2014年02月14日14時33分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(142)『角川短歌年鑑』の「作品点描」(平成24〜26年)から原子力詠を読む(2)「内部被曝の世代といふが現れむ団塊の世代の死に絶えし頃に」 山崎芳彦

 福島市在住の歌人・波汐國芳さんの短歌作品「活断層覚む」十五首が「うた新聞」2月号(いりの舎発行の月刊短歌総合紙)の一面の「今月の巻頭作家」欄に掲載されているのを読みながら、1925年生まれ、歌歴70年におよぶ波汐さんの意欲的な、詩精神ゆたかな原発詠に心うたれた。そのうちの5首を記したい。 
 
貧しきがゆえに招きし原発の爆(は)ぜて町消ゆ まして富はや 
原発の事故後を覚(さ)めし断層とう伸ばし伸ばして誰(た)が胸裂くや 
被曝村 人居らぬ村の番人か夾竹桃の燃える鬼です 
陽の核のみるみる盗まれゆくと知れ おお病葉(わくらば)の如くに透くを 
ベラルーシのウオッカ飲みて原発へ火炎吐きつつ物をぞ申す 
                        以上5首 波汐國芳 
 
 波汐さんが編集・発行人として刊行している短歌グループ「翔の会」(福島市)の季刊歌誌『翔』第46号(平成26年2月1日発行)の巻頭言に波汐さんの「2014年新春提言 ―視えないものもみえる視座から―」が掲載されている。引用させていただく。 
 
 「3・11大震災の3年ぐらい前に電力ОB会で同僚からなぜ原発に反対なのか問われた。(中略) 大地震が絶対に起きないと断言出来るかと問い返したら、相手は黙ってしまった。大津波だって、北上して来るかもしれないことは想像出来たし、それに『もんじゅ』等の事故や電力企業における原発の事故隠し問題等が次々起きたから、何時か大事が起きるかもしれないと思わずにはいられなかった。一方私は電力企業にいたので体感的に現実をとらえ、文学の問題として、直感の視座から事故による凄惨な光景を描くことは容易だったので、以前から創造的に原発の危機感を詠み、警鐘を鳴らし続けて来た。 
 案の定、大地震が起き、未曾有の大津波で人々の生活は攫われ、福島第一原発も壊滅的被害を受け、そして福島県の海岸地帯の一部は人が住めない、まさに密閉地帯になった。そして、多くの人が県外に避難し,又は県内の仮設住居に移住して今日に至り、未だに古里に帰れない。残留者の私達も放射能に怯える毎日である。私の家にもようやく除染の順番が訪れ、青いシートに覆われた汚染物が庭に置かれた儘になっている。汚染物の保管場が決まらないからだが、原発事故の収束はまだ先のこと。だが、チェルノブイリに次いで福島を廃墟にしてはならない。と言って、マイナス思考で嘆いてばかりもいられない。この時代に福島に居合わせたことの意味をプラスに変換し、起ち上がる歌を以って復興に参加する術を考えたい。 
 昨年三月の現代歌人協会主催の『福島を励ます』イベントで原発事故を防げなかったことの反省に立って、『見えない現実を視ることの必要性』が提言されたが、勇気づけられたことを改めて感謝したい。 
 そこで、新春を迎え、私事で恐縮だが、思うことの中から三点を抄出して新春の提言に替えたいと思う。 
 (1)作歌は感動を創造するに在ることを思い、被災から起つ人間ドラマを創造すること。 
 (2)視えないものもみえる視座から直感的に物をとらえ、そのうえに立って詩的現実を創造すること。 
 (3)文語定型律を踏まえながら、今日にふさわしい現代短歌を目指し、口語定型短歌詩を推進すること。」 
 
 ほぼ全文を記させていただいたが、波汐さんの変わらぬ作歌精神「伝統の短歌から何らかの脱皮をすることこそ、伝統を受け継ぐ道であると確信」とする若々しい文学創造者としての姿勢の持続のなかで生れる短歌作品に畏敬の念を覚えないではいられない。新しい時代、脱原発社会への道を切り拓くための挑戦につながる強靭な、屈しない精神と実践が、いま求められていると思う。(なお、波汐さんの歌集『姥貝の歌』〈平成24年、いりの舎刊〉については、この連載の98回から3回にわたって読ませていただいた。) 
 
 原発の再稼働、新増設への道をさまざまな醜悪な権力、金力を駆使して急ぐ安倍政権の、たとえば先の都知事選挙における策略と、その結果は言葉にはせずとも、いま開会中の国会における傲慢かつ強行的な政府の姿に反映している。そして、次々と打ち出してくる施策の、原発被災民の苦難,苦患、苦闘を見ようとしない本質を、あるいは時代を逆流させ人々を危うい所へ運ぼうとしている現実の相を、短歌人が捉えて、それを背負って詠うことがあって欲しいと、一面的に言うわけではないが、筆者は思っている。 
 
 角川短歌年鑑平成25年版の「作品点描」から、原子力詠を読んでいく。この連載のなかで、かつて読んだ作品も含まれていること、筆者の読みによる抄出であること、原発・原子力についての作者の判断を抄出に当たって考慮してはいないことを、改めていうまでもないが記しておく。 
 
 
 ○角川短歌年鑑平成25年版の「作品点描」から抄出○ 
 
◇作品点描1 (松坂弘)◇ 
▼原発の汚染拡がるシャーシャー蝉指ほどの木に生命(いのち)たぎらす 
                            (藤岡武雄) 
 
 ◇作品点描2 (秋葉四郎)◇ 
▼この地球に国とし存在する国の数多に発信なししか「フクシマ」 
                            (中野照子) 
 
▼天気予報につづく放射能情報の絶ゆることなく東京の春 (馬場あき子) 
 
▼知らぬこととは言へ生(あ)れてより八十年戦争の御助勢もしてしまひました                        (山埜井喜美枝) 
 
 ◇作品点描3 (千々和久幸)◇ 
▼原発ゼロの行進に声をあわせゆく花鳥風月人間の危機   (水野昌雄) 
 
▼平穏に過ぎし己を恥ぢておもふ3・11以後の一年 
かつてなき天災が東日本を襲へりと言ふ 人災なるを 
「がんばらう」などとは言へず大震災の被災に堪へています人らへ 
                            (武田弘之) 
 
▼内部被曝の世代といふが現れむ団塊の世代の死に絶えし頃に 
                           (杜澤光一郎) 
 
▼福島の人が<福島県野菜>食わずともよし<観光は来て>と 
(奥村晃作) 
 
 ◇作品点描4 (大島史洋)◇ 
▼陽の遍く冬菜青々そだつ畑ここにもセシウム降りてゐるのか 
死者一万五八五四行方不明者三一五五 三月十一日書きおく 
頭(づ)ならべ餓死したる牛羽根みだれ散らばる死の鶏(とり) われらが為(せ)し事                         (沢口芙美) 
 
▼がんばらう立ちがらうと言ふまへにわれら耐へゐるしづかな時間 
原子の火青くともしし日本の五十余年その年々の梅雨    (柏崎驍二) 
 
▼公園の落葉集めの禁止令出でてそのまま雪となりしも   (佐藤通雅) 
 
 ◇作品点描5 (池田はるみ)◇ 
▼放射性物質の付着検査うけ投稿歌届く避難地域より 
宮崎人あたたかけれど東北より疎開しきたる人ら苦しゑ 
五感にて捉へ得ぬものたふたしと思ひ来たりし日本人われ  (伊藤一彦) 
 
▼福島のあっけらかんと青い空なるほどおまえに責任はない (沖ななも) 
 
 ◇作品点描6 (外塚 喬)◇ 
▼今年また広島に来て拾うべきこころ拾いて帰りゆくべし 
「政府発」安全は危険 危険は危険危険って何かわからなくなる 
日本列島全て被曝の可能性知っているのか野の百合の白 
太陽系地球の人口七〇億その一人なりカルイわたしも   (道浦母都子) 
 
▼セシュウムが燃やせば消えると思ひ込み御用学者は安全を説く 
猛毒のストロンチュウムは測定せず口をつぐめり 魚がこはい 
(真鍋正男) 
 
 ◇作品点描7 (久々湊盈子)◇ 
▼放射線量たかき山辺に瑠璃光の仏いまさむりんだうの花 
無農薬有機栽培する畑にもつてのほかのもの降りしとか   (田宮朋子) 
 
▼龍をふかくふかく眠らすみちのくの水棺とならむ原発四基 (渡 英子) 
 
▼<しやうがないことか>はけしてしやうがないことにあらずと読まねばならず                         (今野寿美) 
 
▼巨大なる湯沸し器ありて秋天に噴き上げてをりセシウムその他 
                            (栗木京子) 
 
 ◇作品点描8 (三枝浩樹)◇ 
▼透明な透明なものが透明に透明なまま山河を侵す 
犬の眼が牛、豚の眼が鶏(とり)の眼が見る 透明な森の奥から 
家庭用放射線量測定器(体温計型)発売されぬ        (小島ゆかり) 
 
▼この土地を守れといふ声この土地を捨てよといふ声 案山子は立てり 
がんばらうにっぽん がんばらうにつぽん 木霊かへさぬ森しんとある 
                            (川野里子) 
 
▼原発が全停止する日のついに来てテクノロジーの命日となる 
人間が核エネルギー制御する術持ちえぬをフクシマ教う 
シーベルト変動すれば母たちが一喜一憂蟻が笑うよ 
放射能自ら放つ人間が測定器もつヒステリーなり      (岩井謙一) 
 
▼われと子のむかしの春の小川なり線量高きコンクリの川 
おほいなる手があらはれてほよほよの園児の散歩の列も消したり 
校庭の隅にあらはれたる盛り土幹の埋まった二本の公孫樹 
目をつむり公園、学校、駅を消す 思ひ出のよすががないといふことを 
幼子がゐたならわれも捨てて出た藁霜に照る冬田の情景  (米川千嘉子) 
 
 ◇作品点描9 (古谷智子)◇ 
▼天体のみな軸ありてめぐれるに軸なき国ぞ震災忌過ぐ   (大塚寅彦) 
 
▼それは一瞬だが永遠だつたちはやぶる神代も聞かぬ破壊の光 
けふちくたうけふちくたういま黙禱の人の露頂を灼きつける陽 
                            (林 和清) 
 
▼三月の海の青さよ十日でも十一日でも十二日でも     (俵 万智) 
 
 ◇作品点描10 (松平盟子)◇ 
▼ほろびむとする集落(むら)いくつ海沿ひにもつこの国の桜散るなり 
                            (森山良太) 
 
▼原子力は国益と繰りかえすのみ組織は老いて老人(おいびと)が言う 
天皇が原発をやめよと言い給う日を思いおり思いて恥じぬ 
段ボール切りて<廃炉>と書きたりき寒風のなか羽撃(はばた)きやまず 
                            (吉川宏志) 
 
▼せしうむを含みたるなる柿あまた見つめてゐたる冬の庭なり 
当事者になれぬ背中にねつとりと死者の吐ぐ息(いぎ)はりついて居り 
頑張ろう福島とある立看板(たてかん)のとなりでさくらがんばらず咲く 
みなづきは水の月なり濃みどりの雨を着たまふ磐梯のやま 
さをとめのこゑ濡れてゐる福島の田にふる雨は甘き香ぞする (本田一弘) 
 
▼貯金使ひはたして逃げたと額を言へば素早くメモをとる気配あり 
被災者ならず避難者であるわれはいつも喋り過ぎなり取材受けつつ 
もう二度とまつろはぬ東北の鬼となる覚悟はなくて言葉燃したり 
いくたびも「影響なし」と聞く春の命に関はる嘘はいけない  (大口玲子) 
 
▼原発の壊れし日よりかけ続けマスクに白き半顔の子ら 
六ヶ所村巨大風車のそびえつつ地に低周波の病も送る   (梅内美華子) 
 
 ◇作品点描11 (奥田亡羊)◇ 
▼靴に泥しろく乾きぬ福島のどこでついたのだろうと思う  (駒田晶子) 
 
▼除染のための草刈りを終えし晴天に母ざぶざぶと湯を浴びて泣く 
原発事故の後に実れる桃の香の無邪気に宅配便にて届く   (齋藤芳生) 
 
▼福島がフクシマとなり島となるさまを聞くのみ聞きて抱くのみ 
ヒロシマもフクシマも島われも島、なれば児に欲し小さき葦舟 
                            (黒瀬珂瀾) 
 
 次回も角川短歌年鑑所載の「作品点描」から原子力詠を読む。 
(つづく) 


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