2012年06月24日11時02分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(52)大口玲子歌集「ひたかみ」の「神のパズル―100ピース」を読む(2)「もし夫が被曝して放射性物体とならばいかにかかなしからむよ」 山崎芳彦

 前回に続いて、大口玲子歌集『ひたかみ』に収められている原子力に関わる連作「神のパズル―100ピース」を読んでいく。大口さんの短歌のひとつの特徴として、時代の大状況、戦争、歴史、社会問題に積極的に目を向けて短歌表現した作品が多いということがあると思う。いま読んでいる「神のパズル」もその代表的な作品群で、読むとおり、大口さんは原子力エネルギーの利用・原発について自らの位置を明らかにし、抽象的、概念的にではなく「われ」の体験や実感、積極的な対象への接近によって具体的に「われ」に関ることとして詠い、さらに状況に身を入れて行った。筆者は、彼女の作品に竹山広の短歌と重なるものを見る。 
 
 2005年に刊行の歌集の中の「神のパズル」の作品群には、作者とはなれた、概念を詠う作品は一首とてないと思う。個人的な体験には、当然のことだが制約があり、手に触れることも直接見ることも出来ないことが多い。しかし、我々を取り巻いている状況、歴史的な事実、はるかはなれたところで起きている事態などについて、自らの感性と、学びと、可能なかぎりの接近によって世界と繋がれることが少なくないし、それを実感した時、短歌として表現が可能になる、というより表現しないではいられないのではないだろうか。世界との接点を模索し、その接点を通じて具体をとらえ、「われ」の感性が短歌表現を現実化する、そのとき作品が生まれるのであると、つたないながら詠うものの一人として筆者は、大口さんの作品に教えられている。 
 
 いま、大口さんは、福島原発の事故を身近に体験し、女川原発の二十キロ弱の距離の地の仙台から離れ、九州・宮崎県に三歳の子と在住している。夫は、新聞記者であるが、仙台に残り、彼女を励ましている。 
 
 大口さんは 
〇仙台を離脱したるゆゑ仙台から目を背けることできなくなりぬ 
〇仙台に留まらざりし判断に迷ひはないかと言はるればなし 
と詠うが、仙台を離れた直後には 
〇見送りののち出社する夫見れば寒さうに鼻をかんでゐるなり 
〇「チチもバスにのって」と激しく泣きし子が発車直後弁当を欲しがる 
〇ゆく春の東北よここで生まれたるわが息子を覚えてゐてくれよ 
〇この夜を独りの夫に子の声とともに長崎の汽笛を聞かす 
と詠っていた。(最初の2首は角川の歌誌「短歌」2012年6月号。次の4首はながらみ書房の歌誌「短歌往来」2011年7月号それぞれからの採録。筆者) 
 
 いま連載の中で読んでいるのは2005年11月出版の歌集『ひたかみ』だが、大口さんの原子力についての認識、原発の危険性の認識は早くからかくのごときであったのである。それでも、この国に生きるということは、3・11原発事故に至ってもなお、原発列島のなかで生活するということなのである。 
 その無念を痛切に思い、詠うことは、まっとうな行為のひとつである。このほど東京電力が発表した事故報告書の、唾棄すべき欺瞞は犯罪的であり、強権的に原発再稼働を行おうとしている政府、電力企業、経済界それにからめとられている自治体の首長など原発維持勢力とつながるものだ。この国は変わらなければならない。変えなければならない。ひとりでには変わらないから、変えようとする力を私たちのなかに確認しよう。 
 
 
 大口さんの「神のパズル」の作品を読んでいく。 
 
▼広島・長崎への原爆 
 
 2004年10月5日、渋谷ユーロスペースでアメリカ映画「アトミック・カフェ」を観る 
「原爆で遊ぶな」といふ声厳かに空深く聞きし耳のひとひら 
 
 原爆開発に関わり、最高機密漏洩嫌疑で逮捕され、最後まで否認し、結婚記念日に処刑された。 
「否」といふ言葉の強度 科学者のジュリアス・ローゼンバーグその妻エセル 
 
 アメリカ第三三代大統領 
微笑みのハリー・S・トルーマン「神の御趣旨に添ふやうに」原爆投下せしと言ふ 
 
さまざまなフィルムの中に空の気配察し見上ぐる日本人をり 
 
英語音痴のわれにしてしかし「マッシュルーム・クラウド」といふ単語聞き取る 
 
▼第五福竜丸・久保山愛吉その他 
 
 2004年10月2日、東京夢の島の第五福竜丸展示館見学 
京葉線新木場駅より徒歩十分ゆうかり橋を渡って降りて 
 
すっぽりと船を納めて東京のすみつこに小さき展示館あり 
 
海上ではなくて地上の公園に第五福竜丸まるごとありぬ 
 
久保山愛吉死して五十年そののちのヒバクの記憶の堆積の嵩 
 
贄として木造船ありけりと思へば眩しこの館内は 
 
二五〇キロの錨は怒りと思ふまで錆びし鉄塊を見つめてをりぬ 
 
かつて海を抉りし大きスクリューもやや錆びてあり船底下に 
 
棒立ちに聞く録音の焼津なまり久保山愛吉の肉声の張り 
 
海図にはなき危険区域泳ぎゐしマグロがはこびたる放射能 
 
原爆マグロ四五七トンが捨てられし築地市場の闇は 
 
港町に住みてマグロを好むわれを「原爆マグロ」といふ語が打てり 
 
山之口貘の「鮪に鰯」思ひ高田渡のメロディーで歌ふ 
 
 2004年10月1日、むつ支局勤務の友人よりメール。 
下北にわれは行かざれど電力会社に土地を売らざる老婆に礼す 
 
 ▼竹山広のこと、その他 
 
 004年7月19日、長崎に原爆を投下したアメリカ空軍機のパイロット、チャールズ・W・スウィーニー氏〈84〉が老衰のため死去。 
七万人を殺しし一人、いちにんの竹山広を殺せざりけり 
 
被爆後の五十九年を生きたまひ歌詠みたまふ竹山広死ぬなよ 
 
 2004年6月16日、「エノラ・ゲイ」機長だったポール・ティベッツ氏〈89〉、同機の出発基地テニアン島を60年ぶりに再訪。 
ペットボトルの緑茶成分「テアニン」の文字を「テニアン」と読み違へ 
たり 
 
人生を悔いたくはなしわたくしも原爆投下せし老人も 
 
 ▼チェルノブイリそして女川原発 
 
 2004年5月15日、仙台・法運寺本堂にて神田香織の新作講談「チェルノブイリの祈り」を聴く。 
張り扇にて打ちゐるは火ならむと神田香織の本気を聴けり 
 
チェルノブイリわれに近づき遠ざかり夫を思ひ少し泣きたり 
 
もし夫が被曝して放射性物体とならばいかにかかなしからむよ 
 
女川が「チェルノブイリとなる」予感飲みつつ言へり記者たちはみな 
 
 2004年5月11日、石巻の北上川艇庫にて、「国際平和巡礼」の人々30人と交流 
とりどりのボート納めたる小屋の奥、歩き疲れなほ歌ふ人たち 
 
  ▼ウラン採掘鉱山、アボリジニからの風の伝言 
 
 5千キロを歩くという。 
オーストラリアウラン採掘鉱山のロックスビィダウンズより広島へ 
 
話すこと表現すること祈ることシンプルなり彼らの活動は 
 
イギリスの核実験で被曝せしアボリジニより上がりたる声 
 
 日本は年間3千トンのウランをオーストラリアから輸入している。 
ウラニウムは母なる大地にとどめよとアボリジニからの風の伝言 
 
 彼の父親は原爆投下間もない長崎に陸軍兵士として配属された。 
とりあへず涙拭くタオル渡したりオーストラリア人のバルボに 
 
 広島でカイロに収められ保存された火は、福岡県星野村に今も燃え続ける。 
原爆の残り火は「平和の火」として分けられ五千キロをともにゆくなり 
 
 次回も[神のパズル―100ピース]を読み続ける。 
                         (つづく) 


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