2014年09月13日13時23分掲載  無料記事
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中東

9月13日 アラファト議長とラビン首相が握手した日 オスロ合意から21年

  イタリアのジャーナリスト、ヴィットリオ・ズッコーニ(Vittorio Zucconi)氏が、ツイッターでPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長とイスラエルのラビン首相がワシントンDCで手を握ったのが今日、(1993年の)9月13日だったと回想している。その前月、1993年8月20日、ノルウェーのオスロでイスラエルとパレスチナの交渉が締結されたため「オスロ合意」と呼ばれている。しかし、オスロでのイスラエルとPLOの交渉は極秘で行われていた。 
 
  そこで9月13日、ワシントンDCでビル・クリントン米大統領が二人の間に入って記念写真を撮影した。この日、公の場でオスロ合意を世界に向けてアピールしたのである。交渉文書にサインをしたのがモハメド・アッバス氏、現在のパレスチナ自治政府大統領である。 
 
 「オスロ合意」ではその第一条に協定の目的が記載されている。イェール大学の資料によるものである。 
 
Article 1  AIM OF THE NEGOTIATIONS(目的) 
 
The aim of the Israeli Palestinian negotiations within the current Middle East peace process is, among other things, to establish a Palestinian Interim Self-Government Authority, the elected Council, (the "Council") for the Palestinian people in the West Bank and the Gaza Strip, for a transitional period not exceeding five years, leading to a permanent settlement based on Security Council Resolutions 242 and 338. 
 
 「イスラエルとパレスチナの交渉の目的は第一義的にパレスチナの自治政府を設立し、またウエストバンクとガザにおいて選挙による議会を設けることである。そして5年以内に国連安否理決議242と338に基づく恒久的な紛争解決につなげること」 
 
  PLOはイスラエルを国家として承認すると同時に、イスラエル側はパレスチナの自治政府の設置を認め、ジェリコやガザから撤退し、パレスチナ自治政府と恒久的な紛争解決に向けて踏み出す、というものだった。 
  ところが、オスロ合意の立役者だったラビン首相が暗殺されてしまう。オスロ合意から21年。あの日生まれた赤ちゃんはもう成人迎えている。 
 
  以下は筆者が2009年8月に日刊ベリタに寄稿したものから。この時、ヒラリー・クリントンが米国務長官だった。ヒラリーがパレスチナのウエストバンクを訪問したことについて、ニューヨークタイムズの政治コラムニスト、ロジャー・コーエンのコラムの紹介である。 
 
 「4月27日のコラムではヒラリー・クリントン米国務長官がパレスチナのウエストバンクを訪問し、その惨状に驚いたことに触れています。クリントンは今後、イスラエルとの交渉テーブルに穏健派のファタハだけでなくハマスも招く構想を持っていると言います。 
  これまでハマスはイスラエル国家の存在を否定していますが、クリントンはハマスを招く条件を3つ掲げていると紹介しています。その3つとは 
(1)暴力の放棄 
(2)イスラエルの存在を認める 
(3)過去の締結事項を守る 
 
  コーエンはハマス抜きに交渉ができると考えるのは誤りだと考えています。ハマスとファタハ双方を交渉当事者にしようと試みる、今回のアメリカの外交方針の変化を歓迎しています。 
 
  一方、イスラエルのネタニヤフ首相側近はイランの核開発と中東へのイランの影響力拡大を米国が阻止しない限り、パレスチナとの交渉のテーブルにはつかないとワシントンポストで発言。コーエンはこの発言に触れつつ、クリントンがイランに「制裁」をちらつかせるのは外交的に間違いだと述べています。その理由をコーエンは2つ挙げます。 
 
(1)イランにはすでに米国との交渉の準備があること、 
(2)イランが全体主義国家でないこと。 
 
  コーエンはイランを敵にするより味方につけたほうがはるかにパレスチナ問題の解決につながるという考えです。この16年間、マドリード、オスロ、アナポリスでの合意が成果を上げていない理由はイランを交渉の場からはずしたことが原因だとコーエンは明言します。」 
 
  あれから5年がたち、イランは昨年秋、米軍による空爆の脅しとと経済封鎖による激しいインフレの中で、タカ派からハト派に転じることになった。ヒラリー・クリントン氏は来年初頭、2016年の大統領選に出るかどうかを決めると発言しているとされるが、米国内での報道では大統領候補の筆頭に扱われている。最近のガザに対するイスラエルの激しい攻撃を見ると、クリントン国務長官(当時)がハマスに「暴力の放棄」を求めているのは奇妙な印象がある。しかし、ハマスは暴力を放棄していないし、イスラエルを国家として認めていない。イスラエルを国家承認しないのであればオスロ合意以前に戻ってしまい、結局武力闘争以外なくなるだろう。 
 
  もしヒラリー・クリントン氏が米大統領となった場合、ハマスとファタハ(およびイラン?)がイスラエルとの交渉の席に着くのだろうか?クリントン氏のパレスチナ訪問から5年後の今、シリアのアサド政権は「アラブの春」で縛られ、イランはハト派の政権に変更した。(シリアもイランもレバノンのイスラム原理主義武装勢力ヒズボラとガザを実効支配するハマスを支援してきた)エジプトも世俗派で軍出身のシーシ氏が大統領となった。パレスチナの武闘派であるハマスに対する包囲網は、単にイスラエルの戦闘だけでなく、もっと大きな枠組みで着々と進められてきた感がある。 
 
 
<オスロ合意> 
■Israel-Palestine Liberation Organization Agreement : 1993 
http://avalon.law.yale.edu/20th_century/isrplo.asp 
■Text: 1993 Declaration of Principles 
http://news.bbc.co.uk/2/hi/in_depth/middle_east/israel_and_the_palestinians/key_documents/1682727.stm 
 
■イタリアのレプブリカ紙のズッコーニ氏のブログ 
http://zucconi.blogautore.repubblica.it/ 
■シャロン元首相の追悼記事 2 〜領土問題〜 1949年の線をどうするか 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201401150226203 
■シャロン元首相の追悼記事 〜なぜリクード党から中道政党にシフトしたのか?〜 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201401140415252 


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