2012年03月23日14時16分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(35)福島原発の地で詠った佐藤祐禎歌集『青白き光』の原発短歌を読む(3)「廃棄物をよこしてくれるなと泣き出しぬ六ヶ所村より来れる女は」 山崎芳彦

 佐藤祐禎(福島県双葉郡大熊町に在住されていたが、現在は原発事故に追われて、いわき市に居住)さんの歌集『青白き光』の中の原発にかかわる作品を読んできたが、今回で読み終えることになる。平成十六年に初出版の歌集に、ほぼ5年後の福島原発事故を予感させる、あるいは事故を招きかねない電力企業の実態と、その背景にある国策に対する憤りを短歌作品としながら(これは、たたかいだ)、その地で生き、しかし、ついには怖れていた原発事故によって「運命に翻弄され」「明日をも知れない浪々の身」となり、なおも詠い続けている歌人は、同歌集が昨年末に、いりの舎により文庫版として再刊されたのち、「『青白き光』を読んでくださる皆様へ」と題する一文を書いている。(いりの舎と、東京・世田谷のせたがや地域共生ネットワークの共催で、去る2月23日〜26日に東京・下北沢で開催された「福島に寄せる短歌と写真展」―福島県双葉郡と歌集『青白き光』の世界〜失われつつある故郷を想い続けるために〜を訪れた際に、いりの舎社長・玉城入野氏から戴いた。会場には、被災した福島の写真と、佐藤さんの短歌、福島・浪江町出身の歌人である三原由紀子さんの作品が展示されていた。) 
 
 佐藤さんの文章を抜粋させていただく。 
 
 「私共の町は新聞テレビで、十分世にまた世界にフクシマの名で知れ渡ってしまいましたが、福島県のチベットと蔑まれて来ました海岸の一寒村でした。完全なる農村でして・・・米作りの純農村故に収入が少なく、農閑期には多くの農民が出稼ぎに出て生活費を得た状態でした。そこへ天から降って来たような感じで原子力発電所が来ると知らされたのです。この寒村に日本最大の大企業が来れば、一気に個人の収入も増え当然町も豊になるだろうと多くの人は両手を挙げて賛成しました。」「用地ですがここには宇都宮航空隊の分教場があったのです。敗戦となり、飛行場が撤収された跡には面積九十二万坪つまり三百ヘクタールの荒地が残っていました。それが地元民の知らない内に三分の二が堤財閥の名義になっていました。・・・当時の衆議院議長は西武財閥の祖堤康次郎であったことを考えると自ずから分かる気が致します。・・・当時東京電力の社長木川田は福島県出身であり、建設省に絶大なる影響力を持っていた衆議院議員天野は、ここ大熊町のとなりの双葉町の出身だったのです。」 
 
「立地条件として第一に相当広い土地、第二に一キロ以内に人家が全くないこと、第三に海水が充分確保出来ること、第四に土地取得に障害がないこと、これらの条件が全て解決出来るところが双葉郡大熊町夫沢地区だったのです。東電の意志が県に伝えられ双葉郡そしてわが大熊町に伝えられ、とんとん拍子にことが運んだようです。土地の価格が驚くなかれ一反歩『三百坪』当時で五万円、地上の樹木五万円併せて十万円だったのです。白河以北一山百文といわれた東北でしたから・・・地権者は喜んで手放しました。びっくりしたのは東電だったようで買収予算の四分の一で済んだとのことでした。後に大きな増設問題が出ました七号炉、八号炉の建設予定地となった厖大な土地を余った予算で買ったということです。」 
 
 こうして原発建設の工事がスタートした以後の様子について、佐藤さんは、大工事で数千人の作業員が入り、労賃も小さい土木会社の数倍に跳ね上がり、農家の人たちが我がちに作業員として働きはじめ、年間収入が飛躍的に増加したため「原発さまさま」になる一方、従来の地域民の共同、助け合いがなくなり、「町は富めども心貧しき」と詠ったと述懐している。人口一万弱の町に三十軒以上の飲み屋、バーがあったという。 
 
 更に、原発に関する優遇税、原発に従事する人達の所得税の増加、施設を作るたびに原発からの多額の寄付金、これは、大熊町だけでなく周辺の地域にも広がり、「蓋し、原発銀座といわれる所以はここにある」と佐藤さんは書いている。ここで生み出される電力は全て首都圏に送られ、地元では東北電力の電気を使ってきたことを、東京の人たちには理解して欲しいとも言う。 
 
 佐藤さんの反原発の芽生えは、一号炉建設の際、好奇心を持って少しの間働いた時の経験にあることを書いている。「あるとき東芝の社員のかたがこういったのを今でも覚えています。地元の皆さんはこんな危険なものをよく認めましたねと言う言葉でした。」という。そして、小さいけれども工事の杜撰さ、誤魔化し、「それらが末端の下請け会社の利を生むこの世界の常識だったらしいのですが、・・・核と言う正体のわからない魔物を扱う施設としてはどんなに小さい傷でも大きな命とりになるはず」と、次第に疑念を持ち始めた佐藤さんは物理の本を読み、短歌に詠み始めたと言う。 
 
「一号炉が運転するにつれて小さい事故が次々と出はじめ」、そのつど所長などが町や県に行き謝罪したが、事故はやまない。「彼らの謝罪はただ形ばかり・・・背後に国益を掲げた経済産業省そして国があるからです。」 
 
 その怒り、憤りから、佐藤さんは反原発の歌を作り続けた。そして、歌集『青白き光』(短歌新聞社刊)が編まれたのが、平成十六年のことであった。いまも佐藤さんは詠い続けている。 
 
 長くなったが、佐藤さんが書かれた文章から抜粋をさせていただいたが、充分意を尽くした要約になっていないとすれば、お詫びするしかない。 
 
 『青白き光』の原発にかかわる作品を読む上で、佐藤さんの思いを知る上で、役にたてばというのが筆者の思いであり、佐藤さんの作品への共感を深く持ち、今後の御健詠とご健勝を願う一人である。 
 
 前回に引き続き佐藤さんの作品を読んでいくが。『青白き光』の作品は今回で終りになるが、その後の作品も、機会を見つけて読んでいきたい。 
 
 
  鱸は泳ぎ鯔は跳ぶ 
松食虫など入らしめざらむ原発の森深々と緑たたふる 
 
山脈を挟むる様に立ち並ぶ原発六基の送電塔が 
 
波立たぬ原発港内群なして鱸(すずき)は泳ぎ鯔しきり跳ぬ 
 
増え続くる低レベル放射能廃棄物人間の住む地に運ばむとする 
 
低レベルと謂へど放射能廃棄物二十余万本積む町に住む 
 
夕潮が差し来たるらし原発の港のブイの灯が揺れはじむ 
 
核のゴミ千年保証といふ記事を疑ひつつ読む原発の町に住み 
 
原発事故テレビに答へしわれの批判没になりたる経緯は知らず 
 
原発の百二十米の排気筒夜空に赤く灯の点滅す 
 
青栄丸の舫ひ綱曳くいくたりの中にわが知る顔も見えたり 
 
 
  窓のなき廊 
原発に勤むる一人また逝きぬ病名今度も不明なるまま 
 
下血を下痢と信じて死に行けり原発病患者輸血受けつけず 
 
原発の窓なき廊を歩みつつここにて病を得し友思ふ 
 
 
  六ヶ所村 
立場ある吾は人目を避くるごと脱原発の会の末席に坐す 
 
廃棄物をよこしてくれるなと泣き出しぬ六ヶ所村より来れる女は 
 
核のゴミ搬入に六ヶ所村の攻防を語るがごとき警棒の跡 
 
 
  被曝認定 
原発はつひに被曝を認めたり三十一歳にて逝きたる人に 
 
原発に富めるわが町国道に都会凌がむ地下歩道峻る 
 
原発の管理区域に働ける人らは痩せて眼のみ光れる 
 
 
  増える使用済み核燃料 
置場なくなり乾式貯蔵庫建つるとぞ使用済核燃料ふえ続く町 
 
原発に自治体などは眼にあらず国との癒着あからさまにて 
 
原発に怒りを持たぬ町に住む主張さへなき若者見つつ 
 
紅と白に染めし煙突高々と原発の在り処遠く知らしむ 
 
チェルノブイリの惨あらはなる映像に恐れ新たなり原発の町に 
 
なべての役町に返上せしわれは恣に詠まむ反原発の歌 
 
炉心溶融の新聞記事を惧れつつ原子炉六基持つ町に住む 
 
底ごもる唸りに圧さるる思ひにて窓無き原発の建屋を歩む 
 
原発の展望台より丘越えてわが家の高き杉の秀の見ゆ 
 
 
紅白の排気筒 
使ひ切れぬプルトニウムが溢れゆく国をアジアは恐怖してゐる 
 
原発と町との共同看板がスピード出すなと立つ通学路 
 
地震には絶対強しとふチラシ入る不安を見透かすごと原発は 
 
サッカーのトレセン建設を撒餌とし原発二期の増設図る 
 
わが町は稲あり魚あり果樹多し雪は降らねどああ原発がある 
 
枝打ちせし檜林透して原発の紅白の排気筒間近くに見ゆ 
 
 
  危険区域に勤めて 
自が身より他人愛せし人の死を悲しめり原発ひた憎みつつ 
 
危険なる場所にしか金は無いのだと原発管理区域に入りて死にたり 
 
子の学費のために原発管理区域に永く勤めて友は逝きにき 
 
 
  「偶成」より二首 
戦闘的になりしと妻はわれを言へど自説枉げざる己れを信ず 
 
さし出されし町長の手をも拒みたりこの頑なを身上として 
 
 
  百万キロの原路子炉の上に立つ 
原子炉を冷やし出で来る排水の勢ふ流れ波押し返す 
 
展望台に望めば千鳥も海猫も飛ぶ原発六基並べる浜に 
 
六基なる原子炉冷やしし排水の轟きて入る荒ぶる海へ 
 
声にいへど原発建屋めぐりつついつしか我ら侏儒(しゅじゅ)のごときか 
 
足元に微動感じつつわれは立つ出力百万キロの原子炉の上 
 
断層帯に火発原発犇き合ひチェルノブイリのよそごとならず 
 
百万ボルトの高圧線の害知らざりき建設は予定のごとく進まむ 
 
町議二人社員より出しし原発の発言いよよ強くならむか 
 
 
  富と引き換への危険 
鼠通る如き道さへ舗装され富む原発の町心貧しき 
 
海沿ひに火発原発ひしめき合ひ富と引き換へに負ふこの危険 
 
声を大に言はねばならぬを原発に勤むる人の多きこの町 
 
原発を本音で言ふはいくたりかうからやからを質にとられて 
 
原発を言へば共産党かと疎まるる町に住みつつ怯まずに言ふ 
プルサーマル 
 
憚らず言ひ得る時代に生き遭ひて科技庁の原発容認批判す 
 
わが問ひにのらりくらりとかはしゆくすでに帰趨を知る原発は 
 
抑へむとしつついつしか昂りゆく原発の説明の矛盾を突きて 
 
原発の差入れのジュースわれ飲まず話す課長に視線を据ゑて 
 
原子炉の建屋映して邃く澄む港の水の不気味なまでに 
 
原発があるから何でも出来るといふ一つ言葉は町を支配す 
 
原発に海売りて富めりし人の家とき経ていたく寂しく見ゆる 
 
ウランさへ信じられぬをプルサーマルこの老朽炉に使はむとする 
 
原発がある故出稼ぎ無き町と批判者われを咎むる眼あり 
 
住民の負担の上に国策がありてならぬをありて悲しむ 
 
微量とはいか程のものかいつにても漏れたるときの彼らの言葉 
 
自然界になかりしプルトニウム作りたる人間は死もて償はされむ 
 
 
  かりそめの富に 
うからやから質に取られて原発に物言へぬ人増えてゆく町 
 
原発に縋りて生くる町となり燻る声も育つことなし 
 
繁栄の後は思はず束の間の富に酔ひ痴るる原発の町 
 
政官財の癒着もわれには何せむに農の滅びむ予感に怯ゆ 
 
 
  山脈へ伸びる送電線 
プルサーマル容認の報に肩落とす君も反対の一人なりしか 
 
泊つるものなき原発の港内に潮満つるらしブイ揺れはじむ 
 
いつはりの富に満ち足るこの町にプルサーマルを言ふは少なし 
 
原発の被曝者ひたすら隠されてひそかに伝ふ少なからぬを 
 
向き変へて伸びゆく原発の送電線遠山脈の上に落ち合ふ 
 
 
 以上で佐藤祐禎歌集『青白き光』(いりの舎刊)に収録の原発短歌を読み終えた(歌集最後の連の「東電の組織的隠蔽」は、本連載(33)に掲載している。) 
 
 佐藤さんと直接お目にかかっていないが剛直な農民歌人との印象がある。現状を思うと、作品に深い感慨を覚えると同時に、後進の詠うものの一人として、先の東海正史さん、そして佐藤さんの貴重な歌集を筆者なりに精読しえたことを、今後の糧としたいと思っている。 
 
 「核を詠う」作品を更に読みつづけ、記録していきたいと考えている。原爆短歌を読み、原発短歌を読んできたが、非力に怯じずさらに続けたい。 
                          (つづく) 


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