2011年11月03日11時18分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(13)正田篠枝さんの歌集『さんげ』(原文)を読む� 〇爐婿�を 強要されし 同胞(はらから)の魂(たま)にたむけん 悲嘆の日記」 山崎芳彦

 正田篠枝(1910〜1965)の名は、歌集『さんげ』と切り離して語られることはない。広島に原爆が投下されて正田さん自身が被爆した翌々年の昭和22年に発行されたこの歌集は、当時厳しい占領軍による検閲の眼をくぐって、広島刑務所印刷部で印刷、秘密出版された(出版部数は100部、150部の両説がある)。この秘密出版の歌集が明るみに出れば死刑になると家族や周囲の人からとどめられる中で、「死刑になってもよいという決心」(正田さん自身が昭和37年出版の『耳鳴り』で記している。)で出版したこと、何より原爆に被爆した正田さんがその直後から原爆投下による悲惨な実態を短歌表現し秘密出版という形で世に出したことが、原水爆禁止運動が広島はもとより全国的な広がりを見せ始めた時期に、出版の経緯も明らかにされたことから、正田篠枝の名と歌集『さんげ』が各方面で語られ、正田さん自身もテレビ(昭和四十年四月、NHKテレビの「ある人生シリーズ」)の「耳鳴り―ある被爆者の記録」)に出演したことなどもあって、原爆短歌の嚆矢をなした歌人として、伝説的なエピソードも加えられて知られたと言える。 
 
 それはもとより、歌集『さんげ』の短歌作品の持つ力によるもので、作品に接した読者に強力な衝撃を、短歌として既成の作品にはなかった表現も用いて与え、原爆被爆の実態をリアルに、迫真力を持って詠い切っていることによると思う。 
 
 正田篠枝さんと歌集『さんげ』をめぐっては、さまざまな伝説的なエピソードが語られ、秘密出版に至る経緯や、出版の時期、部数などについても諸説がある。しかし、筆者は、正田さんが被爆直後から原爆投下による惨状、実態を短歌として表現し、自らと家族、知人の生存、生活の苦境の中にあって、自らの体験や近しい人の体験をもとに実態を詠い記録した事実、その作品をやむにやまれぬ思いを持って歌集の出版に取り組み実現した事実を知ることで十分であると考えている。もちろん、短歌史を研究するのなら、細部にわたって調べることも必要であろうが、それは筆者の意図するところではない。作品を読み、記録することを考えているからである。 
 
 彼女以前に原爆短歌を詠い発表された作品があるではないか、あるいは『さんげ』の元になる作品三十九首を、昭和二十一年八月に杉浦翠子主宰の歌誌『不死鳥』(ふしどり)に発表していてそれは検閲を通っているのだからその正田さんが「死刑」も覚悟というのはどうか、などの論もあるが、そのようなことより、正田篠枝さんが被爆者として生きて、原爆症に病み、苦しみ、原爆症による乳がんで亡くなった、そして最後まで詠い続けたその生涯と作品を知り、読む。それを、現在を生きる者として、原発・核列島の放射能の危険にさらされ、日本も抑止力としての核兵器を持つことを全否定すべきではないなどの主張さえ公然あるいは密かに行なわれていることの実態をリアルに把握して行く一つの糧としたいと考える。原子力が人間と共存できないことは、正田さんの短歌作品をよめば、明らかだと思う。原発の放射能も本質は同じだ。 
 
 それにしては、正田さんの作品をはじめ原爆短歌を手にとって読むことが容易ではないのが現状である。図書館めぐり、古書店めぐりをしても容易ではなかった。正田さんの『耳鳴り』入手には数ヶ月を要した。 
 
 原爆被爆した正田さんの短歌について「正田さんはありったけの力をしぼって、すべてを短歌の型式にのせて表現しているのである。・・・ 
 
 正田さんの歌は一種独特の詠風があって、短歌では常人ばなれのしたところがある。しかし正田さんは原爆で父君を亡くし、その身も終生立つ能わぬほどの傷手を受けた。その眼裏に焼き付けた悲惨のさまを、やむにやまれぬ思いで短歌に詠みあげて来たということは、これは正田さんがいかに強靭な精神力の持ち主であるかということで、驚くべきことだと思うのである。・・・正田篠枝さんは六月十五日夜、広島市平野町の自宅でついに亡くなられた。この原稿を書いたのは一日前の十四日の夜であったが、計らずもこれがたむけになろうとは・・・。」(森田正義氏、広島歌話会編「合同歌集・広島歌人集」第一号、昭和四十年八月一日発行) 
との一文がある。 
 
 また同じ誌面で深川宗俊さんは「広島で被爆した歌人のひとり正田篠枝さんが原爆後遺症から来た乳がんで亡くなられた。・・・正田さんは日頃から『一粒の砂』として生きつづけたいと願っていた。乳がんの宣告を九大で受けたのちも、生きることのなかで、なお生の可能性をさぐりつづけた。そういう激しいたたかいのなかで書かれた彼女の作品は、それだけに多くの問題を投げかけている。自らが名づけた正田篠枝という一粒の砂は、私たちの心のなかに新しい一粒の砂を生ましめた。ほんとうの作品というものはそういうものであるかもしれない。」と書いている。反原爆、被爆者に対する政府の対策要求などをともにたたかい、歌人としての交流も深かった 
 
 深川さんの言葉には深い悲しみがこもる。 
 
 前書きが長くなったが、今回から正田篠枝さんの作品を読んでいきたい。最初には、やはり『さんげ』の作品を読みたい。発行の経緯からも私家版の『さんげ』に接することは不可能に近いが、昭和三十七年に平凡社から発行された『原爆歌人の手記・耳鳴り』(正田篠枝著)に自らの解説も付した『さんげ』が収録されているのをはじめ、昭和五十二年二月に月尾菅子(藤浪短歌会主宰)による『さんげ 復刻版』が、さらに同年十月に水田九八二郎著『目をあけば修羅 被爆歌人正田篠枝の生涯』(未来社刊)への収録、平成三年五月に日本図書センターが刊行した『日本の原爆記録』十七巻の『原爆歌集・句集広島編』(栗原貞子・吉波曽死編)への収録、そして平成平成七年七月の広島文学資料保全の会編による『さんげ―原爆歌人正田篠枝の愛と孤独―』(社会思想社 現代教養文庫)への収録などがあるが、最後に挙げた現代教養文庫には、私家版の歌集『さんげ』のオリジナルが収録されている。かなづかい、漢字がもとのままであり、他には見られないものである。正田さんの『さんげ』出版を決定付けたとも言える師・杉浦翠子の序も付いている。筆者はあえてこのオリジナルを用いて読むことにした。(前掲した書籍はすべて絶版になっているのが残念である。) 
 
 正田篠枝歌集『さんげ』(原文) 
 
(序歌) 死ぬ時を 強要されし 同胞(はらから)の魂(たま)にたむけん 悲嘆の日記 
 
    序   杉浦翠子 
 原子爆弾の惨劇については、文字なき人は孫子の代まで語りつがうといふ意思であらうし、文字ある人はこれを記録して永遠に傳へたいと思ふでありませう。 
 我が正田篠枝さんは短歌をもって彼の惨事を表現されたのです。短歌が卓上の作り物ではなく、躰験(たいけん)から會得(えとく)するところの感情性文学であることは、今更贅言(ぜいげん)するまでもないが、但しその表現の如何(いかん)によるところの技能巧拙の如何によって、それが歌になるかならぬかになるのです。 
 原子爆弾の惨事といふ、つまり人類が地球上に生れて以来の初めての事件、さうしたものを散文によっても、よほど名文でないと傳達不可能に了(おわ)るのです。況(ま)して、これを三十一文字の短歌詩型をもって作られた正田さんの歌才には全く敬意を惜しまない私であります。 
 現代は萬葉集禮讃時代で、共に萬葉の女流歌人たちに絶讃を捧げてゐますが、彼(か)の女性たちは重(おも)に戀愛の歌より他に歌はなかったのです。ところが現代の女流の歌才といふものは、彼の女性たちに比較して、いかにその視野が廣汎に行き亙(わた)ってゐることかは、正田さんのこの歌集の歌を見ても認識するところであります。 
 原子爆弾といふ破天荒な、つまり今日までの人間の夢想だもしなかった絶對の威力に對し、これを詠ふとすれば、大概(たいがい)は妄想的短歌になりやすい。これが明星派の歌人であったら、必ず妖誕(ようたん‐あやしげなそらごと)的な妄想的な歌意をもって作られたでありませう。さうなると短歌文学の本質遊離で取るに足りないものであります。正田さんがさうした邪道を踏まず、ひたすらに對象を正視し凝視して、描冩されたことは、一つは我が藤浪會「短歌至上」の短歌作法に修業されたからだと思ひます。 
 近代科学が齎(もた)らした、あの原子爆発の猛威が世界全生物を一瞬にして微塵滅亡に導く驚くべき出来事の前に、よくもこれほどの落着きを持って正視出來た正田さんの詩的慧眼には驚くものがあります。この深い精神沈着な心は正田さんの宗教からの感化と、また、常日頃からの短歌修業から得られたものだと思ひます。私たち歌作りは、日常に起る喜怒哀楽の感情を決して粗末にせず、それ等をよくよく見極めようとする、それが遂に習慣性にさへなってゐるのです。 
 私は正田篠枝さんのこの習慣性といふものをこの歌集によって窺知(きゅうち)し、しかしてこの習慣性になじむに至った正田さんの長年の短歌修業に敬意を表します。 
 然(しか)して、この歌集こそ前例なく、また後世にもなかるべきものと私は信じます。故に長い長い間の短歌史上の中に一點の燈火の光、それだと思ふのであります。 
 
  噫! 原子爆弾 
ピカッドン 一瞬の寂(せき) 目をあけば 修羅場と化して 悽惨 のうめき 
 
目の前を なにの實態か 黄煙が クルクルクルと 急速に過ぎる 
 
蒼白の 娘の顔が 眼のさきに 母さんと叫ぶ 鼓膜をつきて 
 
木ッ葉(こっぱ)みぢん 崩壊の中に 血まみれの まっ青の顔 父の顔まさに 
 
救急箱の あり處(ど)求めて 歩まんとすれど おのれの足 立たざりき 
 
奥さん奥さんと 頼り來れる 全身火傷や 肉赤く 柘榴(ざくろ)と裂けし人体 
 
あちこちに 火の手が上ると 聞きながら 薬ぬる手は やめず動かす 
 
手當の藥 つきて初めて 気づきたり 肩の傷より 吹き出づる血潮 悲惨の極 
 
天上で 悪鬼どもが 毒槽を くつがへせしか 黒き雨降る 
 
鈴なりの 満員電車 宙に飛び 落ちてつぶれぬ 地にペシャンコに 
 
燃える梁(はり)の 下敷の娘 財布もつ手を上げ これ持って逃げよと 母に叫ぶ 
 
梁屋根の 下敷となり やっと見上げば 尺たらぬ穴より 陽の光見ゆ 
 
よぢ登り やうやく穴より 出でんとせば 腰の財産包 つかへていで得ず 
 
命欲(ほっ)し つひに結びめ解けば はらっと 届かぬ底に 落ちてゆきたり 
 
炎なか くぐりぬけきて 川に浮く 死骸に乗っかり 夜の明けを待つ 
 
死骸の上に 明かせし朝(あした) 陸のへに 助けられたれど 息絶えし人 
 
火鉢あり そのすきま突き破り 這ひ出づるを得つ 屋根の下敷よ 
り 
 
火の海を さけてたどり來し グランドに 気付けば 右手は折れて垂れたり 
 
老い先を いかにや生くる 右手折れし 老女は 孤獨の マッサージ師なり 
 
夢の中か 現實か まさに眼の前に 耳まで口裂けし 人間の顔面 
 
 急設治療所 
背負はれて 急設治療所に 來てみれば 死骸の側に 臨終の人 
 
子をひとり 焔の中に とりのこし 我ればかり得たる命と 女泣き狂ふ 
 
食塩水で 洗ひつつ 肩の肉裂けし 傷にくひこむ 硝子破片をさぐる 
 
傷口を 縫ふ糸も これでもう無いと 醫師つぶやけり 手あてなしつつ 
 
治療濟て 炎天の下に 出てみれば 蜿蜒長蛇(えんえんちょうだ)の 負傷者つづく 
 
 正田さんの実体験、あるいは身近な被爆者から聞いた体験により、原爆投下の被災直後の状況、実態を、具体的にイメージさせる短歌表現の力は、作者の鋭敏な、しかも人間的な感性、それを確かな内実を持つ言語を湧き出させて、一首一首をリアリティに支えられた作品として成り立たせている。他所ごと、他人事としてこれらの歌を読むことは出来ない。現在につながらない過去は無いし未来もないだろう。 
 
 戦争なる故にか 
ズロースも つけず黒焦の 人は女(をみな)か 乳房たらして 泣きめき行く 
 
石炭にあらず 黒焦の 人間なり うづとつみあげ トラック過ぎぬ 
 
仁王像の如く 腫れあがり 黒く焦げし 裸体の死骸が 累々とかさなる 
 
道ばたの 防火水槽に 片足かけし 男の死骸 ゲートル巻きて 
 
子と母か 繋ぐ手の指 離れざる 二ッの死骸 水槽より出ず 
 
  生き残る者の苦 
筏木(いかだぎ)の 如くに浮かぶ 死骸を 竿に鉤をつけ ブスッとさしぬ 
 
川中に 流るる死骸 引よせて 處理する兵士の 顔青くひきつる 
 
一日中 死骸をあつめ 火に焼きて 處理せし男 酒酒とうめく 
 
酒あふり 酒あふりて 死骸焼く 男のまなこ 涙に光る 
 
 まだ途中だが、歌集名『さんげ』について正田さんが『耳鳴り』に記している概要について書いておきたい。「宇宙はじまって以来、いかなる戦争の惨劇も原子爆弾の残酷さの右に出るものはないと思いました。この悲惨を体験し、何故、こういう目に会わねばならないのであろうかについて、他を責むるのみではなく、責むべき者のなかには、己れもあるのだと思いました。そうして、不思議に生き残って、病苦に悩まなければならない、自分を省みて懺悔(ざんげ)せずにおれないのでありました。それで『さんげ』と題をつけました。」と書いている。 
 
 正田さんは、原爆のもたらす悲惨について厳しく告発し、原爆の投下に抗議し、「原水爆禁止母の会」の発起人にもなり、平和運動にも参加した。その正田さんが自らの強い意志で、厳しい占領軍の検閲体制下に秘密出版したアメリカの原爆のむごさ、非道をいち早く告発することになる歌集名を何故『さんげ』としたのだろうか。 
この歌集の最後の一首が、 
 
武器持たぬ 我等国民(くにたみ) 大懺悔の 心を持して 深信に生きむ 
 
 であることによるのだろうか。戦争放棄を明記した憲法はまだなかった時である。正田さんが、仏教への信心を持ち、生きる支えにしたことも関わっているのかもしれない。『さんげ』のみならず『耳鳴り』さらに死後出版された『百日紅』などの短歌、詩、手記などを読めば、正田さんを伝説的に語られる『さんげ』の歌人としてのイメージのみでとらえるのでは、正田篠枝の人間像とその作品を読みきれないと思う。先ず『さんげ』の作品を読み、さらにそのほかの作品も読みすすめたい。 
 
 なお、筆者は、作品について、一首一首にかかわって言及するつもりはない。ひたすら読むものであり、作品を記録するものである。次回も『さんげ』の作品を読む。 
                          (続く) 


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