2011年11月06日11時15分掲載  無料記事
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文化

【演歌シリーズ】(20)労働の歌(ワーク・ソング)供宗慷榛遏戞愀残鐐ァ抻海罰い力働歌―  佐藤禀一 

 「与作は 木をきる/ヘイヘイホー ヘイヘイホー」 
 
 「山は善」詩人山尾三省の詩魂(ポエジア)である。心から同感する。木々は、山の聖なる霊で、“山の神様”のものだ。熊、狐、狸、羚羊(カモシカ)などの獣たち、山菜や茸、草々もそうだ。 
 
◆樵(きこり)の労働歌『与作』 
 
 「マタギ」という狩人集団が、東北の山間にある。映画『マタギ』(1982年 監・後藤俊夫 脚・同 大和屋竺 出・西村晃 伴淳三郎)や小説『邂逅の森』(作・熊谷達也)が、その暮らしぶりを美しく切なく描いている。秋田県阿仁(あに)地区森吉(もりよし)山麓が、その発祥の地とされている。狩は、「山の神様」から“授かる”儀式であり、“捕る”のではないと言う。当然、山に入ったら「山の神様」の言葉である山言葉を使う。「マタギ」は、「人間」の意である。“授かった”熊の解体は、「ケボカイ」と称されている。塩を盛り、お神酒を供し、“授かった”命にお祈りを捧げて弔う。心臓、肝臓、背肉をクロモジの木に刺して焼き、「山の神様」にお供えして皆で食う。 
 
 樵もまた、マタギ程厳しい掟は無いけれど、木を切ることを「山の神様」からの恵みと受け取り、その命を頂く前に塩を盛り祈りを捧げた。 
 木の命を頂くことは、木の命を救うことでもあるのだ。伐採した木にカシノナガキクイムシ(カシナガ)を寄生させて焼き、広葉樹の枯死が広がることを防いだ。しかし今日、つぎつぎとナラの大木が、カシナガに襲われ、昨年度33万立方メートルが枯れたと伝えられている。京都下鴨神社の神木も危機に瀕していると言う。 
 
 『与作』が歌われた1970年代後半は、経済発展のひずみが傷口を拡げた。山林の際限の無い伐採により野生動物も激減、炭焼き人も樵も減った。「山の神様」への感謝の祈りを忘れ、ひたすら機械鋸を用いて山々を切り刻み乱開発をくり返して来た酬いであろう。 
 
 「こだまは かえるよ/ヘイヘイホー ヘイヘイホー」 
 
 木を切る音にこだまするように、女房の機織の音が重なる。織られる糸は、お蚕さんの吐息であろうか。山の頂を紅色に染めて日が沈む頃、女房が与作を呼ぶ。 
 
 「与作 与作/もう日が暮れる」 
 
 北島三郎が歌う『与作』(1978年 詩・曲・七沢公典)は、自然と一体となった美しい樵ワーク・ソングである。失われて行く、自然への挽歌としても私たちの心を揺さぶるのである。 
 
 この歌の歌われた1970年代は、原発建設ラッシュの時代でもあった。営業運転第一号は、66年7月茨城県東海第一(日本原子力発電)、次いで70年3月福井県敦賀(同)、同年11月福井県美浜(関西電力)、71年3月福島第一(東京)の一号炉であり、そろって事故つづき=欠陥炉と呼ばれた。いずれも軽水炉。その正体が明かされ、原発計画地の建設が、なかなか実施されなかった。 
 
 それが、当時の田中角栄首相、中曽根康弘通産相コンビにより、「札束で頬を叩く」と言われた「電源三法」が公布され、福島第一の二、三、四、五、六号炉、東海第二、静岡県浜岡一、二号炉(中部)、福井県ふげん(日本原子力研究開発機構)、島根県一号炉(中国)、福井県大飯一号炉(関西)、福井県高浜一、二号炉(同)、愛媛県伊方一号炉(四国)、佐賀県玄海一号炉(九州)、そして80年代初めに宮城県女川(東北)、新潟県柏崎刈羽(東京)、鹿児島県川内(九州)と日本列島ほぼ隈無く張り巡らされた。北海道も89年6月に泊一号炉(北海道)で営業運転をスタートさせている。山に加え日本の穏やかで優しい姿の海岸線も荒らされた。 
 
 1976年2月18日米上下両院原子力合同委員会で、米ブラウンズフェリー原発を製作したゼネラル・エレクトリック社(GE)の退社した幹部技術者三人が次のような証言をしている。「原発はかならず大事故を起こす。残る問題は、それがいつ、どこで起こるかわからないということです」福島第一の一、二号炉の設計はこのGEである。 
 
◆漁の労働歌『兄弟船』 
 
 福島県相馬郡新地漁港の漁船は、あの大津波に襲われたにもかかわらず大部分の船が無事である。昔からの伝えにより、津波情報が出て間髪を容れず全船沖に出た。10メートルを超える切り立つような波に面した時の恐怖は、言葉に表せないと口を揃えて漁民は、言う。頂点に達した時バランスを崩さないためエンジンを切る。波底に降りた時にエンジンを掛ける。それを繰り返し津波が収まってから寄港。が、漁に出られない。放射能に汚染された海での漁が禁じられた。漁業権のため、他の海域での漁も出来ない。原発は、その姿で海岸線の景を壊したばかりでなく、海そのものも壊した。 
 
 歌手鳥羽一郎は、中学を出てマグロ船に乗っていた。命がけの仕事であったが、漁の喜びを知っている。漁に出られない福島漁民のくやしさを思い『兄弟船』を歌っている。 
 
 この詩を書いた星野哲郎も海が好きで、小さな漁船に乗り組んだ。しかし、腎臓(じんぞう)結核を患い船乗りを断念。でも海への想い止み難く、詩に海が度々姿を見せる。北島三郎のデビュー曲『なみだ船』(曲・船村徹)、大月みや子が「追えば 一夜(ひとよ)が 死ぬほど長い/私は港の 通(かよ)い妻」と女心を震わせた『女の港』、海を直接タイトルに付された曲も少なくない。鳥羽一郎と星野哲郎、共に小さな船で遠洋の荒波を経験、共に病で海をあきらめた。 
 
 波の谷間に 命の花が 
 ふたつ並んで 咲いている 
 
 兄弟船は 真冬の海へ 
 雪の簾(すだれ)を くぐって進む 
 
 小さな船で、荒波にもまれた人でなければ書けない詩だ。 
 同じ体験を持つ鳥羽一郎の心に詩が染みた。あの野太い、ちょっと押し潰したような、それでいて力強い響きを持った声が、海への想いを揺らす。 
 船村徹は、自分の心に響かない詩には、曲を付けない。母と子、兄弟の情愛を漁場の海に漂わせた星野哲郎の詩に、船村は情(こころ)を動かした。そして、鳥羽一郎の声と表現力を最大限に生かした旋律をはためかせた。 
 
 「力を合わせてヨ 綱を捲き上げる」 
 
 鳥羽一郎は、ことのほか家族を大切にする海の男の思いを情(こころ)を込めて歌いあげた。そして、いま、漁が出来ない福島の海の男の怒りの想いも込めて……。 
 
 福島第一原発事故は、福島の海の男たちから、漁場でこの歌を歌うことも奪ってしまった。 
 放射能は、いのちと相容れない。“絶対”洩らしてはならない。従って、原発は、放射能を幾重もの壁をつくって閉じ込めてきた。科学技術の先端とまで言われた原発が“絶対安全”と言う最も非科学的な言葉にしがみつき、ついに、取返しがつかない大量の放射能を空気中にばらまき、農業・漁業といういのちの生業(なりわい)にダメージを与えてしまった。今も懲りずに“絶対”を頼り、此の期に及んでも原発を稼働させている。神経を疑う。 


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