2011年04月11日16時37分掲載  無料記事
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やさしい仏教経済学

(39)日米同盟の呪縛から自由になる日 安原和雄

 「安保(あんぽ)」と聞いて、どういうイメージを思い浮かべるだろうか。「トモダチ作戦」、すなわち在日米軍と自衛隊による大災害復旧協力作戦としか認識できないのでは安保(=日米安保体制)の素顔は見えてこない。日米安保体制は、軍事同盟と経済同盟からなる日米同盟であり、日本国平和憲法本来の戦争放棄・非武装や生存権・幸福権確保の理念と正面から矛盾している。 
 だから 平和憲法本来の理念を生かし、実現していくためには日米安保=日米同盟の解体を視野に入れる必要がある。日米安保条約は「条約の一方的破棄」が可能であることを明記している。日米同盟の呪縛を解いて、自由を獲得する日はいつか。それをしっかり視野に収めるときである。 
 
▽ 「トモダチ作戦」という名の在日米軍の復旧協力 
 
 毎日新聞(4月5日付)によると、北沢俊美防衛相は4月4日、東日本大震災の被災地支援活動「トモダチ作戦」の海上拠点となっている米原子力空母ロナルド・レーガンを米軍機で訪れた。約2000人の乗員を前に北沢氏は「今回ほど米国を友に持つことを心強く思ったことはない。半世紀にわたる日米同盟のきずなの証しだ」と菅直人首相の謝辞を代読した。 
 同行したルース駐日米大使は「日本を再建する上で、いかなる時でも米国は力になる」と表明、ウオルシュ米太平洋艦隊司令官は、米兵の家族の寄せ書きを北沢氏に渡し、「世界中にトモダチがいる証しだ」と述べた。 
 
 米軍が沖縄県の米空軍嘉手納基地から投入(大震災発生から5日後の3月16日早朝)した353特殊部隊を指揮するドウエイン・ロット大佐は言い切る。「22年間の軍人生活でも、ベストな連携を図れた作戦の一つ」と。 
 空軍特殊部隊の任務は敵地に乗り込んで迅速な拠点整備をすること。アフガニスタンやイラクなど戦闘地で作戦のほか、04年のスマトラ沖大地震によるインド洋大津波でインドネシアにも出動した。 
 一方、自衛隊の役割分担はどう行われたのか。現地で調整に当たる陸上自衛隊の笠松誠・一佐(46)は、「自衛隊は被災者の近くに行くべきだと、役割を分担した。大きな連携がうまくできた。ミラクルです。日米安保を絵に描いたような作戦」と説明した。 
 在日米軍司令部のニール・フィッシャー海兵隊少佐(39)も「ハイチ大地震(2010年)では準備に4日かかった。今回はすぐにリクエスト(要請)に応えられる態勢が整った」と米軍が日本に駐留する意義を強調する。(以上の趣旨は、毎日新聞から) 
 
以上の「トモダチ作戦」という名の在日米軍と自衛隊との大災害復旧協力作戦から見えてくるものは何か。 
 まず現地の地方自治体や被災者達にとっては感謝に値する協力作戦であることは間違いない。ただ念のため指摘すれば、自衛隊法は自衛隊の任務として防衛出動、治安出動に限らず、災害派遣(同法83条)も行うことを定めている。自衛隊はこの自衛隊法の定めに従って当然の任務として行動しているのであり、特別のサービス精神によって、本来の任務外の災害対策に当たっているわけではない。 
 むしろ私(安原)の関心を引くのは軍人達の次の認識である。いずれも日米安保体制の存在価値を強調している。 
「日米安保を絵に描いたような作戦」(陸上自衛隊の笠松誠・一佐) 
「(日米安保によって)米軍が日本に駐留する意義を強調」(在日米軍司令部のニール・フィッシャー海兵隊少佐) 
 
 日米安保是認派の読売新聞社説(4月10日付)は、「トモダチ作戦」について「日米同盟深化の重要な一歩だ」(社説の見出し)と論じている。 
 
▽ 「軍事同盟」、「経済同盟」としての日米安保体制 
 
さて通称「安保(あんぽ)」すなわち日米安保体制とは、どのような素性なのか。まず日米安保体制は、日米間の軍事同盟と経済同盟の二つの同盟の土台となっていることを強調したい。 
 
 軍事同盟は日米安保条約(正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」=1960年6月発効)3条「自衛力の維持発展」、5条「共同防衛」、6条「基地の許与」などから規定されている。 
 特に3条の「自衛力の維持発展」を日本政府は忠実に守り、いまや米国に次いで世界有数の強力な軍事力を保有している。これが憲法9条の「戦力不保持」を骨抜きにしている元凶である。 
 しかも1960年、旧安保から現在の新安保に改定された当初は対象区域が「極東」に限定されていたが、今では変質し、「世界の中の安保」をめざすに至った。その節目となったのが1996年4月の日米首脳会談(橋本龍太郎首相とクリントン大統領との会談)で合意した「日米安保共同宣言 ― 二十一世紀に向けての同盟」で、「地球規模の日米協力」をうたった。 
 これは「安保の再定義」ともいわれ、解釈改憲と同様に条文は何一つ変更しないで、実質的な内容を大幅に変えていく手法である。この再定義が地球規模での「テロとの戦い」に日本が参加していく布石となった。米国の覇権主義にもとづくイラク攻撃になりふり構わず同調し、自衛隊を派兵したのも、この安保の再定義が背景にある。 
 こうして軍事同盟としての安保体制は、米国の軍事力による覇権主義を行使するために「日米の軍事一体化」、すなわち沖縄をはじめとする広大な在日米軍基地網を足場に日本が対米協力に精出す巨大な軍事的暴力装置となっている。 
 
 「経済同盟」は、安保条約2条の「自由な諸制度を強化する」、「両国の国際経済政策における食い違いを除く」、「経済的協力を促進する」などを土台としている。「自由な諸制度の強化」とは新自由主義(経済面での市場原理主義)の実行を意味しており、また「両国の国際経済政策における食い違いを除く」は米国主導の政策実施にほかならない。 
 だから経済同盟としての安保体制は、米国主導の新自由主義(金融・資本の自由化、郵政の民営化など市場原理主義の実施)による弱肉強食、つまり勝ち組、負け組に区分けする強者優先の原理がごり押しされ、自殺、貧困、格差、差別、人権無視、疎外の拡大などをもたらす米日共同の経済的暴力装置となっている。それを背景に日本列島上では殺人などの暴力が日常茶飯事となっている。 
 これが憲法13条の「個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重」、25条の「生存権、国の生存権保障義務」、27条の「労働の権利・義務」を蔑(ないがし)ろにしている元凶といえる。 
 
▽ 日米安保条約は一方的破棄が可能 
 
 日本政府は機会あるごとに「日米同盟堅持」あるいは「日米同盟深化」を強調するが、これは、以上のような特質をもつ軍事・経済同盟の堅持、深化を意味する。 
 重要なことは、最高法規である平和憲法体制と条約にすぎない日米安保体制が根本的に矛盾しているにもかかわらず日米安保が優先され、憲法の平和・生活理念が空洞化している現実である。つまり日本の国としてのありかたの土台、根本原理が蝕まれているわけで、ここに日本の政治、経済、社会の腐朽、不正、偽装の根因がある。だから日米安保体制の素顔は、上述の「トモダチ作戦」のイメージとは異質のものである。あるいは素顔が「暴力装置」であるからこそ、「トモダチ作戦」のような融和策が必要ともいえるのではないか。 
 こういう暴力装置としての日米同盟、すなわち日米安保体制が諸悪の根源となっている以上、その解体を長期的視野に入れて、日本列島上にいのちの尊重、非暴力、共生を実現していくことが不可欠である。その有力な手だてとして、互恵平等を原則とする非軍事の「日米平和友好条約」へ切り替えていくことを展望する必要がある。この平和友好条約への転換を土台にしてこそ、初めて非軍人による真の意味の「トモダチ作戦」が可能となる。 
 
 日米安保体制といえども、決して聖域ではない。不都合であれば、国民の意思によって終了させる以外に妙策はない。日米安保条約10条(有効期限)に「条約は、いずれの締約国も終了させる意思を相手国に通告でき、その後一年で終了する」と一方的破棄が可能な規定となっていることを忘れないようにしたい。 
 この歴史的変革によって、軍事・経済同盟の呪縛を清算し、自らを解放し、自由を獲得しなければならない。その日が実現すれば、その時こそ日本の針路を自主的に選択できる余地が開けてくるだろう。 
 
▽ 自主的な選択肢 ― 非武装・ニッポンをめざして 
 
 自主的な選択肢として何を展望できるだろうか。それは「非武装・ニッポン」以外の選択肢はあり得ないだろう。 
 非武装モデルとして日本とコスタリカを挙げることができる。ただし日本の非武装は平和憲法(1947年施行)上の理念にとどまっており、現実には強大な軍事力保有によって空洞化しているが、コスタリカは憲法改正(1949年)によって軍隊を廃止したままであり、しかも中立平和外交(1983年に中立宣言)に熱心で、憲法条項の実践国として世界の最先端を歩んでいる。 
 
*日本国憲法の前文(平和生存権)と9条 
 前文=われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 
 9条=戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認 
 
*コスタリカ憲法の常備軍禁止規定 
 コスタリカ憲法12条(常備軍の禁止)=常設の組織としての軍隊はこれを禁止する。公の秩序の監視と維持に必要な警察力はこれを保有する。大陸内の協定または国内防衛のためにのみ軍事力を組織することができる。 
 
 コスタリカ憲法は必要に応じて軍隊を持てる規定になっているが、日本国憲法は軍備及び交戦権まで否認している。しかし民主党政権を含む保守政権は解釈改憲の手法によって強大な軍備の保有を是認している。非武装・ニッポンをめざすことは、憲法本来の非武装、交戦権否認の理念を実現させることを意味する。その時、憲法9条は世界における輝ける存在となるだろう。この時こそ武装した自衛隊を全面改組して非武装の地球救援隊が世界に登場する日である。これは現行自衛隊法に定める「災害派遣」の精神を継承して、地球規模で非軍事の分野に限定して平和憲法の本来の理念を実践していく時である。21世紀における新しい時代の夜明けを告げる時でもある。 
 
 以上は暴力(=戦争)に結びつく貪欲思想に立つ現代経済学には無縁の構想であり、これに反し、いのち・自然からなる生命共同体を畏敬の念とともに尊重し、非暴力(=平和)、知足、簡素、共生、利他、多様性、持続性などを志向する仏教経済学(思想)ならではの提言であることを強調したい。 
 
<参考資料> 
・安原和雄「二十一世紀と仏教経済学と(上) ― いのち・非暴力・知足を軸に」(『仏教経済研究』第三十七号、駒澤大学仏教経済研究所、平成二十年) 
・同「同(下) ― 仏教を生かす日本変革構想」(『同』第三十八号、同研究所、平成二十一年) 
・安原和雄「宮沢賢治の詩情と地球救援隊構想 ― 連載・やさしい仏教経済学(38)」(仏教経済塾に2011年4月1日掲載) 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です 
http://kyasuhara.blog14.fc2.com/ 


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