2013年08月25日11時05分掲載  無料記事
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中東

エジプト:治安部隊の武力行使に徹底した捜査を  アムネスティ、独自調査で証言

 国際人権団体アムネスティは、座り込む人びとに対する治安部隊による武力行使について、現地調査を行った。アムネスティはその調査をもとに、によって「アムネスティが得た証言や事実からして、治安部隊が人命を無視した蛮行を行っていることはほぼ疑いの余地はない。公正で独立した捜査を徹底する必要がある」と結論付けた。以下は、そのことを報じたムネスティ国際ニュースから。(アムネスティ国際ニュース) 
 
 先週カイロで座り込みの抗議をした人びとを激しい暴力で排除した治安当局の行動は、厳格な捜査のメスをいれるべきである。治安部隊が致死的な武力を行使したことはアムネスティの現地調査で明らかだ。 
 
 事態は、エジプト全土で600人以上というかつてない死者を出した。内務省の発表によると、治安部隊からは43人の死者が出た。これらの数字はさらにふくれあがる見込みだ。 
 
 アムネスティが得た証言や事実からして、治安部隊が人命を無視した蛮行を行っていることはほぼ疑いの余地はない。公正で独立した捜査を徹底する必要がある。 
 
 抗議の声を上げる人びとの中には暴力を使う者もいるが、当局の対応は過剰で無差別的だった。見物人にも容赦なかった。 
 
 当初、武力はあくまでデモ隊に限定的に使用すると発表し、十分な警告で安全に退去できるようにすると約束していたにもかかわらず、簡単にその約束は反古にされた。 
 
 アムネスティの調査員は8月14日と15日の両日、カイロ市内の多数の病院や仮設病院施設、死体安置所、遺体の仮収容所となったモスクなどを訪れた。それらの現場を見て、医療スタッフの話を聞いて、ふくれあがる死者数と死傷者の多くが上半身に実弾を浴びていたことがわかった。 
 
 当時の様子を、現場にいた医学部の学生が語ってくれた。 
 
「治安部隊が、催涙ガスの充満する病院内に突入し1階に火を放ったため、医療関係者は脱出するしかなかった。先生が『催涙ガスにやられる。窓のカーテンや窓を閉めろ』と叫んだ。外を見上げると、屋上に黒い服の狙撃兵がいた。それから別の先生が『治安部隊が1階に入ってきたぞ』と声をあげたんだ」 
 
「1人の隊員がライフルの銃底を僕の背中に押しつけ、階段のほうへ追いやり、病院から出された。『死体と患者を連れて行け』と言われた。1階はすでに火で燃えていた」 
 
 一方では、外は銃撃が激しいため患者を安全に運び出せず、病院の警備員1人が犠牲になったという複数の証言があった。 
 
 1人の看護婦は、黒い制服の男たちに銃口で脅されたという。 
 
「窓越しに私に銃口を向けていたわ。私服姿の1人が『ドアを開けろ。武器は持ってるのか』と怒鳴ったので、ここには死傷者しかいないと言ったの」 
 
 国連の専門家、特に、超法規的な即決処刑および恣意的処刑に関する特別報告者が現地に入り、2011年の「エジプト革命」以来繰り返されてきた、当局による暴力と過剰な武器の使用の実態を調査できるようにすべきである。 
 
 不当で過剰な致死的武力を使用した治安部隊に対し、これまでエジプト当局がほとんど責任を追求してこなかったことを考えると、検察に公正な調査は期待できない。 
 
<背景情報> 
 
 保健省は8月16日、全土の死者は638人と発表した。このうち288人は、カイロ市内のナーサシティー地区のラムセス広場にある、モルシ派が拠点として立てこもったモスクで亡くなっている。この数は、2年前の「エジプト革命」の勃発以来、1度の衝突としては最大の流血の惨事となった。 
 
 18日間続いた2011年当時のデモでは、公式発表によると846人が犠牲になった。 
 
 強制排除の前、当局はモルシ派のデモを「治安を脅かすテロリズム」と呼んで、繰り返し脅しをかけてきた。カイロ大学のデモに比べれば、ナーサシティーのデモの規模は小さかったが、その排除までに約10時間もの衝突があった。 
 
 8月14日だけで、カイロ周辺ではメディア関係者3人が死亡し、抗議する女性3人と子ども1人が亡くなったという。カイロ以外でもギザや多数の都市で衝突があった。 
 
 アムネスティは女性1人を含む52人の遺体を収容しているというタミン・アル・シヒ病院に入ろうとしたが、治安当局に阻止された。病院は、200人以上のけが人に対応していた。その半数以上が入院を必要としていた。 
 
 カイロ市内の死体安置所の職員は「15日の午前10時には108遺体の検死をしたが、もう収容能力の限界を超えている」とアムネスティに語った。 
 
 8月15日、ラムセス広場で臨時の安置所になっていたモスクにも、調査に入った。モスクは、ラムセス広場で殺害された家族を搬入して来た人びとや、治安部隊に攻撃を受けた病院から避難してきた人びとを受け入れていた。 
 
 内部には98の遺体が安置されていた。そのうち、8人は焼けこげていたが、焼かれたのが存命中か死亡後かは不明だった。亡くなった265人の氏名を書いた紙が壁に掛けられていた。ボランティアによれば、身元が確認できない人がほかに2人いるそうだ。 
 
 「デモ隊が暴力を使い、隊員43人が殺され、200人以上が負傷しているのだから、治安部隊の行為は間違っていない」と内務大臣は当局を正当化した。大臣は、事前に警告をしていたし、モルシ派デモ隊が発砲してくるまでは催涙ガスしか使わなかったと、主張している。 
 
 モスクでの立てこもりを排除され、モルシ派は銃を使って政府関係施設や警察署、警備要員らを攻撃の対象としてきた。警察署にいた数名の警官は襲撃を受け、なぶり殺しにされた。治安現場にいる警官も同様だった。「警官をしている従兄弟が打ち首にされた」と、家族の1人はアムネスティの調査員の前で泣きくずれた。 
 
 ラムセス広場でのデモ参加者は語る。「強制排除を阻止するために、石や火炎瓶を投げたり警察車両に火をつけたよ」 と。 
 
 また、モルシ元大統領の失脚を支持していることへの報復と見られるコプト教徒への襲撃も急増している。以前、同様の襲撃があったときは対策がとられなかったという前例があり、アムネスティは、コプト教徒をはじめとする少数派の安全確保にも至急対策をとるよう、当局に要請している。 


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