2012年07月05日12時03分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(54)福島原発事故による放射線被曝からの避難を詠う大口玲子の「逃げる」を読む 「避難民となりてさまよふ仙台駅東口みなマスクしてをり」  山崎芳彦

 本連載の前回(53)まで3回にわたって、仙台市在住の歌人・大口玲子(おおぐちりょうこ)さんの歌集『ひたかみ』(2005年11月、雁書館刊)所載の連作「神のパズル―100ピース」を読んだ。 
 そのなかには女川原発を見学した時の作品として 
 
コバルトライン走行しつつこの道が避難路とならむ日のことを言ふ 
原発から二十キロ弱のわが家かな帰りきて灯を消して眠りにつけり 
 
などがあり、そのほかにも 
 
もし夫が被曝して放射性物体とならばいかにかかなしからむよ 
女川が「チェルノブイリとなる」予感飲みつつ言へり記者たちはみな 
まだ世界は未完成なるものとして原子の力ふるはれゆくや 
 
などの歌や、その他、原子力、放射線に関する作品が100首にわたって展開され、大口さんの原子力についての関心と認識の深さ、危機意識ともいえる作品群を読んだのであった。 
 
 その大口さんは、『ひたかみ』を刊行して5年半足らず後に、東日本大震災・福島原発の壊滅的な事故により、仙台を離れ三歳の愛息とともに原子力放射線による被害から逃れるため避難の旅に出て、現在は九州・宮崎県に移住している。つい先ごろ刊行した歌集『トリサンナイタ』(角川短歌叢書)の短い「あとがき」に、「二〇〇五年の末から二〇一二年一月までに発表した作品より選んで、第四歌集をまとめました。この六年の間に、受洗、出産、仙台から宮崎への移住という、私個人にとっては大きな変化がありました。特に昨年三月の東日本大震災以降はさまざまな決断を迫られ、困難も多かったのですが、同時に自分がいかにたくさんの恵みをいただきながら生きているか、日々実感するようになりました。いまはすべてのことに感謝しています。・・・仙台から私を支え、ともに歩んでくれる夫・宮下拓にも記して感謝します。」と書いている。経緯をあれこれ語らない。 
 
 多くの思いは、作品に託し、さらに詠い続けようとする歌人の矜持と決意を筆者は感じた。 
 
 この歌集には「逃げる」と題した連作三十三首があるが、3・11の八日後に仙台を離れる処からの作品群で、昨年月刊短歌雑誌『短歌往来』七月号(ながらみ書房刊)に発表した「逃げる」三十三首を基にしたもので、歌集にまとめるにあたって、大きな変更は無い。 
 
 筆者は『短歌往来』の作品を記録していたので、本稿ではそれを読むことにした。『トリサンナイタ』には、作者六年の貴重な作品が編まれていて、「逃げる」連作以外にも、原発に関する作品もあるが、今回は「短歌往来」によることを、お断りしておく。 
 
 「逃げる」 
 
昼夜等分近づけば日々明らかに子の髪に降る放射線量 
 
見えぬものは見ない人見たくない人を濡らして降れり春の時雨は 
 
子の好きな屈折放水塔車けふ絵本を飛び出し福島へゆく 
 
避難民となりてさまよふ仙台駅東口みなマスクしてをり 
 
長距離バスキャンセル待ちの行列の殺気立つ寸前の虹は見ゆ 
 
見送りののち出社する夫見れば寒さうに鼻をかんでゐるなり 
 
五百円の弁当ひとつやつと買ひ発車間際に渡しくれたり 
 
「チチもバスにのつて」と激しく泣きし子が発車直後弁当を欲しがる 
 
許可車両のみの高速道路からわれが捨ててゆく東北を見つ 
 
たかぶりて子は手を振れり消防車救急車ばかりのサービスエリア 
 
ゆく春の東北よここで生まれたるわが息子を覚えてゐてくれよ 
 
西会津過ぐるころ(まだ仙台に居ますか)無垢なるメール届きぬ 
 
郡山経由五時間のおほかたを古典大系読める青年 
 
逃走資金確かめながら東北を、杜の都を捨てるわたしは 
 
非常口のサインに点る緑の人は緑のゲートより何処へ逃げる 
 
阪神の死者を超えたと待つてゐたかのように告げる声のきみどり 
 
八日ぶりに髪も洗ひて湯につかり後ろめたさが深刻になる 
 
グッゲンハイム邸の窓より海を見て母にはビール子にはヨウ素を 
 
家が無事なのに仙台を離れたといふやましさをぽちりともらす 
 
一人言へばぽちりぽちりと皆が言ひわれもぽちりとつぶやきにけり 
 
逃げてゐる罪悪感は残る鴨を思ひつつ行く雁のかなしみ 
 
被災者といふ他者われに千円札いきなり握らする老女をり 
 
晩春の自主避難、疎開、移動、移住、言ひ換へながら真旅になりぬ 
 
〈さくら〉から〈かもめ〉に乗り換へうつとりと電車好きの子が天井を見る 
 
小紋潤ちひさくなりて行儀よく煙草吸ひつつ肉焼きくるる 
 
この夜を独りの夫に子の声とともに長崎の汽笛を聞かす 
 
西坂の丘に来る人を眺めをり祈る人走る人猫に水やる人 
 
聖人の像をはしから数へつつ九人目で子は「わかんない」と言ふ 
 
西坂に十二匹ゐるといふ猫の九匹までを確認したり 
 
人形に「もうすぐ地震おはるよ」と繰り返す子のひとり遊びは 
 
のど風邪を子にうつされてハシゴするたんぽぽ薬局なのはな薬局 
 
「ねむたい」と寝言いふ子の大声をわれのみ聞きてわれのみ笑ふ 
 
逃げきってせいせいとゐる月曜日 原子力空母ひつそりきたる 
 
 以上が「短歌往来」の昨年7月号に発表された作品であるが、同誌には特別作品として大口玲子、佐藤通雅両氏の作品が掲載されている。編集後記に、「三月七日頃に依頼したのだと思う。たまたまお二人とも仙台在住。数日後に大震災。これは諾否の返信どころではない。電話も通じない。お二人の身を案じていたところ、まず大口氏から三月十一日の記で、『水・電気・ガス等すべて止まっていますが、親子三人無事で、金華サバ缶の大和煮などでくいつないでいます』の返信が十三日に届いた。続いて翌十四日に佐藤氏から『家の中メチャクチャですが命は大丈夫、落ち着いたら書きます』との返信が届いた。ホッとした。しかし、大震災直前に仙台のお二人に依頼した小生、しばらくポカンとしたものである。大口氏は現在、幼児のためにも放射線を避けて九州各地に移り住んでいるらしい。」と記された。 
 
 編集者О氏(及川隆彦氏か)の驚くべき、企画力(?)であった。歴史に残る短歌誌の歴史の一幕として、記録に値する。 
 
 なお、歌集『トリサンナイタ』の「逃げる」には、上記作品のうち「逃走資金確かめながら東北を、杜の都を捨てるわたしは」 
「小紋潤ちひさくなりて行儀よく煙草吸ひつつ肉焼きくるる」 
「逃げてゐる罪悪感は残る鴨を思ひつつ行く雁のかなしみ」 
の三首が入らず 
「そこここで差し出されくる箱に子は硬貨を落とす遊びのやうに」 
「長崎のさくらのはなびらつめたいね 丹念に拾ひ集め子は言ふ」 
「いつもここにチチが座るよね 得意気に子の指が卓の空席を指す」 
の三首が入っている。 
また、作品の配列にも、若干の違いがある。 
 
 筆者はこの作品群を読みながら、「逃げる」という連作の表題について、作者の心情にいろいろな思いを持つ。理屈ではない、のだろう。 
 また、これは、作者、作品と関わっていうのではないが、「福島第一原発事故」ということで、3・11の地震・津波、その後の余震の時の、原発の実態、東日本各地にある原発があの時どのような状況にあったのか、たとえば福島第二、女川、茨城県東海第二各原発、東海再処理工場、青森県東通原発、六ヶ所再処理工場に危機・危険はなかったのか、そのことと「避難」の問題について、改めて考える必要があるのでは無いかと考えている。 
 
いくたびも「影響なし」と聞く春の命に関はる嘘はいけない 
 
 と、大口さんは月刊歌誌「短歌」(角川学芸出版刊)の2012年6月号に発表した連作「さくらあんぱん」で詠っている。 
 政府や関係機関の公式発表の、たとえば「ただちに健康に影響はない」という欺瞞、次々に拡大された「避難地域」、破壊された原発の実態とその影響に関する発表の意図を持った遅れ、曖昧さなどを思い起こす時、大口さんだけでなく多くの人びとの「自主避難」について、改めて考えを深めねばならないと思う。少なくとも、原子力放射能の被曝を出来る限り避けるための正当な権利に対して、それを保障する責任、義務のあり方を問わなければならないだろう。 
 
 それにしても、福島第一原発の現状、実態、廃炉への道筋さえまったく見えない中で、大飯原発の再稼働、さらに電力各社が原発再稼働を計画し、政府が根拠も保証もない安全基準を設定して原発の継続への道を開こうとしていることは、許しがたい。野田首相は、首相官邸前で原発再稼働に反対し、脱原発を求めて叫ぶ人々の声を「音」と言ったという。何も聞かない、ということなのだろう。彼は既に人であることをやめたのだ。 
 
 次回も原発にかかわる短歌作品を読んでいく。    (つづく) 


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