2014年10月16日23時12分掲載  無料記事
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文化

「鶴彬ってだれ?」 抵抗する17文字 永田浩三さんのお話 笠原真弓

 高円寺南9条の会主催の「鶴彬ってだれ?亅に行く。なるほど、権力に楯突いて自説を曲げずに17音字の川柳に世の中の理不尽を吐いていった鶴彬である。9条の会が、言論が弾圧されそうになっている今の時期に、取り上げるのは的を射ていると一人納得して、出かけることにした。プログラムは映画「鶴彬 こころの軌跡亅と永田浩三さんのお話で、映画の方は、一度見たので、軽い気持ちだった。ところが、この映画がよかった。 
 
 以前に見てから5年ほど経ち、秘密保護法やら集団的自衛権などときな臭くなったし、労働現場もまるで鶴彬の時代と同じようで、戦前の「使用人」感覚、下手すると、奴隷労働に逆戻りしている感のあるこの頃だからか、あるいは、先日鶴彬の故郷を訪ね、鶴彬を身近に感じるようになったからか、いや、両方だろう。思わず知らず、鶴彬の気持ちに入り込んで見てしまった。 
 
 永田さんは、川柳は笑いと共感の文学であると規定し、レイバーネット川柳班が編纂した2冊の川柳句集『ガツンと一句』と『原発川柳句集』さらに、近年の川柳出版界の動向にふれ、川柳に託して今の世の中を切り取り、さらに食い込んでいくことが、求められているのではないかということだった。 
 
◆鶴彬・抵抗する17文字 
 
 まず、「タマ除けを産めよ殖やせよ勲章をやろう」を作った1937年は、死の前年の作品で盧溝橋事件があり、日中戦争へと進んでいった。同じく南京大虐殺があったのも、この年である。そんな時勢の中で、鶴彬は本質を射抜いて容赦なく、穴を穿っていったと指摘する。 
 
 そのあと、1924年15歳の時に初めて世に問うた作品から、1937年の死の前年の遺作までを取り上げた。ここには、そのいくつかを取り上げる。 
 
弱きものよより弱きを虐げる (1924年) 
 
 じわじわと不穏な雰囲気が広がってきていて対華21箇条の要求を突きつけている。 
 
仏像を爪(つま)んで見ると軽かった (1925年) 
 
 鶴彬の育った北陸は、親鸞の浄土真宗の国で、何句か仏は助けてくないという主旨の句を残している。 
 
めらめらと燃ゆは焔か空間か (1926年) 
 
 大逆事件があり、そのあとに作らた謀反の川柳である。 
 
働けばうずいてならぬ……のあと (1935年) 
 
 この……は、本人自らが伏字にしたものという。当時、あからさまな性描写は伏字にされたが、この句は、本人が伏字にしているところに意味がある。「拷問」という語句が入るのかもしれない。 
 
母国掠め盗った国の歴史を復習する (1936年) 
 
 鶴彬は、一時期日雇いとして朝鮮人労働者とともに働いたことがある。その為にリアリティーを持って、日本が植民地政策として彼国に課してきた政策を厳しく批判している。 
 
 他にもいくつかの句の解説とともに当時の世相をリンクさせ、彼の思想のありようが語られ、聴く者に浸透していくのを感じた。 
 
 最後に、鶴彬が最初に世に問うた2句に戻って、 
 
燐寸の棒の燃焼にも似た生命(いのち)  (1925年) 
 
静かな夜口笛の消える淋しさよ  (1925年) 
 
 は、15歳の時の作品にもかかわらず、まるで鶴彬本人の人生を言い当てているようだと指摘した。 
 
◆治安維持法の時代 
 
 その後、1918年から1943年の宗教者の獄死までの、治安維持法をめぐる時代的検証を行った。 
 国際的には、第1次世界大戦後、英米主導になっていた。国内では、富山から始まった米騒動に端を発して、民本主義や社会主義、農民・女性・部落などの運動が広がった。ところが、1923年の関東大震災があった6日後の9月7日には、治安維持令がだされ、朝鮮人虐殺事件が起きたのである。その、治安維持令が後の治安維持法の原型になり、さまざまな人々が、獄に繋がれる。その中で、鶴彬も命を落とすことになったと。 
 お話を伺いながら、私たちが直面しているこの時代の危うさを、ひしひしと感じた。 
 
物言えぬ社会を川柳で穿つ 
 
 最後に投げかけたのは、「天下の悪法である治安維持法を廃止し、思想犯の解放をしたのは、日本人ではなく、GHQの命令だった。市民の手で行われなかった。そのことを、しっかりと考えてみたい。日高六郎さんが言っていたが、フランスだったら、敗戦(戦争終了)と同時に、市民がバスティーユに駆けつけて開放したであろう」と。 
 
 折しもさいたま市の図書館で起きた俳句「梅雨空に九条守れと女性デモ」の掲載中止事件や、A新聞の誤報を巡って他のマスメディアが叩き続けている現状。それは1930年代と同じで、今後モノが言えない雰囲気を作り、お上の意向を忖度して本当のことを言わない社会を作っていくだろう。そういう時代だからこそ、今、川柳の「ユーモア」「諧謔」が求められると、締めくくった。 
 
マスクして人の流れを逆に行く 
 
 この川柳の作者、永田暁風さんは関西で活躍されている方で、永田浩三さんの伯父さんに当たる方だとか。永田浩三さんご本人も作句をなさったらとお誘いしたが……。 


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