2015年06月19日22時57分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(187) 福島の歌人グループ「翔の会」の歌誌『翔』の原子力詠を読む(3) 「廃炉への四十年は幻か先へ先へと延ばされてゆく」 山崎芳彦

 
 
 前回に引き続き、福島の歌人グループ「翔の会」の歌誌『翔』を読む。今回は第50号、51号から原子力詠を抄出し、記録させていただくが、この一連で既発行の同誌について読み終えることになる。同誌は今後も発行されて、会員各氏の貴重な作品を蓄積し、残し、伝え続けていく大きな役割を継続していくことになるに違いない。この連載の中で、また読むことができることを願いつつ、とりあえず今回で終る。「廃炉への四十年は幻か…」と、この51号に三好幸治さんの作品があるが、この6月12日に政府は関係閣僚会議で福島第一原発の廃炉に向けた工程を改訂し、1〜3号機の使用済み核燃料プールからの核燃料取り出し時期を「最大三年遅れとなる」ことなどを決め。福島の歌人である三好さんの洞察の確かさが作品で示された。そして「幻か先へ先へと延ばされてゆく」ことによる人々の苦悩と、それをもたらしている政府、東京電力をはじめ、原子力維持を推進する者たちへの怒りは、短歌を力として、鋭く深い。 
 
 今回行われた廃炉工程の変更は、単に計画・手順の見直しではなく、原発事故原因責任者たちの、さらに言えば原発の導入・稼働にかかわってきた原子力関係者たちがこれまで歴史的に犯してきた原子力エネルギーのテクノロジーによる科学技術文明の破綻の一端であるとともに象徴なのだと思う。事故原発の廃炉はもとより重要な課題であり、広く、これまでの「原子力推進関係者」の枠を超えた科学技術者をはじめ各方面の叡智を結集して実現の歩を、原子力エネルギーの持つ破壊力の危険性に見合った適正な方法で進めなければならないに違いないが、同時に原発による電力に依存する社会からの脱却、原子力社会の克服を目指すことを抜きにしては、問題の根本的な解決はあり得ない。一方で事故原発の廃炉をしながら、同時に既存の原発の再稼働を進め、さらには必要ならば新設の原発までをも視野に入れたエネルギー計画を打ち出して、「原子力蟻地獄」に留まろうとすることの理不尽を許してはなるまい。 
 
 福島原発事故が明らかにしたのは、70年前に米国による広島、長崎への原爆投下による原子力エネルギーの深刻極まりない被害によって数えきれないほどの人びとが殺され、生き延びても放射能による様々な健康被害の苦難のなかで生をまっとうできず無念の死を強いられ、あるいは病魔に苦しみ続けてきているこの国が、原爆と同根の原発を「平和利用」の名のもとに導入し推進して来たこと、そして破綻の危機の淵を歩くように「核発電」の社会を構築し、さまざまな事故や危険を繰り返しながら原発を稼働させ、ついに福島原発事故に至ったこと、そこへの道を政・財・官・学が結んだ原子力利権グループが導いてきたこと、その原子力社会の危うさのなかで生きてきてしまったこと、原発列島化したこの国を今こそ原発ゼロの国に転換させなければならないこと・・・ではないのだろうか。 
 しかし、今この国の政府・経済界を中心にする原子力マフィアグループは、その教訓と真反対の道を進みつつある。戦後70年と言い、それ以前のこの国の軍国主義・侵略主義の歴史を無かったことにして、改めて戦争法の整備をしようとしているのと重ね合わせるようにして、原子力社会の継続・推進を図っている。許してはならない。 
 
 歌誌『翔』第51号の巻頭言で、波汐國芳さんは次のように記している。 
 「東日本大震災と同時発生の東電福島第一原発事故から五年目を迎えるが、元の福島が未だに戻らない。シートを被せた汚染土が庭隅に置き去りのままだ。漸く、中間貯蔵の運び場所が決まったばかりなのである。一方原発六基の廃炉が決まっているが、問題解決までは四十年もかかるという。それには研究を積んでやるのだという。だから先行き不透明のまま。つまり、真実、制御能力がないのに、原発を造り、その富を得てきたのであり、何と愚かな、と思わずにはいられない。・・・人類最初の核被害者わが国が何故、核の平和利用の名のもと、原発の推進を図るのか、政治の在り方に疑問を抱いたことがあった。」 
 「ところで、原発推進の目標は核融合といわれる。核融合反応は太陽が光り輝きエネルギーを放射している原理で、・・・それは太陽の他に太陽をつくることで、神の領域を侵すものといえよう。旧約聖書の中にアダムとイブが神に背いて禁断の実(知の実)を食べ、エデンを追われたとあるが、現代人はその始祖の罪を延々と繰返しているのである。例えば具体的には飽くなき武器の開発によって、殺戮の絶えない国際情勢、文明の名のもとに地球を蝕む環境汚染。」 
 「さて、科学は人類の幸せに貢献する限りに於いて文明だが、それを超えれば悪業である。その文明が、加速化しているのが現状である。新幹線の加速化もその一つ。猛スピードで迫る風景。それは人類の終点が迫ってくるのだと気付かずにはいられない。私はこうした気持ちを作歌の起点に置く。原発石棺五年目に思うことである。」 
 
 歌誌『翔』の作品を読みたい。 
 
 ▼歌誌『翔』第50号(平成27年2月1日発行) 
  ◇ベクレルとシーベルト(抄)  児玉正敏◇ 
大空にどこまでも青広がれど廃炉作業は黄と赤続く 
全袋検査をすれど風評は野越え山越え日本を走る 
原発の事故から三年経ちたれど降りたる雪は青白く見えず 
ベクレルとシーベルトに揺さぶられ心の芯も沸点近し 
大空を流るる雲に福島の風評すべてを積みてやりたし 
 
  ◇セシウム深野(抄)  波汐國芳◇ 
ふくしまやセシウム深野 雪深野 とつぷり隠れ私が見えぬ 
福島に多くの闇を傾けてひたに降る雪けものめきたり 
福島の底ひ無き闇其に生きて歌を吐くなり火焔吐くなり 
ああ福島どこまで沈めばいいのだろう ずんずん高くなる水平線 
地獄闇 福島の闇極まるを氷の終電の揺れて過ぎたり 
遣り場なき汚染土積まれて風立てば一人歩きの脚出でさうな 
原発事故 福島でよきと言はれしを言ひ返しつつわれの口燃ゆ 
 
  ◇吾が迷ひ(抄)  橋本はつ代◇ 
セシウムの濃度知らねど山畑の土黒ぐろと鍬を入るるも 
「吉田調書」世に問ふ事実の裏側に右往左往の官僚のかげ 
 
  ◇紅葉狩り(抄)  紺野 敬◇ 
除染後の庭に憩へば風ありて群れ咲く萩をゆらゆら揺らす 
屋根塗りに来たる職人若ければ無口なるまま屋根うへにあり 
檻のごと家の巡りに組まれたる鉄のパイプの中のわれらか 
 
  ◇放射能なき自由(抄)  古山信子◇ 
阿賀野川中州に遊ぶ鳥いくつ放射能なき自由を持てり 
 
  ◇見える風景(抄)  薗部 晃◇ 
ふてぶてと被曝の地にもはびこりて泡立草の占むる金色 
泡立草の黄の溢れゐて被曝地の大熊町の田畑の哀れ 
原発いらぬの旗を掲げてわがゆくに近づき来るウクライナの人 
「原発ゼロ」呼びかけゆくに背を向けて無関心なる人の多きも 
原発の事故収束も見えぬまま他国に売るとふ大臣のあり 
原発の安全神話崩れたる国なり未だ神話ゆ出でず 
海水浴今年解禁になるといふ汚染の魚ら泳ぐ海なり 
「この海の魚食へません。 遊泳可」こんな看板あればと思ふ 
 
  ◇悲しみの雨(抄)  渡辺浩子◇ 
原発とふ恐ろしきものに支へられ営みて来しわれ等の暮らし 
汚染水海へ流るると知りたれば一寸法師も櫂を止むるや 
 
  ◇似顔絵(抄)  御代テル子◇ 
検査ずみのほつき貝とて炊き込めば古里の海の匂ひ戻り来 
三度目の冬を越しきし宿根の朝顔の藍吾は愛しむ 
汚染水徐々に薄れてシラス漁戻り来るなり四年目の夏を 
 
  ◇愛しき故郷(抄)  桑原三代松◇ 
盆の日に帰郷の人を迎へむと除染の鍬を丁寧に打つ 
つづまりは制御の出来ぬ原発をなだめすかして作る電気か 
 
  ◇自分史(抄)  三好幸治◇ 
地空には汚点か人間は禁断の木の実の「核」に手までも染めて 
 
  ◇父のアルバム(抄)  鈴木紀男◇ 
高きより福島の町見下ろせり緑の多き美しき町よ 
被曝三年 放射線量のニュースさへもはや気にせぬ我がゐるなり 
三年を経て明かさるる新事実もう何があつても驚かぬなり 
 
  ◇秋茜舞ふ(抄)  上妻ヒデ◇ 
向日葵のはや末枯れたるそのめぐり秋茜舞ふ吾がめぐり舞ふ 
「この辺が居間よ玄関お風呂場と」津波の災禍を語る友なり 
畑を打ち野菜育てし亡き夫が吾が髪切りし夢より覚めぬ 
 
  ◇六号線(抄)  波汐朝子◇ 
原発への六号線なり事故よりぞ四年目にして開通となる 
大熊町へは何度も講演に行きし夫開通を聞き車走らす 
道路沿ひの荒田を占むる泡立草黄の波立つは死者の嘆きか 
人住まぬ大熊町は死の町か白きすすき穂怪しく揺るる 
汚染土の山を隠しし夕顔のつる枯れ果ててむき出しの庭 
桧原湖のほとりに夫と飯を喰ふこのひとときよ誰も攫ふな 
五色沼の観光ホテル閉ざされぬ原発風評が坂登り来て 
庭の土入れ替へされしを逃れしかむらさき群るる野紺菊の花 
 
 ▼歌誌『翔』第51号(平成27年4が26日発行) 
  ◇新たなリズム(抄)  鈴木紀男◇ 
何故に急ぐ衆院総選挙避難住民置き去りのまま 
総選挙終りてみれば何事もなかつたやうに雪は降るなり 
今年こそ笑顔戻るか福島の冬の底より白鳥飛び立つ 
牛見れば町民の心和むかと避難地域に牛飼ふ男 
放射線量高き地域に飼はれゐる牛悠々と草食みてをり 
 
  ◇陽のほかに陽を(抄)  波汐國芳◇ 
福島に住んで福島の魚喰へぬ ほんとの海が無いからですか 
福島へほんとの海を呼び戻せ試験出漁の船が手繰るを 
福島産菜の茎立ちを食む朝か被曝の日々より起つ証とも 
福島はセシウム深野 積む雪の除けても除けても残るセシウム 
福島をうつくしまなんてうぬぼれのひとらが招きしフクシマぞ ああ 
首都機能本気で容れむと思ひしやこの県統ぶる御人好したち 
科学者ら希ふは核融合とふ 陽のほかに陽をつくる事とふ 
人類は火刑選ぶや陽の中ゆ陽をし盗むを開発として 
何でそんなに急いでゐるの 人類の終がみるみる迫って来るを 
 
  ◇虹ですね(抄)  橋本はつ代◇ 
文明に役立つ筈の核なるを作りてしまへりおろかな人間 
収束のいまだつかざる原発に働く人等バスに揺れゆく 
ひたひたと従きくるセシウム振り払ふ思ひに強くアクセルを踏む 
 
  ◇エンジンの音(抄)  児玉正敏◇ 
剪定が遅れ気味なる梨畑に支援の人らの鋏が光る 
汗をかき自らつかむ安全はあらぬ風評如きに勝る 
東経も緯度も動かぬ福島が原発事故後は立つ位置を変ふ 
かさかさと葉擦れの音を聞くやうに仮置き場所のうわさが届く 
除染丸が海図なきまま漕ぎ出だす飾りのやうな船長の下 
 
  ◇波の調べ(抄)  紺野 敬◇ 
砂浜を歩む足跡波が消す消したきものはほかにもあるに 
わが庭の枝もたわわの柿の実を食ぶる小鳥ら被曝五年目 
 
  ◇傘寿の春に(抄)  古山信子◇ 
セシウムを吸ひて散り行く桜木の紅葉落とす四年目の秋 
 
  ◇波の穂(抄)  渡辺浩子◇ 
水揚げは小名浜魚港にあらずとも再操業へ秋刀魚五匹買ふ 
水揚地北海道沖のラベル見て原発事故の大きさ思ふ 
震災の津波と原発事故を経て小名浜港のきらら波の穂 
 
  ◇消費税率(抄)  岡田 稔◇ 
風評を笑ひ飛ばして生きゆかむ所詮は風と同じ性質 
復興の言葉飛び交ふ福島に復旧の遅れ目立つ現実 
除染せし土の袋の野ざらしを遠く離れて選挙カー行く 
候補者の誰もが廃炉を言ふことの本音隠して選挙近づく 
セシウムに土地を追はれし人等にも消費税率均等に来る 
 
  ◇若竹の生気(抄)  桑原三代松◇ 
繰り返す除染作業に抗らふかセシウム計の針振れやまず 
剥ぎ取りし汚染の土は行き場なく黒き土嚢の不気味に光る 
鶴嘴を弾き返して土塊の動じぬ様をしげしげと見る 
 
  ◇人知を嗤ふか(抄)  三好幸治◇ 
福島の風評被害が呼び戻す「ひと山百文」なる屈辱を 
思い遣る心を拒絶するエゴが曝け出ださる原発事故に 
「人の輪」も「絆」も裂きてエゴを生み原発事故はサタンにあらん 
汚染水処理の不手際痛痛し人知を嗤ふか原発事故は 
福島はチェルノブイリに無き怖き汚染水処理課され身悶ゆ 
人の世の末をぎらりと覗かせて廃炉の原発四基が跪く 
此の度の原発事故にも覚醒のなきか電力会社よ国よ 
誰よりも地獄を見たる東電よ脱原発の狼煙をあげよ 
廃炉への四十年は幻か先へ先へと延ばされてく 
 
  ◇心波立つ(抄)  波汐朝子◇ 
被災より四年経たるも風評の消えぬと嘆く農の友なり 
信州の友より届く野菜をば地元の農に詫びつつ食むも 
原発の汚染水をば又しても海へ流すとぞ心波立つ 
被災して五年迎ふるわが庭に汚染土の山でんと居座る 
わが庭に朝をば告ぐる小鳥らの声聴かずして四年目となる 
 
 歌誌『翔』の作品は今回で終るが、次回も原子力詠を読み続ける。 
 なお、前回の中で、月刊「科学」5月号(岩波書店)に所載の戸谷洋志氏の「現代思想のなかの原子力発電所」から、「原発の危険性の本質」「原発をめぐる倫理の問題」についての引用をさせていただき、引き続き「原発と想像力の問題」について今回触れさせていただくと記したが、思うこともあって別の機会を持ちたい。 
                           (つづく) 


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