2013年03月14日11時56分掲載
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文化
【核を詠う】(94)『現代万葉集 2012年版』(日本歌人クラブ編)から原発短歌を読む(5) 山崎芳彦
東日本大震災・福島原発の壊滅的事故から満2年が過ぎ、3回目の3・11を迎えた。悲しみの日であり、怒りの日でもある。この2年の日々が被災者にとってどのような時間であったのか、失った家族、縁者、隣人のかけがえのない貴重で、忘れることの出来ようのない、諦めることの出来るはずがない共に生きた生命の喪失、それはとりもなおさず現実を生きる過酷な日々であると、筆者は、共有しきれないけれども、寄せる思いは深いものがある。震災短歌・原発短歌と一首一首、出会えるかぎり出会い、読むとき、ここに記せるのは原発にかかわって詠われた作品にかぎらざるを得ないが、詠った人を思い、その人々とつながる人々を思い、その現実から紡がれる作品をできるかぎり過たず読み切ろうと、私という人間をかけてつとめているつもりである。
同時に、このような不幸で悲痛な事態を直接体験しないでも、この国がそのような事態に陥らざるを得ない、ある意味では避け難い自然環境の中にあることを改めて考えるざるを得ないこととは別に、まさに人間が、と一般化せずに、ある意味では悪意と、冷酷な欲望、人間であることをやめてしまったような企みや反人間的な行為を明確な意図をもって行う権力や経済的欲望本位の社会的・政治的・経済的存在を許してきてしまったことの結果としての現実について、そしてまた、原発事故、あるいは壊滅的な事故はまだ起こしてはいないが、いずれ起こす可能性を否定できない原発の存在、さらに核のゴミの管理や処理の方法がないままである原子力文明社会の維持を続けようとする諸勢力が権力の座にある現状について、いま改めて思わなければならないと、深刻に考え、そのために人々がなしうることは何かについて、孤独にではなく連帯と共同の手をのばし、握り合って変革の力の構築に向かわなければならないと、切に思う。
3度目の3・11を迎えて、さまざまなことが行なわれたが、大勢は何か最も重要な、考えれば当然なはずの課題をきちんと据えないで、セレモニーというと叱られるかもしれないが、「復興、再生」のことばが踊る数日ではなかっただろうかと感じたのは、筆者だけだろうか。
脱原発、原発ゼロどころではない、原発再稼働、場合によっては新設、そして海外への進出が公然と政府の政策に掲げられつつあるなかでの3・11「行事」、あるいは復興再生の掛け声とはなんであろうか。もちろん、地を這うようにして生活再建、生活の場の再構築につとめる東日本各地の人々の取り組みを軽視するつもりはまったくない。しかし、原発の存続、再稼働などを政策とする政府、財界、再生原発ムラを許して、復興がこの国の課題としてまっとうに進むとは考えられない。考えては、またもとの木阿弥となろう。
国策は、原子力エネルギー依存による経済、社会、国づくりに向かっているのだから、この政府との対峙なくして東日本大震災・原発事故による被災からの人々がめざす真の復興、現実と将来を確かなものにすることは、決して出来ないといわざるを得ない。
原子力と共に生きていかざるを得ない、電気とは原発によるものしかない、全原発の停止の日はテクノロジーの命日である、などと論じ、詠う歌人もいるし、それを奇妙な論理や感性で支持する歌人もいる。原発事故被災者の行動を公然とエゴイズム、利己主義、ふるさと破壊者呼ばわりする歌人もいる。そして「少数者」だが原子力信仰は曲げないと嘯く歌人もいる。そして、権力者の側に身を置く結果に、意図しているのかどうかは知らないが、なっている。
短歌人の多くは、原発事故の直接的被災者ではなくても、さまざまに核放射能の危険性、現実的な生活不安、子どもたちの未来への不安、原子力文明の反人間性・・・などを作品にしている。筆者がこれまでに読んできた「核を詠う」作品は、実際に詠われた作品のかぎられた一部にしか過ぎない。もっと読み続けたい、記録し続けたいと考えている。
『現代万葉集2012年版』に収録された原発短歌を読むのは今回が終りになる。しかし、まだまだ、読みつづけるべき作品があるし、いまも詠われ続けている。さらに、この連載を続けたいと考えている。
『現代万葉集』の作品を読む。ここに記すのは、重ねて言うことになるが、非力な筆者の読みによる抄出であるから、作者の方々に非礼を犯していることもあると思い、そのことについてはお許しを請いたい。
◇東日本大震災�ァ�
▼映像の福島原発のすさまじさ青谷原発阻止の彼女らの顔顕つ
“青谷原発阻止必死だったよ”小枝(さえだ)さんすすめられき『原発死』一冊
2首 西尾宣子(鳥取)
▼放射能汚染に原乳捨てながら「わしら悪いことしていないのに」
1首 西山和子(三重)
▼富士の山越えしセシウム散り落ちぬ南足柄の新茶犯しぬ
1首 白土道枝(静岡)
▼たったこれきりの家族にしようか中絶も選択肢なり恋人たちは
漸くに口を開きし関係者の冷たき言葉「当分住めぬ」
フクシマは3・11の腫瘍ならん安全神話は崩れたり さて
3首 間 ルリ(神奈川)
▼原発よりの同心円を地図の上に描きて境界が示されてゆく
1首 橋爪修子(新潟)
▼こんなにも真青に澄める空の下ふるさとにいま放射性物質流る
原発に今何がおきてゐるのか本当の事が知りたい 応へてゐない
幾たびを聴き・見し・語らるる「想定外の」とふ言葉むなしい
3首 橋本桂子(神奈川)
▼放射能の汚染気にしていかなごを送りし君なりただただ旨し
1首 羽仁和子(山口)
▼放射能汚染のことは考へずともかく夏野菜の種蒔きをする
1首 濱野シズ江(群馬)
▼あかあかのメルトダウンの果ては何 枕に耳をうづめて眠る
1首 濱本紀代子(大分)
▼原発の廃止論立ち上がるこのところ火力発電の煙逞し
1首 浜本芙美(香川)
▼原子炉心の冷却強化報ぜらるも義母御(ははご)の体温危ふき低下
1首 林 静峰(神奈川)
▼原発がささふる近代生活のあやふさつづく計画停電
映像の福島原発異次元のかげろふのごと白く揺れゐつ
2首 林 三重子(埼玉)
▼雨ふれば汚染を思ひ風ふけば拡散思ふ百日過ぎて
風評を質すすべなく秋日照るホットスポットの街にわが住む
乳母車押しくる母らこの夏は放射能おそれ公園に見ず
3首 比嘉 清(千葉)
▼大地震、津波、雪また放射能 春まぢかなる福島無惨
1首 日野正美(大分)
▼福島の原発地震(なえ)に襲われて燃料ひえず爆発おこる
1首 姫山さち(福岡)
▼降灰に団地は洗濯物失せて神のすぎ越し待つがに閉ざす
1首 平山ウタ子(宮崎)
▼手加減なき放射能汚染に対峙する世界の知鎮むるや原子力エネルギー
原発と東京つなぐ送電線遺物として立つ日はもうすぐだ
2首 福岡勢子(秋田)
▼甦へる「国難」の語か天災と人災の余震いつまで続く
いつかなじみしセシウム・シーベルト・メルトダウン理系苦手の老人なれど
まつさきに原発停止のハマオカか 知名度あがれフクシマよりも
3首 藤田三郎(静岡)
▼フクシマに向き合掌し「悪いね」と緑萌ゆ地に深呼吸する
1首 藤原一仁(山梨)
▼東照宮の将軍座しし間に祈りぬ原発のこと復興のこと
放射能のことは一言聞きしのみ朱塗りの廊ゆく花嫁祝し
2首 降幡栖子(長野)
▼協力社員の存在知りぬ放射能汚染排除の場に働くを
1首 古屋 清(山梨)
▼鍬の手を休めて仰ぐみちのくの炉より延び来る高圧架線
1首 古屋正作(山梨)
▼原発と津波の重なる震災に日本の力が試されてゐむ
1首 細井教子(埼玉)
▼チェルノブイリのさびれし町に群れ生きる動物の声「こわいのは人間(ひと)よ」
1首 細目早苗(兵庫)
▼災害にふるさとを去る決意せし男の肩に粉雪の降る
音もなく舞い落ちくるか放射能清々と白き花の上にも
2首 堀江玲子(東京)
▼誰のもつ線量計が正しいの? 大きく息を吸ってもいいの?
ヒロシマからフクシマへと辿りゆく時間のありきわが傍らに
2首 本土美紀江(大阪)
▼原発に懸念抱きし歳月のもはや取り返しつかぬを憂う
水無月の今日ひとしきり雨が降る放射能が降るわが古里よ
セシウムの減らぬ福島に住みおりて帰省するなと孫子らに言う
3首 馬上キミ(福島)
▼老体に鞭打ち続く茶作りに放射能の害は足元に及ぶ
目に見えず匂いもなくて色もなく放射能にてこずる茶畑
とりあえず残る茶の葉を刈り捨てて放射能の危惧をぬけたし
3首 牧田重美(静岡)
▼原発に無知なるままに豊かさを享受せるわれ意表を突かるる
1首 槙原国恵(佐賀)
▼背に青き十字架のごとき防護服映らぬ吐息したたる汗も
1首 町 耿子(高知)
▼原爆をにくみし国が原発に頼りてゐたり地震(なゐ)あとに知る
1首 松岡静子(東京)
▼防護服の人らの持てる水桶によろよろと来て水を飲む牛
地域別シーベルト数値示さるる日々となりたり知りて何せむ
2首 松木富美子(東京)
▼大震災、原発事故にも野の鳥の営みありて雉子の高鳴く
1首 松村照子(群馬)
▼原子炉のある町と言ひし教へ子の安否気になる東北大震災
フクシマが世界中に名を馳せゐると自嘲ぎみなる故里の友
原子炉のニュースのなかに懐しく哀しく聞きをりいはきの訛
3首 馬庭英子(愛知)
▼被災者に混じり旅行者吾(あ)も並ぶ並んで良いかひとつおにぎり
1首 三浦好博(千葉)
▼原子力に頼りしエネルギー政策の危ふさを知るまざまざとして
風評の被害あらはに生産者野菜の畑に呆然と立つ
目に見えぬ放射能の不安残しつつ避難の家に咲ける向日葵
3首 皆川二郎(福島)
▼梅雨入りのニュースに不安募りたり土壌に浸み入る放射性物質
子を連れて避難のことを娘は漏らす家族を引き裂く原発事故は
原発の事故の収束つかざるに早も出できぬ原発再稼働
3首 宮崎英幸(福島)
▼世界三位の原発大国と嘯きしが周章狼狽なす術もなく
原発の安全神話広言せしが想定外と白々この人災を
2首 宮地岳至(群馬)
▼原発の大事故の余波じわじわと暮らしの中へ広がりて来ぬ
1首 宮部政之(岐阜)
▼八八(はちじふはち)年聞きしこと無きマイクロシーベルト残年の日々何時までか聞く
原発にて東京に帰り子を生みし孫よその子よすこやかにあれ
侘しさはかくの如きか放射能に学童あまた県離りゆく
3首 宗像友子(福島)
▼石棺の蓋押し上げて猶も立つかチェルノブイリのフランケンシュタイン
1首 森下達也(三重)
▼狂乱の炉心は人の手に負えず出開帳せよ南無阿弥陀仏
放射能壊変強度に名を残すポーランド女の亜麻色の髪
2首 矢後千恵子(神奈川)
▼フクシマの向日葵汚染土に根を張りて倒るるまでに水吸い上げよ
ひまわりの黒き種にはセシウムの残量いくら 凍りつく夏
2首 柳澤美代子(神奈川)
▼言霊の幸ふ国の新聞に「汚染」の文字日に日に溢る
1首 山岸金子(三重)
▼目に見えぬ放射性汚染広がりて野菜出荷は停止となれり
絞り立ての原乳捨てるほかはなく甥より消える常の饒舌
2首 山口キヌイ(福島)
▼原発事故に奇策はなきか海飲み干す『シナの五にんきようだい』のような
南相馬にボランティアなど自分なら子を行かせぬという人もいる
2首 山口弘子(神奈川)
▼過ぎにしを言ふな思ふなふるさとは空にセシウムプルトニウム吹く
1首 山下静子(静岡)
▼原発事故チェルノブイリと同列のジャパン・フクシマ標的となる
1首 吉居瑞枝(千葉)
▼天皇が原発をやめよと言い給う日を思いおり思いて恥じぬ
誰か処理をせねばならぬことそれは分かる私でもあなたでもない誰か
すでに死の決まりし人のあるならむ蚕のごとく我らは黙す
3首 吉川宏志(京都)
▼懸命に搾りし牛乳(ちち)を今日も又捨てねばならぬは真底哀し
衰弱し飼槽にのめる牛も在り立てずに踠きし爪跡映る
ああ、悲惨無人の牛舎に繋がれしままに逝きたる親牛仔牛
3首 吉田綾子(茨城)
▼原子炉の水素爆発対策は暗中模索ことばも出ない
1首 吉田秋陽(北海道)
▼山脈を越えてはるかな原発と活断層にて吾は繋がる
1首 吉田みのる(愛媛)
▼日々伝ふる放射線量におびえつつ穂の出揃ひし稲田見廻る
目に見える変化なけれど大気おほふ放射能は日々稲田侵すか
空中に霧のただよふ気配して穂の出そろひし稲田蓋ひたし
3首 吉原一枝(茨城)
▼放射線の数値を日日に知らさるるかくも淋しき五月のありや
1首 吉弘藤枝(埼玉)
▼原子力と命は共存できぬと説く柳澤桂子 ふかく頷く
原発に反対して来し人も党も少数派にて今の災害
2首 渡辺静子(北海道)
▼この国に産みて育てて大丈夫と誰か言ってよたれか答へて
1首 渡辺忠子(山梨)
▼原発の被曝避くると友二人犬も乗せくる子は着のままに
『日本沈没』遺し逝きます放射能汚染は我らの責任として
2首 渡邉範子(山梨)
▼汚染して捨てねばならぬ牛乳を日々に絞るは悲しかるべし
1首 渡辺 譲(神奈川)
◇一般災害・環境・科学◇
▼白いベッドにしろい婦人がよこたわる核分裂のとまらぬ朝を
1首 河野小百合(山梨)
▼簡単に想定外と言い切られ「それを言ってはおしめいよ」と寅さん
立て直そう国の方向敗戦で軍国主義を止めしごと 日本
現代にメフィストフェレス現われぬ愛想笑いに核の平和利用説く
3首 藤木倭文枝(東京)
▼核廃棄三十万トン載せながら地球の星に人は棲みおり
1首 山本富貴(大阪)
◇芸術・文化・宗教◇
▼立退きし町を見回る人来れば主待つ犬か来ては尾を振る
みちのくの友より届く林檎「むつ」線量パスのメモ書き添えて
2首 瀬良垣克夫(東京)
▼その果はいまだ見えずやいや増しに進化はやむる物質文明
黙示録をふたたび読めり人の世のうつろふ方へ思ひをはせて
2首 矢端桃園(群馬)
今回で『現代万葉集2012年版』の原発短歌を読むことは終わりとなる。また次回から、他の原発詠を読みたい。
この稿を書いているとき、以前にこの連載で読んだ原発短歌の先駆者の一人といえる福島の歌人・佐藤祐禎さん(歌集『青白き光』の著者、本連載の第33〜35回に書いた。)が、3月12日に逝去されたとの訃報が届いた。国会図書館から借り出した歌集を地元の図書館で数日かけ手書きで写した記憶が甦る。哀悼の意を表させていただく。避難地域から移住を余儀なくされていた。3・11後も厖大な歌を作られたと聞く。一部は歌誌に発表されたが、まだまだ多数の作品が遺されている。3・11以前から原発の危険を告発する作品を数多く詠ったのだが、その原発事故の犠牲者といえる。無念である。お目にかかれなかったのが残念でならない。
改めて、原発、原子力社会を乗り越えるためになしうることをしっかりとやり遂げる決意を強くした。佐藤さんの死を悲しむばかりでなく、佐藤さんの遺志を継ぐためにも努めたいと心から思う。
それにしても、詠うことは行動であり、訴えであり、たたかいでもあることを、佐藤さんに教えられた気がする。この連載で取り上げてきた歌人の多くが、同じことを教えてくれている。
筆者はまことに力不足ではあるが、この連載を続けられるかぎり、真剣に、真摯に取り組みたい。お読みくださる皆さんに恥じることのないように努めたい。
また、総合短歌新聞「うた新聞」(いりの舎発行)3月号の紙面で、歌人の内野光子さんが、この「核を詠う」連載について取り上げて詳しく紹介、評して下さった。激励してくださったことを心から嬉しく受け止め、今後の糧にしたい。お礼を申し上げさせていただく。
(つづく)
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