2012年07月20日00時17分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(58)原発銀座で詠う若狭の歌人・奥本守歌集『泥身』から原発短歌を読む(2)「事故現場のビデオを隠し通報を遅らせし『もんじゅ』の指導者許せず」  山崎芳彦

 前回に少しだけ触れたが、17万人がそれぞれの志を持って集った「7・16 さようなら原発10万人集会」(東京・代々木公園)に、筆者も参加した。自分の体調をはかりながら、前夜まで参加を決めかねていたが、「十万の人が『さよなら原発』を叫ぶ明日ぞ吾も言ふべし」という、つたない一首を手近の紙に書き付けて、参加を決めた。 
 
 かつて、1959年から60年にかけて、代々木公園、国会議事堂、日比谷公園、首相官邸前、その周辺は、学生だった筆者が大学から連日通っていた場所だった。1960年安保闘争の日々だった。その後も、しばしば、たたかいの場所であった。 
 
 7・16集会に参加し、会場の端の木立に日蔭を求めて、さまざまなことを思いながら立ち続けたが、そのなかで思ったことを、少しだけ記したい。 
 茨城の取手駅から乗った電車に、集会のチラシを持った、筆者と同年輩のご夫婦や、若い親子連れが数組いたし、これまでの集会についての報道などからも予想していたが、会場にあつまった老壮青少幼男女の数々に筆者は感動した。 
 
 「さようなら原発」の旗印は、原発推進を目指す権力者達が、「高齢者」と「現役世代」を対立させ、「少子高齢社会」を日常用語として「高齢者」を差別し、一方で、壮・青の世代間分裂を図り、殺伐荒涼たる競争社会を構造化し、果てしのないグローバル経済成長・競争に勝ち抜くことを名分として過労死を生み、絶望を作り出し、差別と過酷な競争、勝者と敗者を構造的に作り出して来ているのに対し、その反人間の支配のやり口を失敗させる基礎を作り出しつつあると思えた。人々が人間として生きるために、現実と未来を切り拓くために「原発さようなら」の「連帯」は、人々を分断し、対立と格差を作り出し、コミュニティ、人々の絆を断ち切りながら作ってきた社会、人間否定の原子力文明社会を打ち壊し、人間と自然がしっかりと一体化して、ともに生存していける社会を作り上げていく一里塚をなすのではないか、と考えた。 
 この運動が、社会の変革の力となる、人々の「連帯」の広がりの大きな環のはじまりの一つとなるのではないか。集会に参加している人々の多彩多様な姿は、そう思わせてくれた。私はひとりきりで参加したのだが、もちろん孤独感はなかった。 
 
 原発の問題はそれ程に重大なのだと思う。集会で見た、親が子に、祖父母が孫達に語っていた言葉を意識的に聞き取ろうとして、たとえばある小学生の高学年であろうと思う子が祖父に、第一ステージでの呼びかけ人の言葉について質問し、「原発は、人間や生き物を次々に食い殺すような悪魔や妖怪を次々に生み出すものだから、早く無くさなければならない、ということを言っているんだよね」と感想を語り、祖父がうなづきながら答えている姿をみかけた。 
 こころを一つにして語り合う夫と妻、親と子、孫達、その仲間の人々、若者達の活力のある呼びかけの声。私は、炎暑にくらくらする疲れのなか、人々の声を聞き、また、これまで読んできた短歌の作者のことも思った。全国各地で、「さようなら原発」をめざし、連帯している人々の、この日の行動も思った。これからさらに広がり、続いていく運動を考えた。呼びかけ人各氏のあいさつに共感もした。 
 
 もちろん、いま読んでいる奥本守さんのことも思った。81歳の奥本さんが、若狭の地で、若狭の原発について、原子力の危険な本質について、原発建設作業員だった経験もふまえて、短歌表現した作品の数々の尊さを思い、さらに、これまでに読んできた原爆短歌、原発短歌の作者が、いまは故人となってしまった方々も含め、詠い遺し、詠い続けている作品を読み、記録し、残していく作業を、続けようと思った。自分も、作歌に励まなければと反省させられもした。 
 
 なにやら、まとまりのないことを書いてしまった。 
 
 前回に続いて奥本さんの歌集『泥身』の中の原発にかかわる歌を読む。 
 
 歌集『泥身』の原発短歌(その二) 
 
▼裸木(平成3年10月〜4年8月) 
 
  参議院選挙―石原慎太郎氏応援に来る 
「裕次郎の兄です」拍手喝采の演壇の人ほろ酔いている 
 
原発は安全と真顔に慎太郎言えばそうかと聴衆の顔 
 
原発に事故なし故障は当然ともっともらしい慎太郎の説 
 
『太陽の季節』の著者もかく老いて経済優先を誇るかに説く 
 
ボロボロの原子炉廃(や)めず増設をさりげなく言う石原慎太郎 
 
  若狭のわれら 
万博に原子の灯りを点(つ)けしより二十年炉は眠りたくあらん 
 
原子炉の密集地帯爆発の事故あらばわれら大方は死者 
  (密集地帯。若狭の直径55キロ以内に原子炉15基あり) 
 
原発の事故に若狭のわれら死に晒す屍に供花もなからん 
 
原発の灯りよ無惨に爆発のおのが骸(むくろ)を照らす日なかれ 
 
生活に電力は要る然(しか)れども無駄使いする電力は要らず 
 
白血病患者増えくる若狭にてわれも冒され死にゆくらんか 
 
殺虫剤かけられて死ぬ蟻どもの姿か原発若狭のわれら 
 
原子炉の密集地帯に暮しいるわれらは哀し被曝予定者 
 
 
   ▼行方 
  美浜原電 
原電の近き校庭に子供らは「字隠し」遊びに声の明るし 
 
身の検査荷物の検査受けて入る細管破断の原子炉の傍(そば) 
 
蒸気発生器(SG)の細管破断起したる炉に取り換えの人ら入りゆく 
 
人ら入り静かに作業は運ばれているらし事故後の二号機の中 
 
SGの取り換え作業に百人余入りし原子炉物音聞こえず 
 
細管の破断せしSG保管する建屋にひと日生コンを打つ 
 
  原発増設 
反対の署名を天の声とせず原発増設決めたる市議会 
 
君たちの曾孫の奇型を思い見よ原発地獄は始まっている 
 
人間の死よりも収益優先の原発増設われは許せず 
 
太陽の光に優る熱はなし宇宙エネルギーの開発進む 
 
こつこつと宇宙エネルギー発電機開発されおり原発要らず 
 
 
   ▼泥身(平成6年2月〜12月) 
 
  肩に荷を 
原発より送電されしネオン塔(とう)夜を輝きて街は浮きたつ 
 
爆発を待つ核兵器と呼ばれいる「もんじゅ」試運転臨界に達す 
 
核兵器造る狙いと疑わるる「もんじゅ」運転いよいよ開始 
 
  術後の原子炉―美浜二号機 
門をくぐるを拒みつづけしコンピューターはオクモトマモルを忘れて許可せり 
 
壁切りて蒸気発生器(SG)交換したる炉は外傷見えず秋日に白し 
 
見世物とされしSG細管の破断部を見て帰る人たち 
 
展示者も観光客もSGの細管破断部の無惨を言わず 
 
破断せし細管もしも人間の血管ならば生き得るや否 
 
疲れ果て細管断(き)れしSGを取り換えてこの炉再び営業運転 
 
地球とて衰えゆくなり原子炉もSG交換し何年生きるや 
 
厳戒の構内原子炉廃液の函積む自動車目の前を通る 
 
安全と言いつつ厳しき警戒に廃液コンテナ運び出さるる 
 
 
  ▼われら哀しき(平成7年1月〜8年10月) 
  地震 
地震(ない)に揺れ頭(ず)に原発のよぎりたり放射能漏るる事故なきか今 
 
地震過ぎてテレビを見れば震度六の神戸の街の崩壊映る 
 
建物は崩れ五ヵ所に火の挙がる街の映像 友無事であれ 
 
死者増える被害地図見てその地下に活断層があるを聞きおり 
 
  もんじゅ事故 
 (平成7年12月8日午後7時17分頃、二次冷却系Cループより2.3トンのナトリウムが漏洩、火災警報が発信して、原子炉は手動停止された。日本の優れた技術では絶対にないと言われていたナトリウム漏洩事故である。) 
 
人つくるものにも知恵にも限度あり増殖炉「もんじゅ」にナトリウム漏れ 
 
配管の昇温テストの伸縮に異常ありしより事故を怖れ来 
 
ナトリウム散積したる映像は月面(げつめん)に似て人の足跡 
 
事故現場のビデオを隠し通報を遅らせし「もんじゅ」の指導者許せず 
 
事故あれば最小限度に報告する原子炉管理もはや信ぜず 
 
ナトリウム漏洩は設計ミスなるか隠さずに正しく原因を言え 
 
事故あらば謝罪で済むと思いいる人も組織もわれは許せず 
 
「もんじゅ」事故の責(せめ)負いて自殺せし人よ組織は無傷のまま存続す 
 
フランスもドイツも停(と)めし増殖炉使わんとするこの日本国 
 
 
 次回は、奥本さんの第三歌集『若狭の海』の原発短歌を読みたい。 
                     (つづく) 


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