2012年05月03日14時24分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201205031424434

文化

【核を詠う】(番外編)福島原発事故独立検証委員会の報告を読む(2)「『二つの原子力ムラ』の『共鳴』が原発推進の原動力」という歪曲  山崎芳彦

 前回は、福島原発事故独立検証委員会の報告書が、原発の「安全神話」について、反(脱)原発の主張と運動(「原理原則に基づくイデオロギー的反対派」と報告書はいう)が原発推進の「原子力ムラ」の「安全神話」を強化する土壌を提供したとする、悪意に満ちた歪曲の論理を展開していることについて指摘したが、今回は、同報告書の「原子力ムラ」論について、思うところを述べてみたい。前回の「安全神話」論ともかかわって、検証委員会の考え方が露わになる部分と思われるからだ。 
 
 この報告書は「原子力ムラ」について、「『安全神話』を作り出す主体となった『原子力ムラ』とよばれる集団の歴史的分析を通して」、「なぜ、いかに日本の原発が十分な『備え』を持たず、過酷な事故の想定をしてこなかったのかを問い直し・・・日本における『原子力と社会の関係』がいかなるものであったかを改めて歴史的に検討しなおす」とする。(第三部9章「安全神話」の社会的背景・2つの「原子力ムラ」と日本社会) 
 
 報告書の「原子力ムラ」論の特徴は、「政治家、官僚(経産省・文科省)、電力業界を含む産業界、原子力工学者を中心とする有識者によって構成される」中央の「原子力ムラ」(原発を置く側/置きたい側)と、「原発を受け入れる側としての立地自治体」が形成する地方の「原子力ムラ」(置かれる側/置かれたい側)の二つの「原子力ムラ」があり、「共鳴しあって」原発を推進して行く原動力となり、それぞれのなかで独自の『安全神話』を形成しながら、結果的に原子力を強固に推進し、外部からの批判にさらされにくくゆるぎない『神話』を醸成する体制を作ってきた歴史があり、「原子力ムラの外部」は福島第一原発の事故に至るまで、「二つの原子力ムラ」による原子力推進体制に関心や批判を持たず「安全神話」を追認する形になっていた・・・と図式化していることである。 
 
 「原子力ムラ」という概念自体は、明確な定義がなされて広く流通してきたものでなく、いわゆる「俗語」に過ぎず、「中央の原子力ムラについては、その閉鎖性・保守性をもったありようを揶揄する意味を含めて用いられ、地方の原子力ムラはその地域と原子力産業の結びつきを含む意味で使われてきた」ものだが、それを「整理し直していく」、つまり定式化していくのが、検証委員会の分析だということなのである。 
 「俗語」を明確な定義を持つ原子力社会の「用語」とし、「二つの原子力ムラ」が原発を推進し、福島原発事故に至らしめる無視できない背景であったと規定するということだ。 
 
 報告書の、中央と地方の二つの「原子力ムラ」がそれぞれ独立して形成され、お互いに「共鳴」して原子力推進体制を作った、とする認識は、結果的に原発事故の「責任」を拡散させ、深刻な被害を受けている原発立地地域に、その一端を負わせる。さらに「原子力ムラ」の外部の「一般国民」は原子力に対する「無知と無関心」「原発は安全である」という単純化したイメージを受け入れ「日々の生活を安心して送れる選択」をした」として原発事故の背景となる社会的側面に位置づける。こうなると、「一億総懺悔」の論理に近い。原子力事故の背景という言い方ながら、日本の原子力政策の歴史とその仕組みの実態を曖昧に加工する。 
 
 「原子力ムラ」が本当に二つあるのかを考える時、「原子力ムラ」とは何を意味するのかということが、問題である。 
 報告書のいう「原子力ムラ」の構造分析に対して、筆者は「原子力政策を決定し運営することによって経済的、社会的、時には軍事的な面も含む国策を決める権能を持つ政・官界と、電力産業とそれに連結することで日本経済と国民生活を支配的に左右する独占的な大企業を中核とする産業界、歴史的に形成されてきた『学術界』の権威とジャーナリズムによって構成される、権力機構ともいうべきグループ」(原発の建設立地の決定、原発を運営する電力事業者、原発建設にかかわる製造大企業、不動産・建設大企業、原材料輸入・原発システムの海外輸出にもかかわる大商社、原子力広報を担う広告企業や新聞・テレビなどマスコミ企業などは、このグループに参加しているはずだ)であると考える。 
 
 これと並列的に存在し「共鳴」しあうことが可能な「原子力ムラ」と呼ぶべき他のグループ、地方のグループが存在し得るであろうか。原子力政策を決定し(させ)、原発を法制的に支え推進する(させ)、そして「国策・民営事業」として運営するシステムそのものが原子力共同体としての「ムラ」だと規定する。 
 
 つまり、「原子力ムラ」は二つは無いと言うのが筆者の結論である。様々な内部矛盾や対立を時としてはらみつつも、半世紀を越えて政・財・官を中核として権能と利益を独占し続けた権力構造がこの国に無謀といえる原発の存在の形を作ってきて、数々の事故・失敗・放射能被害を繰り返し、それを隠蔽してきて、ついに今回の事故に至り、今後の絶間ない危機を、なお続けようとしているのである。その責任を拡散させてはならない。 
 
 原発の本質的危険を指摘し、立ち止まり、引き返すことを主張して来た少なくない人々、学者や各分野の専門家、原発の技術者を封じ込め圧殺してきた経過や、原発の設置を拒否した地域住民も数えれば少なくないことには触れないで、「福島原発事故以後も、原発立地自治体における選挙で原発推進派が勝利し、反原発派はほとんど受け入れられていない。多くの人が避難を余儀なくされ、厳しく困難な生活に直面していることは知りつつも、立地自治体の住民は、原発と共存することを望んでいる。」・・・と報告書は記述する。だれから「独立」した検証委員会なのだろうか。 
 
 どれ程、「原発ムラ」「安全神話」「備え」の不十分、東電や政府、原発関連団体などに対する批判的言辞を積み上げて見せても、原発の維持・存続を前提にした「検証」は、「原発事故の原因の「検証」を、「いかにして原発を維持存続させるか」の提言になったのである。 
 
 地方の原発立地自治体やその住民は、独立した原子力に関する権能を持ったことは無い。正確な情報さえ与えられない。 
 1960年代に始まる国策としての独占大企業強化による経済成長戦略のもとで、第一次産業が破壊・放棄に近い状況に追い込まれた地方が、先行きの見えない疲弊の中で、中央の「原子力ムラ」が、原発立地の条件に適うとして選択した地域からの「誘致」要請が行われるよう、各分野の、中央に連なる関係者や機関を動員して火をつけたというのが実態であった。そこに「中央原子力ムラ」創作の「安全神話」や「成長と安定神話」と「電源三法」をはじめ制度的な「交付金」、進出事業者の各種寄付金の提供、関連職場への就業の宣伝、地方有力者の抱え込みなどによって立地自治体と住民の「原発歓迎・容認」の組織化を、「中央原子力ムラ」が進めたことは、いまや明らかにされている。様々な手段で、反対する人々を封じ込めた。 
 
 確かに原発立地自治体に作られた原発をめぐる利権の構造や、中央の政府機関への盲従ないしは意識的な依存策も生まれた。「原発依存」(というが、実際には原発事業者の利益の源泉になった)により自治体財政、地域経済、住民の生活は変容し、「与えられた豊かさ」の歪みも露わになって、地域の破壊が様々に進んだ。中央省庁からの県や出先機関への意図的な人的派遣や、省庁出身者の地方自治体の首長が増え、幹部職員の派遣も多い。そこに、地方官民による特定のグループが形成されたことは否定できないが、これをもって中央と地方の二つの「原子力ムラ」が原子力推進体制を形成し、原発列島を作り上げてきたと評価・分析するのは、著しくバランスを欠いた、実態と乖離するものと言わねばならない。その見地からの福島原発事故検証は、原因と責任の究明を歪めることになる。 
 
 いづれにしてもこの報告書の、中央と地方の「二つの原子力ムラ」論は仮構の論理であり、中央の国策・民営の名のもとの絶対的権限に引き回され翻弄され、自治体の役割や住民の生活のありようまでを支配され、中央に囲い込まれた「グループ」が存在しているとは言え、ごく限られた一部の勢力を除いては、原発事故の責任の一端を云々されるような対象ではありえない。そしてついには、被害に苦しみ、不安と絶望感に苛まれる現地住民の苦悩がもたらされた。「中央の原子力ムラ」の無責任・自己防衛によって、原爆立地地域住民をはじめ広範な県民。国民が改めて原発の危険性とその被害に苦しんでいる。「地方の原子力ムラ」とは「独立」検証委の「独立」と同様<「まぼろし」でしかなかったのだ。皮相な現象をとらえ粗雑な論理でまとめた「地方の原子力ムラ」の仮構であるといえる。 
 
 筆者は中央と地方の「二つの原子力ムラ」が「共鳴」しあって、日本の原発推進体制を強固なものにしてきたとする原発事故検証報告には、大きな実態の歪曲があると考えている。さらに、原発の維持存続のための、核セキュリティ・原子力安全レジーム・危機管理とリーダーシップ・原発事故対応をめぐる日米の同盟関係などについての「検証」(というより同委員会の主張)をした上で、最終章として「福島第一原発事故の教訓―復元力をめざして」と題して、この事故がいかに深刻なものであるかを指摘しながら、原子力の持つ本質的な危険を見るのではなく「備え」の不十分さと政府・東電・関係機関の対応の失敗をさまざまに論じ、その「備え」の不十分さの原因を「絶対安全神話の罠」に求め、安全規制ガバナンスの欠如、「国策民営」のあいまいさなどをあげ、批判しているのだが、どこまで行っても、脱原発への道筋の検討は行われない。原発ありきの検証なのである。 
 
 これまで、筆者は、この「独立」検証委員会に関して、その委員会の成り立ちや委員の構成などについて、また各委員の経歴や原発に対するかかわりや考え方についてなどあえて触れてこなかったが、今年二月の日本記者クラブでの報告書発表会見における各委員の発言、報告書に所載の各委員のメッセージ、さらにはこれまでの経歴や言説からは、原発に対する考え方は、電力事業者や政府・関係省庁・制度に対する批判をしながらも、原発そのものに否定的なメンバーでないことは、指摘しておきたい。そのことと報告書の内容が、無関係ではあるまいとだけは言いたい。 
 
 繰り返すが、「原子力ムラ」とは、原子力政策とその運営を行なう権能を有する権力機構と、その国策を左右する力を持つ財界などを中核として形成されたグループをさす言葉であり、したがって福島原発事故にかかわる基本的な責任は、そこにしかない。 
 二つの「ムラ」とその外部という概念を置くことは、責任の所在と、今後の向うべき方向(筆者は反―脱原発に向けての極めて困難な取り組みに即時取り掛かるべきと考える)を拡散し誤らせると断じたい。 
 
 原発の危険な本質、とりわけ地震列島に設置され、使用済み核燃料・放射性廃棄物の絶間ない蓄積にもかかわらずその管理・処理技術を持たない日本の原子力利用の底知れない危険を訴え続けてきた、真摯な主張を、悪意をさえ感じさせる排除の論理をもって、検証しようとはしない検証委員会が何を導こうとしたか。それは原子力・原発の存続体制の再構築なのである。 
 
 日本に原発を存在・稼働させることの不条理を明らかにし、原発を停止するとともに、再生自然エネルギーのいっそうの開発と実用化の拡大、国家的・制度的な支えの下に独占的な事業を展開している電力事業体制の変革、脱原発の道筋に大きな負の遺産となる原発施設と厖大に蓄積され危険な状態にある使用済み核燃料、放射性物質の徹底した安全管理・処理の技術の研究・開発、極めて限られた医療分野などに限定した原子力規制制度の確立・・・などのためにこそ、原発事故の検証はなされなければならない。 
 政府・東電・国会それぞれの事故調査委員会に加えて「独立」を冠にしたこの検証委員会があるが、そのどこにも、原発の存在の是非についての検証、脱原発についての議論はない。しかし、「原発ゼロ」にむけての国民的な取組みは、各地・各分野で生まれ広がりつつある。都道府県自治体の首長も、原発事故に学び「原発ゼロ」を視野に入れて動き出そうとしている。 
 
 「独立」検証委員会の報告書の結びは、「「東京電力福島第一原子力発電事故と被害を検証し、教訓を引き出す作業はこれからも息長く続けていかなくてはならない。3・11を『原子力防災の日』とすることを提案したい。・・・事故の教訓を思い出し、原子力の安全・セキュリティを確認し、事故への備えを点検し、真剣な訓練を実施する。政治指導者はリーダーシップと危機管理を胸に刻む。」という、むなしい言葉の羅列であった。原発擁護・継続の宣言ではないか。 
 
 私たちが進まなければならない、現実に歩を進めている道とは真逆だ 
 
 独立検証委員会報告書についての異議申し立ては、この連載の中ではとりあえず、今回で終ることにしたい。 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。