2013年02月05日01時43分掲載  無料記事
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文化

パスカル・バレジカ著「パリの歴史的通り (Rue Historique de Paris)〜パリはシュールレアリストの町〜」

  パスカル・バレジカさんの新著が欧州で発売となった。タイトルは「パリの歴史的通り(Rue Historique de Paris)」。バレジカ氏はパリは超現実主義の町だという。その真意はパリは単に物質や歴史で構成されるだけでもなく、虚構が巧妙にまぜられた町だということだ。だからパリはシュールレアリストの町だという。それが何を意味しているかは、実際に本書をひもといていただくしかない。 
 
  この本はパリへの旅行時、ホテルのフロアに置いておいて欲しい本だ。町の建築物が多数、写真入りで紹介されているから手に取りやすい。一気に全部を通読してもよいが、暇なときにちらちら「引いてみる」辞書のようにも読むことができるだろう。パリの町を理解する手引きになってくれるはずである。日本の観光ガイド本と違うのは歴史に対する徹底した関心である。それはバレジカさんの祖父自身がチェコから流入した人物であり、自らパリ史に参加しているからでもある。英語とフランス語が併記されているので多くの読者が楽しめる体裁になっている。 
 
  以下は本書を執筆している段階でバレジカさんが日刊ベリタに寄稿した新著の内容に関する文章の抜粋である。 
 
■フランスからの手紙 25  パスカル・バレジカ 
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  「私の場合、パリを最初に発見させてくれたのは私の母だった。私が2歳から3歳にかけての頃だ。ボーブール通りのマレー地区、ピラミッドの前のルーブル美術館。ボルタ通りのいわゆる「パリで一番古い家」。それらは我が家にあったミシュランのガイドブックに載っていた基本事項だ。しかし後に、その家はそれほど古くないことがわかった。露出した古風な木組みとは裏腹に、17世紀の建造物に過ぎないことがわかったのだ。 
 
  時の流れに従い、私がパリに抱いていた確実性は次第に消えていった。私はパリには幻想の部分が少なからず存在していると思うようになった。バスチーユ広場はよく知られた典型的な例であろう。 
 
  パリの革命を象徴するこのバスチーユ広場は実際には都市計画で生まれた場所ではなかった。マレー地区とフォブール・サンタントワーヌの交差する位置にあるこの広場はかつてのパリ防衛のためにあった要塞が壊されてできた人気のない場所だったのだ。人々は広場の中心に自由の神を頂く7月革命記念柱を建てた。その下には1830年と1848年の革命の犠牲者たちが眠っているとされる。だが、ちょっとした間違いから、エジプトから持ち込んだミイラ数体もそこに埋めてしまったのである。 
 
  バスチーユ広場は建物と広場が継ぎはぎだらけでちぐはぐな印象の町になっている。たとえばオペラ・バスチーユとアルセナル港だ。 
 
  またカフェ・フランセーズの上には「1789年のフランス革命の際の砲撃の痕跡」を見ることができる。感動的な史跡だ。しかし、これは実際には1900年に作られたものなのだ。これが典型的な<パリっ子の省略術>というものである。歴史と伝説は分離不可能なまでに混ぜ合わされ、しばしば時とともに厚化粧が施されていく。つまるところ、パリは想像と現実が同時にミックスされたこの上なく超現実主義的な都市である。パリには偽の痕跡、見せかけ、奇妙さが満ちている。さすらう泉、未完成の通り、空想の彫像製作術、特異な空間、頓挫した計画・・・・(まだまだ続くのだろうか?)」 
 
著者 パスカル・バレジカさん 
メールアドレス(言語は英仏伊) 
pascal.varejka@gmail.com 
 
■パリの散歩道 18  パスカル・バレジカ氏はパリの歴史本を執筆中 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201202182010196 
村上良太 


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