2014年03月16日12時16分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(146) 福島の歌人グループの歌誌『翔』から原子力詠を読む(3) 「野も山も放射能汚染にさらされて逃げゆく所もう無き吾等」 山崎芳彦

 今回は歌誌『翔』の第39号(平成24年4月29日発行)から原発詠を読むが、東日本大震災・福島原発壊滅事故から1年余を経た時点の発行であり、原発事故、放射能汚染に関わって詠われた作品が数多く掲載されている。まさに原発事故の収束の見通しは無く、放射能禍の中にあって生き、生活し、さまざまなことを考え、感受しつつ「翔の会」の歌人たちは詠い続けたことが示されている。 
 
 巻頭言で、編集発行人の波汐國芳さんは、 
「この度の大震災は貞観地震津波(869年)以来の、しかも千年に一度のものと言われ、まさに未曾有の大震災といってよい。これに加えて県土福島に住む我々は原発事故の被害で放射能に慄く毎日であるが、現在は勿論、将来にわたってそれと付き合っていかなければならないという環境条件下に置かれている。・・・福島原発は廃炉になるわけだが、今後の管理が重要で、チェルノブイリの場合同様にコンクリート詰めにして管理するのだろうか。しかも今、県内では放射能を含んだ瓦礫の中間処理施設の設置問題が難航している。ともかく、県内に住む我々は何らかの意味で、原発を覆う石棺の中にいる思いなのだが、こうした状況から、将来にわたって逃れられまい。」 
「だが、ひるんではいられない。歌人である我々は置かれている現実を凝視し、積極的に、しかも前向きに被災地の瓦礫の中から起つ心を歌いあげることで、復興に参加する事が肝要であるが、これを契機に無から起ちあがる、その在り方を検証してみることが必要ではあるまいか。・・・大震災と原発事故で徹底的に打ちのめされたが、この無の中からこそ、本当の詩心を探りだせるかも知れない。そこで、余剰を脱ぐかたちで大震災後の短歌は如何にあるべきかを考えたいと思う。その意味で大いに詩心を揺すぶってみたいのである。」と記している。強靭な、まっすぐな歌人魂が言う言葉である。 
 
 波汐さんは、一昨年8月に、歌集『姥貝の歌』(いりの社刊)を刊行して注目されたが、さらにこの3月に第13歌集となる『渚のピアノ』(平成26年3月10日発行、入りの社刊)を上梓された。驚くべき情熱である。「震災と原発事故の被災地という過酷な環境のもと、今この福島に生きていることの証を残して置くことが、歌を詠む者の使命」というのである。「この一巻は現在における私の呼吸そのものと確信致しております。」という同歌集には、波汐さんの短歌精神、理論の実践の果実といえる歌が息づいている。いつか、この連載の中で読ませていただくつもりである。 
 
 『翔』第39号の編集後記に、伊藤正幸さんが書かれている文章にも、筆者は注目させられた。 
「事故の前までは、原発のリスクは殆どゼロに近いと信じていたが、東京電力の技術陣のレベルの低さを最近のテレビのドキュメント番組で思い知らされた。アメリカGE社製の原子炉『マーク機戮粒頁射憧錣蓮経済性を考慮してコンパクトに設計されていたが、その小ささから過酷事故に遭遇した場合、メルトダウン/水素発生/格納容器内圧力上昇/水素漏洩/建屋爆発の危険性が指摘されていた。スイスも同じ型の原子炉を導入していたが、独自に水素漏洩・爆発に備えて建屋の強度を堅固なものにしていたという。スイスでは他人任せ・メーカー任せではなく、自分自身で技術を磨いていたのだ。日本側にその危険性を忠告したが、取り合わなかったという。アメリカにおいて『マーク機戮導入されていた地域は、地震の少ない東部だけだったという事実は重い。原発に関する歌はまだまだ詠まねばと思っている。」 
 
 このような、福島の歌人のしっかりと軸を持ち、現実をしっかりととらえて作歌している姿勢は、短歌だけのことではないはずである。 
 
 原子力規制庁の、「世界一厳しいレベルの規制基準」と詐称強弁する、原発の再稼働推進ありきの新基準への適合審査が、いよいよ、九州電力川内(せんだい)原発機2号機を優先的に進めるという。政府や、電力業界、財界などの陰に陽にの催促を受けてのことだが、政府は「規制基準に適合すれば再稼働を進める」というのだから、原発再稼働への突破口とする意図が明らかだ。「世界一厳しい規制基準」そのものが事実ではなく、住民避難計画も、放射能による被害対策は審査対象にならず、福島原発事故の経験・教訓をまともに受け止めず、さらに福島の現状の解決の見通しも無い、ましてや使用済み核燃料、高濃度汚染の核のゴミの管理、処理にいたっては「科学技術の進歩」、「世界的な英知の結集」など言葉遊びにすぎないままである。穴だらけというより、「新規制基準」の本質は穴そのものなのだ。 
 さらに、「原発安全神話」にほころびが生れてからは、今は「放射能安全神話」が、「原子力ムラ」在住、あるいは医学会も含む各界にはびこる同伴者によって意図的に広められつつあり、放射能の規制基準を恣意的に操作する動き、被害者に被曝量の自己管理をさせ、自己責任を押し付ける手段が講じられつつある。 
本来ならば、刑事・民事責任をあわせて問われなければならない東電や関係機関が、なおも犯罪的なことを行っているのである。 
戦争犯罪のことを思わないではいられない。極東軍事裁判によって裁かれた戦争犯罪者は、さらにこの国の戦争被害者、さらには被害周辺国の戦争被害者によって、人間の負うべき犯罪行為を裁かれなければならなかったのではないか。一億総懺悔などということがあってはならなかった。 
 
 今回の、福島原発事故についても、この国の原発史を精密に検証し、さまざまに事故につながる、福島のみが特別ではなかった、事象の隠蔽や意図的な偽報告、不作為とはいえない意識的な原子炉の設備、機器の整備のサボタージュ、それらを許し擁護してきた規制官庁の不正、中央から地方に至る政治家との癒着、そして政府、政権の政策執行の犯罪的な誤りを、今、このときに各界、各分野、原発作業員も含めての誠実な告発を集中して研究・検証する、超党派的な機関、組織が、これまでの成果、知見を寄せ合って、脱原子力のための、当面の問題から中長期的な展望を構想して行くための、非政府組織の結集は夢の話であるだろうか。人々の現在と未来のために、望みたい。そのとき、原子力問題だけでなく、逆流・濁流の政治を食い止める力が厚みを増し、有効な力を発揮する事も可能だろう。 
 
 『翔』の作品を読みながら、原発がふたたび重要電源として、維持・推進されていく現状に、改めて怒りを禁じえない。再稼動のための適合審査を申請している各原発(現在10原発17基)の立地地域、周辺地域の自治体、住民とともに、全国的な脱原発、再稼働阻止の取り組みをすすめることが、強く求められている。 
 短歌界も、優れた、敏感な文学者の感性と、現実と未来に対する想像力を発揮して、現在を生き、未来を切り拓く役割の一端を、自ら担っていくことへの意識を高めなければならないだろう。先の戦争時において戦争に加担し戦争を賛美する歌人が少なくなかった、というより主流を占めた歴史の教訓を、改めて考えなければならない時代であることの認識が必要だと思う。 
 
 
 作品を読んでいこう。 
◇『翔』第39号(平成24年4月29日発行)抄◇ 
 ▼中潟あや子 
後悔は進歩の糧か然れども其を踏みしめて歩むは痛し 
海の面の青の向かうに過ぎし日々ただ懐かしきだけにはあらず 
 
 ▼波汐國芳 
恐竜ら棲みしとふをうつつにし原発のみえぬ火を吐くもをり 
社是なりし原発成らず無きものは津波ざぶりと攫ひもゆかず 
浪江原発成らば津波に逢ひたるを成らぬは怪我の功名なりし 
線量値測る日課の起きがけを放射能がそばに眠ってゐます 
 
 ▼伊藤正幸 
人間の手を抜く隙を狙ふがに大き津波は原発に寄す 
揺れやすき列島の上の原発かまづは福島第一の乱 
震災に罅の入りたる列島ぞ五十四基の原発傾ぐ 
「フクシマ産の花火揚ぐるな」 「震災を天罰」と言ひし知事さんもゐて 
この風の元に原子炉建屋ありメルトダウンの燠を抱へて 
いまだにも溶けし炉心の燠あるを事故収束など諾ひがたし 
原発の「低温停止」の影にして命を削る作業員たち 
原発のゆゑに避難しゐし友ぞ流離のこころをいまだ明かさず 
放射能汚染に退きゆく野の道に古代を手繰る御歯黒蜻蛉 
一万人の雇用支へし原発ぞ事故への謗りも単純ならず 
 
 ▼橋本はつ代 
原発事故に仮植ゑしたる烏瓜吾がもの顔にハウスを占めぬ 
福島に寄する善意のさざ波の政治家よりも親しきものか 
堆肥にといそいそ集めし枯落葉セシウム故に今は触れ得ず 
高圧除染納得すれど一寸待て その汚染水行く先いづこ 
野も山も放射能汚染にさらされて逃げゆく所もう無き吾等 
秀作は詠めねど現の世に生きて原発被災の語り部とならむ 
逃れゆく術のなければ放射能高きこの地に生きる外なし 
セシウム値高きにあれば丹精をこめたる庭木も切らねばならぬ 
フクシマの原発事故に負けるなとエール届くか逝きし夫より 
 
 ▼児玉正敏 
陽だまりに雀が三羽舞ひ降りて明日の福島語りてをりぬ 
わが畑の実すぐり終へし桃たちよ放射能など吐き出し実れ 
食べらるるを信じて種蒔く背中には小春日の陽が届いて来たり 
原発に汚染せらるるわが畑に降るは祖らの無念の涙 
放射能は津波の如く押し寄せて親子の絆を切り刻みたり 
わが庭に林檎を見つけ食ひたしとねだる幼に原発を説く 
測りても測りてもなほ線量は高きままなり拳を握る 
校庭の土に罪などなきものを無言のままに剥ぎ取られたり 
 
 ▼紺野 敬 
災難よ去れの想ひも込められしひひな「猿ぼぼ」ふくよかなりき 
吊るし雛ビニール袋を着せられて吊らるるもあり被災地なれば 
セシウムのあるといふゆずを諦めて林檎を冬至の湯に浮かべたり 
 
 ▼古山信子 
大原の朝湯に長く浸りつつセシウムとストレス旅に流すも 
一合の飯炊く術も身につきぬ子等避難せし後の厨辺 
避難せし孫が初めて歩みしと緑地踏みしむる写真が届く 
 
 ▼岡田 稔 
「福島よ頑張れ」の声に追はれつつ震災の年の夏も過ぎたり 
人のみの怒りにあらず放射能を浴びたるままに草紅葉荒ぶ 
 
 ▼御代テル子 
開戦日蘇るなり遠き日に死を強ひられし昭和の人災 
 
 ▼桑原三代松 
原発のメルトダウンにがらがらと建屋も神話も崩れ落ちたり 
峠越えセシウム計の反応すゴーストタウンとなりし街なり 
名産のあんぽ柿をば作れぬと嘆く農夫の目はうつろなり 
セシウムを避けて逃れし雀等かさへづり聞けぬ日毎寂しも 
セシウムの飛んで来たりし里山のひしめき並ぶ茸を見遣る 
つくづくと離れがたきを花植ゑてセシウムの降る街に住むなり 
原子炉を処理するまでの四十年里に帰れぬ人を思へり 
防護服の姿のわれを思ひつつ除染作業に志願をしたり 
 
 ▼三好幸治 
自らを光体として月読は被災地福島の天心に浮く 
億万劫眺め続けてこの国の歪みは如何にと名月に問ふ 
原子炉のメルトダウンを知り居らむ秋の名月朱を纏ひ居り 
原発の事故後をこの国裂かれしか例へば花火の福島・愛知 
放射能に統べられ暮らすこの吾に脱原発の念ひを許せ 
 
 ▼鈴木紀男 
マスクする小学生の女の子黄色い帽子押さへつつゆく 
子供等の声の聞こえぬ夏休み朝顔日記書く子はゐるか 
微量なる放射線身に浴びながら生き行く我等みちのくの人 
校庭の土入れかへる作業場に蜻蛉がひとつ止まりてゐたり 
放射線にさらされし街駆け抜ける駅伝ランナーの細長き脚 
放射線に誰も取らざる柿の木にあまたの鳥のさわぐ夕暮れ 
 
 ▼上妻ヒデ 
放射能逃れ来し子は終日をテレビ見て居り言葉少なに 
放射能検査済みですと表示添へ教へ子よりの新米うまし 
 
 ▼波汐朝子 
県外の野菜並ぶを選びつつ県内農の目をわれは持つ 
セシウム値未だに高きわが住まい行政までも知らぬふりなり 
目に見えぬセシウム怖し福島の若き親らは避難さす子を 
セシウムに野菜作れぬ畑なれば花の球根あまたねかせり 
セシウムを含む雪をばすつぽりと被る球根の芽よ這ひあがれ 
 
 次回も『翔』の作品を読み続ける。          (つづく) 


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