2014年01月07日22時57分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201401072257572

文化

【核を詠う】(137) 『短歌研究2014年版短歌年鑑』の年刊歌集から 原子力 詠を読む(2) 「憎まれて拒まれてまた除かるる吾らの土地よ陽炎の立つ」 山崎芳彦

 福島県いわき市在住の歌人、高木佳子さんが「うた新聞」(いりの舎発行)の一月号の特集「新春発言」において「坑内のカナリアとして」と題して、相当に刺激的で重要な問題提起をしているのを読んだ。高木さんは2011年3・11の東日本大震災・福島第一原発の壊滅的事故の被災をしたのだが、お子さんを含む家族が厳しい環境のなか、いわき市にとどまって生活し、同地から短歌作品はもとより、多くの短歌誌紙への評論やルポルタージュの発表、さまざまな会合に参加しての発言、個人歌誌の発行、インターネットブログでの報告など、積極的に発信をしている。地域に根ざしての行動も行っている。 
 
 短歌界はもとより各方面から注目され、高く評価された歌集『青雨記』(2012年7月、いりの舎刊)のあとがきで高木さんは 
 「昨年の三月に起きた震災はあまりにも大きく、わたしの立つ位置を揺るがした。自分が今まで過ごしてきた懐かしい福島はすべて毀れ、淡い被曝をしながら生きることになった。・・・今はただ不安で不透明な時間が目の前にある。だが、私は必ず郷土を立ち上がらせたいと思う。」 
 と記しているが、今日でもその思いを持ち続け、そして被災地の厳しい生活が続いていることだろう。この連載のなかで、高木さんの『青雨記』から3・11以後の作品を抄出させていただいた(2013年9月、121回)際に高木さんの当時の発言などについて、いくつか記した。筆者) 
 
 ところで、「うた新聞」一月号の高木さんの「坑内のカナリアとして」の内容を、一部引用させていただきながら記しておきたい。 
 高木さんは、この文章をアメリカの作家カート・ヴォネガットが1969年にアメリカ物理学会でおこなった講演の一部の紹介(早川書房『ヴォネガット、大いに語る』からの引用)をしたうえで、最近の短歌界の「空気」の危うさを指摘し、歌人、歌壇に問題提起をしている。 
 
ヴォネガットの「坑内カナリア芸術論」についての発言の、高木さんの引用は次の通りである。 
 「わたしが思いつく最も肯定的な理念は<坑内カナリア芸術論>と勝手に名づけているものです。芸術家は非常に感受性が強いからこそ社会にとって有用だ、という理論です。彼らは超高感度ですから、有毒ガスが充満している抗内のカナリアよろしく、より屈強な人々が多少とも危険を察知するずっと前に気絶してしまいます。/今日この会で私にできる最善のことは、気絶することかもしれません。(後略)」 
 
 高木さんは、このヴォネガットの<坑内カナリア芸術論>は、「作家を含む芸術家は強い感受性を持ち合わせており、時代を継承する使命を担っていることを説いている」として、「さて、身めぐりを見渡せば」と、最近の特定機密保護法案について「可決まではマスコミも大変な騒ぎだったけれど、数日後には収まってしまった。私たちにも表現の自由への影響は気になるけれど、遠い出来事だという『空気』が漂っていたように感じる。」と述べる。(筆者は、この高木さんの見解にかならずしも全面的には同意はしない。特定機密保護法について、かなり厳しい批判、反対の論調が最近では珍しく、かつてない規模で展開され、またさまざまな反対運動が繰り広げられ、さらに同法廃止を目指す運動の発展にも取り組まれている。ただ、短歌界においての受け止めや対応については、高木さんの見方を否定できないかとも感じている。「坑内カナリア」とはかけ離れているといえそうだ。) 
 
さらに高木さんは「かの震災のときも不謹慎という『空気』に支配されて、歌人たちは押し黙った。」と厳しい指摘をする。 
その上で、高木さんは次のように見解を述べる。 
 
 「歌人たちを覆うこの『空気』は、やがて機会詠や職業詠からの回避や『私性』のさらなる解体を生み、自らや社会とは関わらない作品傾向を多く生んでいくだろう。『空気』に抵触しないような沈黙が静かに拡がっていくことを私は恐懼する。/ヴォガネットの喩を借りるなら、有毒ガスによって鳥籠の中で気絶するカナリア自身ではなく、鳥籠を提げておそるおそる坑内を歩み、籠の中でカナリアが気絶しようものなら、あわててその場から離れる類が増えるのではないかということだ。」 
 
「これまでも、いくつもの見えぬ『空気』を恐れて、私たちは表現を回避してきたのではないか。自由な表現の野を次世代へと受け継ぐのは私たち世代の役割であり、時代を警鐘するカナリア自身として、表現への堅い矜持とその果たす役割を歌壇に求めたいと思う。」 
 
 引用が長くなり、不用意な部分があればお詫びしたいが、高木さんのこの発言が短歌界、歌人に真率な提言として受け止められることを期待したい。論議が活発に行われることが大切だとも考える。 
 治安維持法から、理不尽な権力による人々への支配と圧制、軍国主義時代・侵略戦争下における文化・芸術に対する暴力的な権力支配があり、その時代にどのように短歌人は生き、詠ったのか、詠わなかったのか、いま逆流の政治社会の情勢のなか、「坑内のカナリア」たる歌人は、自らに問い直さなければならないことは多いし深いと考える。 
 
 前回に続いて『短歌研究2014年版短歌年鑑』の年刊歌集から原子力詠を抄出して読みたい。筆者の読みの力の不足による作者への失礼があれば深くお詫びするしかない。 
 
 
 ◇短歌研究社『2013総合年刊歌集』より。◆ 
 
▼公園の蝉声しきり 除染済む砂場に児らの影のちらほら  (佐田公子) 
 
▼「死の町」と誰もが思ふこと言ひて大臣罷免さるる世の中 
 放射能物質なるが空の蒼海の蒼にも染まずただよふ    (佐藤怡當) 
 
▼今もなほ世界を駆ける「はだしのゲン」きみこそ未来未来へ繋げ                         (佐藤東子) 
 
 
▼「除染済み公園清し」メール打つ友のお指の軽きが浮かぶ (佐野美恵) 
 
▼メルトダウンに最も近いパチンコ屋で浜崎あゆみを2千円打つ 
 いちどは棄てられた町のブロック塀に「考えて下さい 死後の行先」 
 「犬猫より人間」という肉筆の画用紙で封じられている家 
 廃線をいつか歩いてみたかった こんないつかじゃなかったよ楢葉 
                            (斉藤斉藤) 
 
▼自主避難と若き母親語りて二年フクシマに帰る決断われに (齋藤 勉) 
 
▼広島の原爆に懲りて鉄筋の堅固な家を建築したり     (坂井千尋) 
 
▼放射能を浴びつづけなほ森充たす桜の花を涙と思へ    (鮫島 満) 
 
▼東北の地震に放たれし牛ならむ二匹連れだち春の森に消ゆ 
 放たれて山野に生くる牛の影森の深きがまなうらに残る  (沢田光能) 
 
▼核社会科学の粋の顛末を一本の木に問うてみたかり    (志田敏彦) 
 
▼被災者の救済よそに雛壇をわがものとする大臣寂し    (柴垣光郎) 
 
▼柏崎刈羽原発に対ひ立つ日蓮の大き像と並びて      (澁谷 哲) 
 
▼解毒剤をつくり毒を練り毒靄をまき善悪の区別も知らず  (島崎榮一) 
 
▼相馬市は尾浜の旅館浜の湯の主 女将のそののち如何に 
 燃料の後始末すら決めぬまま始めし原発如何に収むる   (陣内直樹) 
 
▼瓦礫処理反対さけぶ太き声まふゆの空に千切れてしまう  (菅原恵子) 
 
▼あい見ても知らざる人らの歩むのみふるさとの街はよその国のごと 
                            (菅原正幸) 
 
▼顔あげて白鳥の行方追ひてみる我がふるさとの福島の空に (鈴木紀男) 
 
▼カザカミの日にフクシマの箱があけられ海ぎわのピースが消えた 
 1Fは三十マイル先ここは機械がたまにさえずるナギサ  (鈴木博太) 
 
▼放射能この難しき現象を便利とせし日の酬ひを受くる   (高尾由己) 
 
▼花群、のごとく男ら湧き出でて集りへるなり夏の朝に 
 憎まれて拒まれてまた除かるる吾らの土地よ陽炎の立つ 
 立ちのぼる熱気の中に緩びたる圧もて水はやさしきばかり 
 たちまちに黒の土嚢は充溢すにんげんが負ふ革重き鞍   (高木佳子) 
 
▼原発が生む汚染水流されて章魚も平目も海に病むらし   (高橋政雄) 
 
▼五十四基の原発の稼働止まるとふ海遠きわが町も怖るる 
 原発の破壊のさまを今写す新聞に二年の歳月重し    (高橋美恵子) 
 
▼狐火の燃える山野とおぼしけれ焼却灰の仮置場には 
 線量を意に介さざる磐梯の紅葉秋を無垢に彩る      (高安 勇) 
 
▼汚染さる空に帰りし渡り鳥帰る所の他になければ    (武田千鶴子) 
 
▼放射能のことは語るなこの店でパスタの女聞き耳立てる  (内藤英雄) 
 
▼炎天の空と大地を穢したる 核 廃絶の叫びとどかず 
 命より営利求めし原発の制御かなはず大事故三度     (中西信行) 
 
▼原発ゼロ訴へる党首の服の色うつろひやすき民草のいろ  (中村崇子) 
 
▼原子炉の冷却水は餓死したる渇きし牛も飲まざりし水 
 節電は暗く寒けき心にてされき銀座の便座のぬくし 
 ふるさとの原発からの赤き灯をともす都会の小部屋に眠る (永澤優岸) 
 
▼白鳥はインフルエンザをセシウムは死灰運ぶを翅閃きて 
 貧ゆえの町が誘致の原発に追われ追われし友の死に息 
 チェルノブイリ他人事ならず古里に原発爆ぜて欠けし町はや 
 屋根の雪 毎日毎日掻き下ろし天の奥処も引き込みそうな 
 被曝者のわれにも戻る羽ばたきか真夜をざぶりと浴ぶる風呂より 
                            (波汐國芳) 
 
▼セシウムの減りしを知るや小鳥らが庭木の末に囀りてをり 
 被曝して二年経たればやうやくに朝の目覚めに小鳥らもくる 
 歩き初めしばかりの吾娘が吾の手を払ひのけたる仕種忘れず 
                            (波汐朝子) 
 
▼大熊町に還れぬ友をわが胸に三・一一を覚えての祈り   (羽矢通子) 
 
▼人住まぬ町は名ばかり残りをる立ち入ることも叶はぬままに 
 慰霊碑の前に額づく防護服大浪恨みセシウム恨み     (橋本泉水) 
 
▼右南相馬とありて右折するここから先は引きかへせない (長谷川知哲) 
 
▼放射能は君に任そうニンゲンはもっと高度なことをするから 
 ニンゲンには負けられないとロボットに奮起を促す人間もいて    (林 泉) 
 
▼熊本産沖縄産あれど福島の野菜果物注文書になし     (日野きく) 
 
▼幸せのはずの文明原発は山河を汚し村を壊しぬ 
 仮設に住む人ら願いを口々に 忘れないでと言うが沁みくる 
                            (平石真理) 
 
▼一泊二日の福島の旅線量が気にならないかと娘は気遣えり 
 いずまいを正して聴かむ終わるなき恐怖を語る福島の人 
 三・一一は明日なりみちのく福島に春告げる吾妻颪の寒さ 
                           (平岡三和子) 
 
 
 次回も読み継いで行きたい。              (つづく) 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。