2014年03月08日12時42分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(144)福島の歌人グループの歌誌『翔』から原子力詠を読む(1) 「原発の差し止め訴訟起こししがブラックリストにのりたるわれら」 山崎芳彦

 今回から、福島市をはじめ同県内にに在住する歌人集団の「翔の会」が季刊で発行し続けている歌誌『翔』の第35号(平成23年4月24日発行)〜第46号(平成26年2月1日発行)、つまり平成23年の3・11以後、現在までに発行された号から、原発、原子力に関わって詠われた(筆者の読みによる)作品を読ませていただく。(同誌編集発行人の波汐國芳さんにお願いし快くお送りいただいた。「謹呈」とあった。深く感謝の思いの中にある。) 
 
 同誌は、福島市在住の歌人である波汐國芳さんを編集発行人に、10年以上継続しているものだが、ほぼ30頁の手作りされていると見られる歌誌で、「翔の会」に参加している歌人諸氏の歌縁の深さ、短歌にかける意思の強靭さ、真摯な姿勢がうかがわれる充実した内容である。 
 
 同誌の構成は、毎号巻頭言を波汐さんが書かれ、自らの問題意識を明らかにしつつ問題提起をし続けている。3・11以後の巻頭言には、波汐さんの原子力に関する認識や考え方を踏まえながらの短歌人としての提言が記されていて、鋭く、深く、しかも迫力がある。 
 もちろん、「翔の会」の歌人の方々は、それぞれの個性と、自らの生活環境のなかで詠っているが、毎号一人十首の作品は読みがいがある。さらに、同誌には三瓶弘次さんの連載「かくて『源氏物語』を想う」(第46号で連載40回)があって、現在のさまざまな出来事、現象など、身辺のことなどと関連させながら、『源氏物語』について詳述する、その着眼と筆致には見事なものがあり、筆者も熱心に読ませていただいている。また、伊藤正幸さん(福島県歌人会長)の歌集紹介・批評も貴重だ。 
 
 本稿では、第35号、36号の作品から原子力詠を読ませていただくのだが、福島市や県内に生活する人々にとって、3・11の大地震・大津波、そして原発事故を別々のこととしてとらえるのは、生活の現実にそぐわない、まさに複合災のもとでの日常であると思うと、それぞれの短歌作品を原子力詠であるか、ないかの筆者の読み方に同意されない歌人が少なくないかも知れないと考えている。そのうえでなお、「核を詠う」と題してのこの連載を続けているが、広島、長崎の原爆被害、さらに原発にかかわって詠われた短歌作品を自らできる限り多く読み、記し、残していきたいとの思いは強い。 
 
 今回の第35号は東日本大震災・福島原発事故から1ヵ月半後の発行である。この号が発行されたことは記録されなければならないと思う。大変な被災、困難がある中で、「翔の会」の歌人は歌誌『翔』を発行したのである。編集作業、発行に至る時間を考えると、容易ではない努力が求められたことと思うと、敬服せずにいられない。掲載された作品に、原発詠は波汐さんの作品があるのみである。三瓶さんの震災詠はある。出詠の締め切りやあの被災、原発事故の推移を考えると当然でもあったろう。次の第36号以降には多くの震災詠・原発詠が寄せられている。 
 
 第35号の波汐さんの巻頭言「今何ができるか、今何を歌うか」は、この号にふさわしいもので、震災後、広く、全国的に「私に何ができるか」という己れへの問いかけが合言葉になっていることは「それは被災地にある人達に対して痛みを分かち合いたいという気持ちの表れで、言って見れば思いやりについての自己啓発の問いかけだろう。そのような気持ちが日本人に残っていて、それが今回の巨大振動で表面化しつつあるのだと思いたい。」と述べたうえで、「ところで被災県内に在る我々としても、いかにあるべきか、今何ができるのか、の問いかけを改めて己へ向けて発しなければなるまい。そして自分よりも被害の重い人たちへの思いやりの具体的行動に出なければならないのは勿論だが、行動の基軸としての主体確立が求められる。そのためにも自己客観化、自己を突き放して観る強靭さが求められる。」とするのである。 
 
 その上で、「このためにも、歌人としての我々は現実をしっかりと踏まえて歌作りに励むことが必要である。歌作りをしている暇が無い、などという人がいるかも知れない。一方、歌によって救われているという人もいる。その意味で、このようなときだからこそ、歌の効用というものについての認識を新たにしなければならない。」と言い、「私は常日頃、現代歌人の課題として<今何を><如何に歌うか>という問題への挑戦を己に課して来た。」と論をすすめ、自身の立場を明らかにする。 
 「私は・・・課題への挑戦の一つとして、特に原発への恐怖感をイメージ化するなかに詩的現実を追求して来た。原発地点を古里に持っており、絶対の安全などありえないと信じていたからだ。その危惧が現実化してしまったのである。作品は創造性に基づく虚構であったが、安全をひたすら願う真情が基軸であることに変わりはないので、今日の惨には憤りをおぼえ、かつ残念でならない。ここに一日も早い収束を願うと共に、大震災災害の復興に力を合わせたいと思う。そして<今何を><如何に歌うか>改めて問題提起をして置きたいのである。」 
 
 この被災直後の波汐さんの思いと課題意識に揺るぎがないことは、その後の各号の巻頭言や短歌作品であきらかであるが、現今の原発問題をめぐる政治、社会の動向は、3年の苦難がさらにどのように、どこまで続くか見通せない状況だ。政権・原発推進勢力は、その実の備わらない言葉で何を言おうが、明らかに原発再稼働、維持に向かい、福島原発事故による被災者の苦難は続いているし、解決への実効的な施策・対策は現実の中では貧困に過ぎる。 
 さらにいま再稼動のための審査を受けている電力会社の再稼働予定原発は、どれほど「安全神話」が語られようが、何の保証もないであろう。福島原発は「安全」といって動かされてきて、ついにはあの大事故が起こり、今も続いている。人々の苦患はつづき、先が見えない。また繰りかえすのか。 
 現政権の原子力政策の理不尽は許しがたいし、それに追随し、あるいは後押しをしている勢力の罪は大きい。脱原発・原発ゼロの社会を実現したい。 
 
 月刊「うた新聞」3月号が届いたが一面の「巻頭評論」に伊藤正幸さんが「祐禎さん一周忌―佐藤祐禎没後一年」を書いているが、歌集『青白き光』の歌人である佐藤祐禎さんを偲び、その晩年について記されている。筆者は佐藤さんの『青白き光』を求めて各図書館や古書店などを探索し、2011年末に国会図書館から借りて、地元の図書館で筆写したことが思い出される。その後、いりの社刊の文庫版が刊行されたことで多くの人々に詠まれるようになったことを喜んでいる。 
 前記の佐藤正幸さんの文章で、いわき市に避難されて、おそらくは多くの無念をも抱えて生活され、ついに帰らぬ人となった佐藤さんの、歌集未収録作品が紹介されている。 
 
 
▼廃棄物は地元で処理だとふざけるな 最終処分場にさせてたまるか 
▼原発にわれの予言はぴたりなり もう一度いふ人間の滅亡 
                         2首 佐藤祐禎 
 
 歌誌『翔』(第35,36号)の作品から、原子力詠を読みたい。波汐國芳さんをはじめ「翔の会」の皆さんに感謝をしつつ。 
 
 
  ◇『翔』第35号(平成23年4月24日発行)抄◇ 
 ▼波汐國芳 
大地震 大津波率て原発のある町襲ひ原発残る 
大津波 原発の浜さらひしを残れる炉心の鬼面を見ずや 
風吹けば風に押されて杉木立 原発のある町を出でむか 
峠の道越えむとしつつ「原発が燃えてゐるよ」の声に振り向く 
原発に追はるる如く知り人ら立ち退きたれば古里うつろ 
原発の炉心溶融うつつとぞ毒へびの舌見え隠れして 
放射能漏れに騒立つわがめぐり鴎の声も極まりさうな 
 
  ◇『翔』第36号(平成23年7月31日発行)抄◇ 
▼伊藤正幸 
大地震に列島が揺れ原発の建屋が揺れて騒立つ炉心 
原発の知識深まるを憂ひつつ原子炉内部のしくみを辿る 
ヒロシマとナガサキに続く被爆地ぞ片仮名悲しフクシマ原発 
震災に原子の火なき電気もて原発事故の映像を見つ 
原発の間近に住まひゐし友は眼つむりて昔を語る 
 
 ▼三好幸治 
人類の英知の粋も津波には勝てず天よりベクレルの雨 
未曾有の原発事故を恐れつつ好転あれよとテレビに縋る 
禁断の木の実か原子エネルギー津波の猛威に死の灰を吐く 
この県を出でゆく人らに吾もまた原発難民なるを寂しむ 
 
▼波汐國芳 
雨の夜を雨の脈搏極まるに文明が亡びへ向かふも聴かむ 
文明をひたに求めて文明に滅ぼされゆくわれらならずや 
六号線は原発事故で通れない 文明もそこにストップでいい 
福島よ頑張れのこゑしたたかに死者らも起ち来 欝の海より 
福島産ぶだう贈らば福島ゆ放射能が来と疎まれむかも 
 
 ▼橋本はつ代 
原発の町を逃れて来りしが帰りたしとぞつぶやく妹 
わが余生託して拓きしユートピア川内の地を被曝が閉ざす 
いつの日か事故起こらむと過ぎ来しを原発反対に名をつらねたり 
花吹雪にまぎれて汚染の花も舞ふ故里楢葉訪ふ術もなし 
八十年健やかなるを自負せしが被災にハートのきしむ音聴く 
亡き夫の生家もずんずん遠のきて原発事故に人住まぬ町 
 
 ▼橋田則彦 
戦争の惨もなかりし我が街を死に至らしむこのたびの地震 
耳慣れぬ単位のマイクロ・シーベルト数値上下に心は乱る 
 
 ▼児玉正敏 
ミサイルも化学兵器もかなはぬか収束見えぬ原発事故に 
 
 ▼紺野 敬 
被災者の心柔らに包まむかべールのやうな一山ざくら 
原発の不安抱きて過ぎ来しを現となれるわがまのあたり 
雨止みて空は清しく見ゆれども故郷汚す透明の塵 
放射能の汚染のなきを祈るなり梅雨の晴れ間の光る早苗田 
 
 ▼古山信子 
祖母われの胸に抱かれ眠る児よ放射能など受けてはならぬ 
高層のホテルに届く月影や避難せしわれ責むるごとくに 
余震続き放射能値の高ければ休校の子と花の絵を書く 
原発の収束はいつ測定器持ちて過せり幼子居れば 
目に見えぬ放射能飛ぶ今日も飛ぶエアコン止めて窓閉め切りて 
良縁で良かったですねと人の言ふ娘の行く末は神のみぞ知る 
 
 ▼薗部 晃 
原発事故うつつとなりしを敗訴文正座して読む元原告のわれ 
原発の差し止め訴訟起こししがブラックリストにのりたるわれら 
陽は柔らなれど放射能降る村の霞たちつつわが農見えぬ 
背負籠にずつしり採りし筍の重たかりけりセシウム汚染 
原発の避難者のため公園に仮設住宅つぎつぎと建つ 
田植ゑの夢見たくも見れぬセシウムに汚染の田圃砂ぼこり立つ 
米作れぬ野菜もまけぬ放射能降り降る不毛のわれの村なり 
 
 ▼岡田 稔 
原発のヨウ素が噂の風に乗り去年の林檎売れ残りたり 
 
 ▼鈴木紀男 
原発より放射能漏れるとふ噂デマであれよとひたに祈るも 
事故なんぞ起こるはずなしと思ひしか第一原発に上がる白煙 
テレビ見ても心安まらずぬくもれる地元ラジオの放送を聞く 
種蒔かんと土を耕す春の日に放射線量のニュース聞きをり 
 
 ▼波汐朝子 
故里の原発ゆゑに夫が憂ふ歌うあり歌が現実となりぬ 
追ひかくる如き原発の放射能に避難してゆく故里人ら 
原発の風評しるく観光客めつきり減りて寒き福島 
去年の秋植ゑし青菜よ放射能浴ぶれば花を愛づるほかなし 
 
 次回も歌誌『翔』の作品を読ませていただく。     (つづく) 


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