2011年09月25日12時06分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201109251206490

文化

【核を詠う】(8) 『昭和萬葉集』卷七・八の原爆短歌を読むぁ 峭萋發忘覆鮓討咾弔賃たゆる、鮮人の声しみて忘れず」(名柄敏子) 山崎芳彦

  『昭和萬葉集』卷八は「復興への槌音 昭和23年〜24年」と題されている。敗戦後3年を経て日本が「復興」への動きを見せ始めた時期としているのだが、そのような位置づけが適切であるかどうか、そう簡単ではなかったろう。米ソ対立による東西冷戦の緊張のなかで、米国は日本の「民主化、非軍事化」から反共の軍事的砦とする方針に転じた敗戦処理・占領政策をすすめ、ソ連(当時)・中国を背景とする朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の成立に対応して、南朝鮮で選挙を行ない大韓民国の初代大統領に李承晩を当選させ、軍事的に中ソとの対抗勢力の構築に動き、他方、中ソ側は朝鮮民主主義人民共和国を砦として金日成政権を支援した。 
 
  思えば、朝鮮の民衆は日本による侵略・支配による塗炭の苦しみから、本来なら独立国として南北一体の主権国になり、自らの発展へと歩を進めるのが求める道になるはずだったのに、第二次世界大戦の終結の結果は、東西冷戦の深刻化の中で、南北に分断される悲劇の国、やがて昭和25年には東西大国の尖兵として同胞が戦う朝鮮戦争へと進んでいく道程にあった時期であった。第二次世界大戦の、「日独伊の独裁侵略主義連合対それと戦う連合国との戦争」というだけではない、大国の帝国主義的支配権争いというもう一つの本質が、朝鮮の民衆を犠牲にした。 
 
  その根っこに、日本の苛酷な朝鮮支配の歴史があったことを、強制連行・強制労働、名前を奪い言葉をも奪い、生命を奪い、人間としての尊厳を奪い、差別を日常当然のこととした、その具体的な一つ一つを挙げられれば、「あれは国がしたこと」といって済ませることが出来ない日本の民衆としての心からの謝罪と、心の中に抱き続けるべき悔恨と再びは行なわないという決意があって、初めて国を動かせるという自覚を日本国主権者は持ち続けなければならないだろう。時の流れがすべてを浄化するものであるはずがないではないか。 
 
  最近の国会における一部議員の、特に朝鮮・中国に関する歴史認識の発言には身震いするほどおぞましいものがあるし、知識人と称される人にも少なくない。戦争認識は過去をだけでなく現在・未来を指し示す。核兵器を容認し、自らも持つべきとする言辞さえ隠さない人たちが国や地方自治体を、そして世論を動かそうとする現状を、甘く見るべきではない。かつて日本という国が実際に侵略と戦争を行ない、それを認め許した、あるいは「どうしようもできない」と自らを許した民衆が、軍国主義の独裁の下だったとはいえ、大勢だったのだから。 
 
  詩人の石川逸子さんは、このほど、ほとんど独力で(もちろん賛同し協力した多くの有志はおられたが)1982年4月から30年間にわたってたゆみなく編集発行し続けられた『ヒロシマ・ナガサキを考える』をこのほど100号をもって終刊とされた。不勉強な私が同誌を知ったのは、今年の3・11福島原発事故を契機に、原爆短歌を集中的に読み始めてからであったのに、その創刊号から最終号までを読むことができたのは、まことにありがたいことに、2008年に創刊号から70号までを復刻版(創刊号から45号まで復刻版機46号から70号まで復刻版供砲箸靴憧行されたものを、幸いにしてある書店にあるのを見つけ出したこと、そしてこの8月には71号から最終100号までを復刻版掘71号から87号が掘臭 86号から100号まで掘臭◆△気蕕豊機↓供↓靴料輒楴 索引の冊子)として刊行して下さったからである。読ませていただいて、原爆被爆のとらえ方、在日韓国人、中国人、その他の国々の人々、もとより日本の人々と、戦争、原爆、差別、人間の生き様について、そして己れ自身のありようについて深く考えさせられた。このような抽象的な紹介は、何も言っていないと同じだから、石川さんに申し訳ない。 
全巻重ねると10cmに及ぶ厚さの大冊である。総重量4kgに達するが、その内容はさらに量りようがない。まことに尊いお仕事をされたと敬意、感謝するものの一人だが、内容の隅々にまで石川さんの体温と、同誌の中で語り、書き記した方々の思いが沁みてくる。真実の厳しさは温かいと、大切に読み続けている。 
第100号の巻末に申し込み先の住所、FAX、メールアドレスが記されているが、次のとおり。 
(住所〒124-0012 東京都葛飾区奥戸6-18-17 FA03-3694-4369、メールアドレスituko@kc4.so.net.ne.jp。復刻版鍬++総目次・索引はまだ間に合いそうだ。3500円。) 
 
  原爆短歌を読むのテーマから逸れたところで多くを書いてしまった。冒頭の名柄さんの作品に、ヒロシマで原爆死した朝鮮人が詠われていることから、このようなことになった。 
 
壕内に妻を呼びつつ息絶ゆる、鮮人の声しみて忘れず 
 
さながらに松の丸太を積む如く、硬直せる死体トラックに積みぬ 
                  名柄敏子 
 
  原爆被爆の現実の中に聞いた朝鮮人の声は、その妻の名を呼びつつ絶えていく。名柄さんの心にしみる。被爆時、広島には8万人余の人々が居住していたとされ約5万人が被爆し、3万人以上が死亡したとする推定(朝日新聞、昭和49年8月5日 毎日新聞、昭和55年7月26日)もあるが、「その実相と被爆者の実情は皆目明らかにされていないというのが現状」(前掲朝日新聞)とされた。被爆後29年を経てなおそのような朝鮮人被爆の実態把握は、祖国から強制連行し、徴兵、徴用された上に原爆被爆の苦難に喘ぐ人々を日本国は無視し、さらに差別したといわれても仕方がない。政府の被爆者対策の歴史がすべてを示す。 
 
  しかし、名柄さんは「鮮人の声しみて忘れず」と詠い、自らも被爆しながら悼むのである。あるいは生き延びた朝鮮の人々をも思ったかもしれない。詠う人の魂であろう。 
生き延びて日本に残った朝鮮の人々、母国に帰った人々、ともに苦難の生活を送った。送っている。日本人被爆者の人生も苛酷だが、それにもまして日本政府の差別は、知れば知るほど、敗戦国でありながら、なお、やはり侵略者の国の行いであった。在日の朝鮮人被爆者に対して、帰国した在韓はじめ中国、その他の国に帰った被爆者に対して、何をなしてきたかは今も問われている。米国も日本も共にである。 
 
  もちろん、たとえば詩人・歌人であった深川宗俊さん(別項で短歌作品を読みたい)のように国と三菱に対してのもと徴用工被爆者の未払い賃金支払い、強制連行・強制労働・原爆被害の損害賠償裁判の最高裁勝訴への道を切り拓いた足跡もあることを忘れないし、前述の石川さんの『ヒロシマ・ナガサキを考える』に登場する多くの人々もいる。私は自虐するのではなく、原爆短歌を読むことによって自分を鍛えたい。原爆は過去のことではないと思うからである。原発列島の現状も思う。 
 
  『昭和萬葉集』卷八の原爆短歌は数多くはない。生活詠の中にあり、直接原爆に言及していない作品は見落としているだろうが。 
 
原爆症に仮初(かりそめ)の生きを保てる娘(こ)の下によぼよぼと吾は還りき 
 
毛布捨て靴捨て還りきたる荷の蜜柑(みかん)の罐詰(くわんづめ)吾娘(あこ)にすすむる          山中一之 
 
いちはやく醵金(きよきん)求めて叫びいる少女の顔の原子症痕 
                    黒田一之 
 
広島の廃墟に命たもち得て住みつぐ人に鐘鳴りひびく 
 
戦争はふたたびあらせじ在(あ)らしめじむごく命を奪ふは何もの 
 
平和の鐘とはに鳴りつげ戦争にまたくみせじと誓ひもて打て 
                    窪田章一郎 
 
三年前のけふ朝晴れゐて学徒らと疎開工場にトマトもぎゐし 
 
八時十五分の祈りの鐘が鳴りはじめ手摺(てすり)なき橋に歩みをとめつ                     武田 衛 
 
  『昭和萬葉集』卷七・八の原爆短歌をよんできたが、この項は、ひとまずここまでにして、次回は『昭和の記録 歌集・八月十五日』(短歌新聞社 『短歌現代』平成十六年八月号別冊)に収録された原爆短歌を読んでいく予定である。 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。