2011年10月08日00時17分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(9)『昭和の記録 歌集八月十五日』の原爆短歌を読む  峺暁症末期の父を看取る日々記されざりき母の日記は」(阿部洋子)  山崎芳彦

 短歌専門出版社として、他には見ない貴重な出版事業を多様に展開している短歌新聞社が、同社の月刊総合短歌雑誌『短歌現代』の特別企画別冊号として、平成16年8月に刊行した同書は、「第二次世界大戦を経験したものにとって、この企画は長年の懸案でありました。人類の歴史上初めての原子爆弾をも被爆した我々の世代が、我々歌人が、この経験を詠い遺す意義は大きいと思います。戦後六十年という時間は、わたくし同様、皆様の思いを薄れさせる時間ではなかったと再認識した次第です。」と、後記で(I)のイニシャルで、同社の社長であり、著名な歌人でもある石黒清介氏(に相違ないと信ずる)が記している通りの、短歌界にとっての快挙というべき企画であったと思う。今後果たしてこれほどの戦争記録歌誌が編まれることがあり得るかと思わせる貴重な企画であった。 
 
 これに応えた時代の証人たる短歌作者1655名の寄稿者の作品は、戦地詠、シベリヤ抑留体験、学徒出陣、ヒロシマ・長崎被爆、空爆被爆、児童の集団疎開、勤労奉仕、玉音放送などを実際に体験された作者による短歌群であり、一首一首にこめられた重みがあり、「第二次世界大戦のような歴史は、決して繰り返されることのないように願って」「この歌集が長く語り継がれるものとなることを念じています」(後記)という祈りのような言葉を支える作品が450頁に、ぎっしりと重ねられている。作者の言葉が添えられているものもあり、効果的な役割を果たしている。 
 
 この歌集に収録された原爆に関する作品を読んでいきたいが、戦後六十年に編まれたこの歌集中の作品の背景に、死して詠い残せなかった人々、作歌をしない人々、作品に姿を見せていない人々、日本人に限らない在日、帰国朝鮮人、中国人、その他多くの原爆被爆者にも、思いを寄せることが、同書企画の意図にそうことになると思う。 
 
 
 (入市被爆)       安部洋子 
 
原爆症末期の父を看取る日々記されざりき母の日記は 
 
献血に昨日また今日と来給える人らのありて父は生き継ぐ 
 
ときに見し父の荒びよ原爆の街の幾日は語らずありき 
 
死を恐れし父の額の冷たさをわがてのひらは忘られずけり 
 
橋脚に大いなる渦まつわるを病みて焦ちし父も見たりき 
 
駆け過ぎし一生を思う父の忌日うねりはげしき川を見下ろす 
 
橋脚は夕焼けており父の声ひびかいし日もはるけくなりぬ 
 
茜色の雲ひきよせて合歓は咲きかなたなる日を思う八月 
 
合歓の花咲くあたりより風湧きて思わぬ明るさに父の背の見ゆ 
 
 作者は「父の死は入市被爆による原爆症でした。父は自らその病名を知りませんでした。・・・二次被爆とか入市被爆とかはまだ聞くことのない時代でした。貧血のための入院で私たちは知りました。検査と輸血のみの三ヶ月に満たない入院生活の果ての死でした。二十を過ぎたばかりの私を長子に、五人の子供への思いで父は、最後まで『死ねない』と言いつづけました。」と記している。直接被爆しなくても、核放射能による被害はかくのごときであった。 
 
 被爆して生き延びた人々、二次被爆といわれる放射能を体内に取り入れてしまった人々にとって原爆は一瞬の爆発ではなかったのである。三首目の「ときに見し父の荒び」は、病名は知らなかったとはいえ、語らなかった原爆の街とかかわったのだろうし、原爆症末期の夫の苦しみを看取りながらも日記には記さなかった母の心情、「死を恐れし父の額の冷たさ」を作者の掌が忘れ得ない・・・まことに切々たる原爆詠の一連である。このような歌は、福島原発の事故による放射能被害の深刻さを思わせる。 
 
 
 (原爆)         赤尾節子 
 
閃光に町ごと消されし、猿楽町(さるがくちやう)、石碑(いしぶみ)のみが町にのこれり 
 
湯のし屋に行李(かうり)屋、紋屋、メリヤス屋原爆地図の空白埋むる 
 
湯むきせるトマトに思ふ灼け爛れ吾に縋りつきし被爆者の顔 
 
被爆せし子を尋ね来て焼け残る手縫ひの下着に母は見出しき 
 
水欲りつつ被爆死せし子の双の手にトマト載せたり赤きトマトを 
 
被爆死の甥と姪をば己が手に焼きし父はも遂に語らず 
 
「原爆は人が落とさにゃ落ちんのに」九十四歳丸木さんは言ふ 
 
 原爆被爆下の実相を詠って具体的である。一瞬にして壊滅した町、作者の知人縁者をはじめ、人間が生きていた町である。さらに「湯むきせるトマト」と「灼け爛れ」た被爆者の顔、被爆者の母と子や、原爆に破壊された街、そこにいた人を詠えば尽きない思いを、生き延びた作者は短歌表現をよりリアルにする。最後の一首は丸木伊里・敏画伯の言葉であろうか。丸木さんの原爆の図は、原爆の底知れぬ残酷と人間の生命の尊さを、深く描いている。「人が落とさにゃ落ちんのに」広島に、長崎に落とされた原爆を、赤尾さんは短歌で詠った。被爆死した人、生き延びて悲嘆する人を、自らも被爆しながら詠う、訴える。歌とは訴えである。祈りでもあろう。 
 
 
  (胎内被爆)      有田秀子 
 
閃光の瞬時に潰えし我家の畳の上に空青かりき (爆心地より二粁) 
 
命ありて逃げゆく道の溝淵に見てしまひたりむくろ一体 
 
夜もすがら越え来し峠はるかなりいりこ干場に朝をまどろむ 
 
身重八ヶ月の歩幅小さく歩み継ぎかにかく来たり十里の炎天 
 
胎内被爆を死因となしし嬰子の命口惜しき夏めぐり来ぬ 
 
 作者は「昭和二十年八月九日午前十一時五分、長崎に原爆落下。太陽が破裂したかと思われた。白いするどい光を見た。あわてて伏せた身を起した頭の上には、家屋根は抜け、青い青い八月の空があった。」とのみ添え書きしているが、「身重八ヶ月」の身で、炎天下の十里の道をのがれた甲斐なく、核放射能は胎内に大切に大切に育んだ嬰子の命を奪った。その八月がまためぐり来た。「口惜しき夏」と詠う作者の思いは深い。 
 
 長崎にも、広島にも胎内被爆による悲劇は少なからずあり、さらに親が被爆した影響で、被爆時にはまだ胎児にもなっていなかった「被爆二世」にさまざまな障害があらわれるという、耐え難い苦患もある。核放射能のもたらす人間破壊の実態を、あらゆる医学的科学的探究によって明らかにしなければならないし、既に明らかになっている実状を隠すことなく公表しなければなるまい。原発の稼動など許してはならない。 
 
 
  (原爆死の弟)       井澤淑子 
 
誰の名を呼びて絶えしや原爆死の弟十七歳うつしゑに笑む 
 
死者達の血の色に染み被爆地の夾竹桃のかぜなまぐさし 
 
防空壕の父の蔵書を競ひ読みし学徒兵らは発ちて還らず 
 
いくさの日母が晴れ着と取り替へし碾臼庭にあおく苔生す 
 
 作者は「当時父は旧制中学の教師であり、教え子の多くが軍人の学校に進学したが弟も卒業を待たずにその道を選んだ。運悪く虫垂炎に罹り広島市に入院中に原爆死したという。」と添え書きしている。 
 
 ここまで読んできて、改めて、昭和二十年八月六日・九日の広島・長崎の原爆は、六十六年前のこととしてではなく、この国の現在にひきつけて考えなければならないと痛感する。原発をはじめ、政治が危うい方向に向かっている現状を思いつつ原爆短歌をさらに読み続けたい。(続く) 


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