2014年10月02日23時42分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(6) 「傷一つなき友なれど放射能の悪気を吸ひてさみしく逝きぬ」 山崎芳彦

 1945年8月6日午前8時15分、B・29爆撃機エノラ・ゲイが広島市の中心部の相生橋を目標に投下したウラン原爆“リトルボーイ”が爆発した。原爆によって破壊され消滅するその時の様子をエノラ・ゲイの操縦士ポール・ティベッツは「巨大な紫色のキノコ雲がすでにわれわれの高度より約5000メートル高い1万3500メートルまで立ち上り、おどろおどろしい生き物のようにまだ湧き上がっていた。しかし、さらに凄まじかったのは眼下の光景だった。いたるところから炎が上がり、熱いタールが泡立つように煙がもくもく立ち上がった。」と語った。彼は、また別の機会に「ダンテが我々と一緒に機上にいたとしたら、彼は戦慄を覚えたことだろう。ほんの数分前に朝日を浴びてはっきりと見えた町が、いまはぼんやりとした醜い染みにしか見えないのだ。町はこのおそるべき煙と炎の下に消滅してしまっていた。」とも語った。(『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』、早川書房刊) 
 
 アメリカの映画監督・映画プロデューサー、脚本家であり、映画「ブラトーン」、「JFK」、「ウォールストリート」など数多くの社会派作品で知られるオリバー・ストーン氏が、2013年8月に共著者の歴史学者ピーター・カズニック教授と共に『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』(2012年制作の映像作品)がNHK―BS1で放送され、また早川書房から同名の書三巻が刊行されたのを機に来日し、広島・長崎の原爆追悼式典に参加し、沖縄にも訪れオスプレイ配備問題で揺れる基地の視察をするなど精力的に動き、さまざまな発言をして注目されたことは記憶に新しいが、筆者はその早川書房刊の本を読み、特にその第一巻「二つの世界大戦と原爆投下」を興味深く読んだ。前記の部分は同書の中の「第4章 原子爆弾―凡人の悲劇」から抽いたのだが、広島への原爆投下の「身の毛のよだつような情景」を生々しく伝える、エノラ・ゲイに同行した、原爆爆発の被害調査のための観測機(爆撃機「グレート・アーティスト」)に乗っていた無電技師エイブ・スピッツアーの文章をも孫引きしておく。被爆した人々からは見ることが出来なかった、原爆爆発とそのことによって生じた情景を、原爆投下に直接携わった人間がどのように見たのか。 
 
「眼下には見えるかぎり巨大な火災が広がっていたが、それは普通の火災とは違った。炎は見たこともないような10色以上の色彩を帯び、どの色も目をあけていられぬほどまぶしかった。もっともまぶしく光る中心には、太陽より大きそうな火の玉があった。それはまるで太陽が空からわれわれの下の地面まで落ちてしまい、再びこちらに向かってまっしぐらに―そしてすばやく―上ろうとしているかのようだった。 
 同時に、火の玉は市全体を覆うように外側にも広がり、どの方向を見てもその炎は薄い灰色の太い煙の柱になかば覆われていた。煙は市街地を囲む丘陵地帯に向かって外側に膨れ、信じがたい速度でわれわれに迫ってきた。 
 またしても機が揺れた。巨大な鉄砲―大砲かカノン砲―があらゆる方向からわれわれめがけて発射されているかのような音がした。 
 やがて紫色の光は青緑に変わり、緑はわずかに黄味を帯びていた。太陽が転げ落ちたような眼下の火の玉は立ち上る煙を追いかけ、目にもとまらぬ速度でこちらに向かってくるように見えた。そのときには、われわれもかつて街があった場所を離れようとしていたが、追ってくる煙の速度には追いつけなかった。 
 突然、われわれの右手に煙の柱が現われ、あとでわかったところによるとその煙は推定約1万5000メートルの高さまで上りつづけた。それは巨大な柱が上に行くにしたがって細くなり、成層圏まで延びているかのようだった。科学者が後日教えてくれたところによると、この煙の柱は地上6・5キロメートル、先端で直径2・4キロメートル以上あったという。 
 私が呆けたようにこの眺めに見入るなか、煙は薄い灰色、茶色、さらに琥珀色へと色を変え、その三色すべてが混じり合ってまばゆく湧き上がる虹になった。ほんの一瞬、煙の勢いも止まったかと思われたが、そう考える間もないうちに、煙の柱の先端からキノコの傘のような雲が現われ、1万8000メートルから2万1000メートルとも言われる高さにまで上っていった。・・・煙の柱全体がほとばしるように渦巻き、キノコの傘のような先端部分は大海の荒波のように四方に広がっていった。(以下略)」 
 
 長い引用になったが、その時間がどれほどであったかは述べられていない。 
 
 この引用の後にオリバー・ストーンは記している。 
 「地上の眺めは、これとはまるで異なっており、地獄絵図さながらだった。爆心地では、温度が3000度にも達し、火の玉によって『人々は内臓が煮えたぎり、一瞬のうちに黒焦げの塊になって燻りつづけた』。何万人もの人が瞬時に落命した。その年が終わるまでに推定十四万人、一九五〇年までに二十万人が死亡した。アメリカの公式発表は、三二四二人の日本兵が死んだのみというものであった。・・・怪我や火傷を負った生存者は激痛に苛まれた。被爆者はこれを地獄の苦しみと言った。体がひどく焼けただれ、裸同然の姿で、骨から皮膚が垂れさがった人々で通りが埋め尽くされた。負傷の手当を請う人、家族を探す人、迫り来る炎から逃げまどう人は、歩む足を宙で止めた姿のまま黒焦げになった死者の体につまづくこともしばしばだった。」彼は歌集『廣島』を読んだのであろうか、と思える記述である。彼はこのあとに峠三吉の詩「八月六日」の一部を掲載している。 
 
 オリバー・ストーンとピーター・クズニック共著の『オリバーが語るもうひとつのアメリカ史』の中の、原爆投下時の光景の部分の記録だけを引用したが、同書の原爆投下に関するアメリカの支配者の動向や原爆開発にかかわった学者などの意図や動きにかかわる、多くの資料を駆使しての厳しく批判的な歴史的考察・検証は、一読に値すると思う。彼は、アメリカの原爆使用に対して厳しく批判する。 
 私たちは、アメリカの原爆使用を招いた日本の当時の絶対的権力・支配者の行為の非道、誤りについて厳しく検証し、今日の安倍政権下の政治状況の危うさを認識し、戦争への道を許さない、また原発再稼働を許さない、死の商人国家になることを許さない決意と行動に力を尽くさなければならないと、改めて思う。歌集『廣島』は、過去の記録文学にとどまるものではないと思う。3・11福島第一原発事故の実態とその及ぼしている底知れない被災の深刻さ、それにもかかわらず原発の再稼働に向かい、海外輸出を進めている現状。そのことが、集団的自衛権の行使容認・集団安全保障への踏み込み、憲法の解釈による破壊、武器輸出や共同開発の道を開く政策決定、これから出てくるであろう自衛行動の名による国民の基本的権利の侵害法制度、秘密保護法の乱用、言論・報道の自由に対するさまざまな手法での侵害と規制、教育に対するさらに強い政治介入、経済成長至上主義のもとでの労働法制の改悪・・・そして憲法改悪と軍事力の強化、仮想敵国を作っての「自衛」戦力の拡大増強と一体であることは、現在の政府とその同調勢力の本質である。 
 
 そう考えれば、歌集『廣島』の作品は、現在と未来につながる、つなげなければならない短歌作品として、読んで、記録していきたい。そう考えて、「特別篇」として読んでいる。作品をどう読むか、作品の訴え(詠うとは、訴えることだろう)をどう受け止めるか、過去のことではないだろう。 
 
 
 ◇河野淑子 主婦◇ 
こと切れし母とも知らずその乳をまさぐるよこの盲ひたる児は 
幽霊か死の行列か半裸全裸人間襤褸の列が続きぬ 
倒れたる家の隙間ゆ出で来たり児は何も識らず這ひ廻り居ぬ 
をちこちに死体処理する幾百の煙が今日も空に漂ふ 
 
 ◇河野富江 無職◇ 
生ける身のままをやかれしその苦痛が吾のからだに直につたはる 
帰りこぬ子らをもとめてさまよへる三日の間に父老いませり 
やけただれ丸木のごとくならびたる人の死のむれ忘るる日なし 
しかばねをしとどに雨はぬらしつつそのまま今日もくれてゆきたり 
友の家ありしあたりの崖くづれ白くちらばる陶器のかけら 
御便殿の敷石のみが陽をかへす桜を見んとのぼり来たれば 
うら若き面(おもて)に残る傷(いたみ)ゆゑ君がひとみは暗き影もつ 
 
 ◇佐々木猪三夫 受刑者◇ 
炭骸に腰をかけてゐる労働者が原爆の一瞬をくどく語りて腕をめくりてみせる 
膿だらだら胡瓜などはまにあはず牛のくそを貼った俺の腕を見ろ今も臭がする 
壊れた電車を掴んだ黒仏の眼がぐわっとむき出て睨んでゐる 
ふぬけ馬も人間も濡れて血へど吐き焼土の砂を噛んで死んでいつたよ 
俺を責めるなピカドンで家も金も失ひ是より外に道はないと指を曲げて睨む友 
 
 ◇佐々木克己 銀行員◇ 
ボロのごと火傷の皮膚は垂れ下がりなす術もなくさまよふ少年 
郡部へと続く国道にトラックは負傷者を載せて次次発てり 
とぼとぼと国道添ひて帰る我真夏の陽光が火傷にしみぬ 
上半身繃帯されて救助所を出づればまぶし夏の陽は燃ゆ 
繃帯に化膿せし色もにじみ出づ部屋一杯に腐臭放ちて 
長崎にも原爆落ちしと母は云ひて憤怒の影が一座にきざす 
暴行に備へて婦女子など疎開させよと町の有志歩きぬ 
馬鈴薯や胡瓜などもすりつけし火傷に効くと勧めらるまま 
銀行の入社試問にケロイドは医師の診るごと穿ち聴かるる 
 
 ◇佐々木美枝 教員◇ 
セーラーの女学生が二人神の如く御墓によりてこと切れ居りし 
傷一つなき友なれど放射能の悪気を吸ひてさみしく逝きぬ 
「ビキニ灰」の報道に広島のは最も幼稚と記しあるを読む 
枯れしとのみ思ひし廃墟の大樟が小さき青き芽をのぞけ居り 
夏草の茂れる中に細細と道はありけり広島城址 
 
 ◇佐々木豊 無職◇ 
連れて行くあてもなければ負傷者を見てみぬふりして我は通りぬ 
刺青の四十男が炎天の橋に転べり息も絶えだえに 
天地の音みな絶えし心地して焼けたる街の橋に憩へり 
トラツクよりはふられし死体がゴムの如弾むはまともにみて居れず 
なげ降す死体をみつめトラツクの運転手の顔に表情もなし 
明らかに不感症となりし我らにて一つ一つの死顔をのぞく 
ま黒き顔して黙黙と動くなり炎天下死骸を運ぶ人達 
トラツクに運ばれて来しなきがらの山は片端から油かけ焼かる 
死体焼く作業隊に声もなく憑れし如く油かけ火をつける 
焼原の街の太陽が赤曇る死骸を焼けば泣くが如くに 
死かばねにつまづきかけしこともあり憑れし如く焼跡歩みて 
名はおろかせいべつさへもわかぬまま死骸は積まれ無造作に焼かる 
無造作に殺されし人を無造作にかき集めきて榾火にふすかも 
くすぶりてまだ熱ければ地下足袋に水をかけかけ焼跡歩きぬ 
水槽にこつぽり入りて息絶えし将校の軍刀はや錆もてり 
練兵場に来れば兵らが銃剣道の防具のままに転び死に居り 
粘土細工の如き人骨あり焼け果てて鉄板と変りし電車の中に 
幼児を背負ひしままに焼死せし人骨ありぬ焼けし電車に 
セーラー服の乙女らひしと抱き合ひて壕内にそのまま死にて居るなり 
抱き合ひかばひ合ひたる少女らを容赦なく火焔が焼きしなるらむ 
焼跡にくだけし蛇口は水吹きてまはりに人ら重なり死にたり 
くすぶりて黒くなりたる福屋ぬち軍人ばかりが収容されゐつ 
暗がりに中将の衿章光らせて人形の如く軍人が坐し居る 
戦ひに勝たねばならぬとあはれあはれ皮膚の剥けし火傷者が呻く 
銃剣をギラリ光らし我が行く手に警備の兵が立ちふさがりぬ 
無傷にて逃げ帰り来し友なりしが三日を出でず血を吐き死にぬ 
療養法こまごま語る保健婦は袖の下にケロイドかくせり 
戦犯者をいまだひとやに縛ぎゐて図図しくも再軍備せよといふ 
 
 ◇佐藤房子 主婦◇ 
違(たが)ふなく妹なりき焼けただれ屍となれど脚に傷あり 
いまはには母を吾れを恋ひつらむ現身(うつしみ)わが手に妹を抱く 
現身に汝が好みし桃なりき食してくれよと皮むく母は 
 
 ◇斎藤哲子 無職◇ 
教へ児ら畑耕せるたまゆらに閃光過ぎて地鳴りとどろく 
傷つきし人帰りくを伝ふれば駅に行き待つ吾も村人も 
朝健けく村発((た)ちし娘(こ)の火炎あび面膨れ衣裂けて帰り来(く) 
広島より帰らぬ村の幾人を伝ふれば寝ねがたし兵の君思ひ 
惻惻と迫る不安と夕闇と広島の空二夜を焦げる 
崩れたる街に棲み来て不幸なる人の満つれば安らふべきか 
雨もやふ爆心地の宵をきらめけるネオンを見つつ生きたしと思ふ 
飲みさわぐ料亭のありひつそりと隣るバラツクの灯小さし 
 
 ◇崎本繁一 工員◇ 
平和への誓ひ祈りて壇上に原爆乙女は涙してたつ 
武器生産のニユーススクリーンに写る時吾が身を包むなまぐさき風 
がたがたとゆれ行く市電の窓越しにドームの赤錆し鉄塔の見ゆ 
崩れしまま八年を風雨にうたれたる壁には青青と草など生えぬ 
崩れたる瓦礫踏みしめ佇つ時に新しき怒りがふつふつ湧き来る 
被爆者といふ人ドームのそば近く絵葉書など売りて生活(たつき)たてをり 
傾いたバラツク家屋にも横文字のけばけばしい看板がかかつてゐる街 
米兵の靴磨きつつ物乞ひする老婆の姿が日本の姿であつてはならぬ 
水を求むる人らの群で広島の河といふ河の流れがしばらく止まつたままだ 
 
 ◇清水惟明 会社員◇ 
八月六日の朝(あした)機体を輝かせB29呉沙沙宇山をめぐゐたりき 
落下傘屋根沿ひに流るしばらくを友等は逃ぐる防空壕へ 
打ち伏せたるたまゆらあかしまなうらを過ぐる閃光は何の兵器ぞ 
汝が住まむあたり忽ち火群(ほむら)なし屋並つぎつぎ崩れゆきたり 
帰り来る子を尋(と)め夫求(と)め父索(もと)め村人ら沿道に涙ぐみたつ 
路ばたの板かげに臥して火に剥(は)げし四肢なぐ裸群うめきを発(た)てず 
わが渇きに耐へてそそげる水筒の水にかそけく笑み湛へ死す 
たよりゐしものみな崩ると云ふ意識異様ににうす黝く我をつらぬく 
報道機関すべて言告げずをののきの一夜は明けて人死につげり 
工員の大半は死に傷つけり残存学徒にて作る手榴弾 
相いだき若き母子はこときれぬ夏陽きびしき流木の上 
流れなき疎水をうづめ浮く屍(むくろ)肥大せる恥部が陽を仰ぎ居り 
余燼なほあがれるあたり屍体処理かなはねば人ら陽を浴びて立つ 
よろよろと兵衣裂けたる群れ来たる陽は没(お)ち屍臭よどむ駅跡 
痩せ細る身は夏の陽に投げ曝しひとり突堤の石に横たふ 
ロダン彫る物思(も)ふ像を描き居り拠り処なく無蓋車に頭(づ)かかへつつ 
朝鮮より帰りし童(わらべ)襤褸まとひ屍(かばね)の如く睡る無蓋車 
幾千のいのちのみたる川の面施餓鬼の燈籠つらなりながる 
家族(うから)死にし地を公園となす作業寡婦凍空(いてぞら)に川砂運ぶ 
 
 ◇清水信晃 高校学生◇ 
天(あま)の国夜川に送る燈籠(とうろう)の花火上りつ灯かげただよふ 
 
 ◇品川楊村 会社員◇ 
六年前わが眼に見たりし原子雲ネバダ州にて湧きゐるといふ 
原子爆弾に傾きし家が支へ棒に支へられあり今年は鯉幟立ちて 
三十五歳の吾に母あり生きのびて病むわが足を洗ひてくれぬ 
アメリカ機窓を過ぎゆく病室にわがむく蜜柑は吾の自由にて 
国体が広島にて盛大に催され病むわれがすする卵の値上る 
生きをれば奇蹟がなきにしもあらず割りし卵に黄味二つあり 
武器積みし貨車過ぎてゆく遮断機の前に黙して吾等は立てり 
七年前原子雲湧きしあたりにて開く花火を病室より見る 
赤赤と没りゆく夕陽にま対へば枯野の果ての街は平たし 
この土地に競輪場の開かれてわが病む窓にアドバルーン見ゆ 
蒲鉾型のモダン建築わが窓に見え何に役立つアメリカ原爆被害研究所 
 
 ◇島 昭 教員◇ 
爆心の廃屋にひとと来りけり今日のこころも傷つきやすく 
廃屋の亀裂すさまじきひとところ没日の光しばし漂ふ 
汗たりて暑に喘ぎつつ道ゆけば街炎上の日を想ひ出づ 
この夏も人為の無謀責むるがに空紅(くれなゐ)の夕映がつづく 
卒然と神は去りしよ夏いくたび天に焼かるる想ひは消えじ 
西へ行く飛機編隊に慄へゐる向日葵(ひまはり)よいつわが方(かた)を向く 
夏の草は秋に伸びゐて城跡に朱(あけ)極まりし仏桑華咲く 
残照に舞ひたちてゆく街塵は音もなくして血の色なしぬ 
死臭すでに失せし廃墟(あれあと)さまよひぬ郷愁なく希望なく今日に関り 
対立し殺戮の具を造りゆく間(ま)をたもちゐてもろき平和よ 
この平和の保たるる期(ご)を恋ひをれば瞼に空は青く濡れつつ 
ひずみあるままに微笑交すとき風がむなしく今日を裂きゆく 
銀色に光る砂丘よ、殺戮に出てゆく兵らを女よ 追ふな 
視野に入る「嘘八百の神神」は死灰の丘に金色(こんじき)に冷え 
原爆火傷(ケロイド)の腕いっぱいに花を抱きぼくを無視して笑みき少女は 
焼跡に鈍く朝霧たちこめて「バッヂ」得るべくミサにゆく群 
わりわりと鼻梁剥(そ)ぎゆくメスありて眥(まなじり)に咲く黄金(きん)の向日葵(ひまはり) 
夏深野(なつふかの)。蓬蓬(おほどれ)の間(ま)を思ひ来、―極まればかの平和 祈(こ)ひ禱(の)む 
遠雷を怖しと娘子(をとめ)貌埋む。凝りゆく わが胸のひらたく 
憑(たの)めりし人の尽(ことごと)―ほろびたり。かく思ひ 陽(ひ)を 頭(づ)に浴びゐたる 
 
 ◇島本鳴石 理髪師◇ 
行く限り原爆の死者またいでは我子さがしに日は暮れにけり 
 
 ◇正田蓉子 事務員◇ 
あれあれと我を指さす銭湯で湯気を求めつさまよひ歩きぬ 
                            (つづく) 


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