2014年09月18日23時01分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(5) 「眼醒むれば恐れつつ診る我が肌に斑点未だなし勤めに出づる」 山崎芳彦

 今読み続けている歌集『廣島』に収録されている作品は原爆被爆後9年を経た時点で一般公募により寄せられた6500首の中から選歌された1753首なのだが、被爆直後の体験をそのままに詠った作品が多く、また生き残っての苦難の生活、原爆に対する怒り、さらに将来への不安や、平和への願い、ビキニ環礁における米国の水爆実験による漁民の被曝問題などについても、作者にとって終わりのない「原爆被爆体験」、生き残った被爆者の思いを、隠すことなく写し、短歌表現している。この歌集が世に出るまでの9年間、原爆の真実は、米軍占領統治下にあって、厳しいプレスコードに抑え込まれた期間もあり、被爆者の実相は明らかにされず、したがって被爆者医療も困難を極め、国の対策も貧困な状況が続いた。 
 
 昭和44年(1969年)8月6日に出版された『被爆者とともに―続広島原爆医療史―』という一巻がある。財団法人広島原爆傷害対策協議会の発行によるもので、同書の編集には、自ら被爆負傷しながら被爆者救護活動に携わり、広島の医療界の先頭にたって活動した松坂義正博士(広島県医師会長)をはじめ広島の多くの医療従事者が編集者としてあたった。 
 同書は、「まえがき」で、「私たちはこの(原爆投下による)惨状を身を以て体験し、負傷をおして直ちに第一線に立って被爆者救護の任に当りましたが、当時の惨状は終生忘れることのできないものであります。・・・このような体験を通じて、原子爆弾がどのような威力を持っていたか、そのため被爆者はどのような障害を蒙ったか、またその医療はどのように行われてきたか、その後、国はどのような施策を行ってきたか、さらに最近の核兵器をめぐる世界の情勢など・・・原爆被災の歴史の一つとして後世に残して置きたい・・・」と書いている。同書の中に「占領行政と被爆障害者」の項が立てられているが、1945年9月にGHQの発したプレスコードについて「新聞やラジオなどの報道のみでなく、その他あらゆる刊行物に対しても適用されるもので、・・・広島の原爆被爆者に関する報道にも見られ・・・被害の状況やその後の被爆者の症状などの報道にも眼を光らせ、それが特に生命に関する医学上の学術的発表にまで制限が加えられたのは、何としても遺憾なことであった。」と記されている。さらに、昭和20年11月30日、原子爆弾災害調査特別委員会の第一回各科連合会議総会が東京で開かれたとき、GHQの担当者が「連合軍は、日本人が原爆研究の成果を発表することは許可しない方針である」と述べ、「発表禁止の中に医学研究も含まれるのか」という質問に「そうだ」と答えたのに対し、都築正男博士が「人命に関する医学上の問題について研究を禁止することは人道上許しがたい」と追及し、激しい議論が行われ、物別れになったことなどの経過も記録されているが、原爆被爆障害に関する医学的研究や発表がGHQの圧迫を受け、身体・健康上の医療・治療にとって厳しい状況が続いたことが示されている。 
 
 そのような状況のもと、原爆症に苦しむ被爆者は「占領行政下にあっては原爆問題は表立って論議することもできず、ひそかに適宜な対症療法で一時しのぎをせざるを得なかった。・・・医師も被爆者もただ天を仰いで嘆息するのみで文字通り原爆被爆障害者暗黒の六年であった。」と『原爆医療史』は記している。また、「「占領行政時代は原爆傷害の問題はほとんど占領軍とABCCの支配を受け、米原子力委員会が表明したように『広島・長崎の生存者は世界で原爆の洗礼を受けた唯一の集団であるから、原爆障害者委員会の医学的調査は科学者にとっても、米国の軍部及び民間の防衛計画にとっても重要である。』という軍事的、政治的意図にもとづく基本方針により、ABCCと日本政府が集団被爆市民を調査した幾多の資料は、将来の核戦争に備えて核爆弾による人類の障害やその防衛に対する貴重な資料となっているものと思われる。しかしながら、病床に苦しむ多くの被爆市民にとって直接的な恩恵とはならなかった。」とも記述している。 
 
 そのような中で、原爆被爆の苦難に満ちた、死と生の実相を短歌作品によって表現した果実をいま読んでいるわけだが、これほどの人間の苦しみを招いたのは何故なのか、このような事態に至った歴史の教訓について欺瞞を重ねて、戦争への道を突き進んだこの国の軍国主義、侵略主義の歴史を肯定することになる道を、私たちは認めるわけにはいかないと改めて強く思うのである。いま、この国で権力者たちが進めている戦争する国への路線というべき「壊憲」の野望、閣議決定によって人々の希望や願いを踏みにじり、軍事力の強化、兵器産業を後押しする施策、社会のあり方や人びとの生活を自衛の名のもとに規制する制度の「整備」、集団的自衛権・集団的安全保障の名によるこの国の在り方を対外的に広める「外交戦略」、「仮想敵国」を作り出そうとする排外主義的な「愛国主義」感情の醸成のための戦略・・・が進められつつある現状を肯定、黙視するわけにはいかない。 
 歌集『廣島』を読みながら、考えている。 
 
 ◇神田三龜夫 技師◇ 
太幹の竹にすがりゆき黒焦げの人は悶絶の瞬間立てり 
川岸に守宮(やもり)の如く累累と黒焦げの皮膚をさらして死ねり 
ズロースのひも一すじに手をかけし形に死にし少女もありき 
死していま蓮田(はすだ)の水に顔伏せて皮膚引きずりし若き足見す 
ちりぢりに焼けてなびける蓮田(はちすだ)の蔭に重なり少年ら死す 
まつ先に運ばれきたる一団は毛布おほはれし兵にてありき 
てらてらと皮膚なき背を灼ける陽よトラツクは幾たりか又おろし去る 
うつ伏してもだえ苦しむ頭髪も焼けてあとなき乙女の声ぞ 
ローソクの炎に死顔照しつつ並ぶ異形(いぎやう)に友を探せり 
黒焦げの皮膚につけたる白パンツ死の数時間まへ便所にゆきし 
五体みな焼け崩れたる人の声いまだ若きは乙女なるらし 
ローソクの灯りの中に死に近き黒焦げの顔を莚に置けり 
息絶えて恐怖つげなくなりし顔抱きて敵機のとどろきに耐ゆ 
ローソクを消せとおののきもだえつつ低き敵機に狂へる叫び 
ししむらはことごとく焼け高声にうめきをりしも今朝は死にたり 
黒焦げの皮膚に敷きたる菰莚(こもむしろ)死にては上にかぶせ替へゆく 
幾本かマッチをすりし滓(かす)ちれり死体となりし少女のめぐり 
部屋隅に水を求めて止まぬ子に飲めば死ぬると制止いくたび 
焼豚の如く死にたる子の唇(くち)に水与へゐしその母も死せり 
一夜さに死にたるをつぎつぎと運び去る朝より蝉の鳴きしきる庭 
夜にまぎれ水を求めて庭井戸に水汲みあへず死に落ちしあり 
いや果てのうめき満ちゐる部屋いでていきどほろしく庭の蝉追ふ 
吐き棄てし血へどに唇にくろぐろと瞬時見ぬ間に蠅むらがれる 
眼窩より溢れし蛆は知覚なき顔面を這へり人より強く 
夜も昼も死体離れぬ蠅のむれ持ちゆく蠟の火に死ぬもあり 
ずるむげの皮膚包みゆく油紙余燼熱くして油臭は強し 
トタンたたく音かしましき広島の焼け果てし駅に降り立ちにけり 
大いなるビルヂング全く焼け果てて窓際に見ゆる向うの空が 
焼け跡の街に来てすむ野のひばり鳴くをききゐて和みくるもの 
焦土に生ひし草むら冬枯れて雨ほそぼそと降り昏れにけり 
ケロイドの厚き唇手ミシンの針に近づけて生きる乙女あり 
ずるむげの背中にできし皮の底蛆わくといふ少女の詩あり 
 
 ◇木浦節子 事務員◇ 
九年を病めると言へる娘のあはれ発育不良で幼児の如くに 
回想は突きはなされるものでなしケロイドの顔寒くうづくとふ 
反逆を我にむけしか怒号して調査ことわる老人に真向ふ 
貧血の文字を十五も記入して原爆調査の今日を終れり 
生きをれば貴女の如き娘のありとケロイドの顔に涙して黙す 
貧困に生きるひがみか原爆の調査に行けばことわられたり 
原爆にあひし服の色あせたれどいとたんねんに今日もたたみぬ 
ただ黙し歩調をあはせて帰路につく原爆調査で疲れし友と 
人に早や忘れられんとする原爆の一つの跡に足をとどめぬ 
手をのばし猫があくびする深夜にてカードに記入す瘢痕攣縮(しやうこんれんしゆく) 
熱線による火傷とインクでは書けどその有様の口には言へず 
ひそと生く「白内障」翁を訪へば信仰の事等語りてくれぬ 
二坪のバラツクに生きる人調べ白血病と記入して来る 
原爆の調べ行ひ貧困にあへぐ人見ぬケロイドを見ぬ 
被爆地水主町と書く人のなし生ある人に一度逢ひたく 
学徒なり昭和七年生と書く原爆調査の名簿に多く 
修羅場の如き広島過去にしてジャズとネオンの我が視野にあり 
肺病める患者を訪へばクレゾールきつく匂へりこだはりて居る 
 
 ◇北川 勇 教員◇ 
水錆し砲車ぶざまに散らばれりほしいままなる夏草の繁みに 
吹きとびし硝子の破片めいりたる柱のきず痕に手を触れてみつ 
焼跡を掘りゐし男大いなる水がめ出でしを背負ひて去りぬ 
熱線に面(おも)やかれたる一瞬を鏡になげく一生(ひとよ)なるべし 
 
 ◇北村白静 教員◇ 
広島より着きたる汽車に茫然とよごれし兵が唯一人をり 
原爆に父母のなき疎開児が泣きつつ叔父につれられてゆく 
朝より暑き日照れり閃光の起きるかも知れぬ錯覚があり 
石段に坐りゐし影は薄れつつ軍備可否論の時世となれり 
平和式典何あやしまず行はれ教員組合は赤と云はるる 
吉田首相新国軍の訓示をし広島市は平和記念式典をする 
 
 ◇金原繁美 孤児院嘱託◇ 
消毒の薬なければ夏の日の生身の傷に蛆の涌く見ゆ 
弱りゆき細りゆくなりをちこちに水請ふ声す母呼ぶ声す 
妻の引く荷車に我載せられて生くる希望と自信持ちたり 
 
 ◇久保静代 無職◇ 
やうやくに逃れ来りて焼けし身にわづかの水をむさぼり浴びたり 
原爆の傷痕ありて病む友は蒲団の中に鏡を秘せり 
 
 ◇国岡圭子 無職◇ 
停車場に着くごとすでに息たえし人は手荒く降されて行く 
むしろよりはみ出でし兵はけとばされすぐには何も云へずうつ向く 
原爆の皮傷は消えず「焼きつけ」とあだ名呼ばれつ顔はかくせず 
 
 ◇熊野喜久男 工員◇ 
夜となればびんた打たるる兵舎にて知らざりき原爆に死にゆきし母 
閃光受けし足瘉えぬ父遠く来て涙もろくなりぬ子のわが前に 
兵として出づる日泣きし母なりき原爆に死にて夢に顕ちくる 
母の骨あまりにとぼしくいくたびも焦土のなかを通ひ来たりぬ 
埋蔵せし半ばは型なき土の中二枚の皿が一つになり居り 
焼けただれし土を掘りつつながく居り少年の日の賞牌(メダル)得むため 
ビルのみの残れる焦土夕焼に皆一様に染まりゐる壁 
瓦礫よりややよき瓦集めては小屋に住むべく人らかへり来ぬ 
借りものの雨傘差して工場通ふわれより貧しく濡れゆく人あり 
大根など切り混ぜ今日も粥つくるわが部屋原爆にかたむきしまま 
爆心地に遠くなりまた住みつきぬ鉄塔が清潔に空を截る下 
来たる日もくる日も職場につながれて視野狭くなるとき再軍備の声 
街なかの人群れる中に君を見きますます痩せて平和説く声 
爆風にくづれし石の沈みゐるこの川祭り花火打ちつぐ 
原爆に母死なしめしわれに対ひ戦争やむを得ずとは何を言ふ 
ひつそりと花売りて居り寄りくれば日傘の陰にケロイドの主婦 
原爆にひび割れし墓石の間来て小さしここに母は眠れる 
日雇の主婦ら帰りゆく爆心地デモに加はりゐし顔に出遇ひぬ 
原爆の日が区切りにて堕ちし君未来持つなし路次深く住む 
原爆ドームにカメラを持ちし人ら来て空洞にひびく瓦礫踏む音 
日本人また痛められ還り来ぬビキニの海よりケロイド持ちて 
底ごもる怒りとなりて燃えてゆく落日のとき赤き爆心地 
 
 ◇黒田秀実 教員◇ 
風呂敷に芋をひろげてひさぎゐる男の片面ケロイド著(しる)き 
幼ければ素直に母(かあ)ちやん返してと原爆の子の手記に綴れる 
沈黙は共犯なりと繰返し長田先生決意のべさす 
『ひろしま』の開演待てる列の中ケロイド覆ひし乙女もありぬ 
出演者証しつかりと手に試写会の受付けに立つ日雇労働者 
亡霊の如くさまよひ逃げまどふ女子学生の半裸の一群 
火の迫る梁の下敷の妻を捨て泣き叫びゐし声を忘れず 
進み出て徴兵反対の署名せりもはやためらふ時にあらずと 
「ヒロシマ」を伝ふる声さへ危険視すその根源を今ぞみきはむ 
反戦を誓ふ教師のスローガン広島県庁の構内を行く 
ニコヨンのトラツク濡れつつ過ぎ行きぬ白じろと寒き平和大橋 
 
 ◇桑田章治 公務員◇ 
眼つむれば死屍累累と浮ぶなる川土手にして土筆生えたり 
瓦礫ちり見るかげあらぬこの街によべはかかりて朧なる月 
酸鼻極めし記憶はすでにはるかなるものの如くに蛙子の声 
戦はでここに果てたる兵幾万その数の中に郷土部隊あり 
他に生くるみちは知らざる女(をみな)らがあらはのさまを夜の街に見き 
いまだかも瓦礫積まれし街の晴れ遠足の子の声はずみゆく 
百米道路とならむ草叢に月夜更くれば冴ゆる虫が音 
 
 ◇桑原 忠 会社員◇ 
轟音に我が気附くとき身は既に棟木梁(むなぎはり)柱に圧へられゐき 
畜生畜生と叫びつつ倒れし兵舎より這ひ出でし記憶がかすかにありぬ 
可部街道に逃げむとふ殿納軍曹も絶えず頭より血が噴きてをり 
いづべに逃げむあてなく血まみれの群集につきてただ走りゐき 
衣服焦げて裸身あらはに歩む主婦ら脱れゆく我の前にも後にも 
ひたひよりめくれし皮膚をぶらさげて走り来るああ三條校生徒等 
大粒の黒き雨降れば血にまみれし我等濡れつつ呆然と居り 
血糊つきし眼鏡ぬぐふ眼下にわが居りし街燃えさかりつつ 
竹藪の中幼らが次次に死にてゆく見つつ何もしてやれず 
危ふかりし命保ちて日の暮となりにし山に蝉は鳴き出づ 
命生きてゆふべ三滝の山畑に焦げし南瓜を探し食らひき 
漸くに昏るる広島の空を染めて燃ゆる火いよよ赤くなりゆく 
傷つきて臥りし山に夜をこめて八月六日の虫鳴きてをり 
わが背(せな)にささりゐるガラス破片とるすべもなく山の一夜明け難し 
燃え止まぬ街を見下す山の上にひと夜は明けぬひぐらしの声 
国泰寺の焼けし樟木(くすのき)芽ぐむにも想ひなまなまし昨日のごとく 
 
 ◇小阪茂子 主婦◇ 
おしの子が盲の親の手を引きて逃げまどひきぬ火の海の中 
 
 ◇小堺吉光 公務員◇ 
銃捨てて還り来し吾れあてもなく焦土を踏めば一歩一歩悲し 
ひろしまは焦土と化せしもの陰に夕めし炊けば一人(ひとり)なるなり 
焼原に呆然として佇ちをればかかはりはなく星かがやけり 
生きてゐる人間一人ここにゐて朝ともなればうがひするなり 
育ち来る生命(いのち)もあれよしんしんと焼土の上に夜は月照る 
石塀の下敷のまま骨ありて紅き着物が焼け残りたる 
焼跡に散らばりながら白骨がそのままあれば今日も見て通る 
鉄兜拾ひ来りてそこばくの骨を入れたり埋めむとして 
頭から水槽に突つこみたるままの遺骨が今は崩るるらしき 
爆風に倒れしままの墓石にてたそがるる頃四角に白し 
バラツクに父は焚火を守りたり痩せたる足を二つに折りて 
焼け錆びし兵隊の剣(けん)拾ひしがすでに吾が身にかかはりもなし 
広島には七十五年間住めぬと言ふ海の彼方の恫愒的なこゑ 
焼原に転れるもの草がくれミシン扇風機などが錆びつつ 
半眼(はんがん)の濡れて居給ふみ仏よ焦土の草に拾ひあぐれば 
焦土いま春霞むなり人間の営み絶えし四方(よも)のひそけさ 
漠然と春は来りて過ぎゆかむ生きながらへゐるのみの日日 
頭骸骨転りてゐるところにて道は曲がれり曲がりて歩む 
廃れたる焼あとの池雨ためてこの夏の蚊が生まれつつあり 
戦争に敗れし吾ら焼あとに名ばかり生きてなほ住みゆかむ 
 
 ◇小谷阿貴子 無職◇ 
ただ一つ形見の品は何なれや焼跡よりの櫛の切はし 
 
 ◇小谷郷治 郵便局員◇ 
原爆に一家眷族失ひし寄辺なき身の孤児もあはれぞ 
永遠(とこしへ)にアトムのみ霊安かれと安置仏舎利拝(おろが)みまつる 
 
 ◇小日向定次郎 元大学教授◇ 
川沿ひの堤に畑にうづくまり人物言はず火の手見て居り 
川向ひのそこに彼処に火の手あがり牛田の町は焼けつつあるらし 
自転車にすがりて歩む戸坂(へさか)過ぎ口田(くちた)をさせば二里の道なり 
口田村のとつつきの家に辿りつき盥(たらひ)を借りて手と顔を拭く 
顔も掌も朱(あけ)に染まりて哭(ね)に泣きてたたら踏み居し隣家の少女 
水源地の土手の木かげにうづくまり劫火見はるかし死なんと思ひし 
 
 ◇小森正美 商業◇ 
満潮(みちしほ)の橋脚にひたと喰縋る噴血の中の瞳を見たり 
死の道を無感覚のまま逃ぐ電柱の尖頭いづれも火を噴きて居り 
妻も子も弟も我も繰返し生きあることの喜びに泣く 
生きの身を火にて焼かれし幾万の恨み広島の天にさまよふ 
体験もなき国人の集りて原爆禁止の議真剣ならず 
原爆の責任裁判あつて良し戦勝国に罪無しとは人道にあらず 
 
 ◇小山綾夫 医師◇ 
燃ゆるもの燃え尽したる広島を悄然とゆく人影いくつ 
火の海をここまでのがれ斃れたる老婆の肩に犬喰ひし跡 
斃れ居て収容されし女学生の顔焼け爛れゐて脚のみ美し 
勤労奉仕の鉢巻しめし黒髪の落つるを見れば焼けて居にけり 
苦しみに堪ゆる事のみ教へられ斯くは静かに死してゆきしか 
斑点の現るれば死すてふ事何時しかに広島人の常識となる 
帰り来れば隣の人の我を待つ今日斑点の数多出しと云ふ 
幾回も繰返し数へし白血球数千に足らざれば患者に云はず 
火傷して馬鈴薯の皮のごと剥げてゐし友の顔今日いたく腫れ誰とし分たず 
夜に入りて寒さに叫ぶ火傷者に着せむものとて何一つなく 
一日の薬品消費の眼に立ちぬおびただしき患者に幾日保つべき 
幾日保つ当もなく乏しき材料に患者の治療を今日も終へたり 
繃帯を換へんとガーゼ取る肉に蛆おびただしくうごめきてをり 
衛生材料配給交渉に我は行く炎天に眼くらみ冷たき汗して 
幾日かの睡眠不足の後なれば炎天を来て知る体力の衰へ 
白血球減るとし知らば我が気力衰へぬべし己のは調べず 
眼醒むれば恐れつつ診る我が肌に斑点未だなし勤めに出づる 
無傷なる看護婦二人帰り来ぬ傷なき人は逞しきかな 
髪抜けて斑点出でし患者等のもろく死に行きて恐怖をそそる  (つづく) 


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