2011年09月18日00時15分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(7)『昭和萬葉集』卷七・八の原爆短歌を読む 「おそかりし終戦のみことのりわれよめば焦土の上の被爆者は哭く」(秋月辰一郎)      山崎芳彦

 『昭和萬葉集』卷七・八に収録されている原爆短歌に、長崎の作者の作品は、詳しく調べて言うのではないが、広島の作者に比べ少ないと感じられたが、冒頭に挙げた秋月辰一郎氏の作品から読んでいきたい。 
 
黒ずみて教師の息の絶えんとすくすりなきかと妻なきくづる 
 
たすけてと吾が衣をつかみ息絶えし若き教師の腕はくろずむ 
                   秋月辰一郎 
 
爆死せし人のつくりし防空壕小(ち)さき味噌(みそ)がめと小豆のありし              神宮 司 
 
火煙のまだ立ちのぼる家跡に六人(むたり)の子らの遺骸さがしぬ                  溝口観二 
 
けふもまた生きて目ざめぬ玉の緒の(を)の命たふとく思ほゆるかな                 永井 隆 
 
  秋月氏は聖フランシスコ病院長を務め、被爆資料の収集活動に対して吉川英治文化賞(昭和47年)を受賞するとともに『長崎原爆記―被爆医師の証言』など著書も多くある。前記の2首は医師として被爆者の治療に当たった際の体験であろうが、自らも被爆しながら生命の危機に瀕する被爆患者に対して医師としてなすすべのない苦悩が、ことばによってではなく表現される。作者はこのような厳しい医師としての活動を続けたわけだが、そのことを思うとき同七卷に先出(「国破れたり」の項)する次の一首が立ち上がってくる。 
 
おそかりし終戦のみことのりわれよめば焦土(せうど)の上の被爆者は哭く              秋月辰一郎 
 
  作者の心中を思うと胸に迫るものがある。「おそかりし」の初句から「被爆者は哭く」まで、このように詠い得た歌人がどれほどいたであろうか。 
 
敗戦必至の情勢を知りながら、軍部・政府は、外地における兵士の玉砕、そして東京大空襲はじめ全国各都市への空襲、悲惨を極めた沖縄戦を経て、ついには広島・長崎への原爆投下に至ってもなお、戦争の継続の姿勢を誇示し、一方でひそかにポツダム宣言受諾の条件として「国体の護持―天皇制の保証」を求めて交渉をしていたのである。そして長崎への原爆投下の日8月9日から10日にかけての「御前会議」において「国体護持」を条件にポツダム宣言受諾を、異例の天皇の決裁で決めたが、さらに連合国側の回答に天皇制に関する直接的な言及がなかったことへの軍部の抵抗もあり、混迷し、14日に至って連合国側への受諾通告と、終戦の詔書起草を最終決定したのである。この間も犠牲者は増えた。 
 
アメリカの国際法を無視した無差別殺戮・破壊を目的とする大都市空襲、沖縄の非戦闘県民への攻撃、そして人類史上未曾有の、はかり知れない破壊と殺戮、その被害の時空の限界もわからない規模を持つ原子力兵器―原子爆弾の使用は許されるものではなかったし、第二次世界大戦後の世界戦略の示威的作戦としての側面を見れば許し難い戦争犯罪である。 
 
しかし、「おそかりし終戦のみことのり」の責任は誰が負うのであろうか。日本の軍国主義、軍部独裁の支配の構造、不法無謀な侵略戦争への突入と国民に対する強圧支配、アジア諸国民に対する支配と迫害の実態を日本国民自らが追及し改革し得なかったつけは、さまざまな地下水脈を通って、今日に続いていはしないだろうか。日本軍国主義の犯した侵略戦争と、それに対応する国民への強権支配をなかったことにすることは出来ないのだが・・・。 
 
原爆の「唯一の被爆国」が、世界で有数の原発大国となって、その一つの原子力発電所の事故によって、ついに核放射能が国民を苦しめ、世界的な脅威となっている現実、憲法9条、非核三原則、武器輸出の禁止などをなし崩しにしていこうとする日本の現実に直面している時、私は来し方を思い、その甲斐なさにうろたえる。 
思いもかけず、道をそれてしまった。しかし、卷中に収録の次の二首は挙げておかないわけにはいかない。 
 
身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて 
国がらをただ守らむといばら道すすみゆくともいくさとめけり 
  御製(天皇 御名 裕仁)(夜久正雄『歌人・今上天皇』より) 
この二首をどう読むかについて私見を述べる必要はないだろう。 
 
原爆短歌に戻ろう。卷七に収録されている作品を挙げていく。 
 
吾子(あこ)既にこの世に在(あ)らず街上のたぎるほてりに妻と吾と佇(た)つ 
 
静かなる夏のあしたの雨聴けばせめては吾子の骨清くあれ 
                 浅山富雄 
 
爆死迫る汝とし知らず寝語りし終(つひ)の一夜を想ひゐにけり 
 
拉(ひし)がれし悲しみながら日を経(ふ)ればうすれゆくあはれ子の面影は           須田伊波穂 
 
わが子をば奪へる原子爆弾の記事蒐(あつ)めつつ何するものぞ 
                 藤原 元 
 
死体白く浮かびゐたりしはここなりき冬曝(ふゆざ)れの河に来て思ひをり 
 
陽(ひ)のにほひつねに原爆につながりて真昼の街路けふも灼(や)けつぐ              中邑浄人 
 
爆心地の木標ややに古びきし向ひに浦上市場建並(たちなら)ぶ 
                 藤田共子 
もえおちしあかき煉瓦(れんぐわ)の天主堂ひとかげもなく秋雨そそぐ              三浦仙三 
 
事務室の電気時計は原爆にこはれたるまま今に動かず 
                 沖本義隆 
 
をとめごの醜き原子蟹足腫(ケロイド)も手馴れしごとくカルテに写す              門 信雄 
 
白き蝶(てふ)ひろしまほろぶ炎(ひ)の中に凛々(りり)しきかもよ舞ひてありけり       田邊耕一郎 
 
敗れたる国にかすかに生き残り炎降り来る夢におびゆる 
                 白木 裕 
 
まどろめば必ず夢に広島の万の墓 うちのひとつにわが名を刻む 
                 小崎碇之介 
 
髪抜けて死にゆく同僚相つぐに死亡予定者の中なるわが名 
                 山本康夫 
 
罹災者(りさいしゃ)の骨埋(うづ)もれてあらむかと焼けし街路の瓦(かはら)踏みゆく     神田三亀男 
 
  被爆直後から生きのびた作者たちそれぞれの思いと現実、原爆は生きのびた人々にあって、やむことのない爆発を続ける。核放射能とは底知れぬ反人間的存在だ。原発もそれをふりまく。(続く) 


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