2014年08月06日14時15分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201408061415513

文化

【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』(歌集『廣島』編集委員会編)を読む(1)  山崎芳彦

八月を迎ふる暦いちまいを繰る吾が指にこころ宿るも  山崎芳彦 
 
 この連載を始めて満三年の夏を迎えた。福島第一原発の壊滅事故が起きた2011年3月の事態により、原子力核放射能がもたらす被災の底しれない深刻さを改めて思ったとき、1945年8月6日の広島、同9日の長崎に原爆が投下され、言葉に言い尽くせないような無残極まりない被害を受けたこの国が、原発列島になって人間と共存できない核エネルギーに依存する社会を作り出してしまったことへの深い後悔が、その社会で平然と生きてきてしまった自分の生き様も含めて噴き出した。若かった日からその日まで、原爆について拙いながらものを書いたり、言ったりしてきたし、原発についても反対の立場をとり、何らかの行動もして来てはいたが、しかしこの国は原発列島化し、そのことを痛切にわがこととして思い続けてはいなかったことを悔いた。何が出来るのか、自問しながら出来るかもしれないことの一つとして、拙いながらも詠う者の一人であることから、原爆、原発についての短歌作品を読み、記録すること、伝えることを考えた。「核を詠う」シリーズの連載の許しを得てスタートしたのは2011年の夏だった。 
 
 今年2月に、求めていた歌集『廣島』の初版の一冊を手にすることが出来た。新宿・早稲田のある古書店に、その一冊は古色蒼然とした、危うい姿でひっそりとあった。粗雑に扱えば表紙も、中の頁も剥がれてしまいそうな状態のその一冊は、しかしこの国の歴史にとって貴重な歌集、世界で初めて原爆の投下による被害を身をもって体験し、少なくとも9年後までは生き延びた人々が、その言いようもなく理不尽な苦難、痛苦の日々のなかにあって、その生の真実を短歌表現した作品を集成した歌集である。 
 
 筆者はこの連載の中で、いくつかのアンソロジーや、個人歌集などで「原爆短歌」を読んできたが、歌集『廣島』をその原本に拠って読むことを実現したいと考えていた。 
 
 同歌集の作品については、日本図書センター発行の「日本の原爆記録」シリーズ17巻『原爆歌集・句集広島編』(栗原貞子・吉波曽死/新編、1991年5月刊)で読むことが出来たのだが、長田新氏の序文や編集委員会の跋文は収録されていなかったこともあり、初版本を入手し、この連載の中に収録したいと考えたのであった。ただ、同歌集には220名、1753首が収録されているため、連載の特別篇として、これまでの連載「核を詠う」の別枠として掲載させていただくことをお許し願いたい。(「核を詠う」のこれまでの連載は、今後も続けさせていただく。) 
 
 歌集『廣島』(昭和29年8月6日初版発行、第二書房刊)の出版に至る経緯については、編集委員会(岡本明、小倉豊文、神田三亀男、熊野喜久男、小堺吉光、島 明、清水惟明、土居貞子、豊田清史、西原忠、深川宗俊、宮田定、村上弘、山隅衛、山本康夫の15氏)による「跋」によって明らかなので、その全文を記したい。 
 
  ◇跋◇ 
  灰燼に生きて八年有半、未だ拭われずしてひしぐもの幾多の声がある。 
 この真実なる<広島の声>を歌いとどめて、より平和の招来を叫ぶことは、 
 われわれ短歌につながるものの大きな使命である。 
  茲に於て当委員会は、今回第二書房の出版企画のもと、広く一般より 
 作品を公募し、鋭意これが歌集『広島』を世に問わんとする。 
  身をもって惨禍の中に生き、言われざる悲しみと憤りを詠みつづけら 
 れる人々よ!挙って応募されんことを切望してやまない。 
 ―この公募趣意書を配布したのは、今春の一月初めであったが、意思した如く、反響は直ちに作品となって、しびれるばかり次つぎと集まってきた。 
 一方、私ども十五名の委員は何回も会合を持ち、これが作品の選考、編集方針等について話し合った。結局、寄せられた六千五百首を、一度無記名で謄写プリントに附し、これにつき銘々が幾日か慎重選歌をした。如上にしてその集計四点歌以上、二百二十名、一千七百五十三首を本集に収録するに至った。公募にあたって一人五十首以内と規定した結果、出詠歌数がまちまちで、斯様な事情も一作者の収録作品数の多寡に影響を及ぼしている。ただし、寄せられた作品への選考の眼は別として、そのビジネスに於ては公平と遺漏なきを期した積りである。 
 作品の実態について見るに、全体の比率の上で男が六〇%を占め、最高年令八十二歳、最低十八歳。職業は作者名に附記してあるが、無職、主婦、公務員、教員、工員、会社員、農業、その他の順となり各層にわたっている。とりわけ、この中に死亡者のあること、無職の中には、直接あの日の原爆症に喘ぎ苦しんでいる多くの療養者があること、また数名の受刑者の出詠も見遁してはならない。 
 今日、この呪咀すべき原爆使用を、ただ悲惨なる人間の姿、乃至は現象面で把えて歌うだけでは済まされはしない。説明の許されないままにも、この短詩型に一個のエスプリをこめ、如何に人間としての抵抗を挑んでいるか、このことが大きな本集の意義となる。而して現歌壇の夥しい所謂「作られた歌」に対して「作らずには居れなかった歌」の姿勢をとっていること、結社などに因らない一般民衆によって本作品が支えられている等の事実は、現歌壇に対しても、一つの示唆と方向を促すものではあるまいか。 
 思えば、原爆歌集の出版の念願は、ずっとお互の胸に懐きつづけられて来た。それでいていざとなると、諸事情のために見送りするの止むなきに至っていた。 
 今や、水原爆による人類滅亡のこえをすら聞く時、結集してここにヒロシマの悲しみと憎しみの一書を編み得たことは、私どもの尽きない禱りを超えた決意でもある筈だ。 
 多くの人々の営みを経た中にも、序文を賜った長田新博士、出版を引受けられた第二書房主人、並に写真制作の稲村豊氏等に、深い敬意を表するものである。 
 一九五四年、巡りくる九度の夏に   歌集『広島』編集委員会 
 
 以上が編集委員会の歌集『広島』(表紙の書名では『廣島』を使用しているが、文中では『広島』を使っている。理由はわからない。)の跋文であり、歌集出版への情熱と、合わせて丁寧に経緯を述べていて、思いが迫る。 
 
 本歌集の冒頭には、長田 新氏(『原爆の子』の編著者、広島大学名誉教授)の「原爆歌集『広島』に序して―氷はひしめきはじめた―」が書かれている。長くなるが、これも全文を記しておきたい。 
 
 ◇原爆歌集『広島』に序して―氷はひしめきはじめた― 長田 新◇ 
 この歌集『広島』の持つ特色の一つは、今広島にあるすべての歌の団体が手をつないで仲良くこの一巻を作り上げたところにある。誰れでも知っているように、おおよそ歌の団体というものは、大なれ小なれ、それぞれに皆な独自の伝統と主義と主張とを堅持して、自己の城門を閉ざして動かないのが常である。ところがそうした城門をすらすらっと開いて、互いに他の団体に対する敬と愛との情もて結集したというのは、全く驚くべきことではないか。しかも聞けば選考に当った委員の方々はいうまでもなく、顧問の先生方も、ただ名を連ねるという例のありきたりの遣り方とは違って、何回となく会合を重ねて、飽くまでも誠実にそして良心的にことを運んだという。さればこそこのような立派なものが出来上がったのだろう。 
 
 ところで私たちがこの一巻の歌集を読んで、原爆「広島の声」の一大シンフォニーに心をうたれるのは、一体どういうわけか。おそらく選考と編集のことに当った方々が、各自自己の属する団体の伝統と主義と主張とをいささかもゆるがせにせず、しかもよく互いに協調したことが、こうした偉大なシンフォニーを奏でることに成功した大きな理由ではあるまいか。この歌集を読んで私たちが決して一律単調でなく、様々な、いやあらゆる諧調音が奏でられているのを感ずるのは実際不思議なくらいだ。 
 
 この歌集に作品を寄せたのは、平生歌を専門とする先生方だけではなくて、生れて初めて歌を詠んだであろうような多くの市民の方々である。この歌集のもつ特色の一つはここにある。歌を専門とすると否なとに拘わらず、昭和二十年八月六日のあの世紀の怪物、いや鬼畜原爆を身を以て体験し、そして九年後の今まで生きながらえた人々の魂の叫びであるところ、そこにこの歌集の特色があるといっていい。周知の如く終戦後原爆に関する芸術上の種々の作品が次から次へと世に出て、私たちに感動を与えたことは事実だ。ところが考えてみると、其等数々の作品には、身を以て原爆を体験した広島市民の嘆きと悲しみ、怒りと訴え、そうしたものが、現に生き残っている私たちが感じているほど切実にそして深刻に描き出されていない。ところが今世に出るこの歌集は、生き残っている人たちが腹の底から激発奔出させるような深い感動を私たちに与えずにはおかない。実際この歌集が私たちに与える感動は、身を以て原爆を体験することもなく、ただ遠く外から眺めて筆を走らせた作家たちの作品とは根本的に違って、つぶさに惨苦をなめ、さらに九箇年の長きに亙って死生の間を生きながらえて来た広島市民の声といってよかろう。 
 
 この歌集『広島』は正に出るべくして出なかったものが、今出たのだと私は思う。しかもそれがかくも私たちに大きな感動を与えるのは、この歌集が原爆投下後九年の今日初めて世に出たからではあるまいか。確かにこの一巻の歌集には、広島市民の腹の底から奔り出る嘆きと悲しみ、怒りと訴えが、九年の歳月を経て、いぶしをかけた銀のような一箇の芸術品として結晶している。恐らく原爆投下が惹き起こした惨禍が、この九箇年の間に広島市民の嘆きと悲しみ、怒りと訴えにひそかに力を与えて、それを逞ましいものにし、そしてそれが今や大蛇のような勢で地上に躍り出たのではあるまいか。しかも私にはそれが三年前広島の二千五百のあの「原爆の子」が、たどたどしい筆で国の内と外とに訴えた「幼き神の子の声」に相呼応するかのように思われてならない。このようにして今世に出るこの歌集『広島』こそは「広島の声」として、また「原爆万葉」として広島市民が後世に残す世界史的の文化遺産といっていい。 
 
 私はまたこの歌集を「広島」と呼んだことにも感心した。というのは「ヒロシマ」とか「ひろしま」とかいっては、人々はいささか植民地的の劣等感さえ覚えるだろう。ところが、そうではなくて、敢て『広島』としたところ、そこに編者の毅然たる識見もうかがえて嬉しいと思うのは、おそらく私一人ではあるまい。 
 
 ツウィングリというあの偉大なスイスの宗教改革家は、カッぺルの戦争で傷つき、死にゆく臨終の床で、「人間の肉体は破壊出来ても、人間の魂は破壊出来ない」と叫んだとか。二十四万七千の広島市民の肉体は、あの原爆で瞬く間に灰燼に帰したが、広島市民の魂は破壊されなかった。その魂の息吹きが歌集『広島』の各行間に惻々と聞えてくるではないか。これこそ地下に眠る二十四万七千の亡き霊に対するこよなき供養といっていい。亡き霊もきっと地下で感謝の微笑を浮べるだろう。思えば土や銅で造った記念碑はわずか千年も経たないうちに、きっと腐って倒れてしまう。ところがこの歌集『広島』は永劫不朽の記念碑として、とこしえに人類の胸を打たずにいないだろう。 
 
 最後に私はこうして今世に出る歌集『広島』を第一集として、第二集第三集と巻を重ねて、恐らく広島の多くの市民が筐底に蔵しているであろうところの数々の歌を整理し編集して、後世に残されることを人道と平和のために望んでやまない。実際この歌集『広島』で、氷はひしめきはじめたではないか。 
  昭和二十九年六月廿六日、広島にて。 
 
 今回は、歌集『広島』の、編集委員会の跋文と、長田新氏の序文を読み、次回から作品を読んでいくことにしたいが、これまで原爆、原発にかかわって詠われた作品を読んできて、また、現在直面している安倍政権による平和、民主主義の根幹を様々な手法で傷つけ、破壊していることを考えるとき、この歌集『広島』を読み、作品を後世に残す一つの道として、この連載がささやかにでも意味を持つことを願いたいと考えている。 
 「特別篇」の次回から歌集『広島』の作品を読み、記録していきたい。 
                           (つづく) 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。