2012年09月17日12時43分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】 (67) ヒロシマの真実を追求し詠い闘った深川宗俊の歌集「連祷」を読む �◆峺覆�屍(し)を日本大使館前にと言い遺し李南洙は死にき貧困のなかに」  山崎芳彦

 いま、竹島(独島)をめぐって、日韓関係に穏やかではない状況が、ある意味では意図的に作り出されている。筆者はこの島の領有権、領土問題について何らかの判断を持つものではないが、日本の少なくない政治家と勢力が、この事態を利用して「領土を守るのは国の主権の問題であり、主権を侵されて国の独立はない」などとして、中国との尖閣諸島をめぐる問題にもからめて「国を守る」「日本人が命をかけて領土を守ろうとしなければ・・・」などと煽りたて、近隣諸国との緊張を高め、そのことによって日米関係の深化、オスプレイの沖縄基地への配備など基地能力の強化、自衛隊の軍事力の強化、歴史教育の変質化などを企んでいることは、警戒しなければならないと考える。特に、自民党総裁選の候補者のほぼ全員が、積極的な改憲論者であり、日本軍国主義の侵略戦争を正当化する見解を隠さない政治家であり、とりわけアジア諸国に対する非道な行為の歴史を隠ぺいしあるいは欺瞞的に歪曲して恥じない、醜い精神、政治信条の持ち主たちである。 
 
 深川宗俊さんの歌集『連祷』の作品を読んでいるが、深川さんは広島に強制連行されてきた韓国人労働者がが原爆に被爆し死亡し、また被爆による病気、後遺障害の甚大な被害を強いられたのに対して、日本政府と三菱重工など大企業が、その被爆者、家族に対する補償などに責任を負おうとしない理不尽な対応との闘いを自らの使命として課して、取り組んだことを示す作品が多くある。この問題にかけた深川さんの思いが脈打つ作品を読むことは、短歌作品にとどまらない深川さんの実践を記したルポルタージュや詩、掘り起こした調査資料、研究の記録などと合わせて読むと、その貴重な深川さんの業績がしのばれ、心打たれる。なかでも、深川さんの著書『鎮魂の海峡 消えた被爆朝鮮人徴用工246名』(現代史出版会、1974年刊)は、まことに貴重な、歴史の証人の残した原爆被爆韓国人と日本の良心が紡いだドキュメントである。 
 
 深川さんと強制連行され日本の軍需大企業で働かされた朝鮮人との出会い、原爆被爆、帰国するために日本を出発したが途中故国に帰りつく前に行方不明になった朝鮮人、20年余を過ぎて韓国訪問を繰り返しその行方を調査しつつ、在韓被爆者と出会い、共に日本政府と三菱重工に対する補償と未払い賃金の支払いを求める裁判などの取り組み、自らも被爆し、生活苦のなかにありながら、「加害者であったことへの自覚」を背負って在韓被爆者問題に取り組んだ人間深川さんの生み出した短歌作品を読むことができることを、筆者はこの上ない喜びとする。同時に、アジア近隣諸国に対して行なった日本軍国主義の蛮行の歴史を学ばされ、現在の日本の姿について真剣に考えなければならないと思う。「自虐史観」などと、歴史の真実をねじまげる政治家や文化人、歴史学者、経済亡者などの本質を追及し、その悪意に満ちた行為を指弾しなければならないと思う。 
 
 小寺初世子(こでらさよこ)氏(国際法学者、大阪国際大学教授、広島女子大学名誉教授、広島大学平和科学研究センター客員研究員などを歴任、2001年8月に享年69歳で逝去)に「第二次世界大戦におけるいわゆる“朝鮮人徴用工”への未払い賃金供託事件に関する法的一考察―一般市民の蒙る戦争災害の救済―」(1981年『広島平和科学』4に所載)と題する論考がある。筆者は深川宗俊さんの事跡を追っていて、この論文にめぐり合った。この論文は、戦時下に、日本の労働力不足を補うために強制的に日本につれてこられ、苛酷な労働に従事させされ、敗戦時に未払い賃金を残したままで帰国した(送還された)日本の旧植民地人民・朝鮮人徴用工について、「現行法制の下で、法的に非難の余地がないとは言いながら・・・筆者の推測では数千といわず、数万、あるいは数10万という数の朝鮮人が、日本(の企業)からの未払い賃金を、結局、、支払われずに終るのではないか・・・今後、こうした形での人間の不幸、植民地人民の不幸を繰り返させないためにも・・・『人間がこうむる戦争被害の一形態』を、できるだけ解明し、正確に記述してみたい」(序言)との目的でかかれたものだが、さらに次のように記していることに筆者は注目した。 
 
 「こうした未払い賃金を受け取れないでいる、旧朝鮮人徴用工の中には、当時の三菱重工業株式会社広島造船所に働いていた1951名の人々が含まれており、そのうちのほとんどが、昭和20年8月6日に広島に投下された原爆による被爆者であると考えられ・・・しかも不幸は重なるもので、このうちさらに、246名もの人達が、帰国途中の船上で台風に遭遇し、祖国を目前にして、水死したといわれている。」 
 「筆者が、かかる事実の存在を知り得たのは、上の悲劇をまとめられた広島在住の作家、深川宗俊氏の作品を通じてである。また、小稿における三菱重工広島造船における朝鮮人徴用工に関わる未払い賃金供託事件の事実関係の記述は、もっぱら、氏の蒐集された資料に負っている。このような、人目に触れることの少ない事件にかかわる資料や記述を、たんねんに掘り起こし、まとめあげられた氏の並々ならぬ熱意と努力に、深く敬服するとともに、快くこれらの資料の貸与に応じられた氏の御好意に、心から感謝する次第である。この不充分な研究が、氏の目的とされるところに、いささかでも役立つことができれば、筆者にとっては、望外の幸せである。」 
 
 論文の内容の紹介は、いまは不可能だが、深川さんの精力を傾けた被爆朝鮮人徴用工問題の調査と究明、そして同時に在韓被爆者の運動への積極的な参加が、いかに貴重なことであったかを明らかにする一つの事例として、長い引用を行なった。小寺さんの論文には、日本政府による「日韓併合条約」(1910年)による朝鮮の植民地化以降の朝鮮抑圧、収奪、そして遂には日本への強制連行、強制的な労働に従事させ、敗戦とともに「帰還」の名の下に何の保障もなく「送還」させ、原爆に被爆した在韓被爆者を放置した、まさに敗戦後も侵略者としてふるまった日本政府、大企業の実態も明らかにしている。 
 
 いま、日韓関係に「歴史認識と領土問題は無関係である。」とか、「慰安婦問題に関する河野談話には根拠がないので見直すべき」などの、歴史を隠ぺいし捏造し、「国を守る」「領土と国民の命を守る」ための軍事力増強論、教育の「改革」などが、盛んに行われようとしている時、深川さんの短歌作品を入り口として、日本軍国主義の犯した犯罪の歴史の真実を学ぶことの重要さを痛感する。 
 
 このような、短歌の読み方をよしとしない短歌界の人々は多いが、それは狭量に過ぎるし、文学の果たすさまざまな役割を否定してはならないと、筆者は考える。もちろん、囚われ人の文学であってはならないことは当然だろう。 
 また、前置きが長すぎたが、深川さんの『連祷』の作品を読んでいく。 
 
▼強制連行 
伽倻山を越えはるかなるヒロシマの声聴けりふぶきとなれるソウルに 
 
漢江をいくたびか越えきたりけり水原(スウオン)の街に被爆者つどう 
 
ヒロシマの被爆者つぎて死にゆけり韓国(ハングル)なればさだかなりし死者 
 
遺族らのチョゴリ初冬の風に鳴る強制連行されし駅のある街 
 
己が屍(し)を日本大使館前にと言い遺し李南洙(イーナムス)は死にき貧困のなかに 
 
原爆症の麻痺にくるしみつつ李南洙は息絶えぬ躑躅(チンダレル)開花の季を 
 
たどたどと日本のことばくりかえし被爆者李順玉(イスンオク)の涙ぬぐわぬ 
 
ひろしまに行きたしと泣けり林福順(インポクスン)すでに転移の肺がん知らず 
 
再びの会いはなからん朝鮮語に(チョソンゴ)に別れのことば交わす地下街 
 
残光はすでに滅びき漢江の水音蒼と闇をわたれば 
 
ヒロシマの被爆者多き陜川(ハプチョン)に片隅に生きるという意味知りぬ 
 
(「無援の海峡」、「詩人」の主として韓国の詩人・金芝河を詠った多くの作品がある。韓国の民主化のための人々の闘いに寄せる深川さんの痛切にして、かつての日本軍国主義の朝鮮支配に対する日本人としての痛恨の思いが込められている貴重な作品群を記さないことは、筆者にとって無念だが、他日を期したい。日本の短歌史にとって重要なことであろう。 筆者) 
 
 ▼加害の立場(抄) 
壱岐・対馬眼下に消ゆれば春潮の速し朝鮮海峡を越ゆ 
 
侵略の軍北上せし京釜線にいま在り被爆者にわが会わんため 
 
金泉(キムチョン)の町に老いたる被爆者と交す一夜の日本語わびし 
 
日本語を使うことなき歳月を思いいたりき君の戦後は 
 
心重く韓半島を去るものか眼下の山脈雪におおわる 
 
パスポートに印されし菊の紋章の侵しつづくる戦後というも 
 
鎮魂の思いひそかに書きつづる韓国の妻らの慟哭負えば 
 
加害者の一人にて被爆者となりしこと問いつつ生くる秋より冬へ 
 
語りつつ君は泣けるや朝鮮への加害の立場さびしくあれば 
 
縫製の労働に得しとう韓国人被爆者のための君のカンパは 
 
(「標天」、「宝印塔」、「能登・波花の舞い」略) 
 
 ▼長崎 
サルビアの真紅の炎の滴りに長崎投下をしめす碑文は 
 
投下誤差ありしと聞けど人間の頭上疑えず爆央の下 
 
低き山のなだりのさきは岬にて戦争に栄えし造船所見ゆ 
 
連行の朝鮮人あまた爆死せる戦時工場いまに兵器つくれる 
 
聖者さえ逃れえざりき浦上の上空に十字を切りしは誰ぞ 
 
夜べ降りしならん溜まりの青空よ見上ぐれば長崎の空は狭しも 
 
平和教育てがける現場のくるしみを語りき女教師は生徒をつれて 
 
傷む眼を君はおおえり長崎の街すでに冬の海にかたぶく(いぬいとみこ) 
 
 ▼被爆者パウロ神父(抄) 
手を合わすひととき苔の匂いたつ森林太郎の墓石古りたり 
 
鴎外の墓に隣す石仏にやむなきことば残し去りゆく 
 
つわぶきの名にちなむ里 西周・森鴎外親しパウロ神父も 
 
(「母子草」、「碌山館」、「百済工人」略) 
 
 ▼墓標 
水ぶくれしままに息絶えし少女らの屍の散乱の黒き塊 
 
焼けのこる鉛管に噴く水の音聴きとむる焦土の町の一角 
 
焼杭のごと細き足少年も少女も瞬時灼かれゆきたる 
 
救護班の少女らいずれも傷つきて焦土の町に横たわるなり 
 
川砂にうつぶししまま口づくる生徒ら満ちゆけば流れゆく 
 
ヒロシマの炎に巻かれし生徒らの夜ともなれば河床にもゆる燐光 
 
湾曲に川流れゆく葦群に死に絶えて無数の少年のこえ 
 
かさなりて折りかさなりて水槽に死にし少女の見分けつかぬに 
 
満ち潮にあらがうちからなき群れの息あるものら手をあぐるのみ 
 
双の手に数珠たまわりし死の少女その母も灼かれ川に流さる 
 
蝿とまれば水疱となる皮膚なりきてだてなし焦土に数日経たる 
 
 ▼似島 
ヒロシマの炎のがれ来し幾千の死霊の島よ海に浮かべる 
 
被爆死の数さえさだかならずという島の浜辺にさわ蟹の群 
 
ヒロシマの霊をたずねて島の径野苺ひとつ君はついばむ 
 
島に住む老いしらがささぐる草花に朽木一本の無縁の塔は 
 
霊(りょう)の声こむるごとくも似島に朽ちしままなる給水塔は 
 
砂浜にまみれいでくる人骨の死屍の無数に海しぶきつつ 
 
わがこころ掘りつついでしヒロシマの眼窩の暗ゆふきあぐる火は 
 
一望に燃ゆるひろしま海に映え島に満ちたり呪咀の弔ひ 
 
すりあいて泣く声きしむ人骨のささくれて冬の渚の朝焼け 
 
戦線を離脱せしきみ似島に兵としてありき渚に顕ち来 (近藤芳美) 
 
倶会一処 墓石水晶のごとひかり島の斜面に蝉しぐれ噴く 
 
ヒロシマの一つの墓標となりし島渺茫と霧の海にありしも 
 
弾火薬運びし軌条の跡とみゆるベトンは接岸の海につづけり 
 
戦争のいたみを知れる君らいま似島にうたう多く平和のうた 
 
誠実に生きるという意味理解せしや君ら真実のうた持ちよれる 
 
似島に救援に来しとぞ幸ノ浦の基地見ゆ兵ら二次被爆せり 
 
朝かげのいまだおよばぬ渚辺にきみの素足の海に華やぐ 
 
似島の研修を終えて別れゆく明日を切り拓くうたつくるべし 
 
サナトリウムに春を逝きにき丘の上の花の柩の夕光の中 
 
 次回も『連祷』の作品を読みたい。     (つづく) 


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