2013年04月22日11時57分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(102)横田敏子歌集『この地に生きる』の原発詠を読む(2) 「わが歌の誰に届くや届かぬやされど詠み継ぐ原発の歌」  山崎芳彦

 前回に続いて福島の歌人・横田敏子さんの歌集から原発詠を読むのだが、その前に、前回にも触れたフランスから海上輸送されているプルトニウムMOX燃料について考えながら、それにしても今、なぜこのようなことが行なわれているのだろうかと、深い闇のなかさまようように考え込む。 
 
 これまで読んできた原爆・原発の短歌作品の数々は、その被災のまことに理不尽な被爆,被爆、被災と、それによって人間として生きること、生活し、喜怒哀楽ない交ぜにしながら人々が生きる基盤を奪い、あるいは危うい状態にしてきた、していることをさまざまに詠っている。 
 
 前回に続いて今回も読ませていただく福島の歌人・横田敏子さんの作品も、福島原発の事故による被災の現実を横田さんの生活の現実を基礎にしながら詠んできた短歌である。その作品から人間が生きるということを考える。具体的に思うし、そのかけがえのない生に思いを寄せる。 
 
 しかし、ある人びとが、今自ら拠って立つ立場によって、俗にいえば「人間の命より金が大事」と物事を考え、それによって動く勢力の考え方がある。そして、その勢力がさまざまな手法や、その持つ権力によって政治・経済・社会を支配する、しようとするとき、たとえば福島原発の事故、その人間に対する深刻で、時に人間の命に関わる影響について、真実、事実を隠蔽し、言葉ではさまざまに反省・謝罪を言いながらも被災した人々を踏みつけにして、責任を逃れ、あるいは責任として自覚しないまま、驚くべきことを行なう。許し難い事柄が惹き起こされるのである。現実の政治や経済でいま起きていること、起きようとしていることから目をそむけることは出来ないし、見て黙っているわけにはいかない。 
 
 今、日本に向って海上輸送されているウランMОX燃料の問題もその重大な一つであるが、奇怪なことに日本のマスコミ、ジャーナリズムは一つのニュースとしてわずかに報じただけで、事の本質、重大さを掘り下げて知らせようとはしない。 
 日本は原発を再稼働するのだろうと、海外諸国は考えるし、それ以前に日本の政府・財界・電力企業は福島原発事故の収束・廃炉、被災者に対する保障、と生活再建のための施策、エネルギー政策の抜本的な改革―脱原発に向けての方針と計画は、脇において原発のできるだけ早い再稼働にむけての路線作りと実行に血道をあげているとしかいえない。・・・。 
 
 原発短歌を読み、原発問題について考えながら、最近読んだ『原発をやめる100の理由−エコ電力で起業したドイツ・シェーナウ村と私たち』(「原発をやめる100の理由」日本版制作委員会著 監修・西尾漠,築地書館、2012年9月発行)の中の文章を思い起こした。同書については、改めて別稿で書きたいと思っているが、ここでは「87 原発を使うことは倫理に反している」の項を記したい。 
 
 同書はドイツのシェーナウ村がチェルノブイリ原発事故のあとに自然エネルギーによる電力供給会社協同組合を立ち上げ、現在では全ドイツで約13万戸の顧客を抱えるまでに発展しているが、同社がお客に対して「原発の電力を買うか、自然エネルギーの電力を買うか」を選んでもらうために制作・配布した冊子「原発に反対する100個の理由」を日本語訳し、それに日本の実情を付け加えた構成になっている。筆者にとっては、魅力的で有用な一冊である。 
 
 ◇原発を使うことは倫理に反している◇ 
 
 ▼「ドイツから。 原子力発電は、非常に多くの人びとを、非常に長い期間、危険にさらすことになる。現在とか、現代とかの時限ではなく、はるか遠い未来の人びとまでも危険にさらすのだ。というのも原発から出る放射性廃棄物は、何万年、何十万年も、つまり何万世代にわたって厳重に管理されなければならないからだ。気の遠くなるほど重たい負の遺産だ。 
 それに引き換え、原発で作られる電力の恩恵にあずかれる人びとはごくわずかで、享受できる期間もごく短期的でしかない。」 
 
 ▼「日本では・・・? 福島の事故後、ドイツでは原発の是非を問う公開討論を実施し、その様子が日本でも紹介されました。討論の透明性が高いということに驚きました。何故なら、日本では、密室で結論を急ぐ傾向が強く,市民を無視した議論が横行しているからです。 
 また、そこでは『原発は倫理に反する』ということも語られていました。日本では安全性の議論が中心で、倫理を問うことは、これからです。 
 原発は事故がなくても、放射性廃棄物を数十万年単位にわたって保管しなければならず、未来の世代に大きな負担と責任を押しつけます。ウラン鉱山で採掘する人や原発内で働く人たちを被ばくさせ、遺伝子にも影響をおよぼします。莫大な犠牲と未来への負債を抱えて稼働するのが原発で、そうしたものなしには成立しない、つまり倫理に反した技術なのです。 
 倫理とは平たくいえば、『人として守り行なうべき道』のこと。原発に関しては、技術的、経済的、法律的なことが、まず問われますが、何よりも大切にしなければならないのは命の問題です。」 
 
 「100の理由」はそれぞれ、現実的であり、共感し、理解できる内容で構成されていて、この本の刊行に至る経緯も含めて、筆者は勇気を与えられた。 
 
 横田さんの短歌作品を読む前に、さらに読んだ後に、「倫理」ということの意味をわがこととしてひきつけて考えさせられた。 
 横田さんの作品を読むが、今回で終る。横田さんは、これからも福島の地で原発を詠い続けると言う。また、新しい作品を読めることを期待させていただく。 
 
 
◇2011年)九月◇ 
 
温もりのぎっしり詰まる宅配便原発見舞いと岡山から届く 
 
心遣い胸に届けど原発事故の怒り悔しさ消えない消せない 
 
原発事故に遭いて知りたることありぬ 手を述べる人と疎む人あるを 
 
誰にでも優しくならん原発の同じ被災者あなたもわれも 
 
爆発せし原発の建つ大熊町、双葉町共に死の町となるや 
 
人生の一ページには収まらぬ歴史の汚点となりし原発事故は 
 
かの碑り原発ブルーのわれなりき溢れくる歌並(な)べて原発の歌 
 
  ◇十月◇ 
 
放射線量未だ下がらぬこの街に住むしかなしと覚悟しており 
 
ヒロシマもナガサキも立ち直りたればこのフクシマもと一縷の望み 
 
北国より紅葉のたよりフクシマの米よりセシウム検出のニュース 
 
  ◇十一月◇ 
 
セシウムをたっぷり含む庭土を擡(もた)げて今朝は霜柱立つ 
 
木に残る花梨(かりん)は夕日に光りいてその金色(こんじき)をだあれも捥がぬ 
 
震災と原発事故とに壊れたるこころを抱え でも立ち上がる 
 
友ありて歌ありて今のわれありとしみじみ思う震災の後(のち) 
 
 ◇十二月◇ 
 
雪降れば除染作業もままならず復興の日はまた遠くなる 
 
一日に一億ベクレルの放射能が今も出ているフクシマの師走 
 
 ◇(2012年)一月◇ 
 
汚染水潜む海なり一月も海に出られぬフクシマの漁師 
 
放射線量下げんと枝を切り詰めし紅梅今年は蕾を付けず 
 
目に見えぬセシウム雪に覆われて放射線量やや下がりたり 
 
 ◇二月◇ 
 
原発事故から十一ケ月の被災地に初めてテレビのカメラが入る 
 
ズームアップされたる原子炉炸裂の凄まじき様 この世のものぞ 
 
崩れ果てし原子炉建屋に作業員見ゆ彼らの厳しき現況は知らされず 
 
死の町となりいる映像写(うつ)し出され信号機も今も点滅続く 
 
永久に人の住めざる町となりしチェルノブイリの映像過(よぎ)る 
 
岩手県、宮城県から置き去りにされてフクシマの復興は遠し 
 
この怒りぶつける先もあやふやとなりつつ早も一年が経つ 
 
 ◇三月(一年後)◇ 
 
安全と言わる瓦礫の受け入れの遅々と進まぬ現実はある 
 
新聞を開けば今日も二ページを占める原発関連の記事 
 
溢れおりし「絆」の言葉薄れつつ原発事故は遠のきてゆく 
 
エルビスの唄うラブミー・テンダーを聴きたし国会中継に飽きて 
 
原子炉の廃炉は四十年先というわれにはもはや見届けられぬ 
 
哀しみを知りてしまいしフクシマにもうこれ以上哀しみよ来るな 
 
わが歌の誰に届くや届かぬやされど詠み継ぐ原発の歌 
 
透明に汚染されたるフクシマの春よ 桜は狂おしく咲く 
 
 
 横田さんの歌集『この地に生きる』は今回で終るが、次回からも、原発にかかわる短歌作品を読み続けたい。 
 
(つづく) 


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