そして、4年の休養(一時引退)を経て、吉岡治の詩『小樽運河』『千年の古都』(曲・弦哲也)で“はるみ哀情音”を復帰させた。 
 
◆石川さゆり『天城越え』 
 
  石川さゆり「好きなあなたが 鬼のとき/早く見つけて ほしくって」(『かくれんぼ』詩・山上路夫 曲・猪俣公章)と少女の淡い恋心を歌ってデビュー。1973年15歳のときである。初めアイドルとして中3トリオ(森昌子、山口百恵と)としてホリプロから売り出したが、途中、中3トリオは、桜田淳子に変えられた。しばらく、鳴かず飛ばずであった。19歳、10代最後に、凄い曲に出会う。このシリーズ(8)で詳しく書いたが、 
 
  「風の音が胸をゆする/泣けとばかりに/ああ 津軽海峡冬景色」三連音が吹き荒び寂寥感漂う三木たかし旋律と阿久悠詩魂に、うら寂れた声を委ね大ヒット。 
 
  その後、結婚、出産、育児、離婚……24歳から25歳にかけ一時休養。カム・バック後、中村一好が専属ディレクターに。深い洞察力と豊かな感性を持ち、企画力の優れた演出家で、都はるみに寄り添った。はるみ一時引退のときである。中村は、石川さゆりの歌唱力を高く評価していた。中村は、彼女の『波止場しぐれ』(曲・岡千秋)の詩を書いた吉岡治に「カラオケ・ファンを無視し、彼女にしか歌えない難易度の高い作品を」(読売新聞社文化部編『この歌この歌手』教養文庫)そして、舞台は天城山でと持ち掛けた。 
 
  「くらくら燃える地を這って/あなたと越えたい 天城越え」 
  吉岡治は、天城隧道に目を付けた。 
  「走り水 迷い恋/風の群れ 天城隧道(ずいどう)」 
 
  松本清張の『天城越え』が、吉岡の頭を掠めたのではないか、そう思えるのである。家出して天城越えをしようとしている少年と岡場所から逃げて来た娼婦が出会う。一緒に峠を歩いているうちに、少年は、女に想いを募らせてゆく。金を得るため女は、すれ違った男と寝る。そして、その男が殺された。娼婦が犯人?……清張の作品もさることながら、大谷直子、佐藤慶、宇野重吉らが出演した和田勉演出のNHKドラマが印象に残っている。 
 
  『細雪』『飢餓海峡』『夫婦善哉』『おんなの一生』……吉岡の詩に文学作品の衣を着せた作品が多い。ストーリーをそのまま詩におき変えた歌もあるが、作品の持つ印象に刺激されたと思われる詩もある。石川さゆりの歌う『天城越え』(曲・弦哲也)にも松本清張作品の毒が浮遊しているように思えるのだ。 
  「いつしかあなたに 浸みついた/誰かに盗られる くらいなら/あなたを 殺していいですか」この詩言は、石川さゆりの情に火を灯した。そして、「あなたと」と「越えたい」の間から幽かに聴こえるさゆりの「ホッ」という吐息にたとえようもない凄味を感じるのは、私だけであろうか。「あなた 殺してもいいですか」という言葉がなければ、この「ホッ」は、生まれなかったであろう。 


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