2012年05月31日00時17分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201205310017204

文化

【核を詠う】(46)『朝日歌壇 2012』(朝日新聞社刊)から原発短歌を読む(1)「生きてゆかねばならぬから原発の爆発の日も米を研ぎおり」  山崎芳彦

 東日本大震災・福島原発事故からすでに1年2ヶ月余が過ぎたが、被災者の苦境の深刻さは、依然として続き、その苦難の中で人々は困難に立ち向かい懸命に日々を生きている。それに対して、野田政権、国会の余りにも国民の現状と思いからかけ離れた、というよりも背信的なありようには、絶望的にならざるを得ないが、しかし、それでは彼らの思う壺にはまることになろう。必ずしも明瞭な見通しがあるわけではなくとも、全国各地で、地を這うように、さまざまに繋がりあい、力を通わせあいながら、現状を打開し、社会の変革に取り組む力が、それぞれの根拠地を構築しつつ広がりを作り出していることも、確かであろう。 
 
 原発の問題を考えれば、稼働ゼロになっている中で、脱原発を目指す力と、経済成長主義の砦としての原子力利用権力勢力との、せめぎあい、つばぜり合いのさなかにあるのが、今であると思う。それにしても権力の座にある者たち総和の、おぞましさは見るに耐えない。 
 
 その中にあって、筆者は、原発短歌を読むことを一つの課題として、自らに課しているのだが、小さくとも、意味あることと信じて、つづけたい。 
 
 今回からは、先ごろ刊行された『朝日歌壇 2012』(朝日新聞出版刊)に収録された原発短歌を読んでいきたい。同書は、朝日新聞が毎週月曜日(休刊日にあたった場合は前日の日曜日)に掲載している「朝日歌壇」欄の作品のうち、2011年1年間(1〜12月)分を一冊にまとめたものである。新聞の歌壇は、各紙とも掲載しているが、1年分をまとめて出版しているのは、他に見当たらない。 
 同書から、昨年3月11日の福島原発事故にかかわる短歌作品(全国からの投稿作品からの、選者の選による)を読むことにした。投稿作品は毎回4000通に及ぶといわれ、掲載されるのは毎回、選者(馬場あき子、佐佐木幸綱、高野公彦、永田和宏の4氏)によって選ばれた各10首、計40首であるから、投稿歌の1%のみである。 
 
 新聞歌壇の作品では、いわゆる専門歌人といわれる人の作品ではなく、幅広く多彩な視点、実体験から詠われた作品を読むことができること、特に、これから読もうとしている作品には、やはり東日本大震災、福島原発事故に関わって詠われた作品が多いことが、特徴となっている。 
 
 このことについて、選者の各氏がそれぞれの感想を記しているが、佐佐木氏は「短歌には万葉集以来、『機会詩』としての一面があります。東日本大震災に見舞われた昨年は、そのことを特に痛感しました。・・・印象的だったのは、はじめての作者の投稿がかなりあったことです。特に被災した三県からのものが多かった。『はじめて短歌を作りました』と注記がある葉書も何通かありました。深刻な体験を何とか言葉で表現したい。表現しないではいられない。・・・未来のだれかにも伝えたい。そんな抜き差しならぬ思いを、『機会詩』としての短歌が受け止めたのでしょう。」と記し、高野氏は「はじめは、被災していない人が、新聞やテレビの情報を元にして詠んだ歌が多かったが、徐々に被災地からの歌、また直接被災した人からの歌も増えてきた。」として、「震災の前年の六月、朝日歌壇に、『原発十基立つわがめぐり新幹線も通らぬ町に黙(もだ)深く住む』という、原発に不安を持つ歌を寄せた」富岡町に在住していた半杭螢子さんの作品をを挙げ「不安が現実となり・・・」と書いている。 
 
 永田氏は(東日本大震災、津波、そして原発事故を)「実際に体験した被災者も、遠くから彼らを思い遣る人々も、数え切れないほどの投稿があり、それは今もなお続いている。機会詩としての短歌の大きな役割である。」としつつ、「このような悲惨な事件を、実際に被災もしていないのに詠うことをためらう人も多い。しかし、私はこのような事件は多くの人々がそれぞれの立場で歌うことに意味があると思っている。事件の記録は歴史書に残る。しかし、・・・どのように国民が事件や災害を受けとめたか、その精神面の受容だけは歴史書には残らない。・・・多くの歌の集積が、<その時>、一般の人々が大事件にどのように対処していたかを語る貴重な資料となるはずである。」と、新聞選歌欄の存在理由について記している。 
 
 また、馬場さんは「3・11の東日本大震災によって短歌の世界にもある種の大きな揺れが生まれた。言葉の斡旋技巧が目立つ歌への忌避感が強くなり、現実をみつめてそこに感動や驚きを共感したい欲求が広がった」と指摘している。 
 
 筆者は、その中から原発にかかわる短歌を読んでいくのだが、福島だけでなく、原発立地各地や、その周辺の作者の作品の多さ、さらには全国的な規模での原発・放射能に関する作品を読み、原発問題は全国民的な深刻な問題となっていることを、改めて痛感した。この国が原発列島となっている、その底知れない危険性への認識が、3・11を契機にして拡がり深まっていることを、もっと考え、詠うとともに、さらに脱原発への確かな道を進む時が来ていると思っている。 
 
 大震災・津波についての歌をも、もちろん筆者は読むのだが、本稿には記録しない。「核を詠う」作品を読むことを目的にしているためで、記録しない作品にもこころ打たれ、思いをさまざまに持つことはいうまでもない。 
 
 同書巻頭には、選者各氏が「年間秀歌十首」を選び掲載しているが、それぞれの中から、原発にかかわって詠われた作品を先ず紹介し、その後、毎回の歌を読んでいくことにしたい。 
 
 
   馬場あき子選 
下肢のみが映る原発作業員躊躇いがちに復旧語る 
                 渋間悦子(山形市) 
 
   佐佐木幸綱選 
過疎採るか原発採るかこの地にも決断迫る時勢のありき 
                 伊藤 敏(新潟市) 
原発の空のしかかるふるさとのここにいるしかなくて水飲む 
                 美原凍子(福島市) 
被曝検査受けねば避難受けつけぬと雨を濡れ来し親子帰さる 
                中村 晋(福島市) 
 
  高野公彦選 
わが町はチェルノブイリとなり果てし帰るあてなき避難民となる 
                半杭螢子(福島県) 
福島を「負苦島」にして冬が来る汚染されたるまんまの大地 
                美原凍子(福島市) 
 
  永田和宏選 
いつ摘みし草かと子等に問われたり蓬だんごを作りて待てば 
                野田珠子(つくば市) 
「福島産ですが」と梨を配る度少し故郷を裏切る心地す 
                園 鈴子(所沢市) 
 
 
 
2011年3月第3回 
怖れてゐし原発事故の起こりたりあれほど安全と言ひてゐたるに 
                上田善朗(敦賀市) 
原発という声聞けば思わるる市井の科学者高木仁三郎 
                篠原三郎(静岡市) 
絶対を想定外が覆す科学の粋の原発に事故 
             前田一揆(西海市)(3首佐佐木選) 
 
原発が峡二分せし枯木灘家族葬あり如月の昼 
             山口雅史(和歌山市)  (永田選) 
 
 4月第1回 
原発の地に残しきし牛気づかい畜産営む農が涙す 
             浅野和子(三島市)   (高野選) 
覚えたて両手でメール無事知らす旅の途中の避難所の夜 
             中沢洋之(神奈川県)  (永田選) 
現実にならねばよいがと不安なりチェルノブイリの石棺のひび 
             宮田ノブ子(山口県) (佐佐木選) 
 
 4月第2回 
生きてゆかねばならぬから原発の爆発日も米を研ぎおり 
             美原凍子(福島市(馬場・佐佐木選) 
放射能の不安の募る原発より二十キロ内にわが町もあり 
             大和田澄男(西予市) 
節電に小暗き校舎に春日差し全校十五名は校歌を歌う 
           藤林正則(稚内市) (2首 佐佐木選) 
ただじっと息をひそめている窓に黒い雨ふるふるさと悲し 
             美原凍子(福島市) 
姿見ぬ人に二種あり原発の内部作業者、最高責任者 
           奥本健一(高槻市)  (2首 高野選) 
 
 4月第3回 
田も畑も黙り込んでるふるさとの風が重たい原発の空 
             美原凍子(福島市) 
春キャベツ七千五百株畑に残し男は自殺す核汚染苦に 
            喜多 功(三重県) (2首 馬場選) 
原発の空のしかかるふるさとのここにいるしかなくて水飲む 
           美原凍子(福島市) (永田、佐々木選) 
簡単に想定外と記者会見きちんと想定すべきあなたが 
             大久保やそじ(東京都) 
原発を逃れて来たる姪の手がしっかり抱くダックスフント 
             猪狩直子(ひたちなか市) 
犬つなぎ避難せし人責める人聞くもつらしや原子漏れ事故 
             北村ミヨ(福島県) 
原発で下請け作業者被曝すと本社社員は淡々と読む 
             奥本健一(高槻市) 
時季なれば菜大根蒔かむと畑を打つ放射能汚染時にまかせむ 
           川村とみ(稲敷市) (5首 佐佐木選) 
わが町はチェルノブイリとなり果てし帰るあてなき避難民となる 
             半杭螢子(福島県) 
背に肩に両手に喰い込む荷をさげて難民となる放射能避け 
            澤 政広(枚方市) (2首 高野選) 
三十キロ遠くに写り危うげに蜃気楼のごとき白き原子炉 
            菰渕 昭(高松市)    (永田選) 
 
4月第4回 
被曝検査受けねば避難受けつけぬと雨を濡れきし親子帰さる 
           中村 晋(福島市) (佐佐木、高野選) 
毎日のおかずのように噛んでいるベクレル数値、シーベルト数値 
              美原凍子(福島市) 
原発は夢のエナジー冷酷に片思いだったと人類に告ぐ 
           田浦 将(岩手県) (2首 佐佐木選) 
乳搾るナカレ、耕すナカレ、種蒔くナカレ、ふくしまの春かなし 
              美原凍子(福島市) 
昭和へと戻る気配す放射能・計画停電・集団疎開 
              小林邦子(長野県) 
日替りのコメンテーター災害の風評語りて風評煽る 
           倉ノ前松(福岡市)  (3首 高野選) 
此処もすでに危険と話す人等いて闇迫るとき次の地へ発つ 
              開原廣和(福島県) 
窓辺から見ている空は福島の先週までと変わらない空 
              畠山理恵子(郡山市) 
街のなか募金もとめる列あらば原発を問う鋭き声も 
              篠原三郎(静岡市) 
コンパスで描けば美浜・高浜が我が故郷を包む原発 
           大黒政子(赤穂市)  (4首 永田選) 
いわき駅構内鉄路赤錆びて津波・原発が街を滅ぼす 
              松崎高明(いわき市) 
乳出すなと餌を減らすわれの手元見るその眼のやはらかき乳うし 
              横田俊幸(郡山市) 
ふくしまがフクシマとなりFUKUSHIMAとなりたる訳の重過ぎる訳            美原凍子(福島市) 
無残なり一束残し根張りたるホウレン草をみな抜き捨てる 
            緑川 智(取手市) (4首 馬場選) 
 
次回も『朝日歌壇 2012』から原発短歌を読む。 (つづく) 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。