2012年09月23日10時50分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(68) ヒロシマの真実を追求し詠い闘った深川宗俊の歌集『連祷』を読む ③「われもまた隣人なりき原民喜の炎の街の跡たどりゆく」 山崎芳彦

 今回読む深川さんの歌集『連祷』の作品には、ヒロシマの戦後の情景を原爆の記憶、人々の姿、深川さんに刻み込まれた心象風景などが、さまざまに表現され、印象深い。多くの広島の歌人、詩人、作家は川を深くシンボリックに詠み、書いているが、今回読む一連にもひろしまの川が多く詠われている。そして川といえば橋である。川に生きる生物である。そして、原爆投下時の被爆者が求めた水、多くのいのちを弔った川でもある。 
 
 死や悲嘆、悲しみの川、しかし広島に生まれ育ち生きた人々にとっての生活と深く結びつき、懐かしい川である。 
 
 筆者も広島を訪れた日々にいくつの川、橋を渡ったことだったろうか。その川、橋を渡り多くの被爆者たちと出会い、八月六日のこと、その後の苦難の日々、たたかいの日々、生と死と向き合った。深川さんと喫茶店で短い時間だが会い、柔和で朴訥ながら深い人間性が生む強靭な意志を垣間見たことを忘れられない。そして、いま、当時は知らなかった深川さんの短歌や詩を読んでいる。改めて、ひろしまの川や橋を思い起こす。 
 
 ところで、前回にも触れたが深川さんが情熱をかたむけて取り組んだ広島で原爆に被爆した朝鮮人徴用工の行方不明者を追い求めての活動について、時事通信ソウル特派員であった西脇文昭氏が書いたレポート「壱岐、対馬に眠る朝鮮人遺骨をいまこそ故国へ返してあげよう―深川宗俊氏の“長い旅”ソウル」(「週刊時事」昭和49年2月)の一部を引用して、当時の深川さんの活動とともに、今日まで翳を落とす日本・韓国関係の状況を見ておきたい。最近の日本に韓国、中国、北朝鮮との関係について、歴史的認識のねじ曲げが強まっているが、国民レベルでの歴史の直視が大切だ。 
 
 「二十八年前の幾多の朝鮮の人たちの怨霊を背負うように、十一月の寒風吹きすさぶ釜山港に関釜フェリーから降り立った一人の日本人がいた。終戦直後、一日も早く故国へ帰ろうとして、玄界灘に、あるいは対馬海峡に、無念の涙をのんで消えていった朝鮮人労働者とその家族の鎮魂の旅への、それははじまりだったのだ。」 
 「深川氏の良心と熱意に支えられた行動が、日韓両政府をようやく動かし始めた。日本政府による朝鮮人の強制徴用は、日本が満州大陸へ進出するとともに大量の内地労働力の移動が始まり、加えて国内軍需産業の設備拡張から極端に労働力不足をきたしたため、その穴埋めとして、1939年以後から本格的に始まったといわれる。終戦時には二百数十万人の朝鮮の人たちが日本国内にいたとされ、無数の不幸をつくり出した。そうしてこの不幸が、韓国人原爆被爆者問題のように、いまだに日韓両国政府から見捨てられた形で、現在の韓国の人たちに大きな影を落としている。日本政府は、これらの個人だけでは背負いきれない不幸を日韓国交正常化の際に交わした<対日請求権補償>問題の中で清算ずみだ、という態度をとり、韓国政府の方は、朝鮮戦争の傷跡をいやすほうに追われて、戦時日本に協力した人のめんどうまで手がまわらない、というのが実情のようだ。金大中氏事件の韓国国会での反日論議にもみられるように、この強制徴用問題は韓国の人々の胸底に残る対日憎悪の大きな原因をなしていることは否定できない。安易なもうけ主義の経済援助よりも、むしろこのような過去のあやまちの清算こそ優先されるべきではないのか・・・」―いまにもつながることである。 
 
 このレポートがかかれて以降、深川さんをはじめ多くの日本の人々が韓国人による対日政府、大企業に対しての補償や在韓原爆被害者対策要求の裁判闘争などに積極的に協力・共闘し、そのねばりづよい取り組みの成果が、十分ではないが一定の実現をみてはいる。しかし、その成果を見ることなくどれ程の人々が、たとえば原爆症によって病み、命を落としたことか、思えば国家権力同士の「和解」なるものが人々の苦しみをどれほど癒すことができるのかを、思わなければならない。 
 
 植民地化、強制連行、徴用工、差別、慰安婦問題・・・これらの、日本が朝鮮の人々に与えた苦しみの事実を、いまになって「証拠がない、根拠が不充分だ」などと国会審議の中でさえ声高に論じ、「日本人の誇り、自尊の回復」のための教育などを主張し、日本人として聞くにおぞましい言辞を弄することを許し、国を守る精神とそれに見合う軍事力の強化や法制度の「整備」を具体的に提起する現状をみとめる空気は、危険である。一方でオスプレイ問題に見られるような対米姿勢、このような現状が何をもたらすか、近隣諸国の人々と共同しなければならない。「領土問題」を利用した国家権力同士の振る舞いに踊らされてはなるまい。 
 そのためにも、正しい歴史の事実、権力が書く歴史ではなく人々が体験や事実をもって明らかにする歴史を真摯に受け止め、未来を志向することを、何よりもこの国の人々の姿勢として構築したい。 
 
 深川さんに学ばなければならないと思う。そのためにも、深川さんの事績の探索をしていきたいと、筆者は考えている。 
 
 深川さんの『連祷』の短歌を読み続けたい。一部抄出とせざるを得なかったことは、やはり悔やまれるが、お許しを願う。 
 
 
▼多く川のうた 
 
ヒロシマに今に発掘さるる骨わがうちふかく灼きつくす 冬 
 
ヒロシマの夏をうたうべく歩むとき流砂さみしき骨を抱けり 
 
キャタピラの轍に裂かれゆくチェコ制圧下に声なきわれらの示威も 
 
ヒロシマの子は遊び呆けねむりたりわれに重し子と広島の夏 
 
雪暗き中州へだてて川とよみ流れにあぐるてのひら小さし 
 
生きもののあわれ巣づくる川の石灼かれしいろに崩壊の影 
 
 
  ▼流水の紺(抄) 
 
幼らの手をかざしつつ流れゆき天日暗し夏の奏鳴 
 
引き潮となれば炎の道となる河床ふみゆくに夏のきらめき 
 
ばら垣をめぐらせてたつ三吉の碑文さだかに暗転の夕光 
 
いっせいに千の鳩羽ばたく夕空に幼らあぐるまぶしき双手 
 
東岸はいまだに暗し朝光にさらされてまぶしわれのヒロシマ 
 
一望の視野にひろがる広島の景観の中の死者のつぶやき 
 
少年のわれも貝採り沙魚追いき川砂は照りつつ白き幻 
 
窓わくに雪つむ春をいのち消えし被爆二世の死をうけとむる 
 
雪のしまとなりし流砂の中州あり ひろしまの春を流水の紺 
 
忽念(こつねん)の死に至るみちわれと子の流燈重したたかいなれば 
 
ヒロシマの冬を流るる星ひとつきわやかにたなそこに象(かたち)となりぬ 
 
微小なる水滴ひかるおさな髪霧ふかき投光のなかの陸橋 
 
遠き海の霧笛聞こゆる夜の街 死にたる母と並び行きたれば 
 
春潮の汀に散りゆく椿あり毒ガス島の廃屋近し 
 
爆央に球点ひとつあざやかに核の位置しめすヒロシマの子の死 
 
焼け落ちし街区八月の砂きらめき 口づくる水 かたわらの骨 
 
潮ひけばいくつか穴の乾きゆき川蟹ら生きて瓦礫のあいに 
 
ヒロシマの川砂に沁みつつ雪舞えり雪ふれば雪に爪あぐる蟹 
 
粒状にただれし瓦礫火の色と燃え立つ川に濯ぎてゆけば 
 
爆心地を時には迅き羽搏きに舞う群れのなかわが白き鳩 
 
てのひらに鳩あそばせている少女われの回帰を遂げん死後の季 
 
土掘れば火の色となるひろしまの緑と水に鳩ら憩えり 
 
 
 ▼夏の季(抄) 
 
焦土一夏になかりし緑さわさわと川に翔つ風汗乾きゆく 
 
爆心地の川引けば無数の小蟹いず爪立つ踊り信女夏の季 
 
風花は舞いつつ川州を染めゆきぬヒロシマの葬いいまにつづける 
 
登り行く朽葉の径をふいにわが身じろぐ視野に白花のあかり 
 
火の渦に巻かれし中州の街いくつ浮上しゆけり満ち潮の中 
 
橋多き街という声ヒロシマのさだかならねば幻として 
 
ひろしまの街を俯瞰としていまに死にゆく者ら川をわたり行く 
 
霧ふかき広島の街に降り立ちていずれにゆかんわが橋ひとつ 
 
分岐して流るる川の水底に棲むひろしまのさわ蟹の群れ 
 
アオザイのすそひるがえし行く君らヒロシマ・ハノイわれに近しも 
 
幾度かのぼり来たりしヒロシマの階なり焦土腐乱の展示 
 
雪の州のごとき流砂をぬいながらさみしきものか紺の流れは 
 
 * 
谿ふかき残雪の水掬うときダム底ゆ救い求むるアイゴー聞こゆ 
 
木の皮を食みつつのがれゆきし山高墓(こうぼ)をはるかに逃亡の跡 
 
人柱となりし連行朝鮮人ありしと聞けるダム底ふかし 
 
島平の渚に光る貝ありき この海に没りしや陶工の虜囚は 
 
 
 ▼心の系譜 
 
三吉とともにかかわりし詩の会をたどりゆくヒロシマ心の系譜 
 
ひろしまの水底に眠る少女らを子にかさねおり蒼き川ひだ 
 
しばらくは鐘の中の表情を見ていし少女髪梳きはじむ 
 
ゆきずりに見しケロイドの貌ひとつ何故に眠りの前に顕つ 
 
いのちある川と思えり水中にあおさ緑に春をひかれば 
 
つきつめて軌条にいのち散らせしと朝のおどろに兜子(とうし)死にたり (赤尾兜子) 
 
爆心地の雁木を降りて燈籠に火をともすときさみしき声す 
 
原爆に死にたる幼き肉片を離れ来て長し夏の暗き冷え 
 
人間の糜爛展示をみさだめて階くだるなれと蒼白の土 
 
火の怖れ知らぬ幼子の焚く花火水に消えつつ消えず火の色 
 
つねに力あるものが歴史をゆがめゆくことも知りつつわれの無惨を 
 
右翼のビラ踏みにじりゆく坂の上ともしびのごと落ち葉の燃え火 
 
ひきとる人のなき骨あまた骨すらもなき死者いまにヒロシマは燃ゆ 
 
 次回もさらに歌集『連祷』を読んでいく。 
 (つづく) 


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