2014年06月24日11時17分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(156) 『朝日歌壇』(2013年1〜12月)から原子力詠を読む(1) 「悲しみのつづきにかなしみのフクシマありふるさとに降るきさらぎの雪」 山崎芳彦

 今回から『朝日歌壇2013 1〜12月』(朝日新聞出版刊 2014年4月)から原子力にかかわって詠われた作品(筆者の読みによる)を読みたい。これは、朝日新聞の毎月曜日(新聞休刊日にあたる場合は前日の日曜日)の朝日歌壇欄に掲載された2013年1〜12月の全作品をを収録した一巻である。朝日新聞の歌壇欄は明治43年に始まる長い歴史を持ち、多くの短歌愛好者の投稿作品から選者により選ばれた入選作品が掲載されるものであることは知られているが、かなり膨大な投稿作品の中から選者(現在は、馬場あき子、佐佐木幸綱、高野公彦、永田和宏の4氏)が各10首(共選あり)の入選作品を選ぶのだから、投稿作品の多さからみると、ごく限られた一部が「狭き門」を通って掲載されることになる。 
 
 選者各氏の評価により選ばれるのだから、その作品を読む人の感想は様々であってよいだろう。筆者などは、入選作品を読みながら、選に漏れた多くの作品について勝手な思いをめぐらすことがある。どのような投稿歌があったのか知る由はないのだが、とくに社会詠、時事詠などについては、さまざまに考えることが多い。 
 
 この連載の中では、これまでに2011年3月の東日本大震災・福島第一原発の壊滅事故以後の作品が収録されている『朝日歌壇』(2012年版、2013年版にはそれぞれ前年の作品が収録されていた。今回の『朝日歌壇』から書名により作品発表年月がわかりやすくなるようになった。)を読んできたが、やはり印象深く、共感をもって読んだ作品が多く、また新聞歌壇として時代の相を明らかにする作品が採られ、記録されることの意味も考える。 
 その意味で、『朝日歌壇』には毎回、選者による「年間秀歌10首」の選歌を通して考えたことが、短くだが書かれていることに注目もする。各氏の選んだ「年間秀歌」10首は、今回読む入選作に含まれるので、あえて記さないが、今回読む『朝日歌壇』に選者各氏が記していることの一部を見ておきたい。 
 
 馬場あき子氏は、「歌う力と思う力」と題した一文を記しているが、「確実にだんだん苦しい時代感が増殖した一年だった。そこに生まれるさまざまな作品の中で年末に成立した秘密保護法に対する憂慮が最も多数の投稿歌として表されたことを記しておきたい。」、「ついでは、東北地域の災害からの復興支援が、二年もの歳月を費やしても遅々として進まぬことへの潜熱的内憤が折にふれて詠まれ諦めの思いもまじりはじめる。」との感慨を述べながら、「しかし、全般的に投稿歌の世界は前向きで、苦しい環境に耐えながらけなげであった。そこで異彩を放っていたのが可憐な小・中学生の歌人たち。・・・向上が目ざましい。」ことも特筆し何人かの名と作品を挙げている。 
 朝日歌壇で、小・中学生の入選作品が多くなっていることについては、異論、意見が少なくないが、馬場氏は「歌の原点として大切なものを持っているのだ。」と評価する。 
 
 佐佐木幸綱氏は「震災の歌の現在」と題して書く。「東日本大震災にかかわる作がまだまだ多いことにあらためて気づかされます。震災によって変えられてしまった生活を今なお強いられている方々がたくさんおられるのです。短歌は基本的に個人の視点で歌われるものです。行政の視点とは違う、マスコミ報道の視点ともまったくちがいます。個人の視点でしかとらえられない現実が表現しうるところに、新聞歌壇の歌の大きな意味があるのだと思います。」と述べ、具体的な作品を挙げ、「流出した家や町への深い思い。変えることのない絶望的な未来への思い。・・・歌でなくてはすくい上げることができないものなのです。数字で表される復興状況とはまるでちがう、これがまぎれもない現実の一面なのです。一方、夜明けの光のような明るいきざしをうたった作もあって、すくわれる思いがしました。」としてその作品も挙げている。 
 
 高野公彦氏は「大きな出来事、小さな出来事」と題して書いている。 
「平成二十五(2013)年にも、いろいろな事があった。記憶に残る出来事といえば、たとえばNHKの朝ドラ『あまちゃん』の大ヒット、富士山の世界文化遺産登録、参院選挙での自民圧勝、2020年五輪の東京開催の決定、有名企業の食品表示の偽装、特定秘密保護法の成立などがあった。また、福島原発の汚染水漏れは、廃炉への道が遠く険しいことを改めて示した。原発問題は、東日本大震災が残した最大の課題であろう。」として年間秀歌に選んだ2首を挙げて、「原発関係の問題は長く尾を曳き、これからも人々の生活を脅かし続け、それが歌にも反映され続けるに違いない。」と述べている。「朝日歌壇には、時事を詠んだ歌が数多く寄せられる。・・・むろん時事的ではない生活詠や自然詠も、それ以上に多い。・・・内容は大きな出来事でも小さな出来事でもいいから、優れた歌を選びたいと、私はいつも考えている。」と選者としての考えを記している。 
 
 永田和宏氏は「暗い予感と朝日歌壇」と題して、今という時代と向き合っての氏の思いを明確に述べている。 
 「二〇一三年という年は、取り返しのつかない暗い時代への、幕開けの年として記憶される年になるのではないかと思う。六十数年を生きてきて、私は初めて心(しん)から怖ろしいと、心の震えるような怖さを日本の将来に感じた年でもあった。/朝日歌壇には、二〇一三年も社会への真剣な視線を持った歌が多く寄せられた。憲法改正、放射能汚染、教育問題、戦争の記憶をどう伝えるか、特に『はだしのゲン』の問題にも投稿歌が多かった。年末に近く特定秘密保護法案の強行採決が行われる前後には、それを正面から詠った歌が圧倒的に多く寄せられて、心強く思ったことだった。これはどの政党を択ぶかといった政治問題以前の問題である。私たち表現に関わる者にとっては、避けて通ることのできない問題であることは言うまでもないだろう。私などには関係ない問題だと、誰もがそう思いそうになる。国家の秘密が私たち庶民の日常生活に関係あるとは、普通は思わない。しかし、今回の『特定』には歯止めが効かないところが怖ろしい。」といま私たちが生きている時代の実相について深刻に受け止めていることを明快に述べる。 
 そして、氏が年間秀歌に選んだ特定秘密保護法にかかわっての歌について触れ、「これら真剣に向き合った歌が寄せられることは心強い。しかし、マスコミも庶民も、忘れやすいことが怖い。いったんは騒いでも、すぐに覚めてしまう、あるいは飽きてしまう。どこまでこの法のもたらす影響を見つめ続ける視線を維持できるか。実は騒ぎが収まったこれからが正念場であるとも言えることなのである。」と強調している。 
 
 いま、まさに「正念場」というべき事態が、さらに危機的な政治、社会情勢が進んでいる。安倍政権とその同伴勢力がこの国、社会を戦争への道、人格権の否定と抑圧の時代に運ぼうと狂気のふるまいを続けている毎日である。原発政策もその一環である。これに立ち向かい、許さないことができるのはこの国、社会に生きている私たちの固まりしかないことを、思う。 
 詠う人々は、やはり歌い、声をあげ、なしうることを確かめなければならないと考える。 
 
 『朝日歌壇 2013一1〜12月』から、原子力詠を読んでいく。(カッコ内は、新聞掲載月日、作者、選者) 
 
 
  ◇2013年1〜4月◇ 
 
心平のカエルの冬眠●(くろまる)でヒトの原発処理は●(くろぼし) 
            (1月14日、福島市・青木崇郎 高野選) 
 
飯舘とう村通らねば生家には辿りつけない雪容赦なし 
            (1月21日、下野市・若島安子 永田選) 
 
ふるさとの友に会うのが御馳走と福島の友より賀状来ぬ 
            (1月28日、東京都・半杭螢子 高野選) 
 
名古屋にも原発事故のセシウム現(あ)るおどろきて聴く僅か(はつか)なれども 
            (2月11日、名古屋市・諏訪兼位 佐佐木選) 
 
何よりもほかほかスープが嬉しくて今日から通常給食再開 
            (2月11日、いわき市・岸本靖子 永田選) 
 
悲しみのつづきにかなしみのフクシマありふるさとに降るきさらぎの雪 
            (2月11日、福島市・美原凍子 馬場選) 
 
ふる里に無言で還る人がゐる派遣社員と言ふ名のままで 
            (2月18日、二本松市・開発廣和 永田選) 
 
被曝地にひとり覚めをる町長の義憤を知らぬ住民哀れ 
            (2月18日、いわき市・馬目弘平 佐佐木選) 
 
稼働なき原発の町に冬日さし野良猫一匹草にたはむる 
            (3月11日、福井県・大谷静子 佐佐木選) 
 
難民の「いいごどあっか」「何にもね」常套句となりて交す挨拶 
            (3月11日、福島市・泉田ミチ子 高野選) 
 
除染とや土削られて木は伐られしかれども春、三度目の春 
            (3月11日、福島市・美原凍子 馬場選) 
 
この冬はヤマガラばかり庭に来る山の除染で壊れた縄張り 
            (3月11日、福島市・澤 正宏 馬場選) 
 
薪風呂を焚きし昔に戻らんかセシウムの無き夕焼け恋いつつ 
            (3月18日、福島県・吾妻芳子 佐佐木選) 
 
仮設とう悲しき言葉日常の名詞となりて挨拶交わす 
            (3月25日、本宮市・廣川秋男 永田選) 
 
浪江から千葉に転校して来た子ら工業高校を今日巣立ちゆく 
            (3月25日、千葉市・後藤香代子 佐佐木選) 
 
避難民さまよい歩く「仮の町」仮の住人、仮の人生 
            (3月25日、横須賀市・梅田悦子 佐佐木選) 
 
放射能の検査のための漁をして競りなき市場で測定始まる 
            (4月1日、平塚市・三井せつ子 永田選) 
 
映像に向かい「逃げて」と叫びし日二年の月日春はめぐりぬ 
            (4月1日、焼津市・山本恵津子 永田選) 
 
株価のみ上昇つづけ被災地の仮設暮らしは変わらぬままに 
            (4月8日、長岡京市・田原モト子 佐佐木選) 
 
復興の道は半ばぞ仮設舎の半旗はためく3・11 
            (4月8日、二本松市・國分敏男 佐佐木選) 
 
大熊町の短歌教室は楽しかったね祐禎(ゆうてい)さんありがとうさようなら 
            (4月8日、東京都・半杭螢子 高野選) 
 
放射能物質今も流さるる海に魚の避難所はなし 
            (4月8日、平塚市・三井せつ子 馬場選) 
 
真っ白なご飯炊き上ぐるコンセントの先に原発あること悲し 
            (4月14日、横須賀市・梅田悦子 佐佐木選) 
 
セシウムに汚染といえど手賀沼は沼面に春日揺らぐ小波 
            (4月14日、我孫子市・坂谷三雄 佐佐木選) 
 
ふくしまの何に寄り添う寄り添わぬもとの生業返してほしい 
            (4月22日、二本松市・安田政幸 佐佐木選) 
 
グランドに重機の重き音響く津波被災の色なき校舎 
            (4月22日、南相馬市・深町一夫 佐佐木選) 
 
嘘といふ種には嘘の花が咲く原発事故はぺてんの如し 
            (4月22日、三郷市・岡崎正宏 佐佐木選) 
 
原発の事故はなかったことにするそんな動きがじわりと見えて 
            (4月22日、坂戸市・山崎波浪 佐佐木選) 
 
除染後の土手に草なし花のなし蓬莱町の春うら悲し 
           (4月29日、福島市・美原凍子 馬場、高野選) 
 
ヒヨドリがお椀の形に啄んだ林檎の花咲く除染待つ庭 
            (4月29日、福島市・澤 正宏 佐佐木選) 
 
穴という悲しさ除染せし土を埋めんとして庭に掘る穴 
            (4月29日、福島市・美原凍子 佐佐木選) 
 
夜の森の桜並木が開花せりテレビに映るを避難人は涙す 
            (4月29日、郡山市・昆 キミ子 高野選) 
 
公園の除染という名のバッサイは笑う思い出たちも切り落とし 
            (4月29日、いわき市・岸本靖子 永田選) 
 
削られし土はしずしず土中へと柩の如く埋められてゆく 
            (4月29日、福島市・美原凍子 永田選) 
 
 
 次回も『朝日歌壇』(2013年1〜12月)から原子力詠を読む。(つづく) 


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