2013年09月29日21時40分掲載  無料記事
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文化

[核を詠う](124)『平和万葉集 巻三』から原爆・原発詠を読む(3) 「核廃絶願いて夜々を折る鶴の六百羽となる古稀の夏至の日」   山崎芳彦

 『平和万葉集 卷三』から原子力に関る短歌作品を読んでいる(前回のタイトルで原爆・原発詠を読む(3)としてしまいましたが(2)の誤りでした。今回が(3)になります。お詫びして訂正します。)が、13年前に刊行された短歌アンソロジーを読みながら、核をめぐる、とりわけ原発をめぐる現状をみていると、しばしば暗澹たる思いに落ち込まないではいられない。とともに、現実の動向の無慚さに足をとられ、心沈ませているわけにはいかないと自身を鼓舞して、自らなしうることに目を向けようとしている。 
 
 それにしても、原発をめぐる現情勢はまことに不条理で、安倍総理のオリンピック招致に関っての「福島原発の放射能汚染水は完全にコントロールされている」という、東電もびっくりの、世界に向っての“詐欺”発言に見られるように、政権が先導して原発復活・維持・推進に向かっているとしか言いようがない。 
 
 福島第一原発の底知れない不安と先の見えぬ恐怖を抱え込んでいる実態、多くの人々の原発事故被災の深刻な現状、さらに放射能汚染水問題に関心が集中されているが、そのことにとどまらない広く深い放射能汚染の多様な危険の真実は何も明らかにされていないし、福島原発の事故の原因も、現在のすがたも不明なままで、全国各地の原発の再稼動をめざして、現在の時点でも北海道、関西、四国、九州の電力4社が6原発12基の安全審査(原子力規制委員会に新規制基準の適合審査)を申請し、加えて9月26日には東京電力の柏崎刈羽原発の安全審査申請についてこれまで強く難色を示してきた新潟県の泉田知事が容認に転じたことを加えると、原発再稼働体制が大きく進んでいる。福島原発事故から3年もたたず、原発事故はなお継続し、被災者が苦難の中にあるなかで、この国の政権が柱になって、原子力エネルギー依存社会の維持強化を積極推進しているのである。 
 
 広島・長崎の原爆体験も、福島原発の壊滅事故も、そこで悲惨な、言葉に言い表し難い人間と自然に対する凌辱的な事態が現実に起きたこと、そして「繰りかえしてはならない」という言葉からかけ離れた、権力者の行為が、いまこの国で繰り広げられている現実があるというしかない。安倍政権の、「強い日本をとりもどす」とは、憲法改悪、戦争する事が出来る軍事的・社会的・治安維持法的強権力を持つ日本を目指しているのだろうが、そこに「原子力」は欠かせないということなのでもあろう。 
 
 このような、原子力エネルギー依存社会を志向する政・財・官・学・ジャーナリズムが構成する原子力マフィアの中核とも言える安倍政権は、「原子力エネルギーの利用がもたらすリスク、犠牲と未来への深刻な負荷への自覚」などありようもなく、現実にひき起こしてしまった原発事故の被害の実態、さらに原理的に発生しうる深刻な自然破壊(人間も自然の一部である)の可能性への対処の方法も持たず(持ち得るはずもないが)、「安全技術」の不確定性と限界、際限もない災厄をもたらす重大事故の可能性と将来何世代にわたるかも想定しきれない核・放射性廃棄物による加害などを無視する「悪魔の選択」にのめり込んでいこうとしているとしかいえない。「人間は技術的に可能なことを何でもやってよいわけではない、という原則は原子力エネルギーを評価する場合にも考えなければならない」(ドイツ脱原発倫理委員会報告)「短期的な利益を優先して、未来の何世代にもわたり負担を強いるような決定に対しては、社会は責任を負わなければならず、何が受け入れ可能で、何が受け入れ不可能かを判断していかなければならない」(同)という、きわめて倫理的な、また当然ともいえる思考は、「強い日本」「経済成長、景気回復第一」、経済政策にとどまらない政治的・社会的・文化的「アベノミクス」には無縁なのであろう。原発の維持・推進・海外への輸出とそれにつながる内外政策を進めている安倍政権とその支持勢力にとっては、電力各社の原発再稼働に向けた「安全審査」申請ラッシュは、当然の道すじとして了承済みのことなのであろう。 
 
 原発の稼働が、「自衛の戦争のための軍事力増強」と「日米安保体制」、「集団的自衛権」、「自前の兵器生産技術の拡大」などに続く「核武装のための核兵器製造」に繋がって行く路線を見ることを空想的な偏見と言い切れない事態にまで来つつある、と考えないではいられない。 
 
 「東海村・村長の『脱原発』」論」(村上達也・神保哲生 集英社新書 2013年8月刊)の「おわりに」で村上氏が記している内容は、村長職は引退したが、これからも脱原発のたたかいに積極的に取り組むことを表明している氏の原発立地自治体の首長としての体験を踏まえた内容で、共感を持たないではいられない。 
 
「あの東日本大震災と福島第一原発事故を目(ま)の当(あ)たりにして、原発立地自治体の長でありながら、明確に脱原発を公言した私だったが、当初はそれほどの圧力、逆風を感じることがなかった。だが、積極的に原発を再稼働させようとする政党が中央の政界で勢力を伸ばすと、それに比例するように原発事業者の態度も再び居丈高になり、地方議会でも原発推進の議員達が鼻息荒く活動するようになった。 
福島第一で具体的にどんな機械が、地震や津波のどんな影響で不具合をきたし、水素爆発に至ったのか。汚染水を通じて今も放射能が漏れ続ける現場で、事態をどう収拾するのか、原因の究明も収拾のめども、一切立っていないにもかかわらず、原発推進の勢力は当然のような顔をして『再稼働だ』と主張する。」 
「今、日本には暗い雲が立ち込めていると、私は強く感じている。原発が再び、国家の経済、国家の利益、国家の威信を守るための国策―これは戦時中の言葉だが―といつの間にか位置づけられ、地域住民の声が届かない中央で物事が決められて、推進に傾いた議論が行われようとしている。しかも不都合な情報を出さず、事故の検証も不十分なままで、周辺住民の意思を問うプロセスも経ずに、原発を再稼働させようとする権力の姿勢に、なぜか全国民的な異議の声が上がっていない。大変不気味で、おそろしい空気が日本を覆っている。 
私が言いたいことはシンプルだ。人の命は、何物にも代えがたい。原発政策がはらむ住民軽視の姿勢は、すなわち人命軽視の姿勢にほかならない。原発は経済効率がいいとか、安全保障上の意義があるという人もいるだろう。だが、国家のプライドも、産業界の利益も、国民の生命の上にあってはならない。そのことは私たちは戦前の歴史で学んだはずだ。」 
 
 この、前東海村村長・村上達也氏のことばを、深く考えたい。村上氏は、「人命軽視のこの日本の腐りきった社会との戦いに、これまで以上に深く真剣に関っていく所存である。」とも強調している。同書を読まれた方は多いと思うが、未読の方にはぜひ一読をおすすめしたい。 
 
 『平和万葉集』の、原子力、原爆、原発に関る短歌作品を抄出して、前回に続いて読みたい。 
 
 
 ○春呼ぶ花(抄)○ 
 
▼召集令三度受けたる若かりし核の不安の消ゆる日はいつ (荒木増雄) 
 
▼晩秋の虚空に白き桜咲く核廃棄物処理センター前   (伊藤かほる) 
 
▼広島の惨禍を今に茨城の労働者の死忘れてならじ    (大澤和子) 
 
▼原爆忌過ぎし次の夜五つ所花火があがるとベランダに立つ 
                        (荻本清子) 
 
▼青柿が溺れてゐたり潦(にはたづみ)八月六日茜さざなみ 
                       (春日真木子) 
 
▼原爆忌近き広島銀色の仏塔(パゴダ)が光るみどりの丘に 
                       (片山みどり) 
 
▼放射能に汚れし大地に住む人等のこの明るさよ怒り増しくる 
                       (加藤さち子) 
 
▼登り来て御嶽神社の狛犬と今宵哮(たけ)りぬ「核はいらない」 
                        (川村柚子) 
 
▼平和塔へとどけてほしいと病む夫は指やすみなく千羽鶴折る 
                       (菊池みつる) 
 
▼露草は八月六日の供花ならむ彼の日の朝の空を映して (喜多タケ子) 
 
▼原爆碑囲みて咲けるコスモスを平和の花と決めてほしかり 
                        (地三郎) 
 
▼核廃絶願いて夜々を折る鶴の六百羽となる古稀の夏至の日 
                        (杉本尚子) 
 
▼数知れぬ原爆の慰霊の庭に翔(た)つ鳩よ地の果てまでも飛べ 
                       (立花ふみ子) 
 
▼五十年経て肺癌の翳あらわる被爆者の写真われは見ており 
                       (冨岡惟中) 
 
▼原爆忌ムクゲ散り満ち陽に映ゆる枝を広げて平和叫ばむ (冨田再鵝法
 
▼再びは動かぬ時計十一時二分 世界の平和を訴えており 
 爆心地に近き茶房にレモンティー黙して飲みぬ罪のごとくに 
                       (中野君枝) 
 
▼熱風と光に打たれし壁晒れてドームの骨は夏空を截る  (成川雄一) 
 
▼ゆがむ鉄塔のいまなお残る爆心地くろがね黐(もち)の赤き実揺るる 
 堂の蔭首吹き飛ばされし像立ちぬあの夏の火の影濃ゆく (畑井 馨) 
 
▼炎天に祈りの折り鶴とび翔たせ原爆の子の像しっかと立てり 
                      (深尾千代子) 
 
▼長崎の火星とまがう焼跡のヒト焼かるる臭いいまも忘れず 
 声もなく果てしいのちが立ちあがる血の色に葵咲きのぼる夏 
                      (三浦冨美子) 
 
▼平和にて温泉グルメ観光で原爆ドーム思わず祈る    (箕輪清子) 
 
▼濡れてみえ乾きても見えひとはしり驟雨ののちの原爆ドーム 
 みにくきもの美(は)しくたゆたふ川波にわが打つひとつ鎮魂の鐘 
                       (山田とみ子) 
 
▼ピカドンで灼かれし体冷やす人溢れしとう河カヌー過ぎく 
 五月雨に濡れ立つドームは美しきオブジェとなりて胸に迫り来 
                       (米野小夜子) 
 
  〇核なき世界を(抄) 察
 
▼万こゆる灯籠ながれまつぶさに死者のこゑ聞くゆらぐ灯りに 
 折鶴をたかくかかげて少女立つ平和をねがふ母と子の像 (石田富一) 
 
▼こぶしあげ核実験に欣喜する民あり広島の声はとどかず 
 (パキスタン)               (石田満里子) 
 
▼核廃絶の叫びは祈り立葵みな立ち尽くし黙し咲き並む (伊勢田末定) 
 
▼語り部で告げる「反核五十年は反核元年です」反核は生きてある人間の使命です                 (伊藤文市) 
 
▼見上げたる原爆ドーム寂と錆ぶる鉄骨が区切るまつさおの空 
 すこやかにわが生き延びて為したるは何 原爆忌今日の呼吸(いき)する                    (伊藤雅子) 
 
▼原爆投下ゆるす理があり 何年すぎても老いない遺影  (伊吹 藍) 
 
▼いつまでも二十歳(はたち)の友を呼びよせて酌む 今日ナガサキ忌 
 遺伝子のおかされし危惧いだくきみひたすら被爆二世を隠す 
                       (今井嘉明) 
 
▼遠く来て強く平和の鐘をつく核廃絶の思いを込めて 
 幾万の折り鶴放て大空に平和の願い覆え世界を     (岩田道雄) 
 
▼一瞬の光に溶かされ影となり叫び続ける確かな平和を 
 原爆に身も人生も砕かれて苦しみ生きぬ五十四年を(被爆者の訴えを聞いて)                  (岩田美枝) 
 
▼広島へ団体専用の列車ゆく折りづるマークのプレートを胸に 
                        (上井 寛) 
 
▼核の脅威はたまた地球存亡の憂ひを肩に迎ふ世紀や   (江口廣子) 
 
▼夏雲の白く輝く原爆忌夾竹桃は血の色に咲く 
 正視せねばならぬと思いつつ目をそらす原爆絵図の中なる地獄 
                        (大川芳子) 
 
▼八月の広島駅に降り立てば死者踏むごとき恐れおこりて 
 映像に残る被爆者生き生きよ背は息づけり血に覆われて 
                      (大久保和子) 
 
▼核廃絶の日まで燃え継ぐヒロシマの火の早々に消ゆる日きたれ 
 「過ちは繰り返しません」と刻まれし礎石の文字の意味噛みしめん 
                        (太田省三) 
 
▼広島の旅に来て見る風化せる原爆ドームを寒き風吹く 
 水欲りて幽鬼の如くありしとふ今広島に立ちて思えり (岡野千代子) 
 
▼京遠く原爆ドームに佇めばこみ上げて来る非核の誓い 
  核兵器廃絶いそげ子ら孫に核なき世界ゆずりゆくべし (加賀爪昭三) 
 
 
 次回も『平和万葉集』の核を詠った作品を読みたい。  (つづく) 


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