2011年09月29日12時53分掲載  無料記事
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文化

[演歌シリーズ](19)労働の歌(ワーク・ソング) ―ブルースと『炭坑節』― 佐藤禀一  

  奴隷として、アフリカからアメリカに連れて来られた黒人達は、自分たちの音楽を禁じられた。主に異教信仰の音楽だからという理由で。 
  でも、彼らは「フイルド・ハラー」という音楽を創った。 
 
ブルースの誕生 
 
  黒人達が強いられた労働は、綿花栽培とその収穫だ。ミシシッピー川などの三角地帯は、土地が肥沃で、たくさんの農園が出来た。農作業の厳しさ、その辛さに耐え、作業能率を高めるため、アフリカ音楽の大地の鼓動ともいうべきリズムで、互いに叫んで呼びかける、これが「フイルド・ハラー」叫びの音楽(シャウト・ミュージック)だ。リーダーの叫びに応じて叫び返す。コール&レスポンスという合唱スタイルである。また、礼拝のときに輪になって、踏み鳴らす足のリズムに合わせて歌う「リング・シャウト」が加えられ、ブルースの基が誕生する。 
 
  コール&レスポンス・スタイルは、楽器でも演奏されるようになり、徐々に形式として12小節ワン・コーラスになり、旋律の三度と七度(ミとシ)が微妙に半音下がる哀愁を帯びた「ブルー・ノート(哀愁の音)」が必然的に生み落とされるのだ。これは、アフリカの風の音色でもある。黒人達は、厳しい綿花農作業の中で、足を踏みならし、哀愁に満ちた声(ブルー・ノート)で、仲間の存在を確認し合い作業の能率を高めた。このブルースから、枝分れした音楽がジャズであり黒人霊歌である。 
 
『炭坑節』の誕生 
 
  ユネスコの世界「記憶遺産」に、福岡・筑豊の炭坑を描いた絵が、2011年に選ばれた。同じエネルギー産業の原発が、事故を起こした時期で、なんとも皮肉である。 
  「記憶遺産」は、世界遺産(自然・建物)、無形文化遺産(伝統芸能など)と並ぶユネスコ三大遺産の一つで、本件は、238件目。これまで、ベートーベン交響曲第9番自筆楽譜、ゲーテ文学などがある。山本作兵衛という絵師が、炭鉱労働者の目線で、炭鉱発掘の労働とその人々の生活を活写した作品である。 
 
  狭く暗い坑道で仰向けになって作業している坑夫、夫婦と思われる男女が上半身裸で手掘りしている姿などや男女混浴の共同浴場などの日常も描かれている。どれも表情が明るく暗さが感じられない。 
 
「もぐら陽の目は苦手だが/山のおいらは意気なもの/鋪(しき=坑道)を出るのを待ちかねて/可愛いいあの娘が袖をひく/サノヨイヨイ」(『炭坑節』) 
 恋あり失恋あり、やたら明るい。 
「お前先坑夫(さきやま)仕事なら/わたし選炭音頭とり/苦労する気とされる気を/唄でのろけて共稼ぎ/サノヨイヨイ」 
 夫婦愛まで歌われ、「月が出た出た月が出た(アヨイヨイ)」ついに月がうかれだす。 
 
   石炭産業。かつて日本の屋台骨を支えたエネルギー産業であった。坑夫の多くの命を奪った落盤事故(坑内の天井・側壁が崩れ落ち坑夫が生き埋めに)があるなど命と隣合わせの厳しい作業現場であった。戦後最大の労働争議・三池闘争(1959〜60年)があり、第二組合が組織され第一組合との熾烈な争いがあり、警察機動隊も導入され、常に殺気立っていた。でも銭湯(お金を出して入る共同浴場、風呂のある家はまれな時代)には、三者呉越同舟で芋を洗うようであった。そこでは、互いに争議の話は、御法度であったと言う。 
 
  炭鉱労働は、確かに過酷なものであった。でも、誰もが労働の意味内容は、理解していたし、働いているときの鉱夫同志の連帯もあった。人の温もりもあった。半裸で立ち堀り寝堀りをする夫婦には、信頼と息の合った心があった。互いに思いやりもあった。浴場や冠婚葬祭には、共同体としての心のかよい合いもあった。新聞や雑誌で見た山本作兵衛の絵には、それらが息づいていた。だから、歌も生まれた。 
「朝も早からナイ/カンテラ提げてナイ」福島弁で歌われる『常磐炭坑節』も明るい。 
 
原発労働現場から歌は生まれない 
 
「生まれた街は原発事故で放射線まみれ/アイツの家は津波で流されちまった/一緒に見た桜も お前と遊んだ海も/全部 全部……汚染されっちまった」 
 
  『被災地の声』を創ったのは、斎藤悠志(本名・佐藤賢治)。メロディを聴いたことが無い、詩もワン・コーラス、これが全てかどうかも分らない。斎藤は、二十八歳、二十代初めから、東京電力の協力会社で働いた原発労働者である。 
 
  福島第一原子力発電所(以下福島第一原発)の事故後、一時、ふるさと富岡町を離れていたが、楢葉町のスポーツ施設で、事故原発現場から来る車の除染作業に従事した。防護服の上にカッパを着ての作業。最近は、警戒区域から運び出された持ち主不明の車の除染もやっている。 
  その合間に、いわき市のライブ・ハウスや路上で歌っていると言う。ストリート・シンガー・ソング・ライターだ。彼の存在を『朝日新聞』六月二十七日付福島版の記事で知った。 
 
  詩に「一緒に見た桜」とあるのは、富岡町の「夜の森(よのもり)公園」の桜のことだ。日本でも名立たる桜の名所で、花が咲き誇っているとき、人の姿は、無かった。この歌は、原発労働現場から生まれたというより哀しみと原発への怒りに満ちている。 
 
  原子力発電所は、コンピューターによって制御されている。そのコントロール・センターには、電力会社の正社員が当たり、防御服など着る必要がない安全地帯(?)である。しかし、人の匂いがしない。 
 
  一方、原発事故を防ぎ、スムーズな運転をするために行われる配管、原子炉内の点検・清掃は、本社社員は、かかわらない。何万人もの下請け、はては、孫請け、ひ孫請けの労働者の人海戦術によって展開されている。その多くは、農漁民、元炭鉱マン、大都市の通称“ドヤ街”に住む人(大都市寄せ場の人)などだ。ピンハネがあり、まともに賃金が払われていないようだ。真実は、定かで無いが、最近は、右翼団体や組織暴力団がからんでいるともささやかれたりしている。 
 
  現代科学技術の最先端にある原発、しかし、その内実は、炉心部のまわりは、高温で多湿。防御服でかためた身からは、汗が噴出、全面マスクは、たちまち曇り、汗がたまり前が見えなくなり、思わずマスクを外して仕事をしてしまう。 
  この「原発労働者」には、自分の仕事が見えない。いま修復している管がどういう役割をしているかなど知らされない。ただ指示されるまま作業をつづける。いま、ボロ雑巾で拭いている炉のゴミは、何なのか……。働き甲斐など生まれようがない。作業員同志の連帯感も無いだろう。ここが、黒人奴隷や炭坑労働者との決定的な違いであろう。 
 
瓦礫すら片付けられないではないか 
 
  事故から半年が過ぎた。福島第一原発では、いまどのような作業が行われているのだろうか。だいぶ片付けも進んでいるようだが、放射能を含んだ瓦礫は、残されているようだ。散乱したままのところもあると言う。こうした瓦礫と周辺学校の校庭などの除染した土の行き場が無い。 
 
  汚染瓦礫、汚染土すら処理出来ないでどうして原発なのだ。ましてや、原発を稼働すれば排出されつづける使用済み核燃料をどうするのだ。いまだ「中間貯蔵施設」も決まっていない……。どこだってイヤなのだ。 


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