2011年06月26日12時12分掲載  無料記事
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文化

詩人の直感力と想像力が描き出す予言の書  若松丈太郎著『福島原発難民 南相馬市・一詩人の警告』  大野和興

  暴走を続ける福島第一原発に隣接する福島県南相馬市に一人の詩人がいる。若松丈太郎さん、76歳。海岸から4キロ,原発から25キロの地点に住む若松さんは,自らを原発難民と呼ぶ。長く高校教師を勤めてきた若松さんは、原子力発電所近傍に住む詩人として,自身の思いを詩やエッセイにして折にふれ発表してきた。本書は原発事故があった2ヵ月後の5月10日、それら原発にまつわる作品をまとめて上梓したものだ。一読して、詩人の直感力と想像力に驚嘆した。1971年、第一原発の建設が始まった段階で,詩人はこう記している。 
 
  「五年後に予定されている完工時は、いまはらんでいる諸問題の臨月でもある。約十六億円と試算される原発の固定資産税のうち三億円程度を残して県に吸い上げられるうえ、いったん消費生活の美味を味わった住民が農外所得を失ってどう生きるか。残されるものは放射能の不安だけとなっては、たまるまい」 
  「歴史的に国境であったこの地の、新しいフロンティアであるとしたら、それはいったい何に対峙するためのものなのだろうか。原発も怪物だが、巨大なエネルギーを食う人間はそれに輪をかけて怪物である」 
(「大熊ー風土記71」1971年11月28日、『河北新報』) 
 
  詩人の想像力は,東京も撃つ。 
 
  「チェルノブイリ事故は三〇キロと三〇〇キロとは目くそ鼻くそであることを厳然と立証した。(中略)それにしても、原子力発電所周辺に住んでいることで感じる背筋に刃物を突きつけられているような感覚は理解してもらえるだろうか。(中略)で、三〇キロと三〇〇キロは目くそ鼻くそなのに東京都その周辺に住んでいる人たちが「こわい」とうけとめることがえきないとしたら、それは、感覚が鈍麻しているか,想像力が貧困なのだと言ってさしつかえないのではなかろうか。(中略)私たちは東京から三〇〇キロ地点にあるブラックボックスの住人である」 
(「東京から三〇〇キロ地点」『詩と思想』1991年6月1日) 
 
  詩人は1994年,チェルノブイリを訪ね、この思いをさらに深める。 
 
   こちら側とあちら側というように 
   私たちが地図のうえにひいた境界は 
   私たちのこころにもつながっていて 
   私たちを差別する 
   私たちを難民にする 
   私たちを狙撃する 
   (中略) 
   牛乳缶を積んだ小型トラックが 
   ウクライナからベラルーシへと国境を越えていった 
   こともなげに 
   空中の放射性物質も 
   風にのって 
   幻蝶のように 
 (連詩「かなしみの土地」詩集『いくつもの川があって』) 
 
  詩人の想いは、チェルノブイリと相馬を行き来する。連詩「かなしみの土地」のなかにおさめられた「神隠しされた街」は、チェルノブイリ事故発生後40時間後に地図のうえから消えたプリピャチ市、そして11日目から三日間で人がいなくなった30キロゾーンの模様をうたったあと、次のように記した。 
 
   半径三〇kmゾーンといえば 
   東京電力福島原子力発電所を中心に据えると 
   双葉町 大熊町 富岡町 
   楢葉町 浪江町 広野町 
   川内村 都路村 葛尾村 
   小高町 いわき市北部 
   そして私の住む原町市がふくまれる 
   こちらもあわせて約十五万人 
   私たちが消えるべきはどこか 
   私たちはどこに姿を消せばいいのか 
 
 詩人は再びチェルノブイリにもどる。 
 
   人声にしない都市 
   人の歩いていない都市 
   四万五千の人びとがかくれんぼしている都市 
   鬼の私は捜しまわる 
   幼稚園のホールに投げ捨てられた玩具 
   台所のこんろにかけられたシチュー鍋 
   オフィスの机上にひろげたままの書類 
   ついさっきまで人がいた気配はどにもあるのに 
   日がもう暮れる 
   鬼の私はとほうにくれる 
   友だちがみんな神隠しにあってしまって 
   私は広場にひとり立ちつくす 
 
  チェルノブイリから帰った94年8月、東電は福島県に第一原発に2基の増設を申し入れた。同年9月、詩人は記した。 
 
 「私たちは私たちの想像力をかりたてなければならない。最悪の事態を自分のこととして許容できるかどうか、想像力をかりたててみなければならない。 
  誤解されることを恐れずに言えば、最悪の事態とは、自分をいま死に至らしめつつあるものの意味を理解する時間さえ与えられず、一瞬のうちに死なねばならないということでは、おそらくないはずである。あるいは、被曝による障害に苦しみつつ、自分を死に近づけているものの意味を反芻しながら、残された時間を病院で生きつづけなければならないということでも、おそらくないような気がする。いや、もちろん、これらも最悪と言うべき事態であるには違いなない。 
  しかし、最悪の事態とは次のようなものも言うのではなかろうか。それは、父祖たちが何代にもわたって暮らしつづけ、自分もまた生まれてこのかたなじんでみた風土、習慣、共同体、家、所有する土地、所有するあらゆるものを、村ぐるみ、町ぐるみで置き去りにすることを強制され、そのために失職し、たとえば、十年間、あるいは二十年間、あるいは特定できないそれ以上の長期間にわたって、自分のものでありながらそこで生活することはもとより、立ち入ることさえ許されず、強制移住された他郷で、収入のみちがないまま不如意をかこち、場合によっては一家離散のうきめを味わうはめになる。たぶん、その間に、ふとどきな者たちが警備の隙をついて空家に侵入し家財を略奪しつくすであろう。このような事態が一〇万人、あるいは二〇万人に身にふりかってその生活が破壊される。このことを私は最悪の事態と考えたいのである」 
 
  詩人がこう書いて17年後、最悪に事態が目に前にある。 
 
(2011年5月、株式会社コールサック社刊、1428円+税) 
 
コールサック社は東京都板橋区板橋2−63−4−509 
電話:03−5944−3258 


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