2013年02月06日14時25分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(87)角川『短歌年鑑 平成25年版』所載の自選作品集から原発詠を読む(1)  山崎芳彦

 角川『短歌年鑑 平成25年版』には、679名の歌人の「平成24年自選作品集」(各5首)が収録されている。誌上では歌人の生年により年代別にまとめているが、それぞれの作品のなかから原発にかかわって詠われたと筆者が読んだ作品を抽いておきたい。作者の意に反した読みがあれば、お詫びするしかないが、作者5首に限定しての自選作品であるから、原発詠があってもこの作品集には収められていない作品がそれぞれの作者の作品には少なくないであろうことは推測される。 
 
 作品を読む前に、この連載の84回で、吉川宏志氏の評論「言葉と原発」(同年鑑特集「論考 震災・原発と短歌」所載)の後半部分について触れたままなので、同論考の中で吉川氏が、「『言葉』というフィールドから、どのように原発の問題にかかわっていけるのか、まったくの無力なのか、改めて、ここで考えてみたいのである。」として論究している内容について記しておきたい。 
 
◇吉川宏志氏の「言葉と原発」について 
 
 氏は、いま原発の問題について、インターネット上の匿名の発言などで「『原発を使っているのに、原発に反対するのはおかしい』といった言説がおびただしく投稿されている。脱原発派の坂本龍一に対し、『電子音楽でずっと電気を使ってきた人が反原発を主張するのは笑える』といった発言が無数に並んでいたりする。同じことしか言わないコピー人間が、何人も増殖しているようで、非常に不気味な感じを受ける。」と最近の傾向についての感想を述べたうえで、 
「私たちは『人間が言葉を用いている』と考えている。しかし、そうではなく、『言葉が人間を操っている』という側面もあるのではないだろうか。」と重要な指摘を行なう。その通りであると筆者も考え、最近読んだいくつかの文章に思い当たる。言葉を用いているつもりで、言葉に操られているのではないか、さらに、意図的に企みをもって言葉で人間を操ろうとしているのではないかという感想を持つ作品に出会いもする。 
 吉川氏は、「最近こんな歌を読んだ。」として、岩井謙一氏の作品を挙げて論評している。(筆者は岩井氏の原発、核放射能、福島原発の被災者に対する感情や行動にかかわっての作品について、例えば同氏の歌集『原子(アトム)の死』に収録されている「放射能」の一連の作品などに激しい憤りをもっている。本連載の85回でその一部を記した。) 
 
 堂々と反原発を詠みたるに歌集を作る 電気は別か 岩井謙一(『短歌研究』11月号) 
 
 この歌について吉川氏は、「岩井は原発推進の立場であり、『電気を使って歌集を作っている歌人が、反原発を詠むのは矛盾している』と思っているらしい。ここにも、先にあげたような思考パターンが明確に存在しているのである。」と指摘し、「電気を使っているのに原発に反対するのはおかしいという言説は正しいのか。一見、反論できない言説のようである。しかし、よく考えると、これはかなり粗っぽいロジックである。」と批判し、いくつかの例を挙げて(学校に世話になっているのだからいじめ問題が起きても学校を非難するのはおかしい、アメリカ軍に守られているのだからオスプレイの問題でアメリカを批判するのはおかしい、国家が破綻するかもしれないので消費税増税に反対するのはおかしい)、「このロジックは、権力を持っている側に、非常に都合がいいものであることがわかる。」と述べ、「強い毒性がある」このようなロジックの蔓延を抑制する力を「私たちは持っているはずだ」と強調する。 
 
 そのほか、いくつかの例を具体的に挙げながら、「こうした言説に誘導されて、原発は必要だと何となく思い込んでいる人たちもいる。これも言葉によって人間が操られている一つの例ではないだろうか。」と述べ、短歌にひきつけて「短歌の読者には、一首を読んで、リアルに場面を想像する力が要求される。・・・限られた言葉を読んで、できるかぎり具体的なイメージを想像する能力。これは文学の根幹に存在する人間の本性だと言ってもいいだろう。」と論じ、「地震が起きたとき原発がどうなるか、というリアルな想像を軽視したために、福島第一原発の事故は起きてしまったとも言える。未来をリアルに想像することを、いくら都合が悪いからといって、圧殺してはならないのである。」という吉川氏の指摘は、その通りである。 
 ただし、原発の持つ本質的な危険性、事故の起こる可能性を科学的に指摘し警告した人々を排除し、原発を推進してきた「確信犯」の勢力はそのような「リアルな想像」とは無縁な存在であることも言わなければならないと、筆者は考える。 
 吉川氏が、「たとえば実地に行って自分の目で確かめて見る。さまざまな本を読む。そうした行為を通した言葉を発信していくこと。自分の言葉を回復するには、それが第一歩になるはずである。」には、共感する。 
 
◇岩井謙一氏の作品について 
 
 しかし、「癌によりわが母は死になつかしき写真にあらぬ放射能なり」、「シーベルト変動すれば母たちが一喜一憂蟻が笑うよ」、「放射能エゴイズムを喚起して怖い東北捨てられてゆく」、「わが子さえよければよきか狂いたる母性本能深く冷たし」、「フクシマは原発のリスクいかほどか人間どもに教えてくれぬ」、「被爆せし広島・長崎食べ物を選ぶすべなく生きていたりき」(岩井謙一歌集、前記)・・・のような、原子力信仰者にして、原発事故被災者に対する悪意ある嘲笑、悪罵の短歌作品を歌集に収める歌人に、吉井氏の論が通じるかは疑わしい。「蟻が笑うよ」の歌について、この「結句は辛辣」などと評する歌人がいるのにも驚くが。辛辣とは何の意味だろうか。 
 あの大地震・大津波の被害に加えて、福島原発の壊滅的事故、水素爆発、炉心溶融などによる放射能の放出・拡散、政府や自治体からの避難・退去命令や指示などによって逃げ惑う体験をし、さまざまな混乱した情報があるなかで福島や近県の人びとが放射能の検査データに「一喜一憂」し、生活の具体を考え、工夫し日々を生きている、それを遠く宮崎の地に居て、蟻ではなく岩井氏が嘲笑し、悪罵の言葉をつぶやいている、その姿を髣髴とさせる歌ではないのか。そして原発被害を避けるため子を連れて避難する母親達の痛苦の思いにたいして、「エゴイズム」「狂いたる母性本能」などなどの言葉で非難する岩井氏とは、何者なのか。 
 岩井氏の歌集について「驚いた、次に、率直に言うと怒りがこみ上げてきた。」(森山良太氏、「短歌研究」一月号の歌集評)と言う批判的な声があがっていることは、当然だろう。筆者も、改めて意見を述べたいと思うが、別稿をもってしたい。 
 
 いまは、角川『短歌年鑑』の自選作品集の作品を読んで行きたい。 
 
▼放射能煮ても焼いても喰へぬ奴セメントで捏ねてもまだ悪さする 
 
それぞれに役割がある世に生れ来て原発造りしは罪でありしか 
                     2首 岩橋慶一 
 
▼放射能かすかにただよふ山坂をこえて湖見つ そして人恋ふ 
                     1首 高松秀明 
 
▼見極めむ 国ほろぼすは原発か地震か われの校了までを 
                     1首 秋元千恵子 
 
▼大いなる真白き皿に桃を盛る風評に泣く古里の桃を 
 
唯一の被爆の国に五十基の原発あるを諾うなかれ 
                     2首 朝井恭子 
 
▼プラカードはまちの言葉で書いて行こう「サイナラ原発」「もんじゅはイラン」 
                     1首 浅川 肇 
 
▼日本には見ること勿れチェルノブイリ・ハートを持ちて生くる子らの日々 
                     1首 井上美地 
 
▼原発の再開の断下りたり「脱原発」の声を無視して 
                     1首 北原由夫 
 
▼原子炉の稼働を止めし列島にまこと悠久の月昇りきぬ 
 
潮の目のひとすぢ乱るは原発の排水の引く力ならずや 
 
放射線も地震(なゐ)もここには及ばねば数かぎりなく漣は立つ 
                      3首 斎藤すみ子 
 
▼線量は目に見えずして目を穿(うが)つ除染されたる樹皮のなき果樹 
                      1首 篠  弘 
 
▼春逝きしセシウムの湖(うみ)に鴨一羽孤愁の水脈(みお)を引き摺りており 
                     1首 須々木誠一 
 
▼パプリカのみどりが赤に変はる夏大飯原発再稼働する 
                     1首 須田利一郎 
 
▼原発事故あらば確実のあかしもて空を渡れる風船のさき 
                     1首 百々登美子 
 
▼鬱々とこもりいる間にいつしかに大飯原発再稼働のうごき 
                     1首 西村恭子 
 
▼地の裂をひょいと飛びたる三月の十一日ぞ その後の恐怖 
 
平和利用にあざむかれたる人々が明るき都会の闇にまぎれし 
 
わたくしがもしも核であったなら今年は咲かずにおこうと想う 
                     3首 福島美恵子 
 
▼大震災、原発、豪雨歎かいて無着(むちゃく)菩薩の悲しみ深し 
                     1首 藤井 治 
 
▼あとずさりしつつ「3・11」のゆく 今日の夕陽は槐多のガランス 
                     1首 松川洋子 
 
▼原発の安全神話ことごとに虚妄なりしか建屋の煙 
 
既にして五十四基の原発のある地震国風頬を打つ 
                    2首 向井毬夫(故人) 
 
▼放射能の拡散はいまもなお続き見えず匂わず身にしのび寄る 
                     1首 柳井喜一郎 
 
▼さまざまの放射線量測定器マスセールスの店頭を占む 
                     1首 秋葉四郎 
 
▼汚染進む沼辺に黙し降り来たる放射能積もりて地図に色濃き 
 
除染とて表土を削り積まれたる山ここにもありて重機が動く 
 
頂きに狂い咲きたる紫モクレン原発再稼動臨界に達する 
                     3首 内野光子 
 
▼忘れられし足尾鉱毒フクシマの原発を生み民を殺せり 
 
谷中村消滅させし日本はまたフクシマのムラを滅ぼす 
                     2首 川井盛次 
 
▼教育のごとく結果は遠き先じわじわじわと内部被曝は 
 
廃炉には数十年といふ今年生れし子らに白髪出で初めむころ 
                     2首 草田照子 
 
▼仕末のつかぬ澱を抱えているような日常燃料棒のこともさりげなく口に 
                     1首 近藤和中 
 
▼天気予報つづいて放射線量を伝へローカルテレビ終へたり 
                     1首 佐藤孝子 
 
▼JR時刻表開くに常磐線いわき駅までごそっと剥落す 
 
―(よこ)線の入りて時刻(とき)なき駅名の 浪江 大熊 富岡楢葉 
 
除染ではどうにもならぬ深刻を語るうち学者は涙目となる 
                     3首 佐藤通雅 
 
▼陸前高田被災の松は拒まれて燃ゆる能はず五山送り火 
                     1首 沢 桃子 
 
▼三月十一日、孫の誕生日 絶対に忘れない泣き顔がある 
 
福島の無人の街をゆくカメラ満開の桜を追って何処まで 
                     2首 出頭寛一 
 
▼放射能だあ逃げろ逃げろランドセルが駆けてゆくなり降りだす雨に 
                     1首 田沢郁子 
 
▼言うまでもなく烏滸(おこ)である再稼働灯りに林檎を食べ続くるは 
                     1首 田村広志 
 
▼原発禍ひろがる大地の青葉闇おん目濡れ鑑真和上いますや 
                     1首 高尾文子 
 
▼たはやすく人には言へず放射能を逃れ来て居る娘らとの一年 
                     1首 高縫汽瀬─
 
▼全国の原発地図のいづかたも海に臨める景勝地なり 
 
日本に原発54もありてなぜか一県一基とならず 
 
福島10福井11原発の半分近くを2県で負へり 
 
福島と福井に多く原発ありめでたき福の文字を被(かづ)きて 
 
原発の熱き火ならぬ熱なき火ホタルの放つ冷光恋ほし 
                     5首 丹波真人 
 
▼さりげなく明日はまた来む大震災と津波襲ひこしかの日の如く 
 
されどまた明日は来たらん死亡者数も行方不明者数もわからざるまま 
 
しかしまた明日来たるべし原発事故の真相いまだ不明なるままに 
 
今日の続きの明日とはいへど明日は明日、想定外のもの孕むべし 
 
さらにまた明日は来たらん何時まで続くかわからぬ未来に続く明日が 
                     5首 杜澤光一郎 
 
▼放射能によごれちまつた悲しみを剥きはじめたり竹の子の皮 
 
原発は善だ悪だと言つてゐるうちに滅びてしまふのだらう 
                     2首 中地俊夫 
 
次回も『短歌年鑑』の自選作品集を読み続けたい。 
 
 (つづく) 


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