2012年08月06日13時04分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(61)占領下の広島で原爆の惨禍を詠った詩歌集『黒い卵』(栗原貞子)の短歌を読む(1)「子らよ、子らよ、よく無事なりし、しつかりと二人の子らの手を握り締む」  山崎芳彦

 八月が、今年もめぐってきた。筆者は、毎年カレンダーをめくり八月にかえるとき、心の中で八月六日、九日の広島、長崎の原爆によって殺されたひとびとのことを思うのが常となっている。十五日の敗戦の日は、憎しみの日となる。「なぜ、この日が十五日でなくもっと早くなかったのか」と思うと、東京大空襲、海外の戦地に屍を晒し、あるいは傷を負い惨憺たる苦しみを強いられた人々の無惨さに思いが及ぶ。 
 
「八月を迎ふる暦一枚をめくる朝には吾が祈りあり」 山崎芳彦 
 
 短歌を作りはじめて数年後の筆者の拙い一首であるが、開戦の詔勅は筆者が満一歳の四日前のことであったからまったく記憶にあるはずはないが、敗戦の詔書は五歳になる四カ月前、父親が外地で戦病死したことを知って間もないときのことであったから、おぼろげながら母親や祖父母、周囲の大人たちの言動の異様だったことが記憶にある。しかしそのこととこの一首には直接のかかわりがない。 
 
 ポツダム宣言の受諾、戦争の終結の決断をあと十日余早ければ、少なくとも広島、長崎への原爆投下の命令を、トルーマン米国大統領が、いかに心残りを持ったとしても、下すことは出来なかったであろう。あと半年以上早かったなら、東京はじめ各地への空爆もなかっただろうと思えば、「天皇制の護持」保証を求めて、戦争終結を一九四五年八月十五日まで遅らせることがなかったら、と思わないではいられない。国家権力とは、このような過ちを犯すとき、まことに恐ろしい。この連載の七回目に読んだ、長崎の秋月辰一郎氏の 
 
「おそかりし終戦のみことのりわれよめば焦土の上の被爆者は哭く」(「昭和萬葉集第七巻) 
 
を思い起こす。 
 
 国家権力といえば、現在の野田政権による国の運営の危うさ、危険な動向を危惧せずにはいられない。福島原発の壊滅的事故の及ぼしている危機的な現状の下でもなお、原子力に依存する姿勢、原発の再稼働、更なる維持の「政治決断」を強行し、国民生活を苦しめる消費税増税の法制化、米国海兵隊のオスプレイの配備容認、 
TPPへの参加方針、前政権・自民党政府のやり残した悪政を、民主党政府が補完しようとしているかのごときである。この政権が原発政策を担い続けるとすれば「おそかりし・・・」の秋月さんの作品を思わないでいられない。 
 
 なかでも、脱原発への早期決断と、その具体的なプログラムの確立、廃炉や使用済みも含め国内にある核燃料の管理と長期にわたり安全に処理し無害化を出来る限り実現するための対策は、焦眉の課題である。核エネルギーへの依存率を何パーセントにするかなどという問題ではなく、原発ゼロ、核に依存するのではなく核を廃絶することこそが、いま求められているのである。福島原発事故のもたらしている災厄が、日本列島のどこで起らないとは限らないことが、いまさまざまに明らかにされ、指摘されている。 
 
 筆者も、一人で20万人が集結した7・29国会包囲の集会に参加したが、改めて国民主権とは何か、民主主義とは何かについて考えさせられた。国会議事堂とは誰のものなのか。やさしい言葉で、にこやかに応対しながら、国民の行動、武器も持たないし暴力行為をしようともしない人々を、国会や首相官邸に絶対に近づけないための、警察権力、つまり政府の強制力を決して緩めようとはしない規制の凄まじい本質を、筆者はひしひしと感じた。 
 
 かつて、そこで座り込み、デモを繰り返し、機動隊に蹴り上げられ警棒で下腹部を突き上げられ、五寸釘を打ち込んだ角材を振りかざしてトラックで突入してくる右翼に襲われ、しかしほとんどの人々は「安保条約反対」を言葉で叫びながら、警察や右翼の暴力に耐えた。自らの体で受け止めた。スクラムを頼りに、繰り返し繰り返しの日々があった。多くの労働組合がスト権を発動し、鉄道も、バスも停まり、人々はそれを支持した。地方の商店街のストもあった。安保条約改定反対の意思表示であった。運動する側の、とりわけ政党間の意見の不一致など、さまざまな問題もあったが、それを克服する人々の底力が及ばず、あれだけの運動の高揚にもかかわらず、安保改定が国民を埒外において成立することを許してしまった。 
 
 やがて、労働組合やさまざまな団体、組織の分裂・対立が権力の総力を挙げての工作で進み、さらに「高度成長経済」と国民所得の倍増のマジック、欲望を膨らませ、実のない豊かさを煽り立て、その基底にはエネルギー革命といい、石炭から石油へ、そしてそのときには原子力エネルギーの導入が進められ、原子力の「平和利用」のきらきら輝く化粧看板が、国土に結びついた産業、農林漁業を破壊し、地域の絆を打ち崩しながら列島各地に建設されていったのだった。 
 
 核の軍事利用と、民生利用が、政治的にも技術的にも通底していること、人間の手におえるものではない核の利用が、科学技術の進歩信仰、いづれ核の危険きわまりない問題を解決する科学的・技術的発展が期待できる、そのような見通しのない傲慢と経済的な再現のない欲望の再生産の体制が組織され権力の主導と支えのもとで、真剣に核利用のさけられない本質的な問題に科学的、学問的警鐘を鳴らす真摯な人々、実際に核エネルギー・原発の現場からの具体的な事実を、覆い隠し、核の本質と同様な社会・自然環境と、生命の連鎖を断ち切る、原子力文明社会、未来のない社会の構造を作り上げてきた。 
 
 いうまでもなく、国の権力を構成する政治・経済・社会の「選ばれた」あるいは「自らを支配者として選んだ」勢力でなければなしえないことである。間違いなく、そういう勢力が、姿を変えつつも本質は不動のまま存在するのだ。内部確執や対立はあるにしても、現在までのこの世界、この国にあり続けてきた。この社会の変革をかちとる運動は容易なことではない。しかし、絶望することは出来ない。国民が主権を本当にわがものとして行使するためにどうするか、改めて重い課題だろう。 
 
 7・16の代々木公園での集会も、7・29の国会前行動も、表面的には穏やかであったように見えるが、しかし、それはそこに集まる人々、主催者の「自制」によるものであり、国の権力の本質が変ったからではないであろう。羊の皮をかぶっても狼は狼である。 
 それでも人々は、「自制」し、規制に力をもって逆らおうとせず、しかし粘り強く、繰り返し、その数を大きくし、広げ、原発ゼロのための取組みを、自らをも勘定に入れた社会の変革を内容的に高め、政治を動かそうとしている。歴史的な運動である。 
 
 ごちゃごちゃとまとまらない私見を述べすぎた。この連載には不似合いかもしれないが、それでもいわないではいられないので、熟さないことを承知で呟いた。 
 
 ところで、前回、「次回も原発にかかわる短歌を」と記したが、表題の通り、今回は八月にはいったこともあり、原爆短歌を読みたい。広島の詩人であり歌人でもあった栗原貞子さんが、原爆投下直後から詠い、厳しい米軍の検閲下にあって発表した詩歌集「黒い卵」の中の短歌作品を読むことをお許し願いたい。日本図書センター刊の「日本の原爆記録17」の『原爆歌集・句集 広島編』所収の「黒い卵」抄による。同書の編者でもある栗原さんは、解説の中で「詩歌集『黒い卵』(一九四六年八月・自家版)はプレス・コードによる検閲で苦労したが、一九八二年に人文書院から解説を付して完全復刻した。その中の短歌編を採録した」と記している。 
 
▼原子爆弾投下の日 
裏畑に青白き光ひらめけり照明弾かと思い見しかど 
 
異常なる青き光の気にかゝり戸外に出ればたゝ゛ごとならず 
 
異様なる空の色かも漠としてあたりは俄(にわか)に小暗くなりぬ 
 
本能的に思いさとりぬ空襲と壕に飛び入り息をこらしぬ 
 
壕の中ゆ這い出で見れば我が家の戸障子は飛び天井落ちぬ 
 
至近弾落ちしと思い耐えがたく学校の子らがきづかわれ来る 
 
先(ま)ず子を迎えにゆかんと馳せ出れば通りを児童が泣きて帰れり 
 
血まみれてかえる子らあり我が子らの傷つけるさましきり浮べり 
 
上の子が妹をつれてかえりおり吾に馳せより泣きつゝ゛くるも 
 
子らよ、子らよ、よく無事なりし、しつかりと二人の子らの手を握り締め 
 
これからは母がそばより離なさじと子らの愛しさいやまさりつゝ 
 
怪奇なる積乱雲の雲の峰子らは怯びえて我ゆ離れず 
 
飛行機の爆音に似しかみなりのとゝ゛ろきたれば子らは怯びえぬ 
(原子爆弾の爆発は午前八時半なりし、十時には続々と負傷者郊外へ逃れぬ) 
 
怖ろしき地獄の巷ゆ刻々とのがれ来る人いやまさりつゝ 
 
のがれ来る人おの〜火傷して衣は肉に焼きつきており 
 
傷つかで真裸のまゝのがれ来し少女に子らのパンツあたえぬ 
 
郊外の収容所への道罹災者が延々として列をなせるも 
 
救援のトラックにのり死者傷者火ぶくれて怖ろしき相となりぬ 
 
 
 *最後の五首は、事前検閲をパスしたが、私家版では自己削除した。原爆投下前日の八月五日、私は爆心地の天神町へ、家屋の疎開作業に動員されていた。六日の朝、私は夫を町内の三菱精機祇園工場へ、二人の子どもを国民学校に送り出した後、台所で後片付けをしていて閃光を見た。爆心四キロの地点である。 
 
 
▼悪夢―負傷者収容所へ死体を引き取りに行きて 
 
二日まり探せど空しき乙女子のついに死体となりてわかりぬ 
 
その母をいたわりにつゝ亡きがらを受け取りに行く戦禍の街に 
 
空襲にそなえていでたちとゝのえて戦火の巷急ぎて行きぬ 
 
残火なおくすぶり燃えて戦災の巷は未だ火気にあつしも 
 
道辺には屍ころがり負傷者の群なしておれ人らかゝわらず 
 
収容所に近づき行けば車たんか行きかいしげく血なまぐさきも 
 
収容所の門辺は既にたゝ゛ならず重症患者群なしており 
 
無造作にころがりている死者傷者廊下うずめておびたゝ゛しきも 
 
ほのぐらき収容所の廊下ゆ生きながら死骸と共に寝てうめけるも 
 
死体の間にまだ幼かる男の子眼ひらきて水を乞いおり 
 
手のひらゆ救いのませばうなずけるこの子の母よ探しいまさん 
 
並び寝し廊下の死体次々にのぞき探せどわかりかぬるも 
 
生みの親もわかりかねたる相貌の変りやあまり甚だしきも 
 
死臭つく収容所の廊下夕されば鬼気尚迫り恐ろしきかも 
 
恐ろしきこの現実の中にして呼吸やまざるを不思議に思う 
 
ようやくに発見(みつ)けし死骸側(かたわ)らの患者は静かに目を開けていぬ 
 
泥土と黒血まみれ火ぶくれて愛しき面輪今は影なき 
 
運び来し車にのせて収容所ゆ出づれば外面に闇は迫れり 
 
父母やうからに運ばれかえりゆくたんか車のおびたゝ゛しきも 
 
夕闇のこく迫り来し街中の彼方に明るく未だ火事の燃ゆ 
(市の周辺の山々は三日も尚不気味に燃えつゝ゛けぬ) 
 
周辺の山火事夕はきおいづき赤々燃えて果てるともなし 
 
収容所ゆ死体引取りかえる道街々は火葬に明るかりしも 
 
ふりかえる街は火葬のあちこちに闇夜を赤く染めて悲しも 
 
(附記 八月六日原子爆弾の惨状ありて隣家第一県女一年生かえり来まさず、九日ようやくにして死体は己斐町国民学校にありときく、即ち叔父君、母君、私の三人で、午後四時より、死体を引取りに行く、収容所の情景ならびに帰途の残火もえ、火葬に明るきまちの歌なり、 * 私はこのときの情景を、後に「原爆で死んだ幸子さん」の詩に書いた。) 
 
 次回も、栗原さんの『黒い卵』の短歌作品を読む。 
 
(つづく) 


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