2014年12月05日23時02分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(168) 小島恒久歌集『原子野』の原子力詠を読む(2) 「原爆祈念館の奥にひそまる死没者名簿わが名もやがて此処に記されむ」 山崎芳彦

 小島恒久さんの歌集『原子野』を前回に続いて読ませていただくが、今回で終る。この歌集は、2005年11月に上梓されたのだが、集中には「原子炉被曝」と題した原発にかかわっての作品5首がおさめられている。長崎の原爆被爆者である作者は、歌集名に示されるように原爆が投下された時の状況を短歌表現し、自らの被爆体験、被爆後遺症の苦難、そして被爆の半世紀後に癌を発症して原爆症認定を受けたことを作品にしている。原爆に被爆し、「生き残ったものの義務として、原爆について詠み継いでいく」という作者は、自らの体験をふまえて、ビキニの死の灰による第五福竜丸の被災、イラク戦争での劣化ウラン弾、そして原発についても詠っている。 
 
 この連載ですでに読んだ第二歌集『晩祷』には福島第一原発事故をテーマにした深く鋭い視点からの25首があったが、この第一歌集には5首が収載されて、原発労働者の放射線被曝、原発事故への危惧が詠われている。 
 もっと多くの原発詠が福島の原発事故以前に詠われていたものから収載されたのだと思いながら読んだ。労働者の被曝、電力企業の利益第一の効率至上主義による大事故への危惧を詠っていて鋭い。 
 
 ところで、小島さんのこの第一歌集上梓は79歳になってだから、決して早くはなかった。18歳の頃から短歌をはじめ、原爆被爆の体験後も学生時代に精力的に短歌と関り、歌会への参加、アララギ派の歌誌への出詠、自らが編集・発行人となっての九州大学の文芸雑誌の「九大文学」の復刊などの活動を行った経歴を考えると、遅すぎるともいえるのだが、それは小島さんが経済学者として、さらに労働運動をはじめ社会運動に深くかかわり、経済学者としての研究と、社会活動の両面で大きな役割を担ってきたことによる。短歌を始めてから今日に至るまでの間には、40年に及ぶ長い「中断」があった。氏は、「四十年という空白は長すぎた、という後悔は今も消えることはない。」と述懐しているが、しかし、原爆体験については「歌うべきものを歳月が熟成させてきたようにも思う。」ともいうのである。 
 さらに、筆者はこの40年の小島さんの生きてきた道の確かさや豊かさ、被爆体験を根っこに据えたであろう生きる志、経済学者として、社会運動家としての貴重な役割を果たしてきたその生きざまが、歌人としての小島さんの作品に息づいて、読む者に多くのことを伝え、学ばせているのだと思う。小島さんが著した数多くの経済学や労働運動に関する著書に、筆者は残念ながら接したことはないのだが、その書名(『日本経済近現代の歩み』、『日本の労働運動 激動の100年史』、『働く女性百年の歩み』、『日本資本主義論争史』、『日本資本主義と労働者』、『向坂逸郎その人と思想』、その他多数)からも感ずることが多い。その著書群と、短歌作品は、小島さんの生きてきた姿勢、持ち続けた志を表していて無関係ではないのだと思う。 
 
 小島さんの歌集を読みながら、その作品群のテーマの豊かさ、詠う対象の広さと深さ、表現を支える人としての力、そして作品全体に通底する小島さんの志のありように深く感動する。 
 その中の原子力詠を読んできているのだが、今回で終ることになる。 
 
 
 ◇長崎の灯◇ 
われ若く原爆浴びし長崎に世紀越す夜を送らむと来ぬ 
 
世紀逝く日を長崎に伴ひて孫に見せゆくわが被爆地を 
 
爆心園に反核行進行くを見る世紀終る日を孫と連れ立ちて 
 
被爆の跡めぐり写真を撮(と)るたびに幼き孫はVサインする 
 
眼下の灯にこの街をなめし火を思ひて覚めをり世紀逝く夜を 
 
モラルなき技術の進歩に血ぬられし世紀と後の代は評さむか 
 
 ◇第五福竜丸◇ 
かく粗末なる木造船にて遠洋を航(ゆ)き核浴びしか福竜丸は 
 
この狭き艙(さう)に雑魚(ざこ)寝して久保山さんらは遠くビキニに鮪を追ひしか 
 
乗組員の病症日誌読みゆけばわが被爆後の日がよみがへる 
 
「被爆者は私を最後に」と久保山さんの碑福竜丸を背に核の世を問ふ 
 
久保山さん逝きて五十年その愛でしピースの薔薇咲く福竜丸の辺に 
 
福竜丸展示館出し木の蔭に汚染まぐろの小さき塚立つ 
 
 ◇9・11テロ(抄)◇ 
瓦礫の街にうから探して貼るビラを見ればよみがへる被爆の焼野が 
 
爆心地と同じ名にテロの跡地を呼ぶ原爆の非を認めざる国が (グラウンド・ゼロ) 
 
原発にもしテロあればと総毛立つわれの核浴びしかの日思ひて 
 
 ◇丸木美術館◇ 
故郷(くに)に似るこの都幾(とき)川の辺に原爆図一生描きて丸木は逝きしか 
 
位里は「流流」俊は「輪廻」の一生と言ふ原爆図画きし身を顧みて 
 
丸木美術館めぐれば立ちくるかの夏のわが見し原子野逝きしわが友 
 
丸木美術館めぐりたかぶる眼にやさし木の間に光る都幾の流れの 
 
 ◇ベトナム行(抄)◇ 
原爆の非を認めざりしアメリカは枯葉剤の罪も償ふことなし 
 
 ◇イラク戦―誤爆に泣く子(抄)◇ 
被爆者はわれを最後にと願ひ来しにウラン弾が生まむ新たなヒバク 
 
劣化ウランに病み臥すイラクの子らを見ればよみがへるわが被爆後の日々 
 
 ◇長崎原爆忌◇ 
核の脅威ことにも増せるこの夏を孫と連れ立つわが被爆地に 
 
心に残る僅かでもあれと爆心園にて孫に語りぬわが被爆体験 
 
被爆者の頭蓋骨付く鉄帽を息のみて見る孫よ忘るな 
 
被爆の子の灼けし飯入る弁当箱を同じ中二の孫が見つむる 
 
原爆祈念館の奥にひそまる死没者名簿わが名もやがて此処に記されむ 
 
被爆者が手話にて語る平和の誓ひ聞きし後空し総理の式辞 
 
水やれば死ぬと乞ふ水与へざりし悔いを秘め見守る万灯流しを 
 
原爆忌を報ずる記事の隅小さく原爆孤老の自死が載りゐる 
 
原爆を投じし呵責(かしやく)に少佐イーザリ自殺未遂と犯罪重ねき 
 
共に被爆の級友なれど日本の加害展示をめぐり意見分かるる 
 
原爆の風化は今や人ごとならずわが被爆の記憶も淡くなりきぬ 
 
 ◇サダコの折鶴◇ 
折鶴を焼かれしサダコの像の辺に監視カメラの据うるかなしむ 
 
週ごとの血液検査値親にも秘しサダコの書きゐしわら半紙遺る 
 
親は子を子は親を捜し被爆後の校舎に書きし伝言残る 
 
被爆直後の地下室に子を生ましめて命絶えたる産婆ありにき 
 
「過ちは繰返しませぬ」と誓ひし国が劣化ウラン弾持つと言ふ嗚呼 
 
ダモクレスの剣下を回るこの星か四万発の核弾頭を抱く 
 
 ◇原子炉被曝◇ 
原子炉点検渡り歩きて被曝量限界を超し解雇となりぬ 
 
閉山後ここ去り原発に働きしが被曝者となり病み帰り来ぬ 
 
「もんじゆ」「ふげん」と称ふる驕り咎(とが)むがに原子炉の事故相次ぐ若狭 
 
効率至上の手抜きが大事故生む様をいくど見来しかこの度もまた 
 
臨界事故死の症状聞けばまざまざとわが被爆後の日々の立ち来る 
 
 ◇被爆校の桜◇ 
子を友を亡き師を悼み被爆校に桜咲き満つ折鶴を抱き 
 
友を探し焦土さまよひ原爆に灼けし人を輓馬を見し日忘れず 
 
烏群れ被爆遺体の眼をつつくあはれも見たり友探す野に 
 
遠近(をちこち)に死屍焼く原子野さまよひて友探し得ず暮れしかの日か 
 
救護所とは名のみ医薬もなき板の間にすべなく見守りぬ次々と逝くを 
 
空き缶に汲み来し水を被爆死の母に飲ませむとするああ幼児ゐき 
 
原爆は人を選ばず連合軍捕虜も死にたりこの収容所にて 
 
救援列車待つ間にも逝く人のあり仮救護所の駅暑かりき 
 
「初期防火、火傷に注意、壕内待避」新型爆弾への内務省指示ああ 
 
友の引くリヤカーに夜半を運ばれて手術受けしは被爆の翌春 
 
仮病院の小学校舎に灯は暗く麻酔も効かぬ手術なりにき 
 
肺病みて丙種ながらも原爆に遭ひしこの身が喜寿迎ふとは 
 
原爆症認定勝訴よろこびしに国は控訴せり怒りつつ逝く 
 
 
 小島恒久さんの原子力詠は今回で終るが、次回からは福島市在住の歌人、波汐国芳さんの歌集『渚のピアノ』の原子力詠を読む。今年、平成26年3月に刊行された波汐さんの最新歌集である。この連載の中で、波汐さんの福島原発事故以後の多くの作品を読んできているが、『渚のピアノ』について作者は、「この一巻は現在における私の呼吸そのもの」と語っている歌集であり、福島に生きる歌人の「呼吸」のありようを読み取りたい。 
                            (つづく) 


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