2015年04月22日13時49分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(180) 『短歌研究・2014綜合「年刊歌集」』から原子力詠を読む(3) 「フクシマは沖縄と同じ構造と言ひ切りしのち暫く黙しき」 山崎芳彦

 『短歌研究・2014綜合「年刊歌集」』の作品群から原子力にかかわって詠われた(筆者の読みによる)作品を抄出、記録して来たが、今回が最後になる。この「年刊歌集」に選された原子力詠をを読みながら、筆者は福島第一原発の過酷事故による被災によってさまざまに深刻な人々の生活のこと、人が生きる環境と原子力のこと、さらにいまは停止している各地の原発再稼働に向かおうとしている政府、電力企業、財界など原子力に利益を求める原子力マフィアグループの動向、原子力依存社会からの脱出を求めて闘う人々のことなど、いろいろなことを考える。それは、いま私たちが生きている社会の現実とこれから迎える時代について様々な面から考えることに重なる。前回にも触れたが、福井地方裁判所が関西電力高浜原発3、4号機の再稼働を禁止する仮処分決定を下したことは、昨年の大飯原発3、4号機運転差し止め判決に続いて、樋口英明裁判長が憲法によって保障され尊重されなければならない人格権を守る立場を踏まえた明快・適正な司法判断として高く評価されるものだが、これに対して原子力マフィアグループは、理不尽極まりない攻撃を一斉に開始している。許しがたい、司法の良心に対する挑戦である。権力を持ち理不尽に揮う危険な勢力が束になっている。 
 
 福井地裁の仮処分決定に対して、関西電力は異議申し立てを行うことを明らかにしているし、原子力規制委員会の田中俊一委員長は「事実誤認がいっぱいある。新規制基準は世界で最も厳しいレベルであることを理解していない。」などと記者会見で述べて仮処分決定に不快感をあらわにした。この記者会見での田中委員長の発言には、自らが決定した規制基準の内容を把握していない誤った見解(新規制基準規則第4条の「地震による損傷の防止」の規定について、仮処分決定が正しく指摘している部分<使用済み燃料を冷却するための施設はBクラス>を挙げて田中委員長は最重要の「Sクラスです。」と仮処分決定の事実誤認の例として指摘している。)があり、直ちに弁護団や元原子力安全委員会参与の滝谷紘一氏からその田中委員長の「事実誤認」ぶりを厳しく指摘されている。恥じ入るべきだがその様子はない。 
 
 田中委員長は、従来から新規制基準に基づく審査に適合したと判断したことは、安全だという判断ではないと述べ、審査に適合した原発の再稼働問題などについて規制委員会は判断する立場にないなどと述べてきているが、それでいて、高浜原発の再稼働禁止仮処分決定については異を唱えるのである。田中委員長は日本原子力研究開発機構の特別顧問を務めていた原子力ムラ所属ともいうべき人物であることを思い起す。 
 
 樋口裁判長は、新規制基準は「緩やかにすぎ、これに適合しても本件原発の安全性は確保されていない。新規制基準は合理性を欠くものである。」とさまざまな検証を行った結果を具体的にあげて明確な判断を示していることに比べて、原子力規制委員会の審査が、「規制基準が緩やかにすぎ」るとともに、審査の手法も「緩やかにすぎる」というべきである。筆者は、専門的な知識を持つものではないのだが、仮処分決定の全文を読んで、昨年の「大飯判決」を読んだ時と同様に、これまで原発に関する少なくない文献や資料を読んできて学んだことを踏まえて、共感を深くしたし、技術的な検証の内容の根底にある、人間の基本的権利、人格権の擁護と尊重の生き生きとした息吹きを感じ、あるべき司法の良心に感じ入った。 
 
 菅内閣官房長官は「仮処分決定だから・・・。政府は新基準に適合すると判断された原発の再稼働は粛々と進めていきたい考えだ。」と記者会見で語り、司法の「仮処分決定」を軽視・無視するかのごとき態度を示し、現内閣の反民主主義の本質をむき出しにしている。(沖縄の辺野古基地建設について「粛々と」を枕詞のように使い、厳しい批判を受けたことなど頭にないのだろう。) そして、安倍晋三首相は衆院本会議において「田中規制委員長から、(仮処分決定では)いくつかの点で新規制基準や審査内容が十分に理解されていないとの明快な見解が示されている。世界で最も厳しいレベルの新規制基準に適合すると認めた原発について、再稼働を進めていくのが政府の一貫した方針だ。」と述べ、司法判断に誤りがあるとするかのごとき見解を示したが、これは三権分立の基本精神を踏みにじる暴言であろう。行政府の長が司法の判断を無視する発言を国会で行う異常さは、安倍政権の際立った危険な特徴であろう。上級審への不正な牽制球ではないのか。 
 
 また、大企業・財界の総本山である経団連が、4月6日の時点で「新たなエネルギーミックスの策定に向けて」と題する提言を公表して、「低廉で安定的に発電できる」ベースロード電源として、原子力、石炭、地熱、水力で全体の62%(原子力25%超など)をまかなう電源構成を2030年の望ましい姿として示しているが、これは原発再稼働だけでなく廃炉すべき原発があることを考えれば、新原発の建設を想定しなければあり得ないものであり、核燃料サイクル計画推進なども構想されていると見なければならない。 
 
 脱原発どころか、使用済み核燃料や高濃度放射線汚染物質の処理、管理、保管について何の見通しも持たず、また「放射線安全神話」を作り上げ、原発事故の危険性を押し隠しながら原発回帰・強化を急ぐ、原子力マフィアグループの、反人間的な企みは、歴史を逆走させつつある政治権力とその同調勢力の動きと一体であると言わざるを得ない。 
 人びとに底知れない苦難と悲しみをもたらす時代に向かっていることへの危機意識が、いま読んでいる短歌作品のなかに数多く、さまざまな表現によってあらわされていると思って読んでいる。詠わなければならないとも思う。そして残して伝えなければと思う。 
 
 今回が最後になるが『短歌研究・2014「綜合年刊歌集」』の作品を読む。 
 
 
◇はるかなるチェルノブイリに届けたい廃炉の春は灰色だよと 
                    (内藤英雄) 
 
◇散り残るさざんくわの紅ふるへゐて直接死より間接死増ゆ 
                    (中西敏子) 
 
◇あたらしき大型画面にて見るべきかまた巡りくる3・11 
                    (中野昭子) 
 
◇刀疵柱に残し原爆の玻璃戸かたむく「花月」に遊ぶ 
                    (中村仁彦) 
 
◇千年の夢も奢りも一どきに抜きとられたる街の殻はや 
 汚染土の入れ替え庭に終えたれど入れ替え叶わぬ我が心ぞや 
 稲妻の遠閃きに呼びたきを今アテルイのその心こそ 
                    (波汐国芳) 
 
◇滝桜 今年も逢ひて嬉しいと見上ぐる吾に笑みこぼしたり 
 荷を解けば蕗の薹なり歌友の住む浅間の山の風もともなふ 
 被曝後の福島の山病みたれば好きな山菜採りも叶はず 
                    (波汐朝子) 
 
◇原発の事故の怖さを知らしむる手立てのなきかと常に思ひをり 
 原発は経済よりも倫理面の判断要すとメルケル首相 
 次世代へ廃棄物残す原発は人道に背くとメルケル氏 
                    (西山幸子) 
 
◇被災地に残る桜の咲けるさま映して画像にあふぐ人見ず 
 福島に在る係累に言及び人は見えなきフクシマ危ふ 
 伐られたる庭の桜が芽を出だしひつたり咲くは潔からず 
 潔くあらぬ桜を称ふべしフクシマの桜わぎへのさくら 
                    (温井松代) 
 
 
◇東日本大震災よりはや三年、人知を超えて存疑の果てざる 
 大津波に呑まれし友の浪江町請戸浜は荒寥と三年を数ふ 
 原発の爆ぜたる周囲の四か町、合併一町の選択肢や聞かる 
                    (樋口忠夫) 
 
◇家追はれ作業も担ふ人の身の線量数の知らされぬまま 
 浸蝕の処理とふ一日三千人全て男の戦時下のごと 
                    (平野由美子) 
 
◇東夷ニッポンアマテラスの裔生き生きと原発再稼働の宣言をなす 
                    (平山良明) 
 
◇目に痛く日日読む除染天地の神の記憶に広ごる美田 
                    (福井 孝) 
 
◇隠れたるは何もなきやうなヒロシマの初冬の朝なりその土踏めり 
 残りたるドームの骨組見よといふきららかに元安川は流れて 
 非戦と言ひ誓ふと言ふも忘れやすき人の世にして銀杏あかるし 
                    (福沢敦子) 
 
◇汚染土を除くにも似て悲しかり田の土剥ぎて遠世探るは 
                    (藤生喜重) 
 
◇政権が選びたる識者アバウトな発言多く顰蹙買ひゐる 
 反知性主義の権化よ 識者らの発言はみな一方的な 
 発言が出るたび個人の見解と常に責任逃れの政権 
 現在の識者の特徴 不都合になれば居直る権力盾に 
                    (細井 剛) 
 
◇あの日から三歳たてども目処立たぬ復興支援の金銭の嵩 
 街角にもの言ふ人を見詰めつつ被災地の人の来し方おもふ 
 人間に踏まれし草の空き地にも心を寄せる和牛幾頭 
                    (前川佐重郎) 
 
◇あの世でもこの世でもなく福島の花ももの里にわれを失う 
                    (松井多絵子) 
 
◇天災よりも人災こはしと誰かいふ水俣の海ふくしまの水 
                    (宮本永子) 
 
◇奥山の長閑なる生活破壊され土地を追われし村人の苦悩 
                    (向井史子) 
 
◇核のゴミ埋むる深きへは届くまじ猫はしきりに土を掻きをり 
                    (村田俊秋) 
 
◇高市早苗議員と同じことを言っても岡井さんの場合は不問であって 
 福島の3号機からは湯気が立ち高濃度汚染水も海へ流れる 
                    (望月祥世) 
 
◇悲しみの半減期までどのくらい石は妊る水に抱かれて 
                    (桃林聖一) 
 
◇除染する人達ふたり庭の面と植木の本数穴掘り場きめぬ 
 先ず植木・常緑樹の剪定容赦なく枝は切られて裸木に近し 
                    (門馬 豊) 
 
◇原発も水俣病も根は同じ人の命を資本が食せる 
                    (山本 司) 
 
◇戦争を知る世代減り長かりし戦後の平和いま半減期 
                    (結城千賀子) 
 
◇風評のおさまる湖のしじみ汁会津乙女におかわりたのむ 
                    (吉田いわお) 
 
◇原発の稼働差し止め示す文字の角が丸くて重さが足りぬ 
                    (吉田淳美) 
 
◇避難所にあのときわたし居ましたと女子高生に挨拶さるる 
 三年経て開き見るなり避難所の所長時代の記録写真を 
                    (吉田健一) 
 
◇東北の震災三年経て今も廃墟の街に雪深く積む 
                    (四元明朗) 
 
◇フクシマは沖縄と同じ構造と言ひ切りしのち暫く黙しき 
                    (渡 英子) 
 
 次回も原子力詠を読む。澤正宏さん(福島大学名誉教授、近現代文学研究者)の原子力詠を読み、記録したい。            (つづく) 


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