2012年02月12日12時37分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(30)福島原発の地で詠った東海正史歌集『原発稼働の陰に』を読む(1)「放射能に血病み骨病む君のため出来る何あり星宿(せいしゆく)暗し」  山崎芳彦

 「『放射能』と書いて『無常の風』とルビを振りたいものだ」 と、原爆の反人間的本質を描いた小説『黒い雨』の作者である作家・井伏鱒二は、彼の友人であるジャーナリスト・松本直治の著書『原爆死・一人息子を奪われた父親の手記』(一九七九年七月 潮出版社刊 二〇一一年八月十五日増補改訂版を同社より刊行)に寄せた序文で書いた。同書は、北陸電力に就職した愛息が東海・敦賀両原発に出向して安全管理課の業務に従事したが、放射能被曝による舌癌で三十一歳の若さで死去した経緯を追及してまとめた手記であるが、放射能の被曝が原因であることを認めず、被害者に挙証責任を転嫁する電力会社に対して企業の挙証責任を追及して「病める原発への証言」つづったものである。 
 
 これに対して井伏氏は序文を寄せ「私は原爆のことを取扱った『黒い雨』といふ小説を書くときに、広島での放射能の恐ろしさを調べたこともあって、放射能については無関心ではない。放射能の底知れぬ脅威は聞かされすぎるほど聞かされてゐる。・・・亡くなった息子さんへの鎮魂歌ともいうべき慟哭の手記である。放射線被曝とガン発生の関係を素人ながらも追及し、諦めきれないわが子を思ひ、後に残された者がどのやうにして堪へ忍ぶかを綿々と書いている。・・・私は科学的に無能だが、ガンと被曝の関係の中で挙証責任は企業側にあることを知っている。」 
 
 松本氏は『火の墓標 原発よ一人息子をかえせ』(一九八一年 現代書林刊)をも出版し、子息の死の原因となった原発の放射能被曝の実態や、下請労働者に対する差別の構造などについてまで追及しているが、1995年に83歳で死去した。無念と怒りの晴れることはなかったであろう。原発は稼働し続け、ついには3・11の福島原発事故にまで至っている。 
 
 原発に働く労働者が、社員も、下請、孫うけの作業員も放射線の危険にさらされているということは、その原発が存在する地域周辺に生活する住民も本質的には同じであるといえよう。なぜなら、原発の日常的な稼働が放射能を周辺の空中に、地下水に、海にふりまいていないはずはないし、表には出てこない大中小さまざまな事故が原発内で起きていないはずもない。事実、たとえば福島第一原発では1978年11月に、日本で最初の臨界事故とされる操作ミスによる事故が起こり、そのことが発覚したのは29年後の2007年に至ってからだったということも指摘されている。この事故情報は発電所内でも共有されず、その後も同様事故をふくむさまざまな事故が繰り返されたのが実態である。(『ウィキペディア』原発事故) 福島以外の原発の事故もやむことがない。原発事故は、原発が存在する限り、あり続ける。 
 
 2011年3月11日、東日本大震災のなかで起こった、原発史上最悪の事故は、まさに原発の持つ危険な本質をむき出しにして、底知れない危機的な状況を現出させ、なお、なにが起こっているのか、進んでいるのかの全容は不明である。ことは、福島原発だけの問題ではない。日本原発列島、いつ、どれ程の規模で原発危機が起きるか知れないということと思わなければならない。原発が稼働中であるかどうか、これは重要な問題であるが、これまでに蓄積された原料、使用済み燃料、ハイレベル放射能廃棄物その他核放射性物質は、どれ程の災厄を時間・地域の枠を超えて国内のみならず地球的にもたらすのか、そのことを踏まえて我々は何処へ向かうかを考えなければならない、その課題をあの3・11福島原発事故は突きつけている。 
 
 こうした中で、福島原発のある双葉郡内に居住・生活した二人の歌人の歌集に収録されている原発にかかわる短歌作品が注目されている。 
 東海正史(故人)さんの『原発稼働の陰に』(平成十六年六月 短歌新聞社刊)と佐藤祐禎さんの『青白き光』(平成十六年七月 短歌新聞社刊、平成二十三年十二月に「いりの舎」が文庫版で再版)である。 
 
 東海正史さんについては、福島県南相馬市在住の詩人・若松丈太郎さんの『福島原発難民 南相馬市・一詩人の警告1971年〜2011年』(平成二十三年五月 コールサック社刊)について、日刊ベリタ上で大野和興氏が紹介している中で、若松さんの文章を引用して触れている。筆者も東海さんの歌集を探しあぐねて、未知の若松さんに電話で相談申し上げたところ、早速、南相馬市立図書館が蔵書していることを紹介して戴き、居住している市の図書館経由で借り受け読むことができたという経緯があった。佐藤祐禎さんの『青白き光』は国立国会図書館から、やはり地元図書館経由で借り館内閲覧、書写をしたが、その後、いりの舎文庫(笋03-6413-8426)文庫版を入手できた。このほか、長谷川櫂さんの歌集『震災歌集』(平成二十三年四月 中央公論新社刊)などもある。歌誌・結社誌などを探索すれば原発をテーマにした短歌作品を読むことができると思うが、当面、『原発稼働の陰に』、『青白き光』の作品を読んでいきたい。できることなら、原発労働者の作品を読みたい・・・。 
 
 東海正史さんは『原発稼働の陰に』を上梓して三年後に死去されたが同歌集は東海さんの第三歌集で、第一歌集『動く氷河』、第二歌集『時空への旅』にも原発にかかわる作品が収録され、また朝日歌壇への投稿歌も多い。『原発稼働の陰に』の「あとがき」で東海さんは「私の生活している地区の近隣十キロ範囲の中には十基の原子炉が稼働しており、疲弊に伴う故障の問題や被曝の問題を常に提起している。原発稼働による疲弊と被曝は社会的に捨て置けない問題である。」と記している。事実、知られているだけでも、記述した1978年の事故以後、1989年1月の福島第二原発3号機、1990年9月の同第一原発3号機、1998年2月の第4号機などの事故が起きている。初期稼働から30数年を経た原発の疲弊の実態は、細部にわたれば数え切れないだろう。東海さんの作品には、作業員の被曝の深刻さも詠われている。「私の知る範囲で死者十人を越え、聞く範囲ではこの倍にも及んでいる」とも記し、「労務者たちにも生活があり、被曝許容量を偽っても仕事を続けているのを見るのは痛恨のきわみである。」とも言う。 
 
 原発の歌については制作順に重きを置いて編集をした、という東海さんに従って、同歌集の原発にかかわる作品を読んでいきたい。 
 
 
  原発の町 
段丘のふところ深き密室に臨界ウランひそやかに燃ゆ 
 
原子炉の冷却水を汲む海面に針魚(さより)の稚魚の群れて渦なす 
 
この浜に原発銀座と人ら呼ぶ臨界ウラン燃やす街あり 
 
海水温七度たかまる原子炉の排水溝あたり熱帯魚棲む 
 
赤青の電球点し操作する原子炉誤作動為すやなさずや 
 
意志持ちて稼働しゐるとふと思ふ遮蔽隔離の中の原子炉 
 
軍の空港、塩田開発、原発と重ね来しこの段丘の歴史 
 
原発との関り断てぬ過疎の町に生き存へむ人を愛して 
 
段丘に迷彩して建つ原発群とめぐる芥子粒程の吾らと 
 
 
  原発見聞 
壁厚き原子炉建家に沿ひ来つつ身に迫り来る寒き鬼気感 
 
宇宙服着たる身なりに原子炉の建家の廻り人ら草刈る 
 
核廃棄物詰めたる罐を地下深き倉庫に運ぶロボットの影 
 
原子炉の温排水にて飼ふ鮃(ひらめ)天然ものとは魚紋が違ふ 
 
原子炉の模型の展示見守れり精密なればなる程に忌む 
 
遮蔽外せば臨界起す燃料棒炉心プールに音なく沈む 
 
中性子の数値高まり停止せり定検終へて間なき原子炉 
 
人間の脳波もときに狂はしめ五十万ボルトの送電線唸る 
 
春の潮恥(やさ)しく寄する段丘に原子炉建てり二むろ十基 
 
罅入るも十年持つとふ原子炉が稼働しており昼夜別なく 
 
予科練の基地たりしこの段丘の悲しみ継ぎて動く原子炉 
 
燃料棒撤去する時燃え滓の核の正体カメラの捉ふ 
 
 
  原発稼働の陰に 
原発の稼働の陰に被曝量超えて去るなり今日また三人(みたり) 
 
暗黙の取決めなりや邦人と黒人の被曝基準の違ふは 
 
偶発する原発事故に怯えつつ過疎進むこの町に住み古る 
 
口固く閉ぢて語らず被曝者の給付受け来し君も今日逝く 
 
原子炉の安全確認と偶発する事故の危惧とは次元が違ふ 
 
原発の定期点検ベテランの技術者君も退きて血を病む 
 
原発に隣りて暮らすわが一世(ひとよ)見えざる核の正体に怯ゆ 
 
障碍なく生れて来よと原発の作業員の妻腹撫でて言ふ 
 
下請の企業経由し支給さるる賃金名目の被曝治療費 
 
生承けて間無き赤子も被曝せる父の血継ぐか骨髄を病む 
 
配管の継手より折折洩れてゐる臨界起きぬ水といふ嘘 
 
治療費を受けゐるゆゑか頑(かたくな)に作業被曝に触れて語らず 
 
除外例なく起る被曝に血を病みて働き盛りを君の常(とこ)臥す 
 
月青く差し入る夜半を黄泉に発つ被曝労務者君の面影 
 
道路工事に旗を振りゐる姿見き放射能浴みて病む君の妻 
 
内(ない)被曝と呼びて密かに怖れをり臓腑に癌を誘発すると 
 
遺されし子も骨髄を病むといふ核に斃れし君の遺伝子 
 
胸骨の浮き立つ肌を広げ見す肺に臓腑におよぶ被曝を 
 
被曝量偽るなどし日を継ぎて炉心ちかくに君の働く 
 
被曝患者の君の体内めぐる血が頸動脈にくらく波打つ 
 
被曝の友悼むよすがに見はるかす原発の沖青波座(なぐら)立つ 
 
被曝量超すと雖も配管の緩める捩子は締めねばならぬ 
 
被曝者の労務管理を糺す吾に圧力掛かる或るところより 
 
秘密よと語る死因に原発の核かかはるか事実を伝ふ 
 
被曝許容を超えて密かに町を去る定検技師の俯ける影 
 
放射能溶液反応して出す青白き臨界光とは死を呼ぶ光 
 
放射能に既に侵され居らぬかと君に問ひ掛けふと口噤む 
 
放射能に血病み骨病む君のため出来る何あり星宿(せいしゆく)暗し 
 
防護服徹す被曝の実態を知るは管理者のみにあらずや 
 
四十歳(しじふ)迄娶らぬ君の直かりき白血病に噫(ああ)逝きましぬ 
 
たまゆらに掠めて消ゆる星の如被曝の友の命また逝く 
 
吾に関り無き事ながら労務者の被曝の悲傷見れば腹立つ 
 
吉田君と呼べば被曝し臥す君の睫毛かすかに動きたるのみ 
 
吾の知る若者一人世を去りぬ黙秘のなかの臨界の致死 
 
血を吐きて叫びし君の遺志継ぎて核を葬る手の輪広げむ 
 
 
 思えば、広島、長崎への原子爆弾投下にはじまり、この国は原子力・核エネルギー問題とどう向き合わねばならないかを問われ続けてきたはずであった。人間と核の共存が可能でないことを受け止め、国・社会の政治的・経済的仕組みと国民生活のあり方を確立すること、原子力発電の廃止と、それに引き続くであろう、遠く長い、大きな負の遺産の解消への取り組みが求められている。福島原発の安易な終息宣言など、福島はじめ広範な地域にもたらされた被害、人々の苦難、再起へのはかり知れない困難な努力、時には絶望的にならざるをえないような現実を考えると、許し難い暴言だ。原発に代る電力の確保手段の開発はもとよりだが、放射能被曝のもたらす危険性への対応、医学的な研究、現実の生活者がいま直面している諸問題への取り組み、とりわけ第一次産業の農林漁業者の再建・・・、地を這いずるようにして現実の問題に取り組んでいる人々を思うと、頭を垂れないではいられない。もちろん、それで済むことではないのだが。 
 
 いま、その出発点に立っていることを自覚しなければならないことを、東海さんの短歌作品は詠っていると思う。問われているのは、現在を生きる私たちなのである。 
 
 東海さんの短歌作品は長い間、研鑽・鍛錬した作歌の基礎を生かして、自らの生活と社会を見据えた写実・写生を個性的に、しかも短歌定型をしっかりと踏まえて表現しているのが特徴的だが、とりわけ原発を詠った作品は、辛いほどに明快である。東海さんの眼と心が対象を過たず把握した作品について、余分な解釈は不要であると思う。 
 しかし同時に、その背景にあるものがまことに具体的である故に、歴史的であり、人間の生きるということの根源に迫るものであり、したがって今日ただいまの私たちの生きように直接かかわる内容を持つ。さらに東海さんの原発にかかわる作品を読みながら、考えていきたい。なお、筆者は、「【核を詠う】原爆短歌を読む」を連載させていただいているが、これも、別稿としてつづけさせて戴きたい。 
 
(つづく) 


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