2014年04月08日15時27分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(149) 福島の歌人グループの歌誌『翔』から原子力詠を読む(6) 「原発の炉心の光見えざれば何年かかる故郷への道」 山崎芳彦

 『翔』第44号の短歌作品を読みながら、福島第一原発の壊滅事故による核放射能の排出、拡大、人の暮らす場所のみならずあらゆる場所、自然環境を汚染し続けていることについて、その底知れない危険を感じつつ、日々を生きる人間、かかわりあう自然のさまざま、過去も現在も未来をも受け止めて詠われていることに、筆者は詠うものの一人として共感と敬意を感じないではいられない。同時に、原発・原子力に関するこの国の政治、経済、社会、人々のありようについて多くのことを考えさせられ、自分を省みさせられることに、短歌文学の持つ意味についても思うことが少なくない。 
 
 その作品群を読みながら、いま、島薗進著『つくられた放射線「安全論」 科学が道を踏みはずすとき』(河出書房新社刊、2013年2月発行)をも読んでいる。島薗氏はこの4月に「脱原子力政策大綱」を取りまとめ、世に問うことに取り組んでいる「原子力市民委員会」(座長・舩橋晴俊法政大学教授)の理事で、同委員会第1部会:東電福島第1原発事故被災地対策・被災者支援部会』の部会長を務め、福島を始め全国各地における意見交換会に出席するのをはじめ活動をしている。(前記著書刊行時には東京大学大学院教授、現在上智大学神学部教授) 
 島薗氏は同著の「はじめに」で、次のように記して、同書刊行の意図を明らかにしている。 
 「福島第一原子力発電所の事故により、大量の放射性物質が放出・漏出され、福島県浜通り、中通りの住民や事故処理のために働く作業員をはじめ、膨大な数の人々がふだんよりもはるかに高い線量の放射線を浴び、またそれに脅かされることになった。それによって生じた苦しみ、悩みははかり知れない。被災住民が切実に求めたのは、放射性物質による汚染の状況や、放射線による被害の可能性についての情報だった。」 
 
「だが、政府や東京電力から提供される情報はまことに少なく、質的にも低いものだった。大新聞やテレビなどのマスコミから流される情報も信頼性の薄いものだった。マスコミにはしばしば科学者が原発や放射線の専門家と呼ばれて登場したが、彼らの提示する情報も確かなものとは感じられなかった。汚染地域の住民の、とりわけ子どもの健康に『ただちに影響がない』と言われても、先のことは知らされず、どうすればよいか分からない。」と述べたうえで、きわめて重要な事実を指摘した。 
 
「やがて、そうした科学者や専門家の多くが原発推進のために力を尽くしてきた人々で、『安全神話』を担ってきた人々であることが見えてきた。『原発ムラ』とか『御用学者』などの語が広まったのもうなずけることだった。」 
 
「だが、放射性物質に汚染された地域で暮らし、汚染されているかもしれない食品を摂取することがどれほど危ういことなのかについては、問題がいっそう複雑だった・・・さまざまな専門家の情報があるのだが、政府筋の専門家からは『健康影響はほとんどないだろう』つまり安全だという類の情報ばかり流れてくる。だが、それを信じてよいのかどうか。いつまでたってもよく分からないのだ。」 
 
 以上のようなことを踏まえて、島薗氏は、放射線健康影響の専門家とはどういう人たちで、どのような根拠で、どれだけ確かなことを言ってきたのかを調べて同書で明らかにする。筆者は放射能に関する専門知識を教えられ学びはしても基礎的な知識や理解力には乏しいのだが、島薗氏の、丹念に歴史的な原子力・放射能に関する「専門家」の政・官・財・学の背徳的というべきからみあいと、おぞましいほどの金と地位と名誉その他の利害得失に関わる関係などについて、具体的な論証を上げて明らかにされた「科学が道を踏みはずすとき」に創られている「放射能安全神話」の反人間的本質を見た思いがした。 
 
 島薗氏は次のように続ける。 
 「放射線健康影響の専門家とはどういう人たちで、どのような根拠に基づき、どれほど確かなことをいってきたのか、本書では私なりに調べて分かってきた・・・ことを要約すると以下の通りだ。日本の放射線の健康影響の専門家の間では、1980年代後半から原発推進に都合がよい、低線量放射線は安全だと示すための研究が進められ、90年代以降、放射線の影響そのものよりも放射線への不安こそが被害を招くとする言説が広められてきた。」 
「本書の叙述によって、福島原発災害後に被災住民等が放射線情報の混乱によって苦しめられた理由が良く見えてくるはずだ。私は科学者・専門家の不適切な情報が混乱の要因の中でもかなり大きなものだったと考えている。それについては、今後、できる限りあらためていく必要があるだろう。」 
 
「事故後に信頼を失うような科学者・専門家集団を生み出した日本の科学技術や学術研究のあり方も問い直されなくてはならない。科学者・専門化が多くの人々を惑わし苦しめるような、ゆがんだ情報発信や政策への関与を行うに至った理由をよく考え直してみたい。・・・本書の題はそのような意図を示すものだ。ここで放射線『安全』論とは、低線量放射線に対する安全に偏った評価・言説という意味である。」 
 
 筆者もこの「核を詠う」連載をしながら、それなりに原発、放射能、原子力に関わる文献を、十分理解しきれないまでも、読んできているつもりだが、そのうえにたって、島薗氏の著書に同意の念を覚えたのである。 
同書の内容にわたって紹介できないのは残念だが、他日を期したい。 
 
 筆者が同書を読もうと考えたのは、いま「放射能安全神話」が、原発再稼働路線の進行のなかで、政府、電力業界、教育界、さまざまな原発推進団体・グループなどによって、強力に広められ、その影響が無視できない状況になっていると考えたからであった。筆者が読んでいる短歌作品を考えても、このような事態を見過ごしてはならないと思っている。 
 
 今年の3・11を前にして、内閣府・消費者庁・復興庁・外務省・文部科学省・厚生労働省・農林水産省・経済産業省・環境省・原子力規制庁の連名で「放射線リスクに関する基礎的情報」なる資料(復興庁などのホームページ)を公表し、合わせて「帰還に向けた放射線リスクコミュニケーションに関する施策パッケージ」を発表している。 
 「福島における放射線の状況や、放射線の健康リスクを考えるための知識・科学的知見・被ばく低減にあたっての国際的・専門的な考え方などの基礎的な情報をコンパクトにまとめたもの」「実際のリスクコミュニケーション活動において・・・ほん資料はその際のベースとして、用語の使い方を含めた基礎的な情報を出来るだけ分かりやすく正確に説明するための材料として活用していただくことを期待」と位置付けているのだが、その内容はまさに「放射線安全」キャンペーンと言うべきものである。避難せざるを得ない状況を作り出しておきながら、いまは「放射線安全」宣伝をし、早期帰還促進を進める。誰のため、何のためか。 
 「原発安全神話」、「放射能安全神話」は原発維持・再稼働、原子力依存社会の継続への基盤づくりであり、そのことが、「戦争のできる国」への逆流政治のもとで行われていることに、深く思いを致さなければならないとつくづく思う。 
 
 歌誌『翔』第44号の原子力詠を読もう。 
 
 
  ◇『翔』第44号(平成25年7月27日発行)抄◇ 
 
▼児玉正敏 
原発の事故から二年が経ちたれど見えざる傷の痛みは止まず 
福島に倒しても倒しても起き上がる小法師となりわれは生きむか 
原発から七十キロのこの家に組まず離れずセシウムと生く 
そこそこの除染をすれど次々と土竜の如くセシウムが出づ 
畑の除染なし終へ一息つきたれば福島の空ひときは青し 
脳天はメルトダウンの寸前ぞ牛歩の如き原発処理に 
原発の事故に追はるる幼らよ生まれ隠さずなほ生かまほし 
 
▼波汐國芳 
原子炉は陽の火盗むをその怖れ知りしこの国他に売らむとふ 
人類は哀れな盗人 核の火を陽より盗みて火に焼かるるを 
うたびとら原発事故後をその怖れ多きが詠めばまだ間に合ふや 
福島の恵み受けしを福島の荒磯抜けむと泳ぐてのひら 
ああ福島よ救はれざるや原発を招き原発に仇なされたり 
おお会津 官軍といふ賊軍に討たれしを思ふ原発事故後 
原発へ 原発へその火移りつつ遠退き小さくなりてゆく陽や 
人類はなんと愚かな 陽ゆ頒けし火をば具にして破滅急ぐを 
この地球弔ふ通夜の席占むるハーンの笑い トルーマンの笑い 
 
▼伊藤正幸 
農業を営みながら原発の建屋に真向ひ友は詠みゐき 
臨界の青白き光が原子炉ゆ爆ぜ来ることを友は詠みゐき 
原子炉の爆ぜゆく予言詠みゐしをそに追ひ込まれ友は死の床 
原発の事故に追はれし祐禎氏入院ベッドは断崖なるや 
原子炉ゆ爆ぜ来る光の迫ることうつつに友は思ひをりしか 
原発の事故に追はれしその日より友は逝きたり二年となる日 
生涯に歌集一冊の祐禎氏『青白き光』の閃きやまず 
大熊は他人事ならず原発の事故際立たせ強気風吹く 
原発を食みつ食まれし町ならむ散りて戻らぬ避難の人ら 
 
▼三瓶弘次 
この国の選挙も然り「夜目、遠目、笠の内」なる錯覚にまた 
原発の疑惑晴れぬをそのままにネオンの街にちどり足とや 
今まさにプロメテウスの罠なるや「常陽・もんじゅ・ふげん」の連鎖 
不遜にもお釈迦様をば支へゐる「文殊」「普賢」の名を付す驕り 
 
▼橋本はつ代 
温かき目を向けやらむ原発の事故収束に向ふ人らへ 
放射能値やや下がりしを確かめて深呼吸する里山の家に 
除染とは着ぐるみ剥がすことなりや今古里の冬がらんどう 
除染とて表土削られしわが畑の土をもたぐる萌えの確かさ 
産毛まとひ柔らに芽ぶく山うどに近寄る勿れ憎きセシウム 
 
▼橋田則彦 
東をば指して流れてゆく雲よその行く先は原発地帯 
原発の終息いまだ成らざればフクシマびとらみな蚊帳の外 
 
▼紺野 敬 
セシウム値案じながらの二年間やうやく手にすこの線量計 
音声用線量計の数値聴き今朝の寝耳も醒まされてゐる 
被災地に置いてきぼりの馬の背よ夕陽を乗せてさ迷ひをりや 
除染後を花ひらきたる藪椿ひとつひとつは童の笑顔 
除染とて肌削がれたるこの山の傾りにやがて若草待たむ 
 
▼古山信子 
セシウムに痛みし庭の桜木の洞深けれど花咲かせたり 
海怒り天も怒りしあの日より震災の町癒ゆることなし 
 
▼渡辺浩子 
遠からぬこの空の下原発のありて甦る三・一一 
如何なるや原子炉建屋いま如何に苦き思ひに目覚むる夜あり 
昭和とふ時代を詠みて八十三年祐禎氏逝く警鐘鳴らし 
ひとしきり春の嵐の吹きつのり古里覆ふセシウム攫へ 
 
▼薗部 晃 
放射能高きフクシマに棲むなれば晴耕雨読などできますか 
放射能汚染の筍売れもせぬ鉈もてわんさわんさと切るも 
セシウムにまみれしわが田耕せずぺんぺん草の今花盛り 
放射能線量高き園庭に子ら見えず雀ら数多躍りゐるのみ 
地図広げ役人ら除染を叫びつつセシウム呼んでくるにやあらずや 
原発収束とふ言葉ばかりが先走る置き去りさるる重きフクシマ 
セシウムのわが汚染田に米作る水稲計画書求められたり 
復興はまだ進まねど夜の街原発作業員に賑はふ 
セシウム値高き田をもて米作る農なりおのれ食はざる米を 
セシウムの汚染著きをこの植田耕やせざれば草深みたり 
 
▼御代テル子 
被曝して未だ戻らぬ人あるを新年の陽は又昇るなり 
 
▼三好幸治 
鉱泉よ薄めて呉れよと放射能汚染の五体を湯船に浸す 
 
▼鈴木紀男 
原発の炉心の光見えざれば何年かかる故郷への道 
スーパーより食べ物消えしは二年前空つぽの棚思ひ出すなり 
曇りたる空を眺めてゐる夕べソドム・ゴモラの惨を思へり 
 
▼上妻ヒデ 
吹く風に運ばれきたるセシウムは花粉と共に吾が身に着くか 
 
▼波汐朝子 
セシウムの減りしを知るや小鳥らが庭木の末に囀りてをり 
被曝して二年経たればやうやくに朝の目覚めに小鳥らの声 
餌まけば雀らあまた寄りくるに「お久しぶりね」と声をかけやる 
 
 次回も『翔』の作品を読む。             (つづく) 


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