2015年01月29日13時44分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(13) 「復興を伝へてゆけど身のめぐりに原爆犠牲者困窮のさま」 山崎芳彦

 「わたしは、ABCCに半殺しにされたことがあるんですよ。思っただけでも腹が立つ。原爆を落したうえに被爆者をモルモットにするアメリカ。原爆が落とされるもとになった戦争を始めた日本の国は何もわたしらのためにしてくれない。わたしが貧血や体の具合が悪くて寝込んでいた時にABCCの人が、検査をすれば病気の原因がわかるからいうて自動車で迎えに来るんです。いやだ言うても三日も続けて来るんで断り切れず、血をとらない、病名を知らせる、薬を出すという約束で行ったんです。ところが検査室に行くと、血はとられる、いろいろ聞かれたり検査をされたり、立っているのもつらいほどだった。そして平気な顔で、血を入れ替えてやろうかなんていう。薬もない。挙句の果てに歩けないほど参っているわたしを、広島駅まで来て置いていきおった。」 
 
 筆者は、歌集『廣島』を読みながら、40年近く以前に、原爆被爆者を取材してのルポルタージュを書くために広島を訪れたときのことを思い起こすことが多い。以前にも、この連載の中で少し触れたこともあったが、この時の数日間の取材の記憶は今も生々しく、そして筆者のその後の来し方を責められる思いに悩まされもする。原爆、核にかかわって何をしてきたのかと。一つのルポを書いただけだった。 
 冒頭に記したのは、その取材の時に出会った年老いた女性のことばの一端だ。「ABCCで検査を受け、脊髄から液を抜かれたりして半年間も寝込んでしまった。掛けあうと、『ここは治療をするところではない。医療費は出すから近所の医師に見てもらえ』といわれたが、医療費も全額は出なかった。」と語ってくれた人もいた。ABCCに対する怒りの声は多かった。 
 
 これらの言葉を思い起こしたのは、最近、公益財団法人・放射線影響研究所(放影研、日米共同研究機関)のホームページで「わかりやすい放射線と健康の科学」(改訂第2版、2013年11月、初版は2008年7月)なるパンフレットに接したことがきっかけだった。さらに言えば、その前に厚生労働省のホームページで「原爆放射線について」などの広報文を読んだことでもある。放影研にせよ、厚労省にせよ、昨年から原発事故にかかわっての「放射線安全神話」の流布に積極的に取り組んでいて、それは広島、長崎の原爆被害についての「調査・研究・広報」や核被爆者対策の行政につながって、ほぼ一体だからである。 
 
 核被曝問題に長い間積極的に取り組み、「被曝隠し」の陰謀について明らかにし、核放射線の危険の本質を明らかにしている研究者の一人である矢ケ崎克馬氏はその著書『隠された被爆』(新日本出版社刊)の中で、広島平和資料館がABCCについて紹介している文章について、 
「原爆の人体への影響を長期的に調べるため、1947年(昭和22年)にABCC(原爆傷害調査委員会)が広島・長崎両市に設けられました。1951年(昭和26年)、市内比治山(広島)の高台に移り本格的な施設が整いましたが、市民からは『研究、調査するだけで治療行為をしない』とその活動方針を批判する声もありました。1975年(昭和50年)に日米対等で管理運営されることになり、(財)放射線影響研究所(RERF)として改組されました。」とあることを記したうえで、矢ケ崎氏は「ABCC、放影研の行った“米核戦略化の業務”の人道にもとる行為」として 
(1)被爆者をモルモット扱いにしたアメリカ政府の人道上許すことができない“犯罪的行為”は、核兵器を他の大量虐殺兵器と区別させないためであること。 
(2)ICRP(国際放射線防護委員会)勧告から内部被曝を削除する措置と連携して、世界初で最大規模の「被爆人体実験(原爆投下)」の統計処理から内部被曝の指標を排除してデータ処理を行い、アメリカの核戦略を気付き難いものにしたこと。 
(3)放射性降下物による内部被曝を隠蔽して2km以遠の紛れもない被爆者を「非被爆者」として扱うことによって、2km以内の被爆者の健康障害・死亡を過小評価して見せ、「原因確率論」等を正当化し、放射性降下物の被曝による内部被曝を隠蔽するだけでなく被曝全体を過小評価させたこと。 
を指摘している。 
 
 この指摘は、このようなABCCや放影研などの「調査・研究」の内容が国の原爆被爆者認定の基準を不当なものにする根拠になってきたし、いま、原発事故による放射能被害を隠蔽し「放射線安全神話」宣伝の根拠にもされていることを厳しく指弾する内容でもある。 
 
 福島原発事故以後、特に事故後3年目に入ったころから「放射線安全神話」を流布する政府広報や原子力村発のキャンペーンが、福島の被曝地からの避難者の早期帰還促進、「福島復興」の取り組みに向けて住民の放射能に対する不安を「やわらげる」ための、科学的な装いを施した情報発信、「本籍、現住所原子力村」の学者や研究者、自治体関係者などを動員しての地域説明会、相談会などによる「説明」が、多額の政府予算を使って展開されてきている。 
 その情報、リスクコミュニケーションの資料やプログラムは、先に挙げた厚生省ホームページの「原爆放射線について」、放影研の「わかりやすい放射線と健康の科学」、そして政府関係省庁がまとめた「放射線リスクに関する基礎的情報」に沿うものであり、その淵源をたどればABCC、放影研、ICRPその他の広島・長崎の被爆者を対象とした隠蔽と歪曲に満ちた「調査・研究データ」、原子力ムラ所属研究者・学者・ジャーナリストらの言説を踏襲して、それらを「わかりやすく」、意図を持って単純化した内容である。福島県民健康調査によるデータの恣意的なミスリードも行っていると指摘される内容も含む。 
 
 ここでその内容について詳細に触れることはできないが、共通しているのは、「自然由来の放射線の中で被曝しながら人は生きている」、「医療などに放射線が活用され、それによる被曝も避けられない」ことをまず前面に出し、原爆による被爆についての健康被害・死亡の過小評価や内部被曝の無視、さらに原発による放射線被曝による被害の一面化と健康障害との関連の否定・・・が根幹になっている。自然由来の放射線(といっても核実験や世界的な原発稼働による放射線の影響もあるはずだが)、あるいはコントロールや選択可能な医療行為による放射線の被曝と、戦争行為としての核兵器による被爆、犯罪というべき原発事故による被曝を、「放射線の影響」としてひとくくりにすることの、おぞましいというべき「放射線安全神話」の創作は許しがたいと思う。 
 
 一例だが、厚生省の「原爆放射線について」では、「日常生活で受ける放射線」「自然に浴びる放射線」についての意図的に雑駁な項目を掲げて放射線被曝量を示したうえで、「原爆の初期放射線は、爆心地から遠くなるほど減少し、長崎では爆心地から3.5km付近で1.0ミリシーベルトにまで減少しました。これより遠距離においては、人が日常生活で受ける放射線よりも少なかったことになります。胸のレントゲン写真を撮ったときに受ける被曝線量は、爆心地から4.0km付近の被曝線量と同じくらいということになります。」と解説している。 
 そして広島、長崎の原爆放射線の「線量と影響について」と題した爆心地からの距離による線量を図にして、たとえば爆心地から⒊〜3.5キロメートル地点では「一般公衆の線量限界(年間)1.0ミリシーベルト」あるいは2.5〜3キロメートル地点では「胸のCTスキャン一回による被爆と同じ6.9ミリシーベルト」などと示している。そして、放射性降下物、黒い雨などによる被爆についての説明は全くないし、残留放射線の影響についての過小評価を行っている。これらは被爆者認定にも関係する内容である。 
 
 このような姿勢をとり続けているこの国の原子力政策の下で、原爆被爆者はどのような死と生を強いられて来たのか、そして原発事故による被災者はもとより原発列島復帰への道を進める政府・大企業・原子力関係機関やそれに協力する学者・研究者・技術者が跋扈する社会に生きる人々はどのような現在と未来を生きなければならないのか、歌集『廣島』はかつてを詠い語っているだけではないと、思う。引き続いて作品を読もう。 
 
 
 ◇催栂蕾陝ゞ軌◇ 
驚きて起ちしたまゆら爆風に建具もろとも吹きとばさるる 
帰り来ぬ吾子を探して火の海と化しし広島に妻は出で行く 
吾子探して出でし妻さへ帰らねば病む身幾度か夜の門に佇つ 
吾子探し行きにし妻の出でしまま已に二日を音沙汰もなし 
吾子探し行きにし妻の悄然と帰り来つああ望み断たれぬ 
帰り来し妻は答へず泣き伏して抱ける小箱をわれに差出す 
一人児と愛しみ来し我が健史今日この小箱に入りて帰れる 
蓋とれば小箱に白き数片の小さき骨よわが健史なる 
亡き吾子を嘆き泣くらむ老妻のねやの嗚咽をききつつ眠らず 
吾子を喪くして老いゆく吾は療院に妻は職場に生命守りつつ 
いけにへと果てしわが子の生命なり高く鳴らしめ広島の鐘 
 
 ◇松村松風 鉄道職員◇ 
心より愉しと思ふ日もなくて爆傷の身の歳を重ねる 
原爆に逝きしはらからいとしみつ今日の斜陽のあかき寂しさ 
ひたひ髪美しき看護婦淋しらに注射打つなりわがケロイドに 
病窓に夕焼赤くうつろひて原爆病に暮るるわびしさ 
しみじみと湧くさみしさよ爆死児の小さき位牌に灯をともしつつ 
さくら散る夕べ亡き児を偲びつつはるけくなりし想ひ侘びしむ 
朝な見る亡き児の遺髪変らぬにわが老いづきし皺手かなしも 
亡き児恋ふて眠れぬままに覚めて居り虫の声にも縋る思ひす 
汗拭きつつ出勤簿捺す列にあり生き残る身の老いの生きざま 
爆死せるはらからと会ふ日を祈り今日の一日も暮れて夜となる 
原爆に闇肥りせる彼らいま爆傷われらをうとみ奢れる 
原爆の新聞記事も切りためる今は詮なきことと知りつつ 
 
 ◇松村 巧 無職◇ 
全身の火傷に逝きし母焼くと昏れゆく畑にトタン板敷く 
原爆をここにうけしか亡き母の荷車焦げて橋のたもとに 
爆心地近くの道を放射能恐れつつ日日自転車にて急ぐ 
寒き日の食事はかなし原爆にしびれし手より箸が又落つ 
原子病に八年経て尚斃るといふ我も死ぬかも知れぬ被爆者 
 
 ◇丸山鶴松 療養者◇ 
原爆に肉親皆を死なしめて個室の君は八年を臥す 
カリエスにて附添婦つけ臥す僚友(とも)は癒えざるケロイド顔に残して 
火に追はれ太田川にと来し子等は重なり合ひて水飲みて死す 
 
 ◇満足 栄 船員◇ 
新爆弾投下に広島壊滅と息せき言ふも疑心いや増す 
原子弾爆ぜし広島の妻子らの安否に執し俘虜として生く 
我が汽車は己斐を過ぎたり都心地の展くるにつれて廃墟ひろごる 
原爆の火傷につりし頬の肉の哀しきさまを見する少女よ 
 
 ◇三浦春雄 工員◇ 
視野を遮ぎる一物もなき吾が街を原子砂漠と人は呼びなす 
手を握り焦土の中で別れたりそれより戦友(とも)に逢ふこともなく 
蓋とれば芋粥の湯気吸はれゆく焼けしトタンを張りし隙間に 
この街にも爆死せる友の名がありき暮れゆく車窓に焼跡続く 
日傭婦昼の休みをまどゐゐぬ供養塔の下真夏陽の蔭 
避難せし広島城跡の樹の幹に更に逃れる行方彫りてあり 
うしろより自転車の荷台に立ちて見る「原爆の子」のロケは雨降る場面 
見学する女生徒の前に肌ぬぎて原爆一号の声かすれゐる 
ケロイドを気にして休む少女あり運動会の日は朝より晴れて 
運動会に出たがらぬ少女袖長きシヤツに隠してケロイドをもつ 
原爆で受けし眉間の傷の痕婚期おくれて君は嫁げり 
ケロイドの処女が席をゆづりけり碧き瞳の子を抱きし婦人に 
爆心地を清掃しゐる日傭婦等戦争後家の名が多かりき 
駐兵と腕くみて行く女の子背伸びしてささやく態(さま)も見馴れき 
秋空の澄みゆく下に並びゐて船つくらざる船台幾つ 
工場の裏の空地に今もあり銃眼を海岸に向けしトーチカ 
爆心地に近づきながらデモの灯は橋渡るとき河面を照らす 
ヒロシマの夜空を照らすデモの灯がかたまれば又歓声となる 
まだ消えぬデモ提灯の灯がありき河面はさらに暗く流れつ 
 
 ◇三宅雪枝 主婦◇ 
次次と死ぬ人を焼く竹藪に赤く火が燃えいく日かつづく 
世界史の地獄の巻はまさにこれダンテの描く空想ならず 
焼けし肌見せて比治山がスフエンクスの如く焦土の街の東に据る 
 
 ◇三好喜八郎 無職◇ 
マッチ箱ほどの爆弾で駆逐艦屠る噂聞きしは四年前にして 
勝つためにてだて選ばぬ残虐よイエス・キリストを神と呼ぶ国 
そこはかとなく湧くかなしみに孤児ら居て広場に細細とひとつ焚火(ひ)かこむ 
海くらき果てに焼けざりし街ありてゆふべしみじみと明き灯ともす 
しみいづる水は低きにながれきてここに片足の焼けし靴があり 
被爆せし日も灼けざりし月桂樹いまつぶらなる紅き実をもつ 
避難先つぐる木彫りは風塵に汚れゐて暑さに樹脂は沁みをり 
袖ふかく隠せるケロイド見し夜のかなしきかんばせいつまでも顕(た)つ 
寝がへれば軋むわが家の床下に灼け爛れ来て果てしはいくつ 
原爆に母失ひし君と住むかなしみ聴かぬ日は救ひのごとく 
僅かなる原爆年金受けしより諍ふはさみしわれの身ぢかに 
「戦争の犠牲避けし」とはばからず好きなことを言ふ海彼より来て 
死の影に怯へもつ日日血を喀きて被爆八年いまに死にゆく 
 
 ◇三好謙二 工員◇ 
復興を伝へてゆけど身のめぐりに原爆犠牲者困窮のさま 
爆心地にささげる紫煙の絶えぬとき低く飛びゆくジエツト機あり 
似島の学園孤児は泣かじと云ふ物蔭にかくれ声をひそめて 
 
 ◇道岡久仁子 主婦◇ 
倒れ伏す家の下瓦の中に幾千の叫び包みて火炎は走る 
裸身に大地に臥せる腰紐は残りしものの只一つかも 
我が庭の垣根に臥せし亡骸よ名はわかねども夏草手向けむ 
 
 ◇宮田鎹男 会社員◇ 
白き花胸にだきしめ憎めざる米国人(ひと)一人あり供養塔の前 
原爆のドームに遊ぶ子らありて夕べになれば群がりて帰る 
足も手もまたこの顔もケロイドなれば美しき人を皆憎しめり 
原爆のドームに白き文字あるは「アメリカ人母を焼きたり」 
原爆の地に生きなづみ弱きわれか反戦のこと口にせず居る 
アスフアルトの路上に白く書かれゐる戦争反対の字は踏まずわがゆく 
雨の日はペンキの文字浮上がり「アメリカのどれいになるな」と舗道にあり 
幾度か血を吐きつづけ死に給ふ父が原子記録を心して読む 
                            (つづく) 


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